小布施から諏訪湖に向かう途中から、台風の影響で雨脚が強くなった。
車から見える諏訪湖も、アスファルトと同じ灰色でさえない、残念である。
諏訪湖畔は、昔はカメラ、時計などの精密機械工場が立ち並ぶと習ったものである。


御柱祭も有名だけども、
諏訪の上社と下社を結ぶという、冬の御神渡りという自然現象も有名だ。
観たことはないけれど。
車が岡谷市に入った時に、
私は諏訪湖畔は、岡谷は製糸工場が盛んだったこと、
「ああ野麦峠」や「女工哀史」などを旦那に言うけれど、
旦那は何それ?である。
そこで,群馬の世界遺産「富岡製糸場」には行ったので、
「残っていないけれど、あのような生糸を作る工場が一杯あったんだよ」と説明。
富岡製糸場は持ち主が「売らない、貸さない、壊さない」で工場を維持してくれて、
世界遺産になったのだと。
その話をしていると、本当に偶然に、、、
富岡製糸場を守った一族の素晴らしい建物が見えたのだ。


廃業した富岡製糸場を18年間(年間一億を投じて)守り続けた、
片倉財閥の片倉館に、この旅であたろうとは思わなかった…。
不思議な煙突が諏訪湖畔の道沿いに見えて、あれなんだろう?

なんて素敵な建物なんだろうと、車を入れてみたのだった。



近づいて建物全部が諏訪市立美術館なのだと思った。

こちらも素敵だ、
が、何だか違う?



雨の中、車を降りて、素晴らしい建物に近づく。

この池が大きい上に素晴らしかった。

完全なる和洋折衷、浮島が日本風で、淵のタイルと円形が西洋、中には小赤が数匹。

この入り口から、のこのこと入ると、
ここは、
岡谷でシルクエンペラーと称された二代目片倉兼太郎の、
1928年に立てた文化福祉施設の大浴場と知る、
そして、今なら最終の見学ツアーに間に合うと聞かされ、
事務所に猛ダッシュ!、500円払い間に合ったのである、ラッキー!!
そして、普通に入浴しにくるお客様の間を縫って、
素晴らしい建物を案内されることになった。

ぞろぞろぞろ。
さて、館内は撮影し放題でいいよと、お言葉に甘えて一杯撮った、
こんな素晴らしい建物はないと思う、
しかし、室内風景は個人で楽しむだけ、スナップ写真がかろうじてヨシなので、
さわりのツアーの行列のみ載せます。
岡谷が本拠地の片倉財閥であったが、
ここに湯治場なのは、岡谷では温泉が出ないから、諏訪に保養所をとなったそうな。
沼地でぶよぶよなので何千という松脂で腐らないだろうと、
アカマツの丸太の杭を打ち建物をのっける、
ああ、中州に杭を打ったという、
まるでベネチアの建設のようじゃあ、あーりませんかぁ。
ステージ前の格天井、電気配線の見えない工夫、上げ下げ窓のストッパーの錘、
スレート瓦の模様、屋久杉使い放題、
もう萌えどころが一杯。
総工費当時の80万は現在の数十億円!
建物面積3080坪、220畳の大広間は圧巻でした。

ああ、撮ったランプや柱時計、数々の素晴らしいものに溢れた室内を載せたい、
皆さま国重要指定文化財「片倉館」近代産業遺産で検索をっ。
この建物も保存してほしいが、グンマ―の富岡製糸工場も保存してくれてありがとう。
片倉家。
で、最後にこれならいいだろうと、、、
何とここはテルマエロマエの撮影地だったんですよ。
え、


ええええ、

古代ローマ人もビックリの作りの良さ。
日本でもローマ。
タイムスリップした古代ローマ人が日本の風呂をみて、
古代ローマ風呂を建築するという。
なお、今週、この我々の話を聞いた千葉県人が、片倉館千人風呂に行くそうです。
よろしゅう。
さて、
真っ暗な中、更に旦那は諏訪大社をあきらめないで目指す。
パワースポットだか、心霊スポットだか、もはやーわからん。




土俵が見えた。




台風の影響で雨だし、夕方だしで、人っ子一人いない、
ここでUターンして今度にしようと説得、
道は渋滞していて、上だ、下だとナビを駆使して帰路に
、
東京タワーが見えてきた時はホッとする。


そして、東京湾を渡り、チーバへ。
さらに、ホッとする。



戦利品のリンゴ。

歳をとったら、送ってもらった方が速いし、安上りだろう、
(今でもだが)
人生は短いのだ、
出歩けるのも、今だけの楽しみである。
ノロノロ書いていてすみません…。
車から見える諏訪湖も、アスファルトと同じ灰色でさえない、残念である。
諏訪湖畔は、昔はカメラ、時計などの精密機械工場が立ち並ぶと習ったものである。


御柱祭も有名だけども、
諏訪の上社と下社を結ぶという、冬の御神渡りという自然現象も有名だ。
観たことはないけれど。
車が岡谷市に入った時に、
私は諏訪湖畔は、岡谷は製糸工場が盛んだったこと、
「ああ野麦峠」や「女工哀史」などを旦那に言うけれど、
旦那は何それ?である。
そこで,群馬の世界遺産「富岡製糸場」には行ったので、
「残っていないけれど、あのような生糸を作る工場が一杯あったんだよ」と説明。
富岡製糸場は持ち主が「売らない、貸さない、壊さない」で工場を維持してくれて、
世界遺産になったのだと。
その話をしていると、本当に偶然に、、、
富岡製糸場を守った一族の素晴らしい建物が見えたのだ。


廃業した富岡製糸場を18年間(年間一億を投じて)守り続けた、
片倉財閥の片倉館に、この旅であたろうとは思わなかった…。
不思議な煙突が諏訪湖畔の道沿いに見えて、あれなんだろう?

なんて素敵な建物なんだろうと、車を入れてみたのだった。



近づいて建物全部が諏訪市立美術館なのだと思った。

こちらも素敵だ、
が、何だか違う?



雨の中、車を降りて、素晴らしい建物に近づく。

この池が大きい上に素晴らしかった。

完全なる和洋折衷、浮島が日本風で、淵のタイルと円形が西洋、中には小赤が数匹。

この入り口から、のこのこと入ると、
ここは、
岡谷でシルクエンペラーと称された二代目片倉兼太郎の、
1928年に立てた文化福祉施設の大浴場と知る、
そして、今なら最終の見学ツアーに間に合うと聞かされ、
事務所に猛ダッシュ!、500円払い間に合ったのである、ラッキー!!
そして、普通に入浴しにくるお客様の間を縫って、
素晴らしい建物を案内されることになった。

ぞろぞろぞろ。
さて、館内は撮影し放題でいいよと、お言葉に甘えて一杯撮った、
こんな素晴らしい建物はないと思う、
しかし、室内風景は個人で楽しむだけ、スナップ写真がかろうじてヨシなので、
さわりのツアーの行列のみ載せます。
岡谷が本拠地の片倉財閥であったが、
ここに湯治場なのは、岡谷では温泉が出ないから、諏訪に保養所をとなったそうな。
沼地でぶよぶよなので何千という松脂で腐らないだろうと、
アカマツの丸太の杭を打ち建物をのっける、
ああ、中州に杭を打ったという、
まるでベネチアの建設のようじゃあ、あーりませんかぁ。
ステージ前の格天井、電気配線の見えない工夫、上げ下げ窓のストッパーの錘、
スレート瓦の模様、屋久杉使い放題、
もう萌えどころが一杯。
総工費当時の80万は現在の数十億円!
建物面積3080坪、220畳の大広間は圧巻でした。

ああ、撮ったランプや柱時計、数々の素晴らしいものに溢れた室内を載せたい、
皆さま国重要指定文化財「片倉館」近代産業遺産で検索をっ。
この建物も保存してほしいが、グンマ―の富岡製糸工場も保存してくれてありがとう。
片倉家。
で、最後にこれならいいだろうと、、、
何とここはテルマエロマエの撮影地だったんですよ。
え、


ええええ、

古代ローマ人もビックリの作りの良さ。
日本でもローマ。
タイムスリップした古代ローマ人が日本の風呂をみて、
古代ローマ風呂を建築するという。
なお、今週、この我々の話を聞いた千葉県人が、片倉館千人風呂に行くそうです。
よろしゅう。
さて、
真っ暗な中、更に旦那は諏訪大社をあきらめないで目指す。
パワースポットだか、心霊スポットだか、もはやーわからん。




土俵が見えた。




台風の影響で雨だし、夕方だしで、人っ子一人いない、
ここでUターンして今度にしようと説得、
道は渋滞していて、上だ、下だとナビを駆使して帰路に
、
東京タワーが見えてきた時はホッとする。


そして、東京湾を渡り、チーバへ。
さらに、ホッとする。



戦利品のリンゴ。

歳をとったら、送ってもらった方が速いし、安上りだろう、
(今でもだが)
人生は短いのだ、
出歩けるのも、今だけの楽しみである。
ノロノロ書いていてすみません…。