快晴。32-27℃
今回の水害の被災地の一日も早い復興を祈っております。体だけではない、心の疲労も心配です。そして、この大雨は本州にも来ると予報が入っている。
母の命日である。母は2011年8月29日午後12時5分に息を引き取った。
https://blog.goo.ne.jp/miyakuraiyumi/e/dfe04f86c38de997e7e9bb2e3ed42268
私はその一月後(2011・9・29)からブログを再開し、怒涛の如く、母の最期を書いている、ブログを書いて思うのは一応、記憶のタイムカプセルにはなっている事である。
多分、書いていないが、母の死亡時と一日ずれて叔母も亡くなったし、一月後も伯母も亡くなり、という風に、今日までに身近な人物がバタバタ亡くなり、脳死状態もいる(死因は一人は窒息、残りは全員末期癌という)この時よりさらに、私を取り巻く環境は激変している。今現在、直接交流する親戚は、ほんの数人になったのだった。
そして、母は亡くなる時に「自分=母から解放されて、娘=この私は幸せになるであろう」と周囲に言っていたそうだが、全然、以前にもまして、痴呆の父も来て過酷な案件がある上に、メンタルが幸せでない事は確かである。(もう、あの頃のようには頑張れないし、私が認める何人かを除いては、何を聞いても「皆、お気楽だな」と、私は心では思っている。)
母の死の直後は、解放されるどころか、不動産や成年後見人制度、ヘルパーの詐欺事件と裁判で、後始末を含め、死にたい日々が続いた、少し解放されたのは実家や不動産全てを売却出来て、父の預金に入れた数年後のこと、しかもまだ痴呆の父がいる限り、死ぬわけにもいかない。全てに解放されたわけでもない。
思えば私が人生で幸せだった頃は、30歳の誕生日だった、と言っても、両親が暗い影を落としていたが。一度は自業自得でwどん底だったのだが、這いあがった時期だった。まだまだ希望に満ちており、職場から花束もいただいた。それ以降が余り計画通りに行っていないが、まだ普通か。12年後には癌だし。
そこら辺から、次々と病気のオンパレード、体が思うように動けなくなっていく。
肉親が大量に亡くなった時に、何かに気をそらして無にしようと編み物のテキストを申し込んだのに、している暇が無かった。リウマチもどんどん悪化していき、痛みで寝られない日が続いた。後悔したくないと、やり残したことをやることにした。
庭は母の死後、狂ったように庭をいじっていた、その時の林檎やオリーブが今、手に負えないほど大きくなっている。だけど、リウマチで体は痛い、剪定が辛いし、木は植えれば、自分で成長していくわけで、この私自身が何かが身につき成長するのかというと、そうではないのが悲しかった。
また庭が広いわけではない、庭というものは、条件が限られる。
今も痛いのだが、2017年、あるきっかけから、あれれと大学時代以来封印した音楽を思い出した、復活して良かったと思う。楽器は好きなものならなんでもいいと思う、私はピアノやサックスも好きである。本当にこれで悔いが無い。
動物はどんなに好きでも、私の健康上、年齢上、これから先は飼えないと、先が見えてきたのもある。
12時5分、青空に向かって黙祷した。
結局、一日一日、母の亡くなった年齢に近づいていっている、「人生は一度きり」そうも、言っていた、彼女自身、死期が迫った時に後悔して亡くなったが、私は7年は固まったままだったし、今も悩みは尽きない。
だけどいつかは、この葛藤も終わる、みんな地上から消えるのだ。だから、その日まで何とか頑張って生きていくしかあるまい。
さてっ、蛇足なことですがぁああ、 、、
今、隣国との関係で、ニュースがバンバン入ってくるじゃあああないですか、昨日、大雨のニュースの途中で見てしまった政治の方のニュース、へ?と思わず読んだ。(勿論、某巨大掲示板はパロディのように大喜びしていた。)
※「失望のメッセージ自制して」韓国、米大使に伝える
韓国外交省の趙世暎(チョセヨン)・第1次官は28日、ハリス駐韓米国大使を同省に呼び、日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA(ジーソミア))の破棄を韓国が通告したことをはじめ、日韓や米韓関係について協議を行った。米国の大使を呼んで協議をするのは異例だ。
同省によると、趙氏は、協定破棄は日韓関係の文脈で決めたものだと主張。「韓米同盟と関係なく、今後も米国と緊密に協調し、韓米日の安保協力を維持する」と語った。
協定維持を求めてきた米国は、韓国の破棄の判断に「失望」を表明している。韓国外交省の関係者は「米側には十分に説明したが、それにもかかわらず失望などの表現を公の場で繰り返すのは、韓米同盟強化の一助にならない。このようなメッセージは自制してほしいと、協議で趙氏はハリス氏に伝えた」と語った。(ソウル=神谷毅)
https://news.goo.ne.jp/article/asahi/world/ASM8X6FPSM8XUHBI028.html
そこで右も左も無い(わからぬとも言う)私が、いきなり思い出したのが、、、これでした。。。_| ̄|○
「徒然草で榎木僧正(えのきのそうじょう)学校で習ったなー」と、確か教訓で。
人の口に戸は立てられぬ
人間、人からどう呼ばれようが、大切なのは中身
折角思い出したので、、、復習してみよう、そうしよう!
※徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋訳)より抜粋
徒然草 第四十五段
現代語訳
藤原公世、従二位の兄さんで良覚僧正とか言った人は、大変へそ曲がりだったそうだ。
彼の寺には大きな榎の木があったので、近所の人は「榎木の僧正」と呼んでいた。僧正は、「変なあだ名を付けやがって、ふざけるな」と怒って、その榎の木を伐採した。そして、切り株が残ったので「きりくいの僧正」とあだ名を付けられた。すると僧正はますます逆上して、今度は切り株までも掘りおこした。そして大きな堀ができた。その後、僧正は「堀池の僧正」になった。
原文
公世(きんよ)の二位(にゐ)のせうとに、良覚僧正(りやうがくそうじやう)と聞えしは、極(きは)めて腹あしき人なりけり。
坊(ぼう)の傍(かたはら)に、大きなる榎(え)の木のありければ、人、「榎木僧正(えのきのそうじやう)」とぞ言ひける。この名然るべからずとて、かの木を伐(き)られにけり。その根のありければ、「きりくひの僧正」と言ひけり。いよいよ腹立ちて、きりくひを堀り捨てたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池(ほりけ)僧正」とぞ言ひける。
※日本古典パロディ様より抜粋
http://www.gran-fenix.com/fun/koten/index.htm
四十五 | 公世(きんよ)の二位の兄人(せうと)に、良覚(りゃうがく)僧正と聞こえしは、極めて腹あしき人なりけり。 坊の傍らに、大きなる榎(え)の木のありければ、人、「榎木僧正(えのきのそうじゃう)」とぞ言ひける。 この名然るべからずとて、かの木を切られにけり。その根のありければ、「切りくひの僧正」と言ひけり。 いよいよ腹立ちて、きりくひを掘り捨てたりければ、その跡大きなる堀にてありければ、「堀池僧正」とぞ言ひける。 | 公世の二位の兄人に、良覚僧正と聞こえしは、極めて腹あしきオタクなりけり。 坊の傍らに、綾波レイのフィギュアのありければ、人、「エヴァンゲリオンオタク」とぞ言ひける。 この名然るべからずとて、かのフィギュアを捨てられにけり。その箱より月野うさぎフィギュアのパンフの出でければ、「セーラームーンオタク」と言ひけり。 いよいよ腹立ちて、パンフを破り捨てたりければ、その内よりナウシカの原画注文書の出でければ、「ナウシカオタク」とぞ言ひける。
★まあ、オタクはどこまでもオタク、と・・・。でも、ナウシカとセーラームーンを同格に考えてよかったかなぁ?? |
👆これに、何の教訓があるのかは謎。
スミマセン。
やはり私には、政治問題は語れない、無理ですm(_ _"m)
【中国の非人道的な圧政を訴える署名に参加しよう!香港デモの記事👇】
https://blog.goo.ne.jp/miyakuraiyumi/e/f7ccc5043daf9b4c2897220984ad9ee7