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水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
※禁無断転載!使用に際してはコメント欄にて
用途を申告してください。

上田電鉄 7200系電車

2011-06-24 23:23:49 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
老朽化した旧型車の置き換えと冷房化のために東京急行電鉄から7200系電車を
譲り受けたものである。
平成5年に2両編成×5本=10両が入線した。
製造年は昭和42年~43年で製造を担当したメーカーは東急車輛である。

■東急時代の概要
営団日比谷線の直通用に設計され、その規格を満たすために全車電動車方式で
製造された7000系の反省に立ち、東横線以外の高速走行を必要としない路線での
運用を考慮した経済性重視の車両として登場した。
昭和42年~43年、昭和47年にかけて53両が製造された。
メーカーは東急車輛。
構成形式は以下の通り。
デハ7200形(制御電動車。制御装置・空気圧縮機・電源装置付き)、
デハ7300形(中間電動車。制御装置搭載。補助機器は当初搭載せず)、
デハ7400形(中間電動車。制御装置・空気圧縮機・電源装置付き)、
クハ7500形(制御車)

当初は製造順に附番されたが、本形式製造途上の昭和42年12月より運転台や
制御装置などの機器のメーカーの違いを分かりやすくするため、改番を実施した。
これにより、日立製作所製の機器を持つ車両が下2桁0番台、東洋電機製の機器を
持つ車両が下2桁50番台となった。
これも7000系で機器の違いで性能が違ったため、運用を分けていたものの、
車両の番号を分けず現場の混乱を生んだことから取られた措置である。
しかし、本形式では全線で運用可能な車両とすることが前提となったため、
性能が統一されており、この改番はあまり意味を成していない。

車体はオールステンレス製(デハ7200号+クハ7500号のみアルミ合金製)で
正面は三つ折れでさらに中心の貫通扉両脇が「く」の字に折れた「ダイヤモンドカット」と
呼ばれる独自の形態をしている。
塗装はなく、ステンレス無地であったが、昭和63年以降赤帯を正面にのみ巻いた。
行き先表示は当初が正面のみ、後年は側面にも追加されている。
車内はロングシートで側面窓に初めて一段下降窓を採用。
ドアは両開きで片側3箇所である。
冷房は昭和47年に目蒲線・池上線用に投入されたデハ7260+デハ7452+クハ7560の3両が
新造時から、それ以外は昭和50年代後半に改造で装備している。

主制御装置は抵抗制御方式でブレーキは界磁制御器による回生ブレーキ併用
電磁直通ブレーキである。
なお、界磁制御器のスイッチを切ることで回生ブレーキをカットすることも
可能である。
台車は電動車が軸箱支持をペデスタル式としたダイレクトマウント式空気バネ台車、
制御車が防振ゴム支持で軸バネを持たないパイオニア式とした空気バネ台車である。
モーターの駆動方式は中空軸平行カルダン。
制御車の台車は乗り心地が悪かったことから、後年電動車と同じ構造のものに
交換したものがある。

東急では東横線をはじめ大井町線、田園都市線で運用され、その後、池上線、
目蒲線に活躍の場を移し、平成12年8月に事業用のデヤ7290形なったアルミ合金製の
2両と7600系に改造された9両を残して引退した。

■上田電鉄譲渡車の仕様
上田交通時代の平成4年にデハ7200形×5両、クハ7500形×5両の10両を譲り受けた。
新旧の車番変遷は以下の通り。なお、東急時代の改番は省略する。

上田:モハ7251+クハ7551←東急:デハ7257+クハ7551
上田:モハ7252+クハ7552←東急:デハ7252+クハ7557
上田:モハ7253+クハ7553←東急:デハ7253+クハ7553
上田:モハ7254+クハ7554←東急:デハ7254+クハ7511
上田:モハ7255+クハ7555←東急:デハ7258+クハ7558

譲渡にあたっての改造を担当したのは東急長津田車両工場である。
当初の改造内容は帯色の変更(前面のみ赤→正面~側面グリーンの濃淡)、
車番変更、回生ブレーキのカット、側面行き先表示の撤去と正面方向幕の手動化
程度である。
車番を見て分かるとおり、電動車の機器は全て東洋電機製のもので揃えられているが、
クハ7554号車のみ日立製作所の機器となっている。
ただし、制御車なのでマスコンぐらいしか違いが無いので特に問題はない。

平成9年よりワンマン改造を実施し、運賃箱、運賃表、整理券発行機、ドア回路の
変更などが施されている。
平成17年より7253編成に「丸窓電車」モハ5250形を模したラッピングを施し、
「まるまどりーむ」号になった。
当初、同編成1本だけだったが、同年の上田電鉄発足にあわせて7255編成も同様の
ラッピングを施されている。
このラッピングはクリームと紺色のツートンカラーという外見だけでなく、
車内も木目調のカッティングシールを貼り、座席のモケットも東急時代のオレンジと
ブラウンの2色からワインレッド一色になり、丸窓も運転台側に近いドアすぐの
窓で再現された本格的なものである(座席の張り替えは7255編成では未施工)。
また、他の編成でも帯色を紺とクリームの2色に変更したが、7254編成だけ帯を
剥がした無地とされた。
当初は期間限定での実施予定であったが、好評を博したため、そのまま運用された。

平成20年に東急から1000系電車×4本が入線することになり、本形式3本が
置き換えられることになった。
退役したのは7251編成、7252編成、7254編成の3本である。
7251編成は同じ東急7200系を1800系として運用している豊橋鉄道に譲渡され、
同社で部品供給用として保管されていたデハ7255号を整備して組み合わされ、
1810編成モ1860+ク2810として再起した。
7252編成と7254編成のうち、モハ7252号とモハ7254号は東急車輛へ譲渡され、
同社工場の入換牽引車になった。
残ったクハ7552号とクハ7554号は下之郷工場でしばらく保管の後、解体されている。
「まるまどりーむ」号2本は現在も籍を有しているが、予備的な存在となっており、
最近は動く機会が少ない。


○無地になった7254編成。このクハ7554号車は上田電鉄7200系唯一の
 日立製マスコン装備車だった。


○車内。ほぼ東急時代のままだが、ワンマン化の際、乗務員室仕切り扉が
 大型の引き戸に替えられた。


○運転台。基本的に東急時代と変化は無い。左右にあるレバーはワンマン運転用の
 ドアスイッチ。マスコンは東洋電機製。ロゴが見える。
 

○「まるまどりーむ」号の7553編成。運行当初、ヘッドマークを掲出していたが、
 最近は取り付けていない。


○「まるまどりーむ」号車内。

信楽高原鐵道 SKR311形気動車

2011-06-16 21:02:31 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
開業時より運用していたSKR200形気動車の老朽化に伴う置き換えのために
導入された車両である。
平成13年~平成14年にかけて2両が製造された。
製造を担当したメーカーは富士重工で同社が地方非電化私鉄、第三セクター鉄道向けに
販売していたLE-DCシリーズの一つである。
単行運転を前提にした車体前後に運転台を有する両運転台車であるため、
決まった編成は組まない。

車体は軽量構造を採り入れた普通鋼鉄製である。
正面は分割・併合に備え、中央部に貫通扉を装備し、左右の窓は側面まで
回り込んだパノラミック・ウィンドウとなっている。
正面下部にはスカートが設置されている他、過去に発生した信楽高原鉄道列車正面
衝突事故を教訓に油圧バンパーを装備している。
これらの車体構造は本形式より6年前の平成7年に導入されたSKR300形と同等のもので
ある。
塗装はクリームにライトグリーンの帯で車体中央部にタヌキのイラストと「SKR」の
文字が入る。
行き先表示は字幕式で正面にのみ設置、側面はステッカー表記である。

車内は扉付近をロングシート、それ以外を向かい合わせのボックスシートとした
セミクロスシート配置である。
ロングシートの肘掛は衝突の衝撃で座席が外れないように枕木方向にパイプを1本
通している他、手すりにゴムを巻くなど安全性の向上が図られている。
ドアは片側2箇所のステップ付き片引き戸で左右で若干位置がずれる。
側面窓は下段上昇・上段下降の2段式ユニット窓である。
ワンマン仕様のため、ドア周りに整理券発券機を運転室後方に運賃表と運賃箱を
設置している。
運賃箱は運転台を使用しないときに運転室を仕切るための仕切りを兼ねる。
また、信楽高原鉄道では衝突事故以降、乗換駅である貴生川駅での乗車券発券及び
運賃収受の業務の委託を中止したため、同駅での運賃支払い証明の発行機も
搭載している(連絡乗車券は唯一の有人駅である信楽駅のみで発行。無人駅からの
乗車の場合は貴生川で運転士に運賃を支払い、降車証明をもらう。貴生川駅で
改札を出る場合はそれを駅員に渡す。JR草津線に乗車する場合は降車駅で
証明書を見せて所定の運賃を払う。ICOCA利用の場合は運賃支払い後、
貴生川駅ホームにあるリーダーにタッチするだけ)。

機関はUDトラックス(←日産ディーゼル)製PE6HT03型ディーゼルエンジン1基である。
変速方式は液体変速式で総括制御可能である。
ブレーキは直通管付き空気自動ブレーキで、保安ブレーキを2重化している。
台車は軸箱支持がペデスタル式のインダイレクト式空気バネ台車である。
運転台はツーハンドル式で、ワンマン運転対応の各種機器が備わる。

本形式の登場で開業時に導入したSKR200形201号と203号が廃車となった。
以降は同線の主力として運用されている。


○車内。右の柱はエンジンから延びる排気管のもの。
 網棚が座席全長で設置されてない。


○ロングシート。パイプがゴムで覆われている他、パイプを1本横方向に設置して
 衝撃で座席が外れないように配慮している。

福井鉄道 デキ10形電気機関車

2011-05-14 21:05:44 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
福井鉄道の前身である福武電気鉄道が開業時に荷物輸送用に導入した車両である。
大正13年に2両が製造された。
製造を担当したメーカーは梅鉢鉄工場である。
当初の形式はデワ1形で、車種も電動貨車であった。

車体は木造(フレームは鋼鉄製)で荷物室は屋根付き・箱型の有蓋タイプである。
正面は非貫通の3枚窓(当初は真ん中と右側だけの2枚)でヘッドライトは
当初は窓下であったが、現在は窓上にある。
登場時の塗装は不明だが、戦後は概ね濃い目のブルー一色である。

主制御装置は抵抗制御で当初は直接制御方式でブレーキはハンドブレーキと
発電ブレーキのみであった。
台車は2軸式で駆動方式は吊り掛け駆動であった。

主に戦線は福武線、戦後は南越線の荷物輸送や構内入れ換えに従事し、
戦争、福井地震、九頭竜川の大洪水など数々の大災害を耐え抜いた。
昭和28年にブレーキに空気直通ブレーキを増設した。
昭和34年には台枠の更新、台車のボギー化、モーター交換などの大規模な
更新改造を実施し、昭和44年には台車を再度更新した。

昭和55年には運転台部分の鋼体化、電動発電機増設、主制御装置の
HL(間接非自動)制御化が実施され、ほぼ現在の姿になった。
この改造で電動貨車から電気機関車に車種が変更され、形式もデワ1形から
デキ10形に変更された。
デワ2は単車のまま使用され、上記の更新を受けることなく廃車されている。

電気機関車に車種変更後、南越線が廃止されたため、主に福武線西武生工場の
入換用となった。
冬季は複線用ラッセルを装着して軌道線の除雪用に福井新(現・日赤前)の留置線で
待機していることが多い。
昨今は冬でも雪が少ないが、平成23年1月末~2月上旬にかけて昭和56年豪雪以来の
大雪に見舞われ、市内線に顔を出している。
平成23年現在、福井鉄道最古の電車で登場後、87年を経た今も大切に使われている。

伊予鉄道 610系電車

2011-02-24 21:45:11 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
老朽化が進んだ600系電車の置き換えのために登場した車両である。
平成7年に2両編成×2本=4両が製造された。
製造を担当したメーカはアルナ工機である。
構成形式と編成の組み方は高浜側から順に以下の通り。

・モハ610形+クハ660形

車体は伊予鉄道で初めての軽量ステンレス車体(先頭部分は鋼鉄製)である。
側面のスタイルが、当時、製造元のアルナ工機で生産中だった東武鉄道の20000系と
よく似ている。
正面は非貫通で大きな一枚窓となっており、前方の視界は大変広い。
行き先表示は正面と側面にあり、いずれも字幕式である。
車体は無塗装(先頭部分のみホワイト)にオレンジの濃淡の帯が入る。

車内はオールロングシートで化粧板はホワイト系、座席モケットは淡い紫色の
寒冷色であるが、窓が大きく、肘掛にスタンションポールが無いため、
かなり開放的な雰囲気である。
クハ660形の連結部分には伊予鉄道で初めての車椅子スペースが設置された。
側面窓はドア間が2連ユニット式の1段下降窓、ドアは片側3箇所で、全て両引き戸と
なっている。
車体両端のドアの上部にはLEDスクロール式の表示機が設置されているが、
これは停車駅などの案内をするものではなく、伊予鉄道からのお知らせや
ニュースなどを流すためのものである。

主制御装置は抵抗制御、ブレーキは発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキである。
これらの機器は京王帝都電鉄5000系電車の廃車発生品を流用し、既に運用中の
700系電車(元京王5000系)と揃えている。
この制御装置は1500Vで8つのモーターを制御(1C8M)できるが、伊予鉄道郊外電車線は
600V/750Vなので半数の4つのモーターを制御(1C4M)できるようになっている。
台車は軸箱支持がアルストム式(ツインリンク式)のインダイレクトマウント式
空気バネ台車で駆動方式は中空軸平行カルダン方式である。
この台車は東武鉄道2000系の廃車発生品である。
集電装置はシングルアーム式を採用した。

平日は朝方に横河原~古町間で2本を繋いだ4連で運用されることがあるほかは、
基本的に2連での運用となる。
その後の運用も、ほぼ決まっているが、車両検査などの都合で車両が入れ替わった
場合は、その限りではない。
かつては休日に郡中線で運用されていた時期もあるが、現在は横河原・高浜線専用で
郡中線へは沿線での催事開催時のみ入線している。
なお、現在は2本とも側面部に広告ラッピングが成されている。


○車内。スタンションポールなどが無く、スッキリとしている。

天竜浜名湖鉄道 TH3000形気動車

2011-02-18 21:35:13 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
天竜浜名湖鉄道(掛川~天竜二俣~新所原間)が車両の大型化による
輸送力増強のために導入された車両である。
平成7年に2両が製造された。
製造を担当したメーカーは富士重工である。
形式は3000形であるが、車両番号は3500番台でTH3501、TH3502とされた。

車体は普通鋼鉄製で、いわゆる富士重工製の新世代気動車「LE-DC」準拠のものと
なっている。
正面は貫通型で左右の窓はパノラミックウィンドウとなった。
塗装はクリームにオレンジの濃淡の帯がストライブ状に入るものである。
行き先表示は正面のみで字幕式である。

車内はドア付近がロングシート、車内中央部がボックスシートの
セミクロスシートである。
ドアは片側2箇所・片引き戸で車体の両端にあるが、左右で位置が異なる。
側面窓はユニット窓・2段式である。

機関はカミンズ社の直噴式ディーゼルエンジン(NTA855R)1基で
出力と回転数は350PS/2000rpmである。
この点が純正富士重工製LE-DCと異なる点である(オリジナルは日産PE6TH形)。
駆動方式は液体変速式で変速1段・直結3段となっている。
ブレーキは在来車両との併結に備え、直通式空気自動ブレーキである。

本形式登場時、既に老朽化が進んでいたTH1形気動車から車体の構造を見直して
車体の大型化と強化を図った。
平成16年より、引退したTH2形に代わり、トロッコ列車の牽引車にTH3501号が
指定され、塗装の変更(上がクリーム、下がブラウンでクリーム色の飾り帯が入る)を
実施した(タイトル写真参照)。
しかし、平成19年の車両検査実施時にトロッコ用客車の台枠(車体の床部分を構成する
部分。上で車体の土台、下は機器や台車が取り付けられる鉄道車両の基礎となる。
車でいうシャーシ)に亀裂が発見され、トロッコ列車の運行が不能となり、以降は
塗装はそのままに他の車両に混じって運用されている。
TH3502号車はエンジンの不調が続き、平成20年より休車となり運用を離脱、
平成22年に廃車解体された。


○在りし日のTH3502号車。後ろに見えるのは遠州鉄道の電車。

福井鉄道 300形電車

2011-02-11 00:13:11 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
老朽化した小型車両の置き換えのために、静岡鉄道から300形電車を譲り受けた
ものである。
昭和60年~61年にかけて2両編成×3本=6両全車が入線した。
製造年は昭和41年~42年で製造を担当したメーカーは静岡鉄道長沼工場である。
静岡鉄道では当時、静岡清水線の電車を自社の長沼工場で製造していた時期があり、
本形式は静岡鉄道で最初のカルダン駆動車であった。

■主な仕様と静岡鉄道時代
車体は普通鋼鉄製でモノコック構造を採用して軽量化している。
正面は登場時、貫通型であったが、後に埋め込まれて非貫通となった。
行き先表示は正面に字幕式のものを登場時より設置している。
種別表示は当初、正面中央部に枠があり、そこに札を差して表示していたが、
後に行き先と併記する形態に変更されている(枠は撤去)。
塗装はクリームと赤紫色のツートンカラーだったが、1000系のデビューで
銀色一色になり、後に警戒色を兼ねて青帯が追加されている。
編成の組み方は以下の通りであった。

・クモハ300形+クハ300形

車内はオールロングシートでドアは片側3箇所で全て両引き戸である。
側面窓は2段式で冷房は搭載しなかった。

主制御装置は抵抗制御でブレーキは空気自動式ブレーキである。
台車は金属バネ台車(軸箱支持はペデスタル式)で駆動方式は
中空軸平行カルダン駆動である。
集電装置はパンタグラフでクモハ300形の連結面に装備していた。
警笛は通常のものの他、当時、静岡鉄道では急行列車を運行しており、
通過駅での安全確保のためのミュージックホーンを装備していた。
静岡鉄道時代の主な改造は既述の正面貫通扉埋め込みの他、ワンマン化改造と
発車ベル取り付け、302・303編成を非貫通化した時に生じた窓の大きさの修正などが
実施されている。
1000系の増備により、昭和61年に全車が静岡鉄道から引退した。

■福井鉄道譲渡後
引退後、福井鉄道より、当時急行専用車であった200形の置き換えのため
引き合いがあり譲渡され、昭和61年~昭和62年に就役した。
入線にあたり、各部の改造が実施された。
主な内容は、車内のセミクロスシート化(車端部はロングシート。
扉間4人向き合わせのボックスシート。ボックスシートは国鉄で廃車された
電車のものを流用)、ボックスシート化された部分の吊革撤去、
冷房取り付け(福井鉄道で初めて)、併用軌道区間走行のための排障器設置、
福井市内電停用の折りたたみ式ステップ設置(当初は中ドアのみ、
後に前ドアにも設置)、ワンマン機器改修(都市型ワンマン→整理券発券・
車内料金収受式ワンマン化)、
クモハ300形の連結面側の台車とクハ300形の運転席側の台車を入れ換え、
クハ300形の電動車化、パンタグラフの運転台側移設、
飲み物の自販機設置(平成11年撤去)、LEDスクロール式広告用ディスプレイ設置
などである。
編成の組み方はクハ300形の電動車化に伴い、以下の様になった。

・モハ300-1形+モハ300-2形

車番については旧車号をそのまま引き継いでいるため、最後に竣工したのは
303編成ではなく302編成である。
この電動車化は橋梁での車両重量の均等化を図るためで、同じ理由で冷房用の
電源装置を旧クハ300形側に設置している。
パンタグラフの移設は、併用軌道区間でのポイント切替のための
トロリーコンダクター(架線に設置されたスイッチでコマンドをいれることで
ポイントを切り替える装置)に対応するため、他の車両とパンタグラフの位置を
そろえる必要があったためである。

塗装については、ほぼそのままの銀に青帯であったが、雪のシーズンには
保護色となり、遠方から見えづらいことなどの理由で不評であり、
すぐにダークブルーとクリームの当時の福井鉄道標準色に変更された。
302・303編成からは白にグリーンと赤の帯が入る新塗装とされ、301編成も
これに倣った。
なお、広告電車となることも少なくなく、3本とも同じ塗装だった機会は
ほとんど無い。
静岡鉄道時代の特徴であったミュージックホーンは、そのまま使用されたが、
後年は故障してしまい、修理が出来なかったことから単音しか鳴らせなくなって
しまった(晩期は電気フォンとして使用していた)。

本形式は600形・610形登場までの車両の中では最も経年の浅い車両であったが、
肉厚の薄い軽量構造の車体の老朽化が著しく、平成18年に所有車両の低床化を
実施した際、置き換え対象となり、同年度内に全車廃車された。
本形式の廃車で静岡鉄道長沼工場製造の電車は全て引退となった。
なお、廃車を前に200形とモーターなどの部品の交換を実施している。

本形式が置き換えるはずであった200形は本形式導入後、急行運用からは一部撤退
したものの、普通運用では生き残り、急行・準急の削減後は共通で使用される
ようになった。
しかも、本形式が引退した平成18年の低床化実施後もラッシュ運用のために
残されるという何とも皮肉な運命を辿ることになってしまった。


○車内(セミクロス化後)。フレームむき出しの窓枠が特徴。
 なお、座席と窓割りはあっていない。


○幸橋の仮設鉄橋に入る303編成。200形共々、このような広告電車になる機会が
 多かった。



○300形で採用された新塗装は610形に引き継がれている(写真下)。
 晩期の本形式の老朽化は隠し様が無いほどに進んでおり、白を基調とする
 この塗装では汚れが目立っていた。
 引退間近の頃には再塗装もされなかったので余計に目立ち、行き先表示も
 読めないほど汚れていた編成もあった。

津軽鉄道 キハ21形気動車

2011-01-14 18:55:30 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
津軽鉄道が車両の体質改善のため、開業66周年を機に導入した車両である。
平成8年に2両、平成12年に3両の計5両が製造された。
製造を担当したメーカーは新潟トランシスである。
基本的に単行運転で車番は「21-100」で振られている。

車体は普通鋼鉄製でメーカーである新潟トランシスが全国の中小非電化私鉄や
JRのローカル線向けに開発した軽快気動車「NDCシリーズ」の第2世代・18mクラスに
該当しする。
正面は貫通型で五所川原側に幌を設置している。
行き先表示は正面と側面にあり、いずれも字幕式である。
塗装はオレンジにグリーンの帯、窓周りはブラックで沿線出身の
小説家・太宰治の作品から「走れメロス」号の車両愛称を与えられている。

車内はドア付近がロングシート、他が4人向き合わせのボックスシートという
セミクロスシート配置となっている。
津軽鉄道では初めての冷房車となり、側面窓は保温のため固定式となった。
側面ドアは半自動式の片引き戸が片側2箇所(ステップ付き)で車体両端に
設けられている。
トイレや洗面所の設備は設置されていない。

機関はDMF-13HZ形直噴式ディーゼルエンジン1基で変速機は液体変速式である。
ブレーキは空気自動式ブレーキで2両以上連結しての総括制御も可能となっている。
台車はインダイレクトマウント式空気バネ台車である。
運転台は片隅式でデスク型のツーハンドル方式となり、運賃箱や料金表、
整理券発券機などのワンマン機器を搭載する。

キハ24000形24024号車(昭和42年製造)以来、29年ぶりの完全な新車となった。
本形式の導入により、キハ24000形と国鉄やJRから譲り受けたキハ22形を
置き換えている。
平成22年現在、全ての列車で終日運用されており、ラッシュ時や団体利用時は
2両編成、それ以外は単行である。

平成19年12月からは「ストーブ列車」の有料化に伴い、ストーブ客車を利用しない
一般利用客向けの車両として同列車に連結されるようになった。
津軽鉄道ではこの他に季節によって名物列車を運用することで利用客の確保に
務めており、芦野公園さくらまつり号(ゴールデンウィーク)、風鈴列車(7月下旬~
8月末)、鈴虫列車(9月~10月中旬)、太宰列車(時期不定)にも本形式が充当される。

余談だが、昨年11月14日に発売された、埼玉県民の日フリーきっぷのポスターに
本形式と思われる車両が描かれていたのを西武池袋線大泉学園駅にて発見したので
紹介する。
何故青森県の車両が「埼玉県」の表示をつけているのか、謎である。


○車内。ドア側がロングシートで他がボックスシート。


○運転台。


○鈴虫列車の車内。津軽鉄道の秋の名物である。写真の本棚の他、運転席の
 後方にも棚があり、そこにも虫かごが置いてある。
 置いてある冊子は沿線案内や地方鉄道の紹介パンフなど。
 ワンマンカーだが、女性アテンダントが乗務しており、各種案内も充実している。


○太宰列車「小説『津軽』前編」号。ヘッドマークが異なる。


○太宰列車のヘッドマーク拡大。


○太宰列車車内。車内の広告枠に小説をそのまま飾っている他、
 太宰治縁の写真なども展示されている。


○写真左のポスターに注目。どうみても本形式にしか見えない。
 ヘッドマークは空白だが、それが余計に上記の「小説『津軽』前編」号を
 思い出させる。大泉学園駅にて。

伊賀鉄道 860系電車

2011-01-07 21:20:35 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
近畿日本鉄道(以下、近鉄)が奈良線・京都線系統向けに導入した車両である。
昭和36年に2両編成×8本=16両が製造され、登場時の形式は820系であった。
製造を担当したメーカーは近畿車輛である。
編成の組み方は上本町側から以下の通り。

・モ820形+ク720形

車体は鋼鉄製で800形をベースに準張殻構造を採り入れた軽量車体を採用した。
正面は増結運用に対応するため、貫通型とされ、正面左右上部にヘッドライトを、
同じく下部に通過標識灯とテールランプを配したものとなった。
塗装はダークグリーンにシルバーの細帯で後に近鉄マルーンにシルバーの
細帯となった。

車内はラッシュに対応するため、ロングシートとなっている。
側面窓は一段下降式でドアは片側2箇所で1450mm幅の両引き戸である。
冷房は搭載していなかったが、ファンデリアを設置していた。

主制御装置は抵抗制御で超多段式電動カム軸式制御器を採用している。
ブレーキは生駒峠を通過できるように抑速ブレーキ付の電磁直通ブレーキである。
ただし、最後に製造された827編成と828編成は抑速ブレーキを搭載していない。
なお、昭和43年に奈良線・京都線系統の架線電圧を600Vから1500Vに昇圧した時、
821~826編成も抑速ブレーキを撤去している。
これにより、生駒越えができなくなった。
台車は金属バネ式のシュリーレン台車で駆動方式はWN駆動方式である。

820系時代は2本を繋いだ4連で使用されたほか、800系の特急列車(現在の快速急行に
相当)の増結に使用されたり、生駒線、天理線などの支線でも運用された。
また、丹波橋駅から京阪電気鉄道宇治線宇治駅までの直通列車にも使用された。
京都線・橿原線の大改良工事完成(車両限界拡大)後はドアにステップを設置した他、
後継の8000系の増備に伴い、生駒線、田原本線などの支線運用に就くようになった。
昭和50年に京都線新祝園~山田川間で発生した脱線転覆事故で、大破した800系
807編成の無事な車両2両を復帰させた際、その相方を務めている。

昭和59年より、養老線に転じた南大阪線の6800系「ラビットカー」の台車と
モーターを流用して、狭軌化と支線への転用が開始された。
狭軌化された編成は形式を現形式の860系に改め、伊賀線に転出している。
編成の組み方は伊賀上野側から以下の通り。

・モ860形+ク760形

なお、この改造は全車が対象とはならず、860系への改造が開始される直前に
廃車された822編成は対象外となっている。
まず対象7本中4本が先行して改造され、3本は820系として田原本線用に
残された。
その後、平成5年に8400系3連車がワンマン化の上で田原本線に転入した際に、
追加で860系に3本を改造の上で伊賀線に転入している。
この際、860系全車を対象に冷房化改造を実施した。
この冷房装置は11400系「新エースカー」の廃車発生品を流用している。

7本が揃い伊賀線の近代化はなったが、本形式も820系として登場して50年近くを
経過しており、老朽化が進んでいた。
しかし、置き換えようにも伊賀線の車両限界が18m級2連までであり、
自社線向けの新車は本形式を最後に20m車に統一されたことから、
本形式での運用が続けられた。

平成19年に上下分離方式(車両・施設の保有は近鉄で行い、
伊賀鉄道が列車の運行や運営を行う)で伊賀線が伊賀鉄道に移管された際、
本形式は同社に貸し出されている。
伊賀鉄道では老朽化の進む本形式の置き換えのため、東京急行電鉄1000系電車を
改造した200系電車の導入を平成21年より開始しており、
既に3本が廃車されている。


○近鉄旧標準色のマルーンに銀帯に復元された編成と広告塗装車。
 奥の広告電車は既に廃車されている。


○初代「ピンク忍者」編成の866編成。写真撮影時、200系の2代目「ピンク忍者」編成
 就役に伴い既に運用を離脱していた。
 昨年の夏頃、除籍になり解体された。
 なお、伊賀鉄道200系は3本目が導入され、所属の半数が200系になったことになる。
 置き換えの速度はゆっくりだが、乗車と記録は早めになさることをお勧めする。

関東鉄道 キハ300形・キハ350形・キハ100形気動車

2010-12-17 23:40:08 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
戦前製から戦後製の老朽化した車両や、あまりに雑多であった車種を可能な限り
統一するため、国鉄のキハ35系通勤型気動車を譲り受けたものである。
昭和62年~平成4年にかけて両運転台のキハ300形が16両、片運転台のキハ350形が
23両の計39両が導入された。
国鉄時代の形式はキハ300形がキハ30形、キハ350形がキハ35形とキハ36形である。
なお、キハ301号車は、一旦、筑波鉄道に譲渡されたあと、昭和62年の同線廃止に
伴い、入線したもので、他の車両と経歴が異なる。
編成の組み方はキハ350形が奇数車と偶数車で構成され、下館側が奇数車、
取手側が偶数車となる。
キハ300形は単行運転、および増結用である。なお、本形式から4両がワンマン仕様の
キハ100形に改造されたが、キハ2200系の登場で2両がキハ300形に復元されている。
車番の付け方は、10両目以降は下2桁がはみ出るものとなり、例えばキハ350形の
10両目は「360」号ではなく「3510」号となる。
また、国鉄時代の旧番号とは関係なく、落成した順番に車番を振りなおしている。
なお、国鉄時代の最若番車はキハ304号車で、国鉄時代はキハ30形7号車であった。

車体は普通鋼鉄製で国鉄が昭和30年代に増備していた101系電車をベースに、
気動車の設計を採りこんだものとしている。
製造時期は昭和36年~41年である。
正面は切妻で約半数の車両が国鉄時代に前面補強工事を受けている。
塗装は「新車」をアピールするため、アイボリーにオレンジとこげ茶の帯で、
本形式からの採用となった。
行き先表示は正面向かって右側に字幕式のものを設置している。
導入時、車体構造の大きく異なる車両と連結する関係から、
連結部の幌と貫通扉を使用せず、手すりを設置して非常用としていたが、
取手駅構内で発生した列車暴走事故(一つ手前の西取手駅でブレーキが
かかったままになる故障の復旧操作の際、ブレーキに空気を送るコックを
戻し忘れたため、ブレーキがかからなくなり列車が暴走。そのまま車止めを越え、
その先の駅ビル店舗に突入して大破した。下り坂だったのと約900名の乗客が乗る
ラッシュ時であったことから被害が拡大し、乗客1名死亡250名以上が重軽傷を負った。
この事故で大破した本形式のキハ302号とキハ3010号が廃車されている)の反省から
幌の取り付けを実施している。
この他、外観的に変更を受けた部分はほとんどない。

車内はオールロングシートである。キハ35形を種車とする車両については車端部に
設置されていた便所を撤去して立席スペースにしている。
なお、この部分はトイレの利用者と対面の座席利用者の視線が合わないように
2人掛けの固定クロスシートになっているが、これについてはトイレ撤去後も
残置されている。
ドアは片側3ドアで国鉄時代からの特徴である外吊り式の両引き戸もそのままである。
ドア部分にはステップを設けていたが、関東鉄道の駅ホームの高さに合わないため、
埋め込み、外側に軽くスロープ状に傾斜させている。
なお、ドアは当初、鋼鉄製だったが、老朽化のため、ステンレス製のものに
交換している。
導入時は冷房の設置をしていなかったが、平成元年より走行用の機関とは別に
冷房用機関を搭載するサブエンジン方式で搭載した。
この冷房用エンジンは大型観光バス向けのものを改修したものである。

エンジンはオリジナルのDMH-17H形ディーゼルエンジンを搭載していたが、
老朽化が進んでいたことや保守部品の確保が難しくなってきたため、
平成5年~平成8年にかけて、DMF13HZ形に換装している。
またエンジンの強化に伴い、同時にクラッチも湿式多板式のものに交換されて
統一されている。
ブレーキは空気自動ブレーキである。

冷房化は事故廃車になった2両の他に2両を除いた35両に実施された。
この冷房装置は、能力そのものに問題はなかったが、排熱が上手くいかず、
折り返しなどでの長時間停車中にオーバーヒートを起こすことが度々あったため、
屋根上に放熱器(「スーパークーラー」と称する)を新たに設置している。
平成9年に水海道~下館間のワンマン運転開始に伴い、キハ300形4両がキハ100形に
改造された。
主な内容はワンマン機器の搭載(料金箱・整理券発券機・運賃表設置、自動放送装置
取り付け、運転台へのドアスイッチ設置、運転室の一部仕切りと運転室側の座席の
一部除去など)である。
しかし、翌年にはキハ2200形が導入されたため、キハ103号車、キハ104号車は
キハ300形306号、3016号に復元されている。
残る2両は単行運転で使用されることから、平成13年に踏切事故からブレーキなどの
走行機器を守るため、スカートが設置された。
取手口で使用される車両についてもワンマン化改造を実施しているが、こちらは
駅での料金収受を行う方式である為、大掛かりな改造は受けていない。

平成9年より老朽化に伴う廃車が開始され、平成19年9月現在で全形式14両が在籍し、
うち4両がワンマン化未対応のため休車となっている。
残存するキハ30系列の車両として貴重なことから、イベントなどでよく利用され、
平成18年に映画出演のため、キハ358号、キハ3511号、キハ3518号、キハ3519号の
4両がスカイブルー(気動車ながら京浜東北線の「電車」として出演)化された他、
平成19年には開通90周年を記念して、キハ101号をタラコ色に、キハ102号を
常総筑波鉄道時代の紺色とクリームのツートンに、キハ353+キハ354を
本形式導入直前まで使用していたクリームと朱色のツートンカラーに、
それぞれ塗装されている。
今後も置き換えが順次進められる予定であるが、後継車両の増備が、
大きく進んでいないことから、もうしばらくは運用される見通しである。


○キハ350形車内。左側の天井にあるのがクーラーの室内機。


○キハ350形運転台。いかにも国鉄気動車らしい運転台。


○偶然見つけた国鉄時代の機器。何の部品かは車内からはわからなかったが、
 「伊勢 キハ30 7」とある。ちなみに国鉄キハ30形7号車は既述の通り、
 関東鉄道キハ304号車になっているので、点検の際などに部品を交換したものと
 思われる。
 ちなみに車内の扇風機には、くっきりと「JNR」マークが残っている。

横浜高速鉄道 Y000系電車

2010-12-13 21:00:00 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
東急こどもの国線(長津田~こどもの国間)で運行されていた7000系電車の
老朽化に伴う置き換えと同線の通勤路線化のために導入された車両である。
平成11年に2両編成×3本=6両が製造された。
製造メーカーは東急車輛である。
編成の組み方と構成形式はこどもの国側から以下の通り。

デハY010形+クハY000形

主制御器と集電装置、補助電源装置(静止型インバータ)はデハY010形に、
空気圧縮機と蓄電池はクハY000形に搭載されている。

車体はオールステンレス製で同時期に東横線で営業を開始し、後に目黒線に転属した
3000系電車とほぼ同じとなっている。
正面はFRPカバーが取り付けられ、非常用貫通扉が向かって左側に設置されている。
ヘッドライトはケースは角型だが、ライトは丸型のものとなっている。
塗装はブルーとイエローのラインが正面と側面に入り、先頭部分で上と下に別れ、
社名の頭文字である「Y」をあしらっている。
行き先表示は運転区間が短く限定されることから、正面にのみあり、
LED式を採用している。

車内はオールロングシートでオレンジ色のモケットを採用している。
なお、優先席も同じモケットである上、近年、大手私鉄を中心に実施されている
吊革のオレンジ化も実施されていない。
扉間は12人掛けで3人掛けずつの間隔でスタンションポールが設置され、扉付近の
境界部分には大きめの板状の仕切りが設置されている。
側面窓は2連式の一段下降窓でドアは片側3箇所、両引き戸である。
ドア上にはLEDスクロール式の旅客案内装置が左右交互に設置されている他、
各ドアに開閉予告チャイムが設置されている。

主制御装置はIGBT式のVVVFインバータ制御方式でブレーキは回生ブレーキ付き電気指令
ブレーキである。
主制御装置は補助電源装置の静止型インバータと一体のデュアル機能装備のもので
通常は3つあるインバータのうち2つを走行用、1つを補助電源用に使用するが、
補助電源用のインバータが故障した場合、走行用の片方を補助電源用に
まわす事が出来る構造となっている。
台車はダイレクトマウント・空気バネ式のボルスタレス台車で軸箱支持はモノリンク
方式である。
モーターの駆動方式はTDカルダン方式である。
運転台はワンハンドルマスコンでワンマン運転に対応するため、乗務員室を広めに
確保している他、ドア開閉装置、放送装置、ホーム監視モニターなどが
設置されている。
また、TIS(車両情報装置)が運転台コンソールに設置され、走行関連機器や
サービス機器の監視など、乗務員支援に用いられる。

運用はこどもの国線のみで、営業運転で他の路線に入る事は無い(回送や試運転、
イベント列車を除く)。
3本中通常はラッシュ時2本/データイム1本であるため1本は予備車となる。
平成13年のゴールデンウィークや夏休みなどの行楽シーズンには2本を繋いだ4連で
走ることもあったが、翌年以降は列車間隔を10分間隔に詰める事で対応している。
予備車の1本は通常、長津田駅構内に留置され、時折、長津田工場と検車区の間で
牽引車として使われている。