曇りから晴れ。32-27℃
朝の新聞広告の中に、県警から巧妙化する詐欺への注意喚起が入っていた…。
うむうむ、なかなかの画力ぢゃね?
ぎぁああ、被害額31億1千万にすすり泣く…。
午前中は歯科医院へ。
三か月に一回の歯科検診は、唯一のこだわりというべきか、
自分の唯一のおしゃれだと思っている。
帰りに、強制給餌にもいささか疲れたので、こんなものを。
結構喜んでくれている模様。
考えてみると、猫を保護しだして、
きりなく不幸な猫はいるので、自分の物なんて買う余裕がない。
医療費のかかる事。
寄付を募らない私の友人達は、皆同じであるからにして、友人がいる限り苦痛ではない。
唯一、諭吉少々で始めた音楽が、今の私の喜びである。
スミマセン師匠、一向に進歩ナシですm(_ _"m)
そして、帰宅するついでにコミュニティでのチラシ探し。
市の無料コンサートを行けたら行く事、
そういう事すらも、もはや自分には別世界のようで、遠ざかっていたのだった…。
様々な苦い事を経験し、固く心が閉ざされていた。
自分の好きな事や思いなんか、大事な事は決してしゃべるまいと。
それは思春期あたりから親であろうと、誰にもだった。(今でもリアルではそうである。)
夕方になって、
西洋ニンジンボクの間を、器用にホバリングしているスズメガを発見した。
逆光だが、ホシホウジャク(星蜂雀:Macroglossum pyrrhosticta )であろう。
ふと、それから、2つの小説が記憶の中からよみがえったのだった…。
ヘルマン・ヘッセ少年の日の思い出と、
北杜夫の書いたエッセイを。
「少年の日の思い出」のあらすじウィキより。
子供が寝静まる頃、私は蝶集めを始めたことを客に自慢する。客の申し出を受け、私はワモンキシタバの標本を見せる。客は少年時代の思い出をそそられ、少年時代は熱心な収集家だったことを述べる。が、言葉と裏腹に思い出そのものが不愉快であるかのように標本の蓋を閉じる。客は非礼を詫びつつ、「自分で思い出を穢してしまった」ことを告白する…。
僕(客)は仲間の影響で蝶集めを8・9歳の頃に始め、1年後には夢中になっていた。その当時の熱情は今になっても感じられ、微妙な喜びと激しい欲望の入り混じった気持ちは、その後の人生の中でも数少ないものだった。
両親は立派な標本箱を用意してくれなかったので、ボール紙の箱に保存していたが、立派な標本箱を持つ仲間に見せるのは気が引けた。そんなある日、僕は珍しいコムラサキを捕らえ、標本にした。この時ばかりは見せびらかしたくなり、中庭の向こうに住んでいる先生の息子エーミールに見せようと考えた。エーミールは「非の打ちどころがない」模範少年で、標本は美しく整えられ、破損した翅を膠で復元する高等技術を持っていた。僕はそんな彼を嘆賞しながらも、気味悪く、妬ましく、「悪徳」を持つ存在として憎んでいた。エーミールはコムラサキの希少性は認めたものの、展翅技術の甘さや脚の欠損を指摘し、「せいぜい20ペニヒ程度」と酷評したため、僕は二度と彼に獲物を見せる気を失った。
僕の熱情が絶頂期にあった2年後、エーミールが貴重なクジャクヤママユの繭を手に入れ、羽化させたという噂が立った。本の挿絵でしか出会ったことのないクジャクヤママユは、熱烈に欲しい蝶であった。エーミールが公開するのを待ちきれない僕は、一目見たさにエーミールを訪ねる。留守の部屋に忍び込み、展翅板の上に発見する。展翅板からはずし、大きな満足感に満たされて持ち出そうとした。部屋を出たのち、近づくメイドの足音に我に帰った僕は、思わず蝶をポケットにねじ込む。罪の意識にさいなまれ、引き返して元に戻そうとしたが、ポケットの中で潰れていることに気づき、泣かんばかりに絶望する。
逃げ帰った僕は母に告白する。母は僕の苦しみを察し、謝罪と弁償を提案する。エーミールに通じないと確信する僕は気乗りしなかったが、母に促されてエーミールを訪ねる。エーミールが必死の復元作業を試み、徒労に終わっていることを眼前にしながら、僕はありのままを告白する。エーミールは舌打ちし、「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」と皮肉を呟く。僕は弁償としておもちゃや標本をすべて譲ることを提案するが、エーミールは「結構だよ。僕は、君の集めたやつはもう知ってる。 そのうえ、今日また、君がちょうをどんなに取りあつかっているか、ということを見ることができたさ。」と冷淡に拒絶した。収集家のプライドを打ち砕かれた僕は、飛び掛りたい衝動を押しとどめて途方に暮れながら軽蔑の視線に耐えた。
一度起きたことは償いのできないことを悟った僕を、母が構わずにおいたことが救いだった。僕は収集との決別を込めて、標本を一つ一つ、指で粉々に押し潰した。
さて、問題は北杜夫の作品の方である。
スズメガの話からだと思うのだが、確か有名な外国の詩だと言われて「蛾 ビュッと飛んだ」の短さから、
奇跡的に元の詩に行きつくのである。
伝言ゲームの逆というか。
スペインの詩人の作(ロルカ?)だったのではなかったっけ?
本を処分してしまって、ああ思いだせない、どなたかお分かりの方、教えてクレメンス。
私はオオスカシバなどのスズメガが大好きで、
ホバリングを観ていると虫より鳥のハチドリを連想する。
今は無い故郷でも、蛾ゆえに夕方になると、
白く浮かび上がり、強く香るクチナシの花に沢山集まってきたのを思い出した…。
久しぶりの蛾のホバリングが見物出来て、子供の頃の幸福に包まれる。
夕方、チラシの方も再び読み返すと、、、
カルメンって世界中で愛されているなぁ。
「大人になってから弦楽器を始めたメンバーにより構成」の文字に、更に幸福な気持ちになった…。
(幾つになっても、自分の気持ちに気が付いた時点でチャレンジし続ける。)
結局のところ、動植物への愛や、
カラカラに干上がっていた芸術、美しいものものへ憧れは尽きない。
朝の新聞広告の中に、県警から巧妙化する詐欺への注意喚起が入っていた…。
うむうむ、なかなかの画力ぢゃね?
ぎぁああ、被害額31億1千万にすすり泣く…。
午前中は歯科医院へ。
三か月に一回の歯科検診は、唯一のこだわりというべきか、
自分の唯一のおしゃれだと思っている。
帰りに、強制給餌にもいささか疲れたので、こんなものを。
結構喜んでくれている模様。
考えてみると、猫を保護しだして、
きりなく不幸な猫はいるので、自分の物なんて買う余裕がない。
医療費のかかる事。
寄付を募らない私の友人達は、皆同じであるからにして、友人がいる限り苦痛ではない。
唯一、諭吉少々で始めた音楽が、今の私の喜びである。
スミマセン師匠、一向に進歩ナシですm(_ _"m)
そして、帰宅するついでにコミュニティでのチラシ探し。
市の無料コンサートを行けたら行く事、
そういう事すらも、もはや自分には別世界のようで、遠ざかっていたのだった…。
様々な苦い事を経験し、固く心が閉ざされていた。
自分の好きな事や思いなんか、大事な事は決してしゃべるまいと。
それは思春期あたりから親であろうと、誰にもだった。(今でもリアルではそうである。)
夕方になって、
西洋ニンジンボクの間を、器用にホバリングしているスズメガを発見した。
逆光だが、ホシホウジャク(星蜂雀:Macroglossum pyrrhosticta )であろう。
ふと、それから、2つの小説が記憶の中からよみがえったのだった…。
ヘルマン・ヘッセ少年の日の思い出と、
北杜夫の書いたエッセイを。
「少年の日の思い出」のあらすじウィキより。
子供が寝静まる頃、私は蝶集めを始めたことを客に自慢する。客の申し出を受け、私はワモンキシタバの標本を見せる。客は少年時代の思い出をそそられ、少年時代は熱心な収集家だったことを述べる。が、言葉と裏腹に思い出そのものが不愉快であるかのように標本の蓋を閉じる。客は非礼を詫びつつ、「自分で思い出を穢してしまった」ことを告白する…。
僕(客)は仲間の影響で蝶集めを8・9歳の頃に始め、1年後には夢中になっていた。その当時の熱情は今になっても感じられ、微妙な喜びと激しい欲望の入り混じった気持ちは、その後の人生の中でも数少ないものだった。
両親は立派な標本箱を用意してくれなかったので、ボール紙の箱に保存していたが、立派な標本箱を持つ仲間に見せるのは気が引けた。そんなある日、僕は珍しいコムラサキを捕らえ、標本にした。この時ばかりは見せびらかしたくなり、中庭の向こうに住んでいる先生の息子エーミールに見せようと考えた。エーミールは「非の打ちどころがない」模範少年で、標本は美しく整えられ、破損した翅を膠で復元する高等技術を持っていた。僕はそんな彼を嘆賞しながらも、気味悪く、妬ましく、「悪徳」を持つ存在として憎んでいた。エーミールはコムラサキの希少性は認めたものの、展翅技術の甘さや脚の欠損を指摘し、「せいぜい20ペニヒ程度」と酷評したため、僕は二度と彼に獲物を見せる気を失った。
僕の熱情が絶頂期にあった2年後、エーミールが貴重なクジャクヤママユの繭を手に入れ、羽化させたという噂が立った。本の挿絵でしか出会ったことのないクジャクヤママユは、熱烈に欲しい蝶であった。エーミールが公開するのを待ちきれない僕は、一目見たさにエーミールを訪ねる。留守の部屋に忍び込み、展翅板の上に発見する。展翅板からはずし、大きな満足感に満たされて持ち出そうとした。部屋を出たのち、近づくメイドの足音に我に帰った僕は、思わず蝶をポケットにねじ込む。罪の意識にさいなまれ、引き返して元に戻そうとしたが、ポケットの中で潰れていることに気づき、泣かんばかりに絶望する。
逃げ帰った僕は母に告白する。母は僕の苦しみを察し、謝罪と弁償を提案する。エーミールに通じないと確信する僕は気乗りしなかったが、母に促されてエーミールを訪ねる。エーミールが必死の復元作業を試み、徒労に終わっていることを眼前にしながら、僕はありのままを告白する。エーミールは舌打ちし、「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」と皮肉を呟く。僕は弁償としておもちゃや標本をすべて譲ることを提案するが、エーミールは「結構だよ。僕は、君の集めたやつはもう知ってる。 そのうえ、今日また、君がちょうをどんなに取りあつかっているか、ということを見ることができたさ。」と冷淡に拒絶した。収集家のプライドを打ち砕かれた僕は、飛び掛りたい衝動を押しとどめて途方に暮れながら軽蔑の視線に耐えた。
一度起きたことは償いのできないことを悟った僕を、母が構わずにおいたことが救いだった。僕は収集との決別を込めて、標本を一つ一つ、指で粉々に押し潰した。
さて、問題は北杜夫の作品の方である。
スズメガの話からだと思うのだが、確か有名な外国の詩だと言われて「蛾 ビュッと飛んだ」の短さから、
奇跡的に元の詩に行きつくのである。
伝言ゲームの逆というか。
スペインの詩人の作(ロルカ?)だったのではなかったっけ?
本を処分してしまって、ああ思いだせない、どなたかお分かりの方、教えてクレメンス。
私はオオスカシバなどのスズメガが大好きで、
ホバリングを観ていると虫より鳥のハチドリを連想する。
今は無い故郷でも、蛾ゆえに夕方になると、
白く浮かび上がり、強く香るクチナシの花に沢山集まってきたのを思い出した…。
久しぶりの蛾のホバリングが見物出来て、子供の頃の幸福に包まれる。
夕方、チラシの方も再び読み返すと、、、
カルメンって世界中で愛されているなぁ。
「大人になってから弦楽器を始めたメンバーにより構成」の文字に、更に幸福な気持ちになった…。
(幾つになっても、自分の気持ちに気が付いた時点でチャレンジし続ける。)
結局のところ、動植物への愛や、
カラカラに干上がっていた芸術、美しいものものへ憧れは尽きない。