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水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
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用途を申告してください。

長野電鉄 1000系電車

2010-11-02 23:24:16 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
昭和32年の登場以来、40年以上特急車と君臨し続けた2000系電車の老朽化に伴い、
これの置き換えのため、小田急電鉄から10000形電車「Hi-SE」の第2・4編成を
譲り受けたものである。
長野電鉄には平成17年に4体連接×2本=8両が入線した。
営業運転の開始に際し、公募によって命名された「ゆけむり」の車両愛称がある。
編成の組み方は湯田中側から順に以下の通りである。

デハ1000形-モハ1010形-モハ1020形-デハ1030形

旧車号との対比は以下の通りである(見方:長電での車号=小田急での車号)。

第1編成:デハ1001号=デハ10031号/モハ1011号=デハ10032号/モハ1021号=デハ10022号
/デハ1031号=デハ10021号

第2編成:デハ1002号=デハ10071号/デハ1012号=デハ10072号/デハ1022号=デハ10062号
/デハ1032号=デハ10061号

製造年は第1編成が昭和63年、第2編成が平成元年で、いずれも川崎重工製である。
入線にあたっての改造は日本車輛にて実施された。

車体は普通鋼鉄製で元々11体連接だったものを4体連接に短縮した以外、
外観上の特に大掛かりな改造は施されていない。
先頭部分は運転室を屋根上にして、客席を最前部まで設置した展望構造となっており、
これも小田急時代そのままである。
塗装は小田急時代の塗装をベースにしたホワイトとレッドであるが、いずれも
明るい色調のものに再塗装されている(入線した段階では小田急時代のまま)。

車内は展望室が進行方向固定、他が回転式のクロスシート(左右とも2人掛け)である。
小田急時代に設置されていた売店、洗面所、トイレの設備がある車両は譲渡されず
解体されている。
ドアは各車両一箇所ずつの折り戸で中間車のものはデッキ・ステップ付き、先頭車は
展望室と一般客室の間に簡易仕切りつき・ステップなしである。
各ドアには凍結防止のためのドア・レールヒーターが設置された。
車掌室は先頭車車端部に設置されている。
なお、長野電鉄では列車のワンマン化を実施しているが、本形式使用の
A特急については検札と各種案内・物販のため乗務している。
バリアフリー設備については特に設置していないが、長野電鉄ではステップがない
展望室入口付近を対応スペースとしており、客室部の仕切りにある跳ね上げ式の
座席を施錠してこれにあてている。
ただし、入口の幅自体、車椅子やベビーカーが通れるほど広くないので
乗車に際しては注意が必要である。

主制御装置は抵抗制御でブレーキは抑速ブレーキ付き発電ブレーキ併用
電気指令ブレーキである。
これらについても変更はほぼ無いが、小田急時代よりも勾配区間を走る時間が
長いため、抵抗器の増強が図られている。
また、補助電源用の静止型インバータを廃車された旧6号車から2号車にあたる
モハ1010形に移設している。
台車は軸バネ支持をアルストム式としたダイレクトマウント式空気バネ台車で
モーターの駆動方式は中実軸平行カルダン駆動(TDカルダン)方式である
運転台は片手操作式ワンハンドルマスコンで、長野電鉄では初めての
採用である(ワンハンドル車自体は同時期に東急から譲り受けた8500系が最初)。
運転室は既述の通り、先頭車天井部にあり、展望室後方のステップを伝って
入室する。

平成17年8月に無償譲渡を受け、日本車輛での改造を経て平成18年12月9日より
A特急で営業運転を開始し、2000系のA特急運用を置き換えた。

改造を受けた日本車輛からは、通常、東海道本線→中央西線→篠ノ井線→しなの鉄道の
順で長野電鉄に入線するが、車体の大きさの関係で篠ノ井線に入ることが出来ず、
東海道本線→武蔵野線→高崎線→上越線→信越本線→しなの鉄道という、
実に763.5kmの遠回りをすることになった。
また、平成18年9月には本形式の営業開始を控え、特殊なスイッチバック構造と
なっていた湯田中駅の配線改良工事を実施している。

営業開始後、展望室の窓ガラスにヒビが入るなどの軽微なトラブルはあったものの
好評を持って迎えられ、特に展望車は小田急時代同様高い人気を誇っている。
また、長野電鉄では2000系時代から特急料金100円を徴収しているが、本形式でも
据え置かれている。
平成22年1月には小田急電鉄に在籍する車両で連接部の台車に無数の損傷が
見つかったため、半月ほど点検と修理のため、運休した。
運用は日中、長野線長野~湯田中間で運行されるA特急のみでドア配置や客室設備の
関係からラッシュ時に運行される信州中野~湯田中間が各駅停車のB特急運用には
就かない。
また、2編成をフルに使う運用のため、予備車がなく、検査中などは2000系電車や
3600系電車が代走する。

余談だが、長野電鉄では昭和39年ごろ、展望車付きの特急車を計画して設計まで
していたが、単線区間でのタブレットのやり取りなど諸般の事情で断念した
ことがある(代わりにスカート付きの2000系D編成が入る)。
鉄道評論家の川島令三氏は、この図面を見て「小田急のロマンスカー「NSE」が
廃車になったら譲り受ければいい」と当時の長野電鉄の車両担当に
提案したことがあると著書の中に綴ってあり、形は大きく変わったものの
凡そ40年越しにこれが実現したということになる。


○展望室。これを撮影した後、写真に妙な違和感を覚え、よく観察してみると
 正面左の窓の下にヒビを発見。車掌さんに伝えに走ることになる・・・。


○展望室。運転室へ上がるステップを展開した状態。


○一般客席。高級感漂う回転クロスシート。
 リクライニングはしないが、背もたれの傾斜角を大きくしているのが特徴。


○長野駅で並ぶ1000系と登場時の塗装に復元されたばかりの2000系A編成。
 来年の春にはJR東日本より元「成田エクスプレス」の253系が入線し、
 2000系は全車引退となる。

埼玉高速鉄道 2000系電車

2010-10-24 21:53:06 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
埼玉高速鉄道(赤羽岩淵~浦和美園間)が開業に伴い、導入した車両である。
平成12年~平成13年にかけて6両編成×10本=60両が製造された。
製造メーカーは川崎重工で最後の3本は製造銘板は同社になっているものの
実際の製造は近畿車輛で行われている。
編成の組み方と構成形式は浦和美園側から順に以下の通りである。

2100形+2200形+2500形+2600形+2700形+2800形

このうち電動車は2200形、2600形、2700形で補助電源装置は2200形と2600形に、
蓄電池は2100形と2700形に、空気圧縮機は2100形と2800形に、簡易運転台は
2500形にそれぞれ搭載されている。
なお、将来の8連化の際には中間電動車の2300形と簡易運転台付の中間付随車の
2400形を増結する予定がある。
なお、形式の由来は製造初年の2000年からである。

車体はアルミ製で基本的なデザインや仕様は営団(→東京メトロ)9000系を
ベースとしている。
正面は向かって左側に非常用貫通扉を備える貫通型で、正面下部にはスカートが
設置された。
塗装は無塗装で帯色はライトパープルとライトグリーンでその境にホワイトの細帯が
入る。
行き先表示は正面と側面にあり、いずれもLED式である。

車内はオールロングシートでバケットシートにはなっていないものの一人分ずつの
区分が織り込まれたモケットを採用している。
このモケットは埼玉県の県花であるサクラソウをイメージしたピンク色(優先席は
ブルー)のものでこの区分もサクラソウの花びらをイメージしたものとしている。
側面窓は車体中央の窓が1枚固定、他が一段下降式で、ドアは片側4箇所で全て
両引き戸である。
なお、このドアはステンレス製でヘアライン仕上げとされており、アルミ製の
車体との質感差が見て取れる。
ドアや窓のガラスには熱線吸収ガラスを採用しており、カーテンは設置されていない。
ドア上にはLEDスクロール式の旅客案内装置を左右交互に配置した他、
これとは逆の配置で埼玉県の情報を案内する液晶ビジョン「Sai-Net Vition」を
平成18年より設置した。
車椅子スペースは2号車と5号車に設置され、車内非常警報装置は通話可能なものを
備えている。
なお、元となった営団9000系電車と比較すると、連結部貫通扉の一部省略や
車内の車体番号板や製造銘板がステッカー式になる、床面にフットラインが無く
無地のものを採用するなど全体にコストダウンを意識した仕様となっている。

主制御装置はIGBT式のVVVFインバータ制御でブレーキは回生ブレーキ併用
電気指令ブレーキである。
台車はボルスタレス台車でモーターの駆動方式はWN駆動を採用した。
これらの機器は営団9000系に準じているが同形式が電動車同士でユニットを組む
構造なのに対し、本形式は電動車と付随車、制御車がユニットを組む構造を
採用しており、この点において大きく異なる。
運転台は営団9000系と同一仕様のT字型ワンハンドルマスコン式で地下鉄線内での
ワンマン運転・ホームドア操作に対応したATOやホーム監視モニター、各種通報装置、
列車情報管理装置などを備える。
これらの機器を搭載した関係で運転室を広めにとっている。
パンタグラフは通常型のものを搭載している。
なお、パンタグラフは電動車が隣り合った場合、片方の車両に集中搭載する(2基搭載)
ことになっているが、2200形は相方となる2300形が製造されていないため、
自車用のパンタのみを搭載し、もう片方用のパンタが乗る部分は準備工事が
なされている。

開業の約半年前の平成12年9月頃より搬入が開始された。
この時点では浦和美園車両基地が完成していなかったため、営団地下鉄
綾瀬検車区にて整備や試運転が行われた。
その後、同年11月中旬に路盤工事が完了し、千代田線、有楽町線、南北線を経由して
回送され開業に備えた。
なお、本形式の定期検査は現在も東京メトロ綾瀬工場担当である。

営業開始は平成13年3月23日からで27日までは武蔵小杉~赤羽岩淵間で営業運転を
行い、埼玉高速鉄道線内は非営業で乗務員の習熟運転を行った。
この間、行き先表示に「赤羽岩淵」が表記されたが、平成13年3月28日以降、
本形式充当の南北線列車はダイヤの乱れが無い限り、埼玉高速鉄道線直通となった
ため、この表記は見られなくなった。
平成18年より目黒線にて急行列車の運行が開始されたため、行き先表示機に種別も
表記されるようになった。
この運用には本形式も投入されている。

今後は座席モケットの張り替えが予定されている。


○車内。落ち着いたグレーのトーンにピンク色の座席がよく映える。

高松琴平電気鉄道 1300形電車

2010-10-07 20:03:33 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
最後まで残っていた長尾線と志度線の旧型車を置き換えるため、京浜急行電鉄の
1000形電車を譲り受けたものである。
平成19年に2両編成×2本=4両が入線した。投入線区は長尾線である。

長尾側からの編成の組み方と旧車号との対比は以下の通りである。

1300(奇数)形+1300(偶数)形
・1301(デハ1313)+1302(デハ1316)
・1303(デハ1291)+1304(デハ1298)

2両とも電動車で制御器と集電装置は奇数車、補助電源装置などは偶数車に
装備している。
なお、同型車を昭和63年~平成3年にかけて琴平線向けに導入し
1080形としているが、後述の理由により別形式としている。
また、本形式は京急1000形の中で1080形のグループよりも新しいもので
1301編成が昭和51年製、1302編成が昭和49年製造である。
製造メーカーは東急車輛で、譲渡にあたっての改造は京急ファインテックが
担当している。

車体は普通鋼鉄製で京急時代からほとんど手を加えていない。
正面は貫通型で社章を向かって右、車番を向かって左に設置している。
行き先表示・種別表示は正面と側面にあり、行き先表示幕である。
塗装は長尾線色であるクリームにライトグリーンであるが、
平成20年以降、全車が広告電車となったため、この塗装は見られない。

車内はロングシートで偶数車(高松築港側先頭車)の乗務員室すぐ後の座席を
一部撤去し、車椅子スペースを設置している。
座席モケットは1080形ではオリジナルの紺色とシルバー(優先席)を
採用していたが、本形式は琴電伝統の若草色とレッド(優先席)に変更している。
また、優先席付近の吊革は京急時代にオレンジ色に変更したまま採用したほか、
他の吊革も持ち手が円形のものからおむすび型に変更された。
冷房装置は新造当初から装備している。

主制御装置は抵抗制御、ブレーキは発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキである。
琴電では他社からの譲渡車や旧型車も問わずに併結運転をするため、
HL制御(間接式非自動加速制御)マスコンと電磁弁付き空気自動ブレーキに
交換していたが、本形式では併結運転を行わないため、
これらの改造を実施していない。
したがって、発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキは本形式が琴電で初めての
採用となる。
台車は軸バネ支持がウイングバネ式、枕ばねはダイレクトマウント式の
空気バネである。

営業開始は平成19年6月で本形式が長尾線に入ることにより、余剰となった600形と
700形2両×2本が志度線に移籍した。
これにより長尾線でラッシュ時の増結運用に就いていた旧型車が引退した他、
志度線でも最後の旧型車が引退し、イベント用に残された20形、1000形、3000形、
5000形各1両ずつを除いて営業全車の冷房化が達成された。


○車内。グリーンのモケットに交換されている。


○運転台。1080形とは異なり基本的に変更されていない。


○1301編成。伊藤園の広告塗装になっている。


○1303編成。沿線の自動車学校の広告塗装になっている。
 タイトル写真も1303編成だが、これは導入して間もない頃のものである。

えちぜん鉄道 Mc2100形電車

2010-09-30 22:57:30 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
えちぜん鉄道の前身である京福電気鉄道福井支社が、老朽化の進んだモハ2001形の
置き換えのため、阪神電鉄より不要になった5231形電車の車体を購入して、これと
2001形の足回りを組み合わせた車両である。
昭和58年~60年にかけて2両編成×5本=10両と単行運転用の6両の計16両が導入された。
改造は武庫川車両と自社福井口工場である。
京福電鉄時代の形式は「モハ2101形」である。

編成の組み方は福井側から以下の通り。
モハ2100形(奇数)+モハ2100(偶数)

えちぜん鉄道になってからは両運転台の車両も2両編成を組むようになった(後述)が、
機器や車内サービスを揃える関係で一部に奇数車同士や偶数車同士で編成を
組むものが存在する。

車体は既述の通り、阪神5231形電車のものを利用した普通鋼鉄製車体である。
阪神5231形電車は昭和36年~38年にかけて各駅停車用の旧型電車を置き換えるために
製造されたジェットカーで、当初より架線電圧の600V→1500V化に対応可能だった他、
駆動装置を直角カルダンから中空軸平行カルダンにするなど各部に改良が加えられた
ものであった。
昭和50年代に入り、車両冷房化のため引退が決まり、足回りを5131形・5331形に譲って
昭和58年~60年にかけて廃車されたものである。
譲渡にあたって、側面3ドアを2ドア化、側窓を新設したほか、6両に関しては連結側に
運転台を増設して両運転台としている。
なお、この増設運転台は当初、非貫通であったが後に貫通化が実施されている。
また、この部分の形状も車両によって、若干異なる。
行き先表示は正面と側面にあり、いずれも札差式である。

車内はロングシートで一部の車両には液晶パネルが設けられ、イベント時などに
映像を流すことが可能である。
当初は非冷房だったが、後に5両を対象に冷房化が実施されている。
ドアは両引き戸で既述の通り、片側2ドアである。
ワンマン運転に対応しており、ドア周りに整理券発券機と運転席後方に運賃箱、電照式
運賃表が設置されている。
ただし、日中はアテンダントが乗車券の販売・改札を実施している。

主制御装置は抵抗制御で直並列電動カム軸式制御器を採用している。
ブレーキは空気自動ブレーキであったが、えちぜん鉄道への引継ぎ時に
三管式直通ブレーキに改造されている。
台車は本形式と入れ替わりで廃車となったモハ2001形のものを流用したイコライザー式
板バネ台車で駆動方式は吊り掛け駆動である。
台車はその後、一部の車両で交換が実施され、2101~2108がゲルリッツ式(軸バネに
コイルバネと板バネを合わせたもの)、2109号がペデスタル式(軸守式)になっている。
これらは名鉄からの払い下げであるが、2109号車の台車は、名鉄時代には名車として
名高い3400系電車が現役時代最後に使用していたものである(もっとも、バネの位置の
関係でスカートの一部が外されて不評ではあったが)。

京福時代は2連車は朝や夕方の混雑時間帯を中心に、両運転台車は終日全線で使用され、
京福電鉄福井支社線の主力車両であった。

しかし、京福では平成12年12月と翌平成13年6月の半年の間に2度も正面衝突事故を
発生させ、国土交通省の指示で全列車の運行が休止となり、路線廃止の危機に陥る。
その後、沿線自治体からの支援があり、最も収支の悪い永平寺線を廃止して、
残りの路線を引き継いだ、えちぜん鉄道として平成15年に再出発した。

本形式も全車がえちぜん鉄道に引き継がれ、同社のMc2101形となった。
この時、事故で4両を廃車にしてしまった上(本形式からの廃車は無し)、本形式は最初の
事故車と同じブレーキを使用しており(最初の事故は単行運転中の旧型車両の1系統しかない
ブレーキロッドと呼ばれるパーツが破損し、ブレーキが効かなくなったため列車が暴走。
交換駅を突破して対向列車と衝突した)ブレーキ系統を多重化するため、全車2両連結で
運転するようになった。
このため、2両編成×8本にまとめられ、以下のような編成で運行されるようになった。

Mc2101+Mc2102 Mc2103+Mc2104 Mc2105+Mc2106 Mc2107+Mc2110
Mc2109+Mc2108 Mc2111+Mc2112 Mc2113+Mc2115 Mc2114+Mc2116

一部番号順になっていないが、既述の通り、車内サービスをある程度、
均一化するためである。
これらのうち、上半分と2111、2112、2116号以外は冷房車である。
この状況下で、えちぜん鉄道引継ぎ時は単行運転できるのが、Mc1101形とMc5001形が
1両ずつ、Mc2201形が3両の5両であり、日中でも2両編成の本形式を動かさざるを得ず、
終日、運行された。
その後、愛知環状鉄道より譲り受けたMc6001形、Mc6101形が運行を開始すると
次第に日中の運用は減り、平成17年の春のダイヤ改正からラッシュ時中心に
運用されるようになった。
また、Mc6101形の増備で廃車が開始され、上の編成表のうちの上半分は
既に廃車解体されている。

現在はMc6101形の増備も終了しており、新車の導入もないため、今後しばらくは活躍を
続けるものと思われる。
なお、朝ラッシュ時にはMc6000形や6101形も2連で運行するので
必ずしも本形式にあたるとは限らないので訪問の際は注意が必要である。

津軽鉄道 ナハフ1200形客車

2010-09-28 18:07:56 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
津軽鉄道がラッシュ時の輸送力増強用に西武鉄道の151系電車を譲り受けて、
客車に改造したものである。
昭和40年に3両が入線した。
基本的に国鉄より譲り受けた客車との混用だったため、編成は存在しない。
新旧の番号対比は以下の通りになる。

ナハフ1201←西武クハ1157
ナハフ1202←西武クハ1155
ナハフ1203←西武クハ1158

西武鉄道時代の簡単な経歴については後述する。

全て制御車からの改造で、側面窓の2段化、ドアの手動化、ドアステップの設置、
運転台の撤去、正面中央部への貫通扉設置、他の客車や気動車との連結に対応可能な
連結器と連結幌の設置などの改造を受けている。
暖房は津軽鉄道の名物として有名な石炭ストーブではなく、ウェバスト式
暖房装置(軽油式のファンヒーター)を搭載している。
車内はロングシートのままで変化はない。
主に通勤・通学ラッシュ時に運用され、気動車や他の客車に連結して運用された。
17m級の小さな車体ではあるが、3ドア・ロングシートで輸送力については他の車両に
劣ることはなかったほか、乗降時間の面で有利であった。
しかし、平成に入ると沿線の過疎化と高齢化が進み、ラッシュ時でも気動車2両が基本に
なり、平成7年にナハフ1201号が廃車された。
その翌年夏のダイヤ改正でラッシュ時の客車増結が廃止されたため、
残りのナハフ1202・1203とも定期運用を失った。
その後はイベント車とされ、カラオケ列車に使われた他、ナハフ1203は金木駅で
待ち合わせ室として使用されたこともある。
現在(平成22年)は2両とも津軽五所川原駅隣接の機関区に留置されているが、
平成22年8月29日に久々にイベントで走行している。

以下、本形式の西武鉄道時代の略歴である。
・西武鉄道151系電車
西武鉄道151系電車は昭和2年に後の西武新宿線となる旧西武鉄道が村山線の東村山~
高田馬場間開業に伴い導入したもので550形と称した。
形式構成はモハ550形とクハ600形でモハ550形が12両、クハ600形が8両製造された。
製造メーカーは川崎造船所で阪神急行電鉄600系電車から範をとった、いわゆる「川造型
電車」の採用例の一つである。
車体は全鋼製で深い屋根と側面の小さな一段窓(正面は2段窓だったが、後に一段化)が
外観上の特徴となっている。
正面は三つ折れで窓の上の屋根が回りこんでいる部分や側面のドア上には、水切りが
付けられ、これも川造製電車の特徴となっている。
車内はロングシートで運転室と客室の仕切りは簡単なポールだけで仕切られていた。
性能面では当時の他の車両と大きな差はない。
昭和15年にモハ100形(101~112)とクハ1100形(1101~1108)に改番された後、
武蔵野鉄道(現在の池袋線系統の路線を運営)と合併し、現在の西武鉄道が発足。
昭和23年に再度の車番整理が行われ、本形式はモハ151形(151~162)とクハ1151形(1151
~1158)になり、それらを合わせて151系と呼ばれるようになる。
昭和30年にモハ161・162の2両が、昭和39年にモハ156号がモーターを外され、
前者がクハ1159とクハ1160に、後者は既に本形式から廃車が出ていた時期なので
クハ1156号(2代目)となった。
主に新宿線系統で運用されていたが、晩期は西武多摩川線で運行され、昭和39年~
昭和41年にかけて全車が廃車された。
廃車となった車両のうち、今回紹介の津軽鉄道へ譲渡された3両の他、残りの17両も
譲渡され、弘南鉄道、山形交通、大井川鉄道、東濃鉄道、伊予鉄道に譲渡された。
その後、路線廃止などで再譲渡されたものもあり、総武流山鉄道、高松琴平電鉄のほか、
東濃鉄道のものは、中部地区の大手私鉄である名古屋鉄道にその足跡を残している。
これらは昭和55年ごろから平成10年ごろにかけて引退しており、現存せず、
津軽鉄道の2両が最後の砦となっている。

伊予鉄道 800系電車

2010-08-22 23:55:31 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
旧型車両の置き換えのため、京王帝都電鉄(→京王電鉄。以下、京王)より
2010系電車を譲り受けたものである。

まず、京王2010系電車について簡単に解説する。
同形式は昭和34年~37年にかけてデハ2010形とデハ2060形で構成される2両編成×16本
=32両が製造された。
メーカーは東急車輛、日本車輛、日立製作所である。
車体は昭和34年に登場した2000系に準じた正面非貫通・2枚窓・半流線型の湘南スタイルの
もので、塗装はグリーン一色だったが、昭和38年~44年までは製造中で数の少なかった
5000系担当の特急運用の補充として一部の編成で同形式と同じアイボリーにエンジの
細帯という塗装になっていたこともある。
主制御装置は抵抗制御で2000系は全車電動車による加速を重視した設計だったのに対し、
本形式では付随車をつなぐことを前提とした経済性重視の設計に変更された。
ブレーキは発電ブレーキ併用の空気自動ブレーキだったが、ATSを搭載した際に
発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキに改造されている。
当初、デハ2010形とデハ2060形の双方に制御器を搭載していたが、架線電圧を600Vから
1500Vに昇圧した際にデハ2060の方の制御器が外されている。
中間車は2500系と呼ばれる主に戦前製の電車を中間付随車に改造したものを
連結していたが、後に車体を新造したり、編成の長編成化で先頭に出なくなった
デハの一部を改造したものに変えられ(サハ2550形)、外観が整えられている。
5000系の冷房化の進展と6000系の増備により昭和59年に全車引退した。

伊予鉄道ではこれらのうち、デハ2010形、サハ2550形、デハ2060形を其々6両ずつ、
計18両(3連×6本=18両)を譲り受けた。
改造は京王重機が担当し、同社で初めての地方私鉄向け改造車となった。
編成の組み方は高浜側から順に以下の通りである。

モハ810(←デハ2010)-サハ850(サハ2550)-モハ820(デハ2060)

入線に当たって車体については塗装をクリームに窓周りとドアより下をオレンジという
ものに変更した程度で大きな変更はなかった。
車内についても同様でロングシートのままである。
足回りについては軌道の幅が京王線(1372㎜)と伊予鉄(1067mm)で異なるため、同時期に
廃車された井の頭線の1000系電車(初代。2010系の井の頭線バージョン)の台車に
交換された他、架線電圧が750Vに下がったため、モハ820への制御装置設置(廃車された
デハ2010のものを流用)、台車とモーターの交換、発電ブレーキの使用停止などを
実施している(発電ブレーキは当初使用したものの使用時の衝動が大きいためカット
された)。
昭和60年~昭和62年に冷房装置を搭載し、伊予鉄の郊外電車で初めての冷房車となった。
電源はサハ850形に大容量の静止型インバータを搭載した。

平成5年~6年にかけて運用の効率化を図るため、サハ850形の先頭車化が行われた。
これはサハ850形の高浜側連結面に新造した先頭部分(元京王5000系と似た形のもの)を
接合するもので、これによりサハ850形は全車がクハ850形になった。
同時にモハ810形の連結部の狭小化と簡易ドア設置が行われている。
編成の組み方は以下の通りになった。

モハ810+クハ850-モハ820

これにより、ラッシュ時3連、閑散時2連の組み換えが容易に行えるようになり、
特に平日朝のラッシュ明けにはモハ810が単独で走る姿を目にするようになった。
また同時期に現行のクリームにオレンジの帯という現在の塗装に改められている。

元京王5000系の700系と共に伊予鉄郊外電車の主力の一端を務めたが、老朽化が
進んだため、3000系電車(元京王3000系)との置き換えが平成21年より開始された。
この置き換えでクハ850-モハ820の2本=4両は銚子電気鉄道へ再譲渡され、同社の2000形電車
(デハ2000+クハ2500)として平成22年夏より運行を開始している。
残りの編成は平成22年7月25日をもって運用を離脱した。


○増設された運転台側(クハ850形-モハ820形)。


○1両で古町車庫に留置されるモハ810形。
 隣は700系(元京王5000系)のモハ710形。(敷地外の側道から撮影)


○車内。いかにも昭和の雰囲気を感じさせるものである。


○運転台。これはクハ850が中間車として使用されている状態で撮影。

長野電鉄 8500系電車

2010-07-22 00:11:38 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
老朽化の進んだ2000系特急車と3500・3600系電車の非冷房車を置き換えるため、
東京急行電鉄の8500系電車を譲り受けたものである。
平成17年、平成18年、平成21年に3両編成×2本ずつ入線し、現在は3両編成×6本=18両が
在籍している。
この他に部品取り用に中間車2両が入線しているが籍は入れられていない。
製造メーカーは全て東急車輛で、製造初年は昭和50年である。
入線にあたっての改造は東横車輛電設が担当している。
編成の組み方は湯田中側から順に以下の通りである。

デハ8500形+サハ8550形+デハ8510形

パンタグラフと制御装置はデハ8500形にサービス電源装置(第4編成まで電動発電機。
第5・第6編成は静止型インバータ)はサハ8550形に、ブレーキなどに圧縮空気を送る
エアコンプレッサーはデハ8510形にそれぞれ搭載される。
長野電鉄では本形式に「T編成」の記号を振っている。

車体はオールステンレス製でT1~T5編成まではオリジナルの姿、そのままである。
T6編成は中間車からの改造で細部が他の車両と異なる。
正面はT1~T5編成が貫通型で正面窓左右下にヘッドライト上は左から順に種別、
方向表示、列車番号表示(不使用)が並ぶ。
T5編成は東急時代にスカートが設置されている。
T6編成は非貫通で正面中央の窓下にヘッドマークステイ、周りに幌座風の装飾がなされ、
同時期に入線したT5編成と似せてはあるが、異様な面持ちとなっている。
また、この編成だけ列車番号表示窓が無く、代わりに車番が入れられている。
塗装は正面の赤帯以外、無塗装である。
行き先・種別表示は入線に当たり、LED式に変更されている。

車内はロングシートでサハ8552号で様々なカラーのモケットが採用されている以外は
東急時代のままのオレンジとブラウンのシートである。
東急時代に車体更新を受けた車両では7人席へのスタンションポール設置や
化粧板の張り替えなども行われている。
T3編成以降は都心部の鉄道で行われた優先席付近の吊革の黄色化後の入線であり、
信州の私鉄で初めての採用となった。
入線に当たっての改造としてはドア上へのドアチャイムの設置とLEDスクロール式
旅客案内装置の設置(千鳥配置)、サハ8550形への車椅子スペース設置、暖房増強、
ドアレールヒーター設置、ドア3/4カット機能設置などである。
ドアは片側4箇所、全て両引き戸で平成9年に引退したOSカー0系電車(昭和41年登場。
ラッシュ時の混雑緩和のため地方私鉄では珍しい4ドアを採用した。鉄道友の会
ローレル賞受賞車)以来、久々の4ドア車となった。

主制御装置は界磁チョッパ制御でオリジナルと変わらないが、元々電動車同士で
ユニットを組む構造の間にサハ8550形を挟みこんだため、サハに母線を引き通している。
ブレーキは回生ブレーキ併用電気指令ブレーキで回生ブレーキ機能もそのまま
使用されている(但し、失効速度は22km/hから25km/hに引き上げ)。
雪の多い地方である為、ブレーキシューをレジンから鋳鉄製に変更し、耐雪ブレーキ機能も
追設されている。
しかし、勾配用の抑速ブレーキ機能を有していないため、急勾配が連続する長野線の
信州中野~湯田中間には入線できない。
台車はペデスタル軸箱支持方式のダイレクトマウント・空気バネ台車で
駆動方式は中空軸平行カルダン方式である。
運転台はT字型ワンハンドルマスコンで基本的に変更点はないが助手席側に後方監視用の
ミラーが設置されたほか、自動放送装置などのワンマン対応機器が搭載されている。

本形式の導入により、2000系特急用電車のB編成が引退したほか、朝のラッシュ時に
運行されていた3500系の4連運用が廃止された。
以降、非冷房の3500系や3600系を順次置き換えている。
しかし、既述の通り、湯田中に乗り入れられないので、これらを全て置き換えるという
訳ではないようである。
予定では平成23年度までに、あと3編成が入線する予定で、最終的に3両編成×9本=27両と
なる予定である。


○T1編成。元の車両も東急8500系のトップナンバー車。


○T2編成。中間のサハ8552号車は色とりどりのシートモケットを楽しめる。
 一部はバケットシートを採用している。


○T3編成。この編成まではデハ8500形の旧車号と現車号が符合する。


○T4編成。この面子の中では特徴が少ない。


○T5編成。正面下部にスカートが付いた。


○T6編成。中間車からの改造のため、こんな顔つきになった。
 正面中央の赤帯の上の長方形のパーツがヘッドマークステイ。


○車内。東急時代とあまり変化はない。


○サハ8550形。


○サハ8550形の車椅子スペース。写真はT6編成のもの。


○須坂車庫に留置される部品取り車。既に台車は予備品の日本車輛製のブリル式台車に
 交換されている(軸箱に日車の社章が入っている)。

福井鉄道 80形電車

2010-07-06 23:53:02 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
南海電鉄より、大正10年に川崎造船所で製造されたモユニ521形電車を
譲り受けたものである。
福井地震のあった昭和23年に4両が入線した。
導入当初はモーターの出力の差から、モハ80形とモハ90形に分かれていた他、
編成は組まず、単行で使用された。
番号対比は以下の通りになる。

南海モユニ521→モハ91
南海モユニ522→モハ81
南海モユニ523→モハ82
南海モユニ524→モハ92

車体は外板のみ鋼鉄製とした半鋼製車体で、前面部分は半円形5枚窓という
大正期に流行した郊外電車のスタイルを残していた。
屋根はモニタールーフと呼ばれる二重屋根であった。
導入時はモハ80形が南越線、モハ90形が福武線に配置されたが、昭和25年にモーターの
交換を実施してモハ80形が福武線に転属してきている。

車内はロングシートでドアは荷電時代の名残で片側4箇所だが、実際に使用したのは
2箇所だけだったようで全て片引き戸である。
側面窓は一段下降の落とし窓である。
ドアには市内線での乗降のため、可動式のドアステップが設けられた。

主制御装置は抵抗制御でブレーキは空気自動ブレーキである。
台車はイコライザー式金属バネ台車で駆動方式は吊り掛け駆動であった。

昭和31年に日本車輛にて全鋼製の新車体に載せ換えられた。
この車体は正面貫通式(モハ92→モハ84は非貫通)で乗務員用扉がない(後述の2両固定化と
前後して設置)のが特徴だった。
基本塗装はクリームに紺色のツートンカラーである。
導入時は方向幕は設けず、行き先札を正面貫通路に掲示していた。

車内はロングシートでドアは片側3箇所となった。
ただし、可動ステップは前後のドアのみで中ドアにステップは無かった。

この時、足回り機器の共通化による車番の変更が行われ、以下の様になった。

モハ81→変更なし
モハ82→変更なし
モハ91→モハ83に変更
モハ92→モハ84に変更

なお、旧車体のうちモハ81号のものは南越線村国駅で待合室として
同線が廃止される昭和56年まで利用された。

昭和52年に市内区間の路線改良が終了し、2両連結運転が可能となったため、
2両固定編成への改造が行われた。
編成の組み方と番号の対比は以下の通りになる。編成は武生新(ヒゲ線・福井駅前)側からの
順である。

モハ81+クハ81
・モハ81は田原町側運転台を撤去。改番なし。
・クハ81は旧モハ82で武生新側の運転台とモーター・制御器・パンタなどを撤去。

モハ82+クハ82
・モハ82は旧モハ83。田原町側運転台を撤去。
・クハ82は旧モハ84。武生新側の運転台とモーター・制御器・パンタなどを撤去。

車内は改造当初はロングシートであったが、昭和63年の冷房取り付け改造の際、
JRからの廃車発生品を流用し、セミクロスシートに改造されている。
また、昭和60年にはワンマン化改造が行われ、乗務員室仕切り窓の撤去、
運賃箱と運賃表設置、整理券発券機設置などが行われた。
足回りも昭和62年~63年にかけて台車の交換とカルダン駆動化(いずれも国鉄の
廃車発生品)が行われている。

これら度重なる改造で車体のどこをとっても南海時代の面影を残すような部品は失われた。
しかし、これらの改造で使いやすく、また収容力も他の形式に比較して大きかった
事から、混雑時などに重宝された。
車体広告車にもよく使用され、一時は4両とも広告電車だった時期があるが、
晩期は82編成がコカ・コーラ社の広告電車になっていた(モハ82がジョージア、
クハ82がコカコーラ)。

平成18年4月に名古屋鉄道より譲り受けた低床車の運行開始に伴い、引退となるはずだったが、
譲り受けた880形電車のトラブルが相次ぎ、その間は81編成がリリーフを務めた(82号は
予定通り廃車)。
その後、880形のトラブルが解消し、全編成が安定して走り始めた平成18年6月末に
さよなら運転を行い、引退した。
引退後は全車が解体されて、現存しない。


○幸橋の仮設鉄橋を渡るコカコーラ社の広告電車となった82編成。
 どちらも過去の風景となった。


○晩期の頃の車内。82編成のもので通路に青いプラ製の板を通路に敷いていたのが
 特徴だった。


○確か、クハ81号の連結部で貫通扉の戸袋になってた窓の外側のガラスなのだが・・・。

○このように逆さまになってるが、「自動扉」の文字が入っているのが
 お分かりいただけるだろうか?
 しかもこの文字、微妙に中心からずれている。
 元はどんな車両に付けられていたガラスなのか、ひじょうに気になる
 ところであるが、解体された今となっては知る術はない。

高松琴平電気鉄道 1100形電車

2010-06-21 21:56:52 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
琴平線の冷房化を促進するため、京王帝都電鉄(→京王電鉄)から5000系電車を
譲り受けたものである。
平成9年に2両編成×4本=8両が入線した。
これらの車両は昭和44年製造の冷房付き・幅広車体を採用した最終増備グループで
京王では最後の旅客営業用の5000系となり、さよなら運転に充当された車両も含まれる。
メーカーは日本車輛と東急車輛で入線にあたっての改造は京王重機整備が担当した。

編成は琴電琴平から順に1100(奇数)+1100形(偶数)である。

車体は普通鋼鉄製で正面と側面の種別表示(正面は札、側面は字幕)を撤去した程度で
見た目の上での大きな変化は少ない。
但し、最初の2本は中間電動車に廃車になった制御車の運転台部分を切り接いだ上、
奇数車のパンタグラフが連結面に向くように方向転換をするなどの
大掛かりな改造を受けている。
残りの2本は制御車に廃車になった中間車の電装品や集電装置を取り付ける方法の
改造となっている。
塗装は、当時瓦町駅に完成したばかりの「コトデンそごう」の包装紙に準じた
ホワイトに窓周りブラック、その縁周りをライトグリーンというものを
採用した。
しかし、その後のそごうグループの破綻と琴電そのものの会社更生法適用に伴う
更生策の一環(ラインカラー導入)でアイボリーにイエローのツートンカラーに
改められている。
行き先表示は正面貫通扉窓下と側面にそれぞれ字幕式のものが設置されている。

車内はロングシートのまま変化は無いが、モケットは琴電仕様のグリーン系と
レッド系に改められている。
この他、化粧板の交換、吊革の増設などが行われた。

主制御装置は抵抗制御(間接自動加速制御方式)であるが、在来車両と連結する
必要性からHL制御(間接手動加速制御方式)に交換され、
ブレーキも従来の発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキから、
発電ブレーキ併用非セルラップ方式電磁弁付き三管式直通空気ブレーキに交換されている。
台車は金属バネ台車でレールの幅の違いから、京浜急行電鉄1000形電車のものを
モーター共々流用している。

本形式の登場で冷房の付いていなかった1013形(三岐鉄道からの譲受車)の一部や
客車改造の電車として知られていた950形を置き換えた。
その後は琴平線で元京急1000形の1070形などとともに終日運用に就いている。

関東鉄道 キハ2200形気動車

2010-06-18 21:02:25 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
常総線水海道~下館間のワンマン運転開始に伴う単行運転用に登場した車両である。
平成9年~10年にかけて4両が製造された。
製造メーカーは新潟鐵工所である。

車体は普通鋼鉄製でキハ2100形とほぼ同等のものを両運転台仕様としたものを
採用している。
正面は貫通構造で原則的に単行で運行されるが、連結運転にも対応している。
行き先表示は正面と側面にあり、双方ともLED方式である。
塗装は2100形に準じたホワイトに窓周りがグレー、レッドとブルーの細帯が入るものを
採用している。

車内はオールロングシートで側面窓は一段下降窓である。
ワンマン運転に備え、前後ドア付近に整理券発券機、運転室後部に電光式運賃表と
両替式運賃箱を設置している。
運転室は片隅式だが、助手側も仕切りで仕切られている。
ドア配置は3箇所で運転台側が片引き戸、中央部が両引き戸というかなり特徴的なものを
採用している。
これは上記の通り、ワンマン運転に対応するためである。
各ドアにはドアチャイムが設置されている。

これらのワンマン機器やドアの選択開閉は運転台のスイッチ操作で起動・停止が
可能である。

機関はDMF-13HZ型直噴型ディーゼルエンジンを1基搭載し、変速機は液体変速機である。
ブレーキは空気自動ブレーキで従来型の車両とも連結が可能となっている。
台車は空気バネを枕ばねとするボルスタレス台車を採用している。
運転台は横軸式マスコンとブレーキハンドルの2ハンドル式である。

登場以来、水海道~下館間のローカル運用を中心に活躍している。
平成10年製造の車両はキハ300形(元国鉄キハ30形気動車)改造のキハ100形2両を
置き換えた。
平成15年に防護無線を設置したほか、平成17年より列車種別選択装置を搭載して
快速列車にも投入されるようになった。
また、行き先表示機もスクロール可能なようになり、「水海道乗換取手行き」といった
表示をするようになっている。
この改造と前後してつくばエクスプレス線との接続の便宜を図るため、水海道発着の
下館行き列車の一部を守谷発着に変更している。