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現行憲法の生い立ち?

2007年06月30日 16時20分21秒 | 政治・社会
9条はチャールズ・L・ケイディス氏(当時GHQ民政局次長)が書いたものであり、さらにケイディス氏は”「交戦権」の禁止について「日本側が削除を提案するよう私はずっと望んでいた”のだという。

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【緯度経度】ワシントン・古森義久 憲法の生い立ち想起(産経新聞 2007/06/30 11:36)
=== 備忘録(引用)===
 日本の国政の場での論議は、年金問題、朝鮮総連問題、慰安婦問題など、皮膚感覚としてはきつく迫る課題に追われているようだ。だが、その余波で国民が選ぶ国家のあり方の骨幹を決める憲法の問題が、ないがしろにされ始めた観がある。

 現代の国民の意識や価値観、日本を取り囲む国際情勢、そして主権国家としての本来の均衡などのいずれからみても、少なくとも再考が不可欠となってきた現憲法への前向きな取り組みが、こうした状況下で後退してしまうことは、将来に禍根を残すだろう。

 そんな思いから、わが内なる憲法再考の軌跡を改めてたどってみた。私が日本の憲法への基本的な疑念を感じるようになったのは、その憲法草案を書いたチャールズ・L・ケイディス氏に1981年4月に長時間、インタビューしたときからだった。同氏は日本を占領したGHQ(連合軍総司令部)の民政局次長だった米陸軍大佐で、法律家でもあり、1946年2月に日本の憲法を起草する実務責任者となった。

 基本方針こそ米統合参謀本部やマッカーサー総司令官から与えられたものの、ケイディス氏はかなりの自由裁量権をも得て、二十数人のスタッフを率い、わずか10日足らずのうちに、一気に日本国憲法草案を書き上げた。とくに第9条は自分自身で書いたという。

 憲法起草当時に39歳だった同氏は私が会ったときは75歳だったが、まだ元気にウォール街の法律事務所で働いていた。彼は、憲法をどのように書いたかについての私の数え切れないほどの質問に、びっくりするほどの率直さで答えた。こちらの印象を総括すれば、日本の憲法はこれほど大ざっぱに、これほど一方的に、これほどあっさりと書かれたのか、というショックだった。

 この会見当時、日本側では「憲法を見直す」というような言葉を口にしただけで、「軍国主義者」とか「保守反動」というレッテルを貼られる時代環境だった。だが、神聖なはずの日本憲法が実は若き米人幕僚たちによってあわただしく作られ、しかも日本人が作ったとして発表されていた、というのだ。だから、そのへんのからくりを正直そうに話してくれたケイディス氏の言葉は、ことさら衝撃的だったのである。

 同氏はまず第9条の核心ともされる「交戦権」の禁止について「日本側が削除を提案するよう私はずっと望んでいたのです。なぜなら『交戦権』というのが一体、なにを意味するのか私にはわからなかったからです」と述べて笑うのだった。彼は交戦権という概念が、単に戦争をする権利というよりも、交戦状態にあるときに生じるさまざまな権利ではないかというふうにいぶかっていたというのだ。

 第9条の目的についてはケイディス氏は「日本を永久に武装解除されたままにおくことです」とあっさり答えた。ところが、上司から渡された黄色い用紙には憲法の簡単な基本点として「日本は自国の安全を維持する手段としての戦争をも放棄する」と記されていた。

 だが、同氏は「この点については私は道理に合わないと思い、あえて削除しました」と語った。すべての国は自己保存の固有の自衛権利を有しており、その権利を否定すれば、国家ではなくなると判断したからだという。

 ケイディス氏はその自主的な削除を上司のコートニー・ホイットニー民政局長からは当初、反対されたが、最終的には通してしまった。

 もしケイディス氏の「一存」がなかったら、自衛隊はできなかっただろう。 

 第9条第2項の冒頭にある「前項の目的を達するため」という「芦田修正」も、ケイディス氏は「芦田氏に反対はないと告げたら、上官に協議しなくてよいのかと問われたので、その必要はないと答えました」と明かすのだった。この修正は、後に首相となる芦田均氏らが、第1項の戦争や武力の放棄は国際紛争解決の手段としてのみで、自衛は別だとするための挿入だった。

 ケイディス氏はさらに米側が憲法案を日本側首脳に受け入れさせる際、ホイットニー准将が原爆を連想させる「われわれは原子力エネルギーの起こす暖を取っている」との、原爆を連想させる表現で圧力をかけたことにも触れた。そして、ちょうど頭上をB29爆撃機が飛んでいたため、その言が日本側への威嚇の効果を発揮したことも、淡々と認めたのだった。

 いままたすっかり遠くなった日本国憲法の生い立ちだが、現在の憲法問題の持つ重みを考えると、あれこれまた想起されてきたのだった。
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「交戦権」についてのくだりをなぜ日本政府は削除しなかったのか。
そのあたりは第1次吉田内閣当時に憲法担当の国務大臣を務めた金森徳次郎氏の著書を読むとみえてくる。

憲法を愛していますか -金森徳次郎憲法論集- 鈴木正 編・解説(農林漁村文化協会)
==== 引用 ====
新憲法の精神

(中略)
戦争放棄の世界的意義

誇るに足る武力・交戦権の放棄
 いうまでもなく戦争は、人類の最大の罪悪であるが、歴史はこの忌むべき罪悪を洗い浄めることができなかった。なぜできなかったかといえば、戦争を正しいとするわけではないが、これを止めるだけの自身と情熱がなかったからである。
 文化は人間の愛するものであるけれども、戦争は文化を滅すものであって、何人も真剣にものを考えるならば、文化をして戦争を滅さしめるべきが至当であると結論するに相違ない。ここに着眼して今回の憲法は、あらゆる未練な考えをすてて一直線に真剣に、日本は世界平和を提唱するために、自ら戦争を放棄し、しかも、その戦争放棄の実行面を確保するために、武力をもたないこと、交戦権を有せざることを宣言したのである。
 戦争放棄については若干の憲法に例があるけれども、武器の放棄は、この憲法が歴史あって以来はじめての規定であり、世界に誇るべきものといいうる。
(中略)
(時事通信社編『日本国憲法〔解説と資料〕』時事通信社・1947年)
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当時、政府側の答弁に立っていた金森氏は、現行憲法に惚れ込み、成立に尽力した人物だといわれている。

ところが、日本人として現行憲法の成立に力を注いだ人たちの話はあまり聞こえず、GHQによりアメリカの論理で当時の流行のようにアメリカ流の民主主義が押し付けられたと、現職国会議員らが多く名を連ねる神政連は指摘している。

日本らしい憲法を! ―憲法改正に向けての問題点―(神道政治連盟HPより)
=== 備忘録(引用)===
 現行の日本国憲法は、残念ながら日本人として自身と誇りを持てない恥ずかしい憲法です。特に甚だしいのが前文と第一章の天皇条項でしょう。日本国憲法の前文は、次のような翻訳調の長い一文で始まっています。

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の参加が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

 英文では「We the Japanese People,……」(われら日本の人民は)となっており、これはアメリカ合衆国憲法の前文冒頭の「We the People of the United States,……」(われら合衆国の人民は)と全く同じ発想、同じスタイルです。まともな日本人が起草すれば、決してこのような書きぶりになるはずはなく、それは明治の日本人が苦心して自ら作り上げた帝国憲法の前文に当たる明治天皇の「上諭」の文と読み比べて見れば、一目瞭然です。
 しかも前文には、当時のアメリカ人が勝手にそう信じ込んでいたらしい「人類普遍の原理」とか「政治的道徳の法則は、普遍的なものであり」といった言葉がつらなっています。あたかも自然科学の世界と同じように、人間の政治の世界にも各国の歴史や伝統とは無関係に、万国共通の普遍の原理や法則が通用するかのごとくです。さらに「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という文言に至っては、まさに現実離れの「空言」と言えるでしょう。
 このように、他国人が起草した、違和感のある非現実的な日本国憲法を維持していることを、日本人は何よりもまず「恥ずべきこと」と考えなければならないでしょうし、これまでただの一条も改正し得なかったことは、戦後政治の怠慢以外の何物でもないでしょう。
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また、同様に多くの現元国会議員や地方議員らも名を連ねる日本会議も憲法 ─ 新憲法の制定で日本再生を(日本会議HP)において同様の認識を示している。

それならば、米軍の占領が続くイラクにおける憲法制定過程もまた同様の問題をはらんでいるはず。

しかし、戦勝国にとって真の勝利は、敵対国の政治体制を変えること、つまり憲法を変えるもしくは新憲法を制定することにあるのではないでしょうか。

そういう意味で、戦争に負けた日本がアメリカをはじめとする戦勝国の納得する憲法を起草できなければ、連合国による統治は続いていたはず。

ポツダム宣言の受諾、降伏文書への署名、日本国憲法制定、サンフランシスコ平和条約への署名、日米安保条約の調印と手続きを踏むことで日本は国としての主権を回復することができたということを考えれば、日本国憲法がどのような状況下でできたかよりも、その中身が民主主義の国の憲法典としてどうなのかということを問うことのほうが大事なのではないだろうか。




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