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水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
※禁無断転載!使用に際してはコメント欄にて
用途を申告してください。

熊本電気鉄道 200系電車

2011-11-10 22:37:31 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
車体や機器の老朽化が著しく進んだモハ500形電車(元静岡鉄道クモハ100形。
同社長沼工場製の軽量車体に旧型車の機器を組み合わせた車両。昭和36年~41年製造。
昭和51年・昭和54年譲受)の置き換えのため、南海電気鉄道の22000形「角ズーム」を
譲り受けたものである。
平成10年に2両編成×1本=2両が入線した。
編成の組み方は御代志側から順に以下の通り。

モハ201+モハ202

南海時代の旧車号は以下の通り。

モハ201号←南海モハ22003号 モハ202号←南海モハ22004号

南海時代の概要は以下の通りである。

◇南海22000形電車の概要◇
南海高野線で運用されていた大運転(難波~極楽橋間直通列車のこと)用高性能車の
21001形「ズームカー」の増結用車両として昭和44年~昭和47年にかけて
2両編成×16本=32両が製造された。
製造を担当したメーカーは東急車輛である。
編成の組み方は高野山側から以下の通り。

モハ22000(奇数)+モハ22000(偶数)

車体は普通鋼鉄製で南海本線向けの7100系電車を17m・2ドアに縮めたような
スタイルとなっている。
全体に角ばったデザインになったため、丸みを帯びたスタイルの21001形「丸ズーム」に
対して「角ズーム」と呼ばれることもある。
車内はロングシートで側面窓は一段下降式である。
冷房は昭和47年導入車から新造時より装備し、それ以前の車両も1980年代に冷房化
改造を済ませている。
扉は既述の通り、片側2箇所で乗降時間短縮のため、両引き戸となった。
主制御装置は抵抗制御でブレーキは抑速・発電ブレーキ併用電磁直通式空気ブレーキ
である。
台車は軸箱支持をウイングバネとした下揺れ枕式コイルバネ台車でモーターの
駆動方式は中空軸平行カルダン方式である。
21001形の老朽化に伴い、1990年代以降2000系が登場し、同形式への連結対応改造と
車体更新も一部の車両で行われたが、性能上の相性が悪く、旧型車が多く残る支線へ
改造の上で転用されることになった。
この改造から漏れた4本が平成9年~平成10年に廃車となり、この中のうち22003編成が
熊本電鉄に譲渡された。

以下は熊本電鉄譲渡後の状況である

◇熊本電鉄200系の概要◇
熊電に入線するにあたって、西日本鉄道筑紫工場内にある西鉄産業にて各種改造が
行われた。
主な内容は客用ドアの3ドア化と運転室側ドア移設(全て両引き戸)、側面見付け
変更(d2D6D2→d1D3D2D2。※d=乗務員扉/D=客用扉/数字=窓の枚数)、
ヘッドライト移設(正面中央上部→左右窓下)、方向幕のワンマン表示化、
方向幕移設(正面向かって左窓上→正面中央上部ヘッドライト跡)、
塗装変更(ブルーの濃淡に赤帯、境目に白線)、内装・座席の全面張り替え、
ワンマン機器取り付け(整理券発券機・運賃箱・電光式料金表・自動放送装置・
バックミラーなど取り付け、ドアスイッチ移設)などである。
後年にはATSを装備し、車号を201A及び202Aに改め、同時に正面下部にスカートを
設置している。
かなり大掛かりな改造を受け、ほぼ原型は失っている状態であるが、元の雰囲気は
どことなく感じることが出来る。
運行開始当初は藤崎宮前~御代志間で運用されることが多かったが、平成11年~
平成13年にかけて6000系が追加されると予備車に回ることが多くなった。
平成21年以降は5000系の老朽化が進んできていることから、輸送力過剰ではあるが、
上熊本~北熊本間の列車に投入される機会が増えている。

えちぜん鉄道 MC-6001形電車・MC-6101形電車

2011-11-06 23:25:45 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
京福電気鉄道福井支社の鉄道事業を引き継いだえちぜん鉄道が、老朽化した
旧型車の置き換えと、京福時代に起きた2度の正面衝突事故で失われた車両の
代替として、愛知環状鉄道100系電車電車を譲り受けたものである。
平成15年にMC6001形2両が、平成16年~平成18年にMC6101形12両の計14両が
それぞれ入線した。
基本的に単行運転用なので決まった編成は組まない。
新旧の番号対比は以下の通り(えちぜん鉄道車号←愛知環状鉄道車号)。

MC-6001号←103号 MC-6002号←105号
MC-6101号←101号 MC-6102号←102号 MC-6103号←104号 MC-6104号←302号
MC-6105号←301号 MC-6106号←303号 MC-6107号←107号 MC-6108号←109号
MC-6109号←105号 MC-6110号←106号 MC-6111号←304号 MC-6112号←305号

車体は普通鋼鉄製で旧番が100番台の車両は100形で制御車の200形と編成を組んだ
片運転台の制御電動車であったが、えちぜん鉄道への譲渡にあたって、100形の
連結側に200形の運転台を接合して両運転台化している。
旧番が300番台の車両は元々増結・救援用に登場した300形電車であったため、
この改造は実施していない。
MC-6106号、MC-6111号、MC-6112号は平成4年製造、他は昭和62年製造で
製造を担当したメーカーは全車が日本車輛である。
譲渡時の改造を実施したのは名鉄住商工業と阪神電気鉄道尼崎工場である。
運行開始当初、スノープロウを付けた程度であったが、平成16年ごろまでに
スノープロウと一体の大型のスカートを取り付けて、降雪時の除雪能力を
向上させている。
塗装はホワイトにブルーのグラデーションラインで正面貫通扉と側面ドアは
イエローとなっている。
行き先表示は正面のみで字幕式である。

車内は愛知環状鉄道時代のままのセミクロスシートでドア付近の2~3名分が
ロングシート、他は4人向き合わせの固定クロスシートでヘッドレストがあるのが
特徴である。
シートモケットの色はピンク系からブルー系のものに張り替えているほか、
最初に投入されたMC-6001形では優先席をオレンジ色のモケットとしている。
冷房装置は製造時より取り付けられているほか、扇風機は国鉄車両から流用した
個別のスイッチで作動するものを装備している。
ドアは片側3箇所、全て片引き戸である。
旅客案内装置は当初は乗務員室後方に運賃表示器とLEDスクロール式のものを
装備していたが6103号車以降は液晶ディスプレイ式のものとなった(それ以前の
車両も改造)。

主制御装置は抵抗制御(電動カム軸・永久直列式・弱メ界磁・空転検知装置つき)で
ブレーキは発電ブレーキ併用電磁直通式ブレーキである。
台車は軸箱支持を円筒ゴム式とした空気バネ式ボルスタレス台車でモーターの
駆動方式は中空軸平行カルダンである。
モーターは当初、愛知環状鉄道時代のMT-46形という国鉄101系が使用していた
モーターを搭載していたが、直流600Vでこれを起動させると本来の性能の
半分以下しか発揮できないことが判明した(MT-46形モーターの端子電圧は375V。
1500V÷4=375V→600V÷4=150Vとなる)。
このため、回路に手を加え、力行時には4つあるモーターのうち、3つを回して出力を
確保することにした。
これにより1個あたりのモーターのパワーが向上しているが、それでも在来形式に
比べると低く、ダイヤ上も問題があったことから、平成15年にMT-54形という
JR東日本の113系などで使用されていた強化型のモーターに換装された。
MC-6101形は当初よりこのモーターを装備している。
なお、MC-6101形も力行時は3個モーターとなり、発電ブレーキ使用時は
全モーター(4個)使用となる。
また、MC-6101形では補助電源装置の静止型インバータ化、冷暖房の強化などの
改造も受けており、今でこぞ同じ機器を使っているが、MC-6001形と形式が
分けられた。
運転台はツーハンドル式で愛知環状鉄道時代からワンマン運転を考慮した構造と
なっていたので一部機器を取り替えた以外、そのままである(愛知環状鉄道では
ワンマン機器は搭載していたものの使用せず)。

平成23年現在、えちぜん鉄道の主力車両となっており、終日運用されている。
ラッシュ時にはMC-2101形電車と混じって2両編成で運用されることもある。
ワンマン運転対応であるが、日中はアテンダントによる乗車券発券、各種案内対応が
行われている。
MC-6001形は2両連結で運用されることが多かったが、平成23年7月末~9月末にかけて
相次いで検査入場したため、単行で走る姿を久々に見ることが出来た。


○車内。ヘッドレストが出っ張った独自のクロスシートが並ぶ。
 中ドアにはサイクルパス用の固定器具(自転車を固定するバンド)が設置された。


○運転台。


○運転室後方。上部のディスプレイに運賃表や行き先表示、停車駅案内などが
 表示される。日中はこの辺りにアテンダントが乗務する。


○ラッシュ時に走る2両編成。ちなみに現在この辺りにはテキ6(えちぜん鉄道ML-6)用の
 保存庫が建設されている。


○雪に埋もれるMC-6101形。今年1月の豪雪は本当に凄かった。

秩父鉄道 5000系電車

2011-11-05 22:43:01 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
18m×4両編成の2000系電車(元東急7000系)の置き換えによる列車の冷房化と
車種の統一(20m×3両編成)を図るため、東京都交通局から地下鉄三田線で
運用していた6000形電車を譲り受けたものである。
平成11年に14両を譲り受け、このうち3両編成×4本=12両が就役した。
残った2両は部品供給用である。
編成の組み方と新旧車番対比は羽生側から順に以下の通り。

デハ5000形+デハ5100形+クハ5200形

デハ5001+デハ5101+クハ5201←6191・6196・6198

デハ5002+デハ5102+クハ5202←6241・6246・6248

デハ5003+デハ5103+クハ5203←6251・6256・6258

デハ5004+デハ5103+クハ5204←6261・6266・6268

部品供給車:6141・6148(入籍せず)

譲渡前(都営地下鉄時代)の概要は以下の通り。

◇東京都交通局6000形電車(地下鉄用)の概要◇
都営地下鉄6号線(→三田線)の開業用に導入された車両である。
昭和43年~昭和51年にかけて6両編成×28本=168両が製造された。
製造を担当したのは川崎車輛(→川崎重工)、日本車輛、アルナ工機、
日立製作所である。
編成の組み方は三田側から以下の通りであった。

6001+6002+6005+6006+6007+6008

全車電動車で車番のうち百の位と十の位で編成番号、一の位が連結位置となる。
例えば第1編成の三田側先頭車(1号車)は「6011」号となる。
8両編成を想定していたが、最後まで末尾3・4が欠番の6両編成であった。
車体はセミステンレス製で登場時は赤帯、昭和45年増備車からラインカラー制定で
青帯となった。
正面は貫通型で東武東上線との直通計画があったため、同社の8000系電車をベースに
万が一の踏切事故を想定した高運転台とされた。
車内はロングシートで当初は冷房を搭載していなかったが、昭和63年以降に
実施された車体更新時(施工は京王重機)に6121編成・6151~6281編成は後に冷房を
搭載している。
ドアは片側4ドア・両引き戸で最終増備の6127・6128編成は戸袋窓が無い。
主制御装置は抵抗制御、ブレーキは発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキである。
台車は軸箱支持を油圧円筒案内式としたダイレクトマウント式空気バネ台車で
モーターの駆動方式はWN駆動方式である。
補助電源装置には日本の鉄道車両で初めてSIV(静止型インバータ)を搭載した。
開業以来、長く三田線の主力車両として活躍したが、平成5年~平成7年にかけて
6300形電車の導入により非冷房車の置き換えが実施された他、平成11年に
営団(→東京メトロ)南北線・東急目黒線との直通開始に伴う、
ホームドア導入とATOによるワンマン運転開始に伴い、全車が引退した。
当初は本形式も同対応改造を実施する予定であったが、改造費用が新車の
購入費用に匹敵することが分かったため、耐用年数との兼ね合いから置き換えられた。
引退後は秩父鉄道のほか、熊本電気鉄道、インドネシア・ジャボタベックへ
一部車両が譲渡されている。

以下は秩父鉄道譲渡後の概要である。
◇秩父鉄道譲渡車の概要◇
秩父鉄道へ譲渡されたのは編成表のとおり、第19編成・第24~第26編成のうち、
1の位が1・6・8号となる車両である。
製造年は5001編成が昭和47年、5002~5004編成が昭和48年で製造を担当した
メーカーは全車がアルナ工機である。
いずれも都営時代に車体更新と冷房化改造を受けている。
入線に当たっては旧6xx8号車の電装解除・制御車化、中間車へのパンタグラフ設置、
ワンマン機器設置(自動放送装置、運転席へのドアスイッチ設置など)、
ドア開閉連動チャイム設置、暖房増強、ドアの半自動・2/4カット(両端閉鎖。中2つの
ドアだけ開放する。急カーブの存在する上長瀞駅等で使用)、局章(イチョウマーク)
撤去と秩父鉄道社章取り付け、ブレーキシューをレジンから鋳鉄製に交換、
列車無線装置・保安装置の秩父鉄道用のものへ交換などである。
原則として各駅停車で他の車両と区別無く運用される他、急行「秩父路」用の車両の
予備が無い場合は急行運用にも就く。
秩父鉄道では急行料金を徴収しているため、本形式運用の急行でも徴収される。


○車内。都営時代からの変化は少ない。


○熊谷駅を発車する5004編成。去る平成23年11月1日午後、樋口~野上間を走行中の
 羽生行き各駅停車で運用中の本編成が鳴動中の踏み切り(遮断棒付き)に
 整備不良によるブレーキ故障で侵入し、線路に落輪・停止したダンプトラックと
 衝突して、先頭のデハ5004号車(写真)が脱線し、先頭部分を大破した。

津軽鉄道 キハ22形気動車

2011-10-29 20:54:15 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
昭和50年に国鉄より譲り受けて運用していた24000形気動車(旧国鉄キハ11形気動車)の
老朽化に伴う置き換えのため、JR東日本よりキハ22形気動車を譲り受けたものである。
平成元年に3両が入線し、キハ22027号、キハ22028号、キハ22029号と改番された。
改番前の車号との対比は以下の通り。

キハ22027号←キハ22形156号 キハ22028号←キハ22形169号 
キハ22029号←キハ22形228号

製造年はキハ22027号とキハ22028号が昭和37年、キハ22029号が昭和38年で、
製造を担当したメーカーは全車富士重工(宇都宮)である。
以下、国鉄時代の簡単な概要である。

◇国鉄キハ22形気動車の概要◇
キハ20形をベースに北海道など酷寒地向けとして登場したキハ21形気動車の冬季に
おける耐寒・耐雪能力の低さを受けて、車体の設計を徹底的に見直した改良型として
昭和33年に登場した。
車体は普通鋼鉄製で外板の厚みを増した他、ドアの位置を車体両端とし、客室と
出入口に仕切り戸を設けることで車内の保温性を向上させた。
床面は冬季の滑り止めや雪駄対策のため、木製とされた。
車内は戸袋窓部分がロングシート、他が4人向き合わせのボックスシートで
一部にロングシートがあることと窓側に肘掛が無いこと以外は急行用気動車並みの
接客設備を有し、北海道では実際に急行列車に用いられた。
側面窓は一段上昇式で内側にももう1枚窓がある2重窓となっている。
床面の厚みも他の車両より大きくとってあるため、他のキハ20系グループより
運転席や客席の位置が高い。
機関はDMH-17形ディーゼルエンジン1基でブレーキは空気自動ブレーキである。
配置は北海道と東北地方で後継のキハ45系列が計画され始めた後でも駆け込みで
増備が続けられるほど現場からの本形式の信用は篤かった。
特に北海道向け車両の耐寒・耐雪能力の高さは大いに評価され、急行用のキハ56系、
711系電車、キハ40形100番台などの後継車種にも引き継がれ、北海道の私鉄の一部でも
本形式ベースの車両が作られたほどである。
民営化前から老朽化による廃車は始まっており、本形式を引き継いだJR北海道では
平成7年、JR東日本では平成2年までに形式消滅している。

◇津軽鉄道譲渡車の概要◇
津軽鉄道はこれらのうち、JR東日本弘前機関区で運用されていたものを譲り受けた。
3両中キハ22027号とキハ22028号は秋田内陸縦貫鉄道に昭和61年~昭和63年まで
貸し出されており、国鉄~秋田内陸縦貫~JR東日本~津軽鉄道と4社を渡り歩いた
日本の鉄道車両の中でも稀有な車両である。
入線にあたり、トイレの使用停止と水タンク撤去、ATS撤去、列車無線取り付け、
車体塗装変更(上半分がベージュ、下半分がオレンジ)などの改造が行われた。
平成4年にはワンマン運転開始に伴い、新潟鉄工所の出張工事によりワンマン機器
取り付けと一部座席のロングシート化が行われた。
平成7年よりキハ22029号が「アートトレイン」となり、車体下部にイラストが
入れられた他、平成9年には某テレビ局の企画で出演タレントと地元小学生が
デザインしたイラストを全面に塗ったイラスト車両としてキハ22028号が
起用されている。
ワンマン化後は直後に登場した「メロス」こと津軽21形気動車とともに主力車両として
運用されたが、老朽化が進行したことと部品の確保が難しくなってきたため、
平成12年~平成19年にかけて全車が廃車された。
廃車後、キハ22029号が車体を2分割され、解体業者の敷地に保管されている他、
キハ22028号は金木駅での保管後、嘉瀬駅で展示、キハ22027号は津軽五所川原駅で
台車付きのまま倉庫として利用されている。


○嘉瀬駅で展示されているキハ22028号。

福井鉄道 モハ140形電車

2011-10-06 22:49:31 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
老朽化の進んだ元名古屋鉄道700形電車改造のモハ140形電車の置き換えのため、
名古屋鉄道と長野電鉄から譲り受けた車両や自社の中古車を改造した車両である。
昭和53年~昭和56年にかけて2両編成×3本=6両が登場した。
改造を担当したのは自社西武生工場である。
編成の組み方は武生新(→現・越前武生)側から順に以下の通り。

モハ140-1形+モハ140-2形

車番の見方は下1桁で編成番号、ハイフン以下で運転台の向きを表記するものである。
-1形に集電装置と主制御装置、-2形にエアコンプレッサーと補助電源装置を搭載する
2両ユニット方式をとっていた。
新旧の車号の対比は以下の通りである。

モハ141-1+モハ141-2←長野電鉄モハ300形301号+名古屋鉄道モ900形901号

モハ142-1+モハ142-2←長野電鉄モハ300形302号+名古屋鉄道モ900形902号

モハ143-1+モハ143-3←福井鉄道モハ40形42号+名古屋鉄道モ900形907号

車体は半鋼製で外側やフレームは鋼鉄であるが、内張りや床は木製である。
正面は非貫通3枚窓で正面下部には路面区間に対応するための排障器を設置している。
貫通型であった元名鉄900形改造のモハ140-2形については
全車両で運転台側の貫通扉を埋めている。
最後に登場した143編成は正面窓が3枚連続窓風となっており、異彩を放っていた。
また、各編成でベースとなった車両の違いから車体の長さや窓の大きさ、車体の断面が
異なっていた。
行き先表示は正面のみで中央の窓下に字幕式のものが設けられている。
塗装は登場当初が上半分がクリーム、下半分が紺色のツートンカラー(平成23年現在
モハ600形601号車や200形203編成で採用されているものから白線を無くしたもの)で
昭和60年代に入ってからクリームにブルーの帯(同じく200形201編成で採用されている
もの)に改められた。

車内はドア付近と車端部をロングシート、その他を転換式クロスシートとした
セミクロスシート配置である。
既述の通り、車両の自出によって車体の大きさなどが異なったため、座席定員も
前後の車両で異なっていた。
ドアは片側2箇所で路面区間での乗り降りのため、ドアの開閉と連動する可動式の
ステップを設けている。


主制御装置は抵抗制御(電動カム軸式)でブレーキは空気自動ブレーキである。
台車は車軸支持を軸守式としたイコライザー台車でモーターの駆動方式は
吊り掛け式である。
なお、モーターの設置方法が特殊であり、モハ140-1形は全軸に搭載、
モハ140-2形は田原町側の台車2軸のみの搭載となっていた。
集電装置はパンタグラフでモハ140-1形に1基搭載している。

繰り返しになるが、本形式は様々な車両の寄せ集めであるため、以上の共通項目の
他に各車両ごとに各種改造が施された。
以下に各車毎の簡単な経歴と改造内容を紹介する。

○モハ140-1形:モハ141-1号車・モハ142-1号車
元は長野電鉄モハ300形電車の301・302号車である。昭和16年に汽車会社にて
製造された。長野駅付近の地下化と架線電圧昇圧に伴い昭和53年に廃車されたものを
譲り受けた。
主な改造内容としては正面窓のHゴム支持・固定化、福井側の運転台撤去と客室化、
ドア配置の変更などである。
本グループは正面に限っていえばほぼ原形を保っていた他、連結側の窓配置に
以前の面影を残していた。
名義上は前代のモハ140形モハ141号、モハ142号の更新扱いとなっている。

○モハ140-1形:モハ143-1号車
本形式では唯一の福井鉄道生え抜きの車両で鯖浦電気鉄道(鯖江~織田間。後に福井
鉄道鯖浦線となり昭和48年廃止)デハ10形12号車として昭和4年に加藤車両製作所で
製造された。福井鉄道合併後にモハ40形42号車と車号を改め、昭和28年に車体
更新改造を受けている。
主な改造内容は車体延長、前面窓の3枚連続窓化、福井側運転台撤去と客室化、
ドア配置変更、ドア交換などでほぼ原形は失われている。
また、正面窓以外にも屋根周りや雨樋の処理の方法など141-1号・142-1号とは
異なる部分が多かった。
名義上は新車扱いとなっており、モハ42号としては廃車されたことになっている。

○モハ140-2形:モハ141-2~モハ143-2号車
全車両が元名古屋鉄道のモ900形電車で知多鉄道のデハ910形電車として昭和6年に
日本車輛で製造されたものである。
知多鉄道(現在の名鉄常滑線)と愛知電気鉄道(現在の名鉄名古屋線の神宮前~豊橋間)の
直通特急に用いられた往年のエースで晩期は名鉄瀬戸線で特急車として運用された。
瀬戸線の架線電圧昇圧に伴い余剰となったモ901、モ902、モ907の3両を譲り受けた。
主な改造内容は福井側運転台の貫通扉撤去と非貫通化、武生側運転台撤去と客室化、
ドア配置変更、ドアの交換、正面窓固定化、パンタグラフ撤去、外板張り替えなど
である。
モハ143-2号についてはモハ143-1号に合わせて正面窓の3枚連続窓への改造を
実施している。
名義上、モハ141-2号、モハ142-2号がクハ141号、クハ142号の更新扱い、
モハ143-2号が新車扱いとなっている。

入線後、列車無線取り付けや台車交換、ATS設置などの改造を受けている。
登場以来、主力車両の一端を担っていたが、冷房が無いことと老朽化が進んで
来たことから、モハ600形・610形の導入に伴い平成10年に143編成、平成11年に
142編成がそれぞれ廃車された。
どちらの編成も解体されたが、西武生工場のスペースの関係で解体中の車両を
自走させるという離れ業をやったことがある。
141編成は予備車として残され、朝ラッシュの田原町~神明間(福井駅前通過)の
普通列車などを中心に用いられた。
冷房が無いため、夏場こそ出番が殆ど無かったものの座席が転換クロスシートで
他の車両より余裕があり、また吊り掛け駆動車であったことからファンの人気も
高かった。
平成18年より名古屋鉄道より譲り受けた低床車の導入に伴い営業運転から撤退し、
同年6月のさよなら運転をもって廃車となった。
廃車後、1年ほど西武生工場の搬出入用留置線(現・北府駅パーク&ライド専用駐車場
付近にあった)に置かれていたが、平成19年の夏にその場で解体されている。


○モハ141-2号車。上の写真の方のモハ141-1号よりも窓が全体に大きい。
 

伊予鉄道 3000系電車

2011-09-05 22:50:24 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
老朽化の進んだ800系電車全車と700系電車の一部を置き換えるため、京王電鉄の
3000系電車を譲り受けたものである。
平成21年~平成23年度にかけて3両編成×10本=30両が導入される予定で、
平成22年までに3両編成×6本=18両が入線している。
製造を担当したメーカーは東急車輛で入線に当たっての改造は京王重機が行った。
なお、製造年度は昭和58年~昭和63年で、クハ3303号車は京王電鉄時代の踏切事故で
車体を作り直しており、平成2年製造となっている。
編成の組み方は高浜側から順に以下の通り。

クハ3300形+モハ3100形+クハ3500形

クハ3300形:高浜側に運転台を持つ制御車。集電装置・補助電源装置(SIV)装備。
モハ3100形:中間電動車。集電装置・主制御装置装備。
クハ3500形:郡中港・横河原側に運転台を持つ制御車。エアコンプレッサ装備。

新旧車番の対比は以下の通り(※は平成23年度導入予定)。

クハ3301+モハ3101+クハ3501←クハ3770+デハ3020+クハ3720
クハ3302+モハ3102+クハ3502←クハ3771+デハ3021+クハ3721
クハ3303+モハ3103+クハ3503←クハ3772+デハ3022+クハ3722
クハ3304+モハ3104+クハ3504←クハ3773+デハ3023+クハ3723
クハ3305+モハ3105+クハ3505←クハ3774+デハ3024+クハ3724
クハ3306+モハ3106+クハ3506←クハ3775+デハ3025+クハ3725
※クハ3307+モハ3107+クハ3507←クハ3776+デハ3026+クハ3726
※クハ3308+モハ3108+クハ3508←クハ3777+デハ3027+クハ3727
※クハ3309+モハ3109+クハ3509←クハ3778+デハ3028+クハ3728
※クハ3310+モハ3110+クハ3510←クハ3779+デハ3029+クハ3729

車体はオールステンレス製で(正面窓周りは普通鋼鉄製)京王時代から基本的に
変更はない。
正面は2枚窓非貫通で窓周りは京王時代には各編成で色を変えていたが、
伊予鉄道では全車がアイボリーで統合された。
京王時代のリニューアル改造で、正面窓は側面まで回りこんだパノラミック
ウィンドウとなっているほか、下部にはスカートを設置している。
塗装は既述の通り、正面窓周りがアイボリーで側面にアイボリーとオレンジの帯が
入れられている。
行き先表示は正面中央下部と側面にあり、いずれも字幕式である。

車内はオールロングシートで既述の通りに京王時代にリニューアル改造を
受けている。
優先座席は各車両車端部にあり「おもいやりゾーン」を伊予鉄道で初めて設けた。
一見、京王時代と変わらない様に見えるが、京王時代の表記は「おもいやりぞ~ん」
である。
車椅子スペースはクハ3500形乗務員室後方の座席を撤去して設けている。
ドアは片側3箇所、両引き戸で変更はない。
各車両2箇所のドア上部にLED式旅客案内装置を設置した。
この案内装置は停車駅を案内するものではなく文字情報によるニュースや広告を
流すものである。

主制御装置や各種電装品は電圧の相違から、そのまま使用することが出来なかった
ため、総取り替えとなった。
主制御装置は界磁チョッパからIGBT式VVVFインバータ制御とされた。
これは伊予鉄の郊外電車で初めての採用である(軌道線ではモハ2100形が伊予鉄で
初めて採用)。
ブレーキは回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキである。
台車は軸箱支持をペデスタル式としたダイレクトマウント式空気バネ台車で、
モーターの駆動方式は中空軸平行カルダン駆動方式である。
運転台はツーハンドル式のままで変更はない。

平成21年の夏より営業運転を開始し、順次800系を置き換えて、平成22年度までに
これを完了した。
伊予鉄道郊外電車ではラッシュ時3両、日中などを2両で運行しているが、本形式
充当の列車は終日3両編成で運行され、日中列車の輸送力増強が図られている。


○導入間もなく大手町駅で並ぶ3000系第1・2編成。新車導入記念の
 ヘッドマークが付けられている。

叡山電鉄 デオ900形電車 「きらら」

2011-08-07 21:12:10 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
京都市営地下鉄烏丸線国際会館延伸に伴う利用客の減少を受け、「観光路線」を
アピールすることで観光客の誘致と定期客の逸走防止の為に登場した車両である。
平成9年~平成10年に2両編成×2本=4両が製造された。
製造を担当したメーカーは武庫川車両工業であるが、設計やコンセプトデザインを
行ったのは近畿車輛である。
車両愛称として沿線にある雲母坂(きららざか)や木漏れ日がきらきら輝く様から
「きらら」と命名されている。
編成の組み方は出町柳側から以下の通り。

デオ900形(奇数)+デオ900形(偶数)

集電装置や制御装置などは奇数車に搭載され、偶数車は補助電源装置や
エアコンプレッサなどを搭載する。
勾配区間を走るため、2両とも電動車である。

車体は普通鋼鉄製で近畿車輛が近鉄特急「アーバンライナー」などで培った高品位な
デザインのノウ・ハウが惜しげもなく投入されたものとなった。
正面は非貫通3枚窓で側面側にも窓があり、視界はとても広い。
塗装はデオ901+デオ902がメープル・レッドに錦の細帯、デオ903+デオ904がメープル・
オレンジに錦の細帯である。
側面中央部と正面には車両愛称の「きらら」のロゴが入ったプレートなどが
取り付けられている。
行き先表示は正面と側面にあり、いずれも字幕式である。

車内は叡山電鉄の車両として初めてのオールクロスシートとなっている。
進行方向左側は1人掛けで運転室方向を向いた一方向固定式、進行方向右側は
前後のドア付近が4人向き合わせのボックスシート、他は窓を向いた2人掛けの
クロスシートが並ぶ。
車端部には座席は無く車椅子スペース兼用の立席スペースとなっている。
窓はピラーの細い固定式の連続窓とし、側面天井には天窓も付いたサンルームのような
ものとなっている。
連結側の窓にもパノラミックウィンドウを採用したほか、ドアの窓も縦方向に長く
とって、立ち客でも沿線の景色を楽しめるように配慮している。
ドアは片側2箇所・片引き戸である。

主制御装置は抵抗制御でブレーキは勾配抑速ブレーキ付き・発電ブレーキ併用
電気指令式ブレーキである。
台車は軸箱支持を側梁緩衝ゴム式としたインダイレクトマウント式
空気バネ台車でモーターの駆動方式はTDカルダン駆動方式である。
モーターは京阪電鉄大津線の600形電車が使用していたもので京都市営地下鉄
東西線との直通運転開始に伴う昇圧工事で不要になったのものを改造の上で
流用している。
集電装置はシングルアーム式で叡山電鉄では初めての採用である。
運転台はツーハンドル式でワンマン運転対応となっており、運転室後方の仕切りに
運賃箱と電光式の停車駅案内と運賃表、各ドアに整理券発券機とスルッと関西対応の
カードリーダーが設けられている。

これまでの日本の車両に無い優れたエクステリアデザインとインテリアデザインが
評価され、鉄道友の会からローレル賞を授与されている。
運用は鞍馬線系統(出町柳~宝ヶ池~鞍馬間)がメインで基本的に叡山本線の宝ヶ池~
八瀬比叡山口間のには入線しない。
導入依頼、人気が高く「『きらら』はいつ乗れるのか」という問い合わせが後を絶たず、
時刻表に運行される列車の時刻が表示されるほどである。
特に秋の観光シーズンにはツアー客がわざわざ「きらら」を待って乗るため、
他の列車と比べても大変な混雑となる。
ただし、水曜日と木曜日に点検のため、一部列車が800系と差し替えられるほか、
それらの日が休日になると別の平日に振り返られるので2本とも運休する日もある。

貴船もみじ灯篭のシーズンには夕方から21時ごろまで市原~二ノ瀬間の紅葉ライト
アップにあわせて車内照明を消灯し、幻想的な車窓を楽しむことが出来る。
鞍馬寺の火祭りの際は輸送力列車に向かない構造である為、出町柳~二軒茶屋間の
折り返し列車に用いられ、不足する2両編成を単行運転用のデオ700系を連結運転と
することで賄っている。
この他、イベント列車や貸し切り列車で使われることも稀にある。


○車内。大きな窓が特徴。座席は見た目に反して少し硬めの掛け心地。



○車端部。外側からと車内から。この部分がパノラミックウィンドウに
 なっているのは珍しい。
 かつての阪神電鉄の特急車3011形が同様の構造だった。


○運転室。



○メープル・レッドのデオ901+デオ902(上)とメープル・オレンジのデオ903+デオ904。


○車体中央に付けられた「KIRARA」のロゴ銘板。叡電伝統の車番プレートを
 模したもの。


○窓向き席からの眺め。この写真の撮影時は新緑のシーズンであった。

三岐鉄道 200系電車

2011-08-02 21:22:04 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
三重交通が三重線(現在の近鉄湯の山線・内部線・八王子線)用に4400形電車として
導入した車両である。
昭和34年に3体連接×1本=3両が作られた。
製造を担当したメーカーは日本車輛である。
登場時の編成の組み方は以下の通り。

モ4401M-1-サ4401T-1-モ4401M-2

電動台車は編成両端運転台側のものだけで連接部分の台車は無動力である。
レールの幅は762mmのいわゆる軽便鉄道の車両である。

車体は準張殻構造の普通鋼鉄車体で1両あたり10mほどの小型なものとなっている。
正面スタイルは当時の流行であった半流線型・2枚窓の湘南スタイルで窓の上には
横長のベンチレーターが設けられた独自のものであった。
ヘッドライトは正面中央上部に半埋め込み形のものでテールライトは左右に1個ずつ
設置している。
塗装は三重交通標準色のクリームとダークグリーンのツートンカラーであった。
行き先表示は正面と側面に行き先板を表示するものである。

車内はオールロングシートで車内照明には直流電源方式の蛍光灯を装備した。
ドアは三重交通三重線系統の電車で初めての自動ドアで各車体2箇所ずつの片引き戸である。
運転室側のドアには車体と台車に取り付けられたモーターの干渉を防ぐため、
床が若干高くなっている関係で僅かな高さながらステップが設けられている。

主制御装置は抵抗制御で三重線系統では直接制御車ばかりで他の車両との
重連総括制御を想定しなくてよかった為、間接式自動加速制御が可能となった
多段式の電動カム軸式制御器を搭載し、スムーズな走行が可能となり、
折り返し時の入換が不要となった。
ブレーキは抑速ブレーキ付き発電ブレーキ併用空気自動ブレーキである。
これは在来車両のとの併結を考えたもので、本形式が客車を牽引して運行する際には
抑速ブレーキの機能をスイッチを切って使用することも可能であった。
台車は軸箱支持をウイングバネ式とした下揺れ枕式の金属バネ台車を採用し、
後述の駆動装置との兼ね合いから、軽便鉄道用としては異例なほど重厚なものと
なった。
モーターの駆動方式には地元の神鋼電機が開発した垂直カルダン方式という
特殊な駆動方式を採用した。
これはモーターをレール面に対して垂直に立てて配置して台車に装荷し、継ぎ手を
介して車軸に動力を伝えるものである。
利点としてはモーターと車軸の間の偏位を垂直方向のみに収斂されるため、
場所をとるたわみ継ぎ手が不要であること(垂直方向にこれを許容するスプライン
シャフトは必要)、モーターを縦にすることで狭いレール幅の路線でも採用しやすい
ことである。
反面、モーターを枕木方向と平行に配置して車軸との接続が車軸に直接モーターの
ギアを繋ぐ吊り掛け駆動やたわみ継ぎ手などを介して車軸をつなぐ平行カルダン駆動に
比べると車軸まで「モーター→垂直軸→垂直軸→車軸」という2段階での接続が必要で
動力損失が大きいこと、モーターを立てることで床を高くしなければならないこと、
油漏れや摩擦が増大しやすかったこと、この複雑なジョイントが収まる部分が車体と
台車枠の間の僅かな隙間しかなかったことなどから、保守・整備の面では
著しく劣っていた。
連結器は他の車両に合わせて「朝顔形」と呼ばれるピンリンク式を装備していた。
集電装置はパンタグラフでモ4401M-1号車に装備され、モ4401M-2号車へは
高圧母線を各車体間に通して電源を供給している。

登場後、三重線(主に湯の町線)の看板車両として重用され、中間車体を追加して
4体連接にするプランもあったが、ただですら手を焼いている垂直カルダン駆動の
モーターに更に負荷がかかるとして中止された(代わりにサ2000形(→近鉄サ140形→
三岐鉄道サハ140形)が製造された)。
昭和39年に三重交通の鉄道部門が三重電気鉄道となり、湯の山線が1435mm軌間へ
改軌されたため、北勢線へ移籍した。

昭和40年に三重電気鉄道が近畿日本鉄道(以下、近鉄)に吸収されてからは200系電車と
形式を改称し、以下のような編成となった(順番は上記と同じ)。

モ201(モ200形)-サ101(サ100形)-モ202(モ200形)


しばらくは塗装を近鉄マルーン一色に変更された以外は変更無く、動力車として
運行されたが、整備の難しさは如何ともしがたく、昭和46年にモーター、制御器、
運転台機器、集電装置を撤去して付随車にされた。
形式も変更されて、以下のような編成となった。

サ201(サ200形)-サ101-サ202(サ200形)

制御器が撤去されたため、ブレーキも発電ブレーキ機能が無くなり、
空気自動ブレーキのみとなった。
また連結器も朝顔形から小型の自動連結器に交換されている。
これ以降は直接制御の旧型の電動車に引っ張られる客車として運用された。
なお、台車については乗り心地が良好であったため、そのまま使用されている。

昭和53年に近鉄保有の軽便車両の中でも旧形電車の巣窟となっていた北勢線の
近代化のため、新造形式のモ270形と編成を組むこととなったため、再度の改造が
行われた。
主な改造はサ202号車の運転台復活によるク200形への形式変更(車番変更無し)と
ヘッドライトのあった位置に方向幕を設置してその左右にヘッドライトを移設し、
標識灯を「日」の字型のものに交換、サービス電源の交流化と蛍光灯配置の変更、
ブレーキ方式の変更、サ201形旧運転室部分の窓埋め込みと貫通路設置(後に小窓設置)
などである。
これにより、以下のような編成となった。

モ270形+サ201-サ101-ク202(ク200形)

動力車であるモ270形は時期によって変えられたため車番は省略する。
平成2年には塗装を近鉄特殊軌間線標準色の採用により、マルーンに車体裾部分と
ドア周り、運転席窓周りをオレンジというものに変更された。
本形式では運転席窓の間を黒く塗って1枚窓の様になった。
平成4年にはワンマン化改造(整理券発券機・運賃表・運賃箱設置)を受けたほか、
ブレーキの保安度を向上させるため、電磁直通ブレーキに改造し、
台車(主にブレーキ周り)にも手を加えられた。
また戸袋窓や前面窓を樹脂固定から金属固定に変更され、ほぼ現在のスタイルに
なった。

平成15年に北勢線が近鉄から三岐鉄道に譲渡されると本形式も同社へ移籍した。
移籍直後はヘッドマーク取り付け程度でそのまま運用されたが、平成16年ごろに
塗装をレモンイエローに車体裾部分にオレンジの帯、正面窓周りを黒塗りとした
三岐鉄道標準色へと変更された。
平成20年にモ270形の高速化対応改造(弱め界磁設置、ATS強化など)に伴い、形式が
変更され、以下のような編成になった。

クモハ270形+サハ201(サハ200形)-サハ101(サハ100形)-クハ202(クハ200形)

本形式ではATSの強化と電動車の弱め界磁設置に伴うマスコンの交換程度で
同時に並行して行われている冷房化改造は受けていない。
また、地上設備の改修が終わっていないため、高速運転は行っていない。

近鉄時代末期にはラッシュ時以外、ほとんど運用されていなかったが、三岐鉄道に
移籍してからは列車の増発などによる利用推進策が功を奏して輸送量が増えたため、
ほぼ終日運行されている。


○中間化された201号(旧三重交通モ4401M-1)。手前のドアにはステップがあるのが
 わかる。中間車になっているが元の形態を色濃く残している。


○車内。台車前後の床が連接側のドアに向けて、スロープ状になっているのが、
 陰影でお分かりいただけるだろうか?


○連接部分の台車。

秩父鉄道 6000系電車

2011-07-20 21:20:20 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
有料急行「秩父路」で使用していた3000系電車(元・JR165系電車)の老朽化に伴う
置き換えのため、西武鉄道より新101系電車を譲り受けて改造したものである。
平成17年~18年にかけて3両編成×3本=9両が入線した。
改造を担当したメーカーは西武車両で第1編成は広瀬川原工場で改造されたが、
残り2本は西武鉄道武蔵丘工場にて改造されている。
この2本は改造前に秩父鉄道に搬入済みであったが、要員確保の都合から西武側に
一旦返送の上で改めて入線している。
編成の組み方と形式、新旧車号の対比は羽生側から以下の通り。

デハ6000形+デハ6100形+クハ6200形

デハ6000形:羽生側に運転室を有する制御電動車。デハ6100形とユニットを組む。
 西武時代、中間電動車だった車両に制御車の運転台を接合した。
デハ6100形:中間電動車。デハ6000形とユニットを組む。
クハ6200形:三峰口側に運転室を有する制御車。

デハ6001+デハ6101+クハ6201←モハ230×クハ1230の運転台+モハ229+クハ1229
デハ6002+デハ6102+クハ6202←モハ232×クハ1232の運転台+モハ231+クハ1231
デハ6003+デハ6103+クハ6203←モハ234×クハ1234の運転台+モハ233+クハ1233

車体は普通鋼鉄製でデハ6000形は中間電動車だった車両の片方の連結側の車体を
除去し、クハ6200形の種車となった車両とは反対側のクハの運転台を接ぎ合わせて
いる。
正面は高運転台2枚窓のままで西武時代の面影を残しているが、スカート取り付け、
ヘッドライトの角型ユニット化、LED式愛称表示設置、ワイパー電動化に伴う
運転席側の額縁縮小など大きく手を加えられている。
塗装はホワイトにブルーの帯でドアはステンレス無塗装となっている。
正面窓周りについては鼻筋の部分も黒く塗りつぶされた。
行き先表示は正面と側面にあり、秩父鉄道で初めてのLED式を採用している。

車内は西武10000系「ニューレッドアロー」の座席交換時に発生したリクライニング
シートを固定配置している。
これは車幅が狭いため、座席を回転させる為のスペースを確保できなかったため
である。
リクライニング機能については残されており、わずかな角度ながらリクライニング
可能である。
また、テーブルも一部の座席に残されている(基本的に撤去)。
バリアフリー対策としてデハ6000形運転室後方に車椅子スペースを設置し、
乗務員室に可搬式のスロープを搭載している。
旅客案内装置はLEDスクロール式のものを車内貫通路上部に設けた。
ドアは両引き戸で片側3ドアから2ドアになり、中ドアは埋められ窓が設置されている。
また、各ドアにはドアチャイムと空調保持の為の半自動ドア開閉スイッチが
設けられている。

主制御装置は抵抗制御でブレーキは抑速ブレーキ付き発電ブレーキ併用
電磁直通ブレーキである。
台車は軸箱支持がペデスタル式のダイレクトマウント式空気バネ台車で
モーターの駆動方式は中空軸平行カルダン駆動方式である。
これらの基本的な走行機器の変更は無い。
運転台はツーハンドルでデッドマン装置、ドア開閉装置、自動放送装置設置などの
ワンマン対応改造を実施している。

運用は有料急行「秩父路」やその他の臨時急行列車など急行列車専用である。
シーズンによって「秩父夜祭号」、「芝桜号」など列車名を変えることがあり、
その場合は正面のLED表示器で該当列車名を表示していたが、如何せん
視認しづらいため、平成19年以降はヘッドマークを表示器の上に被せるようにして
掲示するようになった。

長野電鉄 3500系・3600系電車

2011-07-01 23:57:08 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
長野オリンピックを前に老朽化した2500系電車(旧東急5000系)の置き換えのために
営団(→東京メトロ)日比谷線で運用していた3000形電車を譲り受けたものである。
平成5年~平成9年にかけて2両編成×15本=30両、3両編成×3本=9両の39両を譲り受け、
うち2両編成×14本、3両編成×3本の37両が就役した(2両は部品供給用で後に1両が
事故で損傷した車両の代替で就役)。

■帝都高速度交通営団3000系電車の概略

日比谷線の開業用に登場した営団で初めての架空線集電の電車である。
昭和37年~昭和46年にかけて8両編成×38本=304両(8連貫通×37本・4連×2重連1本)
と事故代替の1両の計305両が製造された。
製造を担当したメーカーは汽車会社、日本車輛、東急車輛、川崎車輛、近畿車輛、
日立製作所である。
構成形式は以下の通り。
3000形:制御電動車。奇数車は中目黒側、偶数車が北千住側に運転台を有する。
 集電装置は奇数・偶数どちらにも搭載され、奇数車は主制御器、偶数車は
 補助電源装置とエアコンプレッサーを持つ。8連貫通編成の1・8号車、4連×2の
 重連編成の1・4・5・8号車に連結。
4000形:4連化の際に登場した中間電動車。集電装置は無い。床下機器の違いは
 3000形と同じ構成で奇数号車と偶数号車で分けられている。
 8連貫通編成の2・7号車、4連×2の重連編成の2・3・6・7号車に連結(4連時は2・3号車)。
4500形:6連化の際に登場した中間電動車。奇数号車に集電装置と主制御装置、
 偶数号車にエアコンプレッサーと補助電源装置を搭載。
 8連化の際、4両が3500形に改造された他、4576号車は東武線内の事故で大破し、
 同じ番号で作り直している。
 8連貫通編成で3・6号車に連結(6連時は3・4号車)。
3500形:8連化の際に登場した中間電動車。車庫内での分割運転のため、簡易運転台を
 有する。奇数号車に集電装置と主制御装置、偶数号車にエアコンプレッサーと
 補助電源装置を搭載。3501~3504号車は4500形4533・4534・4555・4556号車からの
 改造車。
 8連貫通編成の4・5号車に連結される。

車体はフレームを普通鋼鉄、外板をステンレスとしたセミステンレス製となっている。
正面部分は当初、副都心線10000系のような強い曲面を描いたスタイルが
計画されたが、ステンレスでの加工が難しいため、端の部分を曲面としたものと
なった。
また、正面下部にはスカートが設けられ、連結器も格納型としたが、運用上の
問題から、撤去されて連結器も通常の連結器を装備している。
運転台の窓は曲面ガラスを用いたパノラミックウィンドウを採用している。
塗装はされておらず、ステンレス地肌の銀色一色である。
行き先表示は正面のみで字幕式である。

車内はロングシートで吊り手には東京地下鉄道以来の伝統であるリコ式吊り手を
採用していたが、昭和43年製の車両から通常の吊革に変更され、それ以前の編成も
改修されている。
冷房については搭載せず、ファンデリア、または首振り扇風機が装備されている。
ドアは片側3箇所、両引き戸で当初は通常の長方形の窓となっていたが、最終増備の
3500形から小窓となり、これも後の更新で他の車両に波及している。

主制御装置は抵抗制御で超多段制御装置を用い、加速や減速のみならず、加速から
惰性運転に切り替えるときも殆ど衝撃が発生しない多段減流が可能で乗り心地の
向上が図られている。
その反面、機器の構成が複雑となり、保守には多くの手間がかかることになった。
ブレーキは発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキで上記の多段制御器の効果で停車
直前まで発電ブレーキの使用が可能であった。
台車は軸箱支持をアルストム式(リンク式)としたダイレクトマウント式、または
ミンデンドイツ式とした揺れ枕式の空気バネ台車で後にSUミンデン・揺れ枕式に
更新ものもある。
モーターの駆動方式はWN駆動である。
集電装置はパンタグラフで地下鉄線内の剛体架線と通常の架線に対応したものと
している。
運転台はツーハンドルで日本の鉄道車両で初めてATC対応としたほか、3035号・3036号、
及び3073・3074号はATO運転対応車となり、南北線でのワンマン運転への礎となった。

ひじょうに優秀な車両であり、2度の更新改造を実施したが、老朽化のため、
昭和63年より廃車が始まり、平成6年までに全車が引退している。

■長野電鉄での概略
形式は2連のものを3500系、3連のものを3600系とした。
また、運用線区別にアルファベットと車番で以下の様に区別されて編成を組む。
N編成(長野線用2連車):モハ3500形+モハ3510形×8本 →長野
L編成(長野線用3連車):クハ3650形+モハ3600形+モハ3610形×3本 →長野
O編成(木島・屋代線用ワンマン車2連):モハ3520形+モハ3530形×6本 →屋代

各編成別の新旧車番対比は以下の通りである(編成番号:長野車号←営団車号)。
N編成
N1:3501+3511←3001+3002 N2:3502+3512←3043+3044
N3:3503+3513←3049+3050 N4:3504+3514←3059+3060
N5:3505+3515←3061+3062 N6:3606+3616←3065+3066
N7:3507+3517←3051+3052 N8:3508+3518←3039+3040

O編成
O1:3521+3531←3031+3032 O2:3522+3532←3037+3038
O3:3523+3533←3041+3042 O4:3524+3534←3077(※)+3046
O5:3525+3526←3057+3058 O6:3526+3536←3075+3076
(※)3524号車は初代が旧3045号車であったが事故で車体を損傷し、部品取り車だった
 旧3077号車に差し替えられた。

L編成
L1:3651+3601+3611←3053+3523+3054
L2:3652+3602+3612←3055+3571+3056
L3:3653+3603+3613←3067+3527+3068

車体については導入にあたり、警戒色として赤帯を正面から側面の窓下と側面窓上に
追加したのと旧偶数号車のパンタグラフを撤去した以外、外観に大きな変更は無い。

客室についても特に手を加えられておらず、座席配置はロングシートのまま、
側面窓も2段上昇式、カーテン代わりの遮光板、営団時代の更新改造による違いも
そのままである。
O編成では車内清算式ワンマン運転に対応するため、整理券発券機や運賃表、
運賃箱の設置、車内監視カメラの設置が行われた。
N編成とL編成でも平成12年の長野線ワンマン化にあわせて改造を実施したが、
駅で運賃を収受する方式であるため、運転台周り以外の改造は行っていない。
冷房については当初は搭載していなかったが、平成13年より京成電鉄より譲り受けた
冷房装置により、冷房化をN3~N8編成とL編成全車に実施している。
この冷房搭載に伴い補助電源装置を営団5000系冷房改造車で使用していたものに
交換している。
また、冬季の防寒対策としてドアレールヒーターの設置や暖房の強化を行っている。
主制御装置については変更を実施していないが、長野線信州中野~湯田中間での
連続急勾配に対応するため、抵抗器を増設している。
L編成については湯田中側先頭車を電装解除している。
台車については全車SUミンデン・揺れ枕式のものに統一された。

運用区間は長電全線で既述の通り、N編成とL編成が長野線、O編成が木島線と
屋代線で運用された。
N編成は輸送力確保のため、朝ラッシュ時に2本繋いだ4連で運用されたこともある。
平成14年に木島線廃線で一部が余剰となり運用を離脱した他、平成17年以降は
大型車体で輸送力の大きい8500系(元東急8500系)との置き換えが開始され、
N編成の非冷房車とL編成でも廃車が発生した。
N編成の重連運用なども消滅したが、8500系が信州中野~湯田中間に乗り入れることが
できないことや1000系「ゆけむり」の代走でL編成が特急運用に就くなど見せ場も
残されている。
O編成は実質的に屋代線専用となったが、無人駅の多い長野線信州中野~湯田中間の
ワンマン化のため、同区間の往復列車でも使用されている(N編成・L編成の場合は
車掌が乗務して改札を行う)。
平成22年現在、N編成×5本、L編成×1本、O編成×4本が残る。
なお、廃車となった車両のうちN1編成は平成19年に東京メトロに買い戻され、
同社綾瀬工場にて営団時代の姿に復元され、動態保存されている。


○3500系N編成2連。この編成は冷房化を受けている。


○特急運用に就く3600系L編成。この時は「ゆけむり」の窓に亀裂が見つかり、
 急遽運用に就いたもの。行き先は湯田中だが、須坂で2000系と車両交換した。
 現在はL2編成のみが残る。


○須坂で折り返しを待つO編成。行先表示に「ワンマン」が入るのが特徴。


○須坂の車庫に留置されるO編成。字幕が故障していたのか即席の行き先札を
 掲げている。
 屋代線は廃線が予定されており、O編成は信州中野~湯田中間折り返し運用に
 残るだけとなる模様。


○同じく須坂駅で倉庫になっていたL1編成。
 これは電装を解除したクハ3651号車。


○本形式の中間電動車であるL1編成モハ3600形3601号車。
 ドア間の窓で遮光板が降りているのが分かる。


○長野側制御電動車のL1編成モハ3610形3611号車。
 冷房がついた以外、変化は少ない。


○N編成車内。写真には写ってないが冷房車。冷房はファンデリア車、扇風機車の
 区別無く搭載されている。


○O編成車内。乗務員室の扉が開けられ、運賃箱と運賃表、整理券発券機があるのが
 わかる。この写真では分かりづらいが扇風機には営団の旧団章「S」マークが
 現在も残る。


○運転台。写真はO編成のもの。


○台車。


○L1編成の前に須坂駅で倉庫として留置されてたN2編成とO4編成(奥)。
 写真の時点で既に除籍されており、車番プレートは外されている。
 O4編成は2度も踏切事故に見舞われ、車体側面に大きく傷を残したまま
 留置されていた。
 また、損傷した正面ガラスなどを覆うように鉄板が被せられ、なんとも不気味な
 姿を晒していた。