在日コリアン・ハンセン病問題・沖縄―平和・人権―

自分の足で訪ねた関連の地紹介
知ることは力、学んでこそ生きる。

6月2日~4日「広島・北九州・筑豊」の旅(その1:広島・北九州編)

2012年06月19日 21時16分38秒 | Weblog
6月2日、新幹線で広島へ、大阪に何度も被爆体験の証言に足を運んでくださった山岡ミチコさんを訪ねるためだった。広島市内の被爆遺跡を何度案内して貰ったか分からない。1泊2日で36ケ所も歩いて案内してくれたことが忘れられない。放射能影響研究所(旧ABCC)も山岡さんの紹介で予約もないのに職員さんがたった1人の私の為に案内して下さった。福島の問題を考える度に思い出している。感謝!今、山岡さんは話は聞いてくれるけど、そして話しかけようとしてくれるけど言葉がでない。2006年の8月6日に「広島の碑めぐりなど無事に終わったよ」と電話を貰ってその翌日に倒れられた。大阪の友人の小学生が最後の証言を聞いたことになると思う。一緒に沖縄に行こうと約束していたのにごめんなさい。実現してないのです。

軍都広島の歴史を語り、原爆を落とさせた国についてきちんと話してくれた。
講演では、高校生に「歴史を知り、判断力を持って生きなさいよ」といつも結ばれた。

「また、来ます。ありがとう」と声掛けして部屋を出ようとするとずっと目で追って見送ってくれました。涙が滲みました。

その後、広島城堀ばたにある図書館に行くと5月末に亡くなった新藤兼人監督の写真・書籍など展示されていた。、
8月6日、広島城付近も焼け野原になった。「野砲兵第五聯隊」があった場所であり、戦後バラックや戦災孤児の為の養護施設があったが現在は、基町小学校、高層の市営住宅が立ち並んでいる。
堀端に面していた養護施設も移転し広い散歩道になっていた。    

16時には博多行き「こだま号」に乗り、小倉までゆっくりの旅、小倉に着くと在来線でスペースワールド駅下車、夕方なので遊ぶ人はいないが、ゴーゴーと遊具の唸る音、その夜泊めて頂く岡添さんに電話したが電話の声が聞き取れない。やっと分かって八幡東区のお宅にタクシーで向かう。その夜は、ビールを飲み飲みおしゃべりは続いた。岡添貞子さんとは先日のハンセン病市民学会(青森)のレセプションで再会したばかりだった。
松下竜一さんからきっかけを得てハンセン病問題に関わってこられた人である。菊池楓風園との交流の深い人である。「檜の山のうたびと」(松下竜一・1974)を紹介していただき、大阪に帰ってすぐにネットで探して買った。
民衆史の立場から見ると当事者性に狂いがない。菊池事件(今はこういう)のこと、ハンセン病問題への視点にはなるほどとうなずく思いであった。「豆腐屋の四季」も買って読み始めている。
私たちが宿泊するので大掃除をされたという。申し訳ない。感謝の一言!!

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