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伊賀鉄道 860系電車

2011-01-07 21:20:35 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
近畿日本鉄道(以下、近鉄)が奈良線・京都線系統向けに導入した車両である。
昭和36年に2両編成×8本=16両が製造され、登場時の形式は820系であった。
製造を担当したメーカーは近畿車輛である。
編成の組み方は上本町側から以下の通り。

・モ820形+ク720形

車体は鋼鉄製で800形をベースに準張殻構造を採り入れた軽量車体を採用した。
正面は増結運用に対応するため、貫通型とされ、正面左右上部にヘッドライトを、
同じく下部に通過標識灯とテールランプを配したものとなった。
塗装はダークグリーンにシルバーの細帯で後に近鉄マルーンにシルバーの
細帯となった。

車内はラッシュに対応するため、ロングシートとなっている。
側面窓は一段下降式でドアは片側2箇所で1450mm幅の両引き戸である。
冷房は搭載していなかったが、ファンデリアを設置していた。

主制御装置は抵抗制御で超多段式電動カム軸式制御器を採用している。
ブレーキは生駒峠を通過できるように抑速ブレーキ付の電磁直通ブレーキである。
ただし、最後に製造された827編成と828編成は抑速ブレーキを搭載していない。
なお、昭和43年に奈良線・京都線系統の架線電圧を600Vから1500Vに昇圧した時、
821~826編成も抑速ブレーキを撤去している。
これにより、生駒越えができなくなった。
台車は金属バネ式のシュリーレン台車で駆動方式はWN駆動方式である。

820系時代は2本を繋いだ4連で使用されたほか、800系の特急列車(現在の快速急行に
相当)の増結に使用されたり、生駒線、天理線などの支線でも運用された。
また、丹波橋駅から京阪電気鉄道宇治線宇治駅までの直通列車にも使用された。
京都線・橿原線の大改良工事完成(車両限界拡大)後はドアにステップを設置した他、
後継の8000系の増備に伴い、生駒線、田原本線などの支線運用に就くようになった。
昭和50年に京都線新祝園~山田川間で発生した脱線転覆事故で、大破した800系
807編成の無事な車両2両を復帰させた際、その相方を務めている。

昭和59年より、養老線に転じた南大阪線の6800系「ラビットカー」の台車と
モーターを流用して、狭軌化と支線への転用が開始された。
狭軌化された編成は形式を現形式の860系に改め、伊賀線に転出している。
編成の組み方は伊賀上野側から以下の通り。

・モ860形+ク760形

なお、この改造は全車が対象とはならず、860系への改造が開始される直前に
廃車された822編成は対象外となっている。
まず対象7本中4本が先行して改造され、3本は820系として田原本線用に
残された。
その後、平成5年に8400系3連車がワンマン化の上で田原本線に転入した際に、
追加で860系に3本を改造の上で伊賀線に転入している。
この際、860系全車を対象に冷房化改造を実施した。
この冷房装置は11400系「新エースカー」の廃車発生品を流用している。

7本が揃い伊賀線の近代化はなったが、本形式も820系として登場して50年近くを
経過しており、老朽化が進んでいた。
しかし、置き換えようにも伊賀線の車両限界が18m級2連までであり、
自社線向けの新車は本形式を最後に20m車に統一されたことから、
本形式での運用が続けられた。

平成19年に上下分離方式(車両・施設の保有は近鉄で行い、
伊賀鉄道が列車の運行や運営を行う)で伊賀線が伊賀鉄道に移管された際、
本形式は同社に貸し出されている。
伊賀鉄道では老朽化の進む本形式の置き換えのため、東京急行電鉄1000系電車を
改造した200系電車の導入を平成21年より開始しており、
既に3本が廃車されている。


○近鉄旧標準色のマルーンに銀帯に復元された編成と広告塗装車。
 奥の広告電車は既に廃車されている。


○初代「ピンク忍者」編成の866編成。写真撮影時、200系の2代目「ピンク忍者」編成
 就役に伴い既に運用を離脱していた。
 昨年の夏頃、除籍になり解体された。
 なお、伊賀鉄道200系は3本目が導入され、所属の半数が200系になったことになる。
 置き換えの速度はゆっくりだが、乗車と記録は早めになさることをお勧めする。


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