信州ななめよみ

長野県政をはじめ長野県に関することを思いつくままにつづるもの

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どこに道路を建設するのか

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3月24日の信濃毎日新聞朝刊に、この4月1日付け長野県職員の人事異動内示が掲載されていた。
新聞等に掲載されるのは、いわゆる課長級、つまり県の幹部職員と呼んで相応しい立場以上の職員のみであり、課長補佐級以下の職員についても内示は出されている。11月1日に異動があったとはいえ、村井知事就任後初の人事異動とあって、いちおうは注目をしていた。
県庁の部長にこそ大きな異動は無かったが、定期異動の名に相応しい大規模な異動であったようだ。注目をしていたのは渦中の人である岡部英則氏、そしてやはり渦中の職場である浅川改良事務所であったが、岡部氏の名は無かった。そして浅川の所長には交代があり、浅川流域に住まいを構える土木部課長級職員が所長に転任となっていた。

他の人事をざっと見ていると、田中県政時代に県庁で幅を利かせていた幹部の多くが外郭団体や地方の閑職へと飛ばされ、吉村池田時代の主流3階筋にいた職員らがおおむね復権を果たしている。象徴的なのはこのたび諏訪地方事務所長になった山田氏で、田中康夫知事就任当時は秘書課長をしていたのが、田中時代はずっと地方の閑職に追いやられていて、このたび部長級の主要ポストで復活した。

そして課長補佐級、係長級の人事内示メモも入手したので目を通してみて、あることに気づいた。
かつて土木部には道路を所管する課が2つあり、維持管理を担う道路維持課、計画的な道路整備(新築・改築)を担う道路建設課であったのだが、昨年に両者は統合し、更に農政部の農道、林務部の林道を合わせて道路課という巨大組織を形成していた。それが知事交代で農道林道が元に戻され、この4月で道路管理課と道路建設課に再度分けられるようだ。簡単に言えば1年前に戻ることになる。
気になったのは、道路建設課長に加えて部長級の土木技監を兼ねるようになったのが河川課長であった北沢氏で、更にその下の技術幹、課長補佐、係長と、今度の異動で転任する顔ぶれは、土木部の幹部候補生いや将来の部長候補とされる人材ばかりが名を連ねている。
いわゆる吉村池田時代、土木部の道路建設課と長野建設事務所計画調査係は花形と呼ばれ、代々の幹部を輩出してきた。今の原部長だけでなく、歴代の生え抜き土木部長のほとんどが道路建設課長を経験している。その時代はオリンピック招致を実現させようと騒いでいた時代から実際に開催までこぎつけた時代、長野県がバブルに踊っていた頃のことだ。しかし財政の紐がきつくなると道路建設とばかりも言っていられない。更には2000年の県知事選、パソコン問題などで道路建設課は大きな打撃を受け、田中県政のもとではダムが話題になったこともあり、あまり目立たない存在であった。
オリンピックバブルの頃から、これからは造る時代から維持管理の時代だと口では言いつつも、長野県は道路をしっかり造ってきて、一方で維持管理のほうには大きな力を注いでこなかった。脱ダム宣言で自然保護を謳い上げた田中康夫知事にしても、大規模開発である木曽川の右岸道路や高速道路の建設は推進をしてきた。

しかし、今の長野県は誰もが知るように財政難にあえいでいる。オリンピックバブルの時代に比べれば予算そのものの枠が大きく減少している。
おまけに、地方部ではまだまだ道は狭い所があるものの、昭和後期に比べれば道路整備事情は格段に良くなっており、国道・県道でアスファルトの舗装が施されていない区間もほとんど無くなってきた。
そして話は戻る。長野県はこれから、道路をどこに造るつもりなのか。県内には、道路を欲しいところ、整備が必要なところは実際たくさんあるだろうが、欲を言い出してはきりが無いし、第一いまの長野県は財布の口が絞られている。
高度成長期からオリンピックバブル期にかけて増産した道路構造物が年数を経てそろそろ本格的修繕を必要とし始めており、その維持管理に力を投じるというのならまだ分かる。今までは自動車社会で車道優先で道路整備を行ってきたものが、これからは歩行者等も重視しなければならないとして歩道を設置したり、あるいは交差点を改良したりというのもまだ分かる。これらに力を投資するのであれば、道路管理課に力を入れればいいだけのことだ。
バブルに踊ってイケイケドンドンだった時代であれば、道路の建設に力を注ぐのも必要だったかもしれない。しかしなぜ、今のご時世に、道路建設課にそこまで力を注ぐのだろうか。更に奇怪なことは、橋梁係が消滅したことを除けば道路建設課のスタッフ数はオリンピックバブルの頃とあまり変わっていないのだ。
土木部の人事案は知事に形式的に回されるだけで、実際には部長と技監とで決められている。技監は現在空席だから、この人事案を作成したのは原土木部長以外にありえない。では原土木部長は、これ以上どこに道路を造るつもりなのだろうか。
今度の道路建設課長がオリンピックバブル時代にイケイケドンドンの象徴であった人物の一人であるゆえに、尚更そう感じてしまう。村井仁知事は確かに財政投資を否定こそしていないものの、それは吉村池田時代に戻るという意味ではない。まさか本気で吉村池田時代よ再びなどと考えてはいないだろうが、この布陣を見る限りでは疑問を持たざるを得ない。
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日銀松本支店レポートと日経新聞記事

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日銀松本支店が長野の経済状況について公表した。3月7日の新聞に掲載されており、それを読んで悄然とした。
これによると、長野県内の建設業は五輪特需の恩恵を未だ受け続けているそうだ。それでいて、除雪作業や兼業農家で生計をなんとか支えているという。

五輪特需のピークは平成7年頃とされ、オリンピック開催は平成10年のはじめであった。その特需が終わったのは10年以上前のことである。長野県は五輪特需の下支えで他で起こっていたバブル崩壊が3~5年遅れてやってきた。しかも五輪特需にわいたのは会場等が設営された県の北部方面だけであり、中部南部はその手伝い等で参加はしたが、特需の恩恵を蒙ったというには程遠い。むしろ北ばかり整備を進めて県内に格差が出るとして、南部の南箕輪村に子ども未来センター計画が立ち上がった経緯があるほどだ。県全体に投資されるべき予算の多くが五輪特需の時に北へ投資されただけであって、業界全体を潤わせた上に今に至るまでその貯金が残っているかのような論調は常識知らずの愚論である。
しかもここ数年は、入札制度改革に連動して起こった相次ぐダンピングで、県発注の公共工事は儲けにならないというのが定説化した。市町村においてもそれに追従する動向だ。

除雪作業についても実態を知らない者の愚昧な推論としか言いようが無い。道路管理者である国、県、市町村などは、確かに土建業者へ除雪を委託している。しかし、業者全体に行っているわけではなく、しかも除雪は勤務形態が不規則な上に人件費と材料費が主体なので業者にとってうまみが無いものとして知られており、入札制度改革の時にもそれが話題に出たことがある。なかなかなり手がいないので、道路管理者の方が頭を下げて除雪作業を依頼しているとする話すらある。
兼業農家説も、県内の田畑が耕作されないまま放置されている所が多い現状を見れば、調査をするまでもなく荒唐無稽なものだと分かる。

上記に示すように、この日銀松本支店レポートにある県内土建業に関する記載は県内土建業の環境や実態を知らない者の机上論としか言いようが無いほどの、まれに見る愚論である。仮にも日銀がこのようなレベルのものを公表して恥ずかしくないのだろうか。

とはいえ、同報告が指摘する、建設業者数がバブル期に比べて大きく減っていないのも一方では事実である。その理由はどこにあるのかと言えば、これだという答えは無いものの、幾つかの要素が考えられる。
建設業者自体が零細が多く、不況の波が影響するほど最初から儲けが多くないこと。大手がつぶれても小さい所が会社を興しているという点もあるので、数としては大きく変わっていないとする見方。
他業種へ手を広げていること。県が進めていた木こり推進は頓挫したが、建設業者はそれぞれの営業努力等により手を広げている。
大掛かりな施設災害が数年に一回の割合で各地に来ていたこと。これこそは特需に近く、やや弱い。
最近まで下水道整備の工事が県内各地で大々的に行われていたこと。長野県においては、前の前の吉村知事が県による下水道事業に消極的であったことから、流域下水道などの広域的なものを除き市町村が下水道整備の工事を行っている。そうした事情もあって長野県は元々下水道整備が遅れていて、ここ数年でようやく整備が完了した市町村が増えてきた。
これまで建設業界が大きな淘汰をされずにいたのは、実はこの下水道工事による下支えが一番大きな要素ではないかと思っている。工事自体は特殊な資格を要さず、工法の難易度は高くなく、それでいてそこそこの工期と工費を取り、道路の掘り返しを伴うため舗装等の関連工事も発生する。つまり下水道整備がピークを超えたこれからが、長野県の建設業界は第二次の淘汰が始まるのではなかろうか。


3月8日の日経新聞1面で、都市部における公図のズレが大きいとする記事があった。
記事の詳細と解説については以下の「泥酔論説委員の日経の読み方」
http://www3.diary.ne.jp/user/329372/
の3月8日記事に詳細を譲るが、そこに指摘されている通り、現実には地籍測量がなかなか進捗していない。これは都市部としているが、山間部にしても事情は同じである。それを敢えて都市部と断っているのには理由がある。
それをこの記事では書き切れていないが、都市部ではとりわけ地価単価が高いことの他に、国土交通省が最近になって世界座標での共通基準点設置を全国の都市部人口密集地域で進めている。こうした基準点の整備により、これまでのローカルな座標系による土地境界でなく、普遍的な世界座標上での境界の位置づけを図ろうという趣旨だ。なぜそれを必要とするかといえば、境界確定作業において近隣のローカルな測地系同士が不整合のままぶつかるケースが多く生じていて、とりわけ土地単価が高い都会部で境界が決まりにくく、それがインフラ整備などの開発行為の足を引っ張り、記事にあるように六本木の開発で4年を要したとするような結果になっている。

今の日本において、いや奈良時代の墾田永年私財法や鎌倉時代の「一所懸命」の語源をみるまでもなく、土地は経済活動の大きな基礎になっている。
現在、地籍境界を確定するには、隣接者全員との立会いによる同意が必須になっている。その測量費用は普通でも数十万、個人レベルで気軽にできるものではなくなっている。本来であれば市町村主導の国土調査等による整理を待てばいいのだろうが、そうした地籍調査は予算がなかなかつかないため、これまた進捗は非常に遅い。普通の広さを持つ市町村において国土調査を行おうとする時、測量の総額だけで億単位の費用がかかるとされているので、市町村だけで取り組めるものでもない。
更に問題なのは、国土調査や土地改良・区画整理などによる調査をかつて行った場所においても、公図と現状が合致していないことが生じていることがある。測量技術の精度が変わったことや、測量の基準点が変化したことや、災害等で旧資料が損失してしまって復元できないこと、更には単純なヒューマンエラーなど、幾つかの理由がある。
これまでの公図は明治時代に作成されたものを参考資料として扱い、その後に順に整備を進めているが、なかなか進んでいないのが実状だ。豊臣秀吉が行った太閤検地のような、土地境界の確定作業をこれまで国策で進めてこなかったことのツケは小さくない。それにようやく国が本格的に取り組み始めたのがこの記事の内容である。折角の1面であるのだから、日経新聞にはそこまで踏み込んで記事にしてもらいたかったと思う。
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彷徨う信濃毎日新聞

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信濃毎日新聞で都市計画税のことが記事になっていた。
http://www.shinmai.co.jp/news/20070304/KT070303GAI090013000022.htm

正直な感想としては、この記事が訴えたいことがわからない。
都市計画区域の考え方や税金についての事実はその記事に引用されている関係者の説明どおりであるし、事実と愚痴を並べている以外の何もない。都市計画区域のことを広く知らせるようにと都市計画の関係者に頼まれたのかというくらいである。
あるいは何らかの意図があって、都市計画税を口実として、市町村合併へのアンチテーゼとして提示したかっただけなのか。
しかし、都市計画区域とそうでない場所が設定されているのは合併の有無に関係のないことであって、同記事の解説には無いものの、一般には都市計画区域と行政境とが一致しないのが当たり前である。同一市町村において都市計画税を負担している住民と負担していない住民がいるのは珍しいことでもなく、むしろ都市計画法の趣旨からいえば、山あいの平地が無い或いは少ない地域が都市計画区域に指定されていることのほうが合理性に欠けている。

信濃毎日新聞は長野県を代表する地方紙であり、県内で60万以上の発行部数を誇っていて他を圧している。一方で、同記者の取材姿勢や記事への批判が出ることが多い。掘り下げた事情を知っているくせに一部関係者に媚びて表面的なことしか記事にしないとか、記者の態度が傲慢であるとか、他の新聞と違って取材に来ないで後から電話をかけてきて電話応答だけで記事を書くとか、果ては取材された側が言ってもいないことをでっち上げて記事にするとする批判も時々出てくる。
田中康夫知事不信任が出るまでは、特にそれがひどく、2003年秋に信濃毎日新聞が田中康夫知事と対立の様相を見せ始めてからは、今度は田中康夫知事とその支持者による信濃毎日新聞攻撃が目につくようになり、信濃毎日新聞のそうした態度は下火傾向になっていた。

問題になったものとしては、5年ほど前の入札に関する信濃毎日新聞の同額落札に関する記事で、当時の県庁担当者が言ってもいないことを言った、そして測量会社関係者が誰も言っていないことが同測量会社の関係者が述べたコメントとして記事になっているのはおかしいとして、関係者が厳重抗議をしたことがある。
後で聞いた話によると、この時は測量会社が弁護士を入れて、この記事に関わっていないとする全社員の誓約書を取り付けて時の田中康夫記事に提出し、合わせて信濃毎日新聞を訴える準備をしていたという。この時は信濃毎日新聞側が五十嵐敬喜教授の「神業」発言などを持ち出すなど連日の特集記事で印象操作につとめるものの、抗議への反論反証をすることができず、それを表面化させないまま、少し間をおいた後に同測量会社社長の対談記事を載せてお茶を濁して終わらせた。あの時、なぜこの対談記事が載っているのだろうと疑問に思ったものの、後日その事情を知って合点した覚えがある。一時は告訴をしようとしたとされるくらいだから、裏では相当な駆け引きがあったのだろう。
この時、言ってもいないことを記事にされたとする県の担当者は、関係機関に信濃毎日新聞記事は虚偽であるという趣旨のファックスを送信していたとされている。この担当者の名前は実は知られているのだが、ここではあえて伏せておく。
この顛末は、当時のヤフー掲示板にも掲載され、県政ウォッチャーの間では当時から比較的知られていた。

上記例示以外にも幾つかの事例がある。同社の新人記者が書く記事にこうした事実関係と関連事項を調べないまま記事にしてしまうというパターンが多く、いったん記事にしてしまえば、よほどのことが無い限り信濃毎日新聞は抗議をしても訂正記事を出すことがない。
詳細を書かないが、信濃毎日新聞があまり調べもせずに記事を書いたがために、県や市町村の担当者が掲載された記事に関する大掛かりな調査を行わされる羽目になり、よくよく聞いてみれば新人記者が書いたその記事自体が関係者への取材内容を裏取りしないまま勝手に膨らませて誇張して書かれていて、それが後日になって分かって関係者を激怒させたとする話は複数知っている。

やはりこれは、信濃毎日新聞が売り上げ部数で圧倒的な強さを持っている故の傲慢さと緊張感欠如が出ているのではないかと思う。強力なライバルが存在していれば、記事自体にもっと緊張感が生じるだろう。とはいえ、売り上げ数だけを見ても、他の県内地方紙や、全国区の中日新聞や読売新聞は遠く及ばない。今のまま信濃毎日新聞の圧倒的優位状態を続けることは県民にとっても信濃毎日新聞にとっても不幸である。
とはいえ市井の者には現実として如何ともしがたい。憂慮すべきことであるゆえに歯痒さばかりを感じる。
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田中時代の後遺症

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暫く日が開いてしまいました。

2月、収賄罪で起訴されていた野崎氏は罪状を認め、県職員を懲戒免職になった。未だ信じがたく、非常に残念なことであるが、野崎氏が認めている以上は事実であろう。社会的立場や退職金を失うことになったが、野崎氏はまだ若い。しっかりと罪を償い、また社会の別の場に復活をしていただきたいと思う。
野崎氏の今度の事件に関して不審に思ったのは2点。銀行や労働金庫からいくらでも誘いの声がありそうなものを、どうして消費者金融から借金をするようになったのかという点と、設計書の内部審査がそこまで甘いのかという点である。これらはいずれも今の公務員が抱えがちな問題であり、専門機関において公務員が陥りがちな落とし穴として事例研究をしてもらいたいと思う。それは公務員個人のためというよりも、税金を扱っている公務員が落とし穴に落ちないようにすることが必要であるためだ。彼らの知識技術技能の育成は職務を通じて培われ、いわば公務員は国や地方の財産でもある。

今日の新聞で、奇しくも野崎氏と共に百条委員会等で名を知られるようになった岡部英則氏が、百条委員会での証言が嘘であったと自白したと伝えられた。
岡部氏については百条委員会開催当時にここで触れたことがある。当時から、その証言については信憑性が怪しいという話が出ており、岡部氏本人が自分のgooブログにその主張を一時掲載していたものの後になってブログごと閉じてしまったことで、岡部氏の主張への信頼感は低下しており、百条委員会の席でも偽証への対応の難しさが話題にのぼった。
なお百条委員会当時、岡部氏がgooブログに記載していた文面は、ヤフー掲示板に転記されているものを見かけたことがある。ここではそれを紹介しないが、興味のある方はそれぞれ探していただきたい。

その岡部氏の偽証を早速も自身のブログに取り上げて百条委員会の告発を疑問視しているのが青山貞一氏である。青山氏は所沢ダイオキシン問題でその名を知られるようになった。田中康夫前知事と親しく、田中氏の要請で当時の衛生部現地機関の所長になり、非常勤ながら部長待遇を受けていた。後にそれを県議会で咎められ、その座を去ってからは親田中の立場で自身のブログに投稿を続けている。
その青山貞一氏には、県庁内で別の疑惑が持ち上がっている。
以前に触れたように、田中氏が知事に在任中の頃から、長野県職労はいわゆる「はるさめ問題」についての調査を進めていた。その調査結果がほぼまとまったらしく、永田弁護士立会いのもと県議会の主要会派に長野県職労から報告がされたという情報が流れている。
その報告によると、はるさめ問題が起こった時に青山氏の所属下にあった一研究員と、職務上は直接の責任が無い当時の県庁課長が、それぞれ上司に恐喝まがいの脅しをされて罪を被ることを強要されたとし、冤罪なすりつけを直接に強要した人物として、青山貞一氏や当時の衛生部長など数人の名前が挙げられているという。そこに名前が挙げられた人物はいずれも田中康夫前知事によって重用された幹部ばかりである。はるさめ問題で責任を負わされた当時一研究員と県庁課長の2職員はそれぞれ停職等の厳罰が下されていたが、強要による自白で罪を被されていたとするならば、これは大きな問題になる。
県議選を控える中、今開催されている県議会でこの話題が出るかどうかは微妙であるが、いずれ表に出ることになろう。
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浅川問題

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ここのところ、浅川問題をめぐる報道が多くなっている。高校再編と並ぶ、村井県政最初の大きな課題でもあり、新幹線建設とも関連しているために後回しにはできない懸案でもある・

以前から
http://blog.goo.ne.jp/sonatinet/e/6af72c1b15f362316a9b23ffa56cc168
他でも触れている浅川問題だが、野崎氏の問題で出てきたほか、そろそろヤマ場を迎えるということもあり、確認をしておきたい。
河川で治水を行うには、基本高水と呼ばれる想定される洪水流量に対応できる対策を求められる。これは上下流の治水対策のバランス、河川規模での横並び(つまり公平感)という点で必要である。かつて長野県治水利水ダム等検討委員会(以降「検討委員会」とする)の席で委員であった五十嵐敬喜教授が脱ダムの立場から「基本高水によらない治水を」と唱えて「無計画な治水をしろというのか」と失笑を買ったことがある。検討委員会での脱ダム委員は浅川での基本高水を下げるように提唱し、カバー率という係数を用いたり、あるいは既往最大流量をと言い出したり、とりわけ後半はとにかく現状の450トンという基本高水の数値を下げることにのみ腐心していた。その一方で長野市が出してきた昭和前期の410トンという既往の洪水実績を特段の理由もなく意図的に無視し、330トンという数字を既往最大として示すなど、まさに脱ダム委員の一方の筆頭格である石坂千穂県議の言葉を借りれば「アンフェア」なものであった。

基本高水の問題とは別に、浅川においては地質の問題も取り上げられている。検討委員会開催当時は断層が盛んに取り上げられていたが、昨今は地滑りばかりが取り上げられているようだ。検討委員会当時には石坂千穂県議らが現地で確認された第四紀断層を活断層であると意図的に主張して、それを委員である松岡教授が批判する一幕もあった。浅川一帯に善光寺断層が走っているが、200年ほど前に活動をしているので、次に動くのは800年以上後だとされている。一方で断層によるダムの危険性を唱え、一方でダムへの土砂堆積で数十年しかもたず土砂堆積してしまえば撤去しなければならないと主張していたので、当時はそのおかしさに苦笑したものだ。
検討委員会当時も地滑りが話題になったことはある。何しろあの大規模地滑りを起こした地附山が浅川の南側にあり、どうしてもその関連をしてしまうところだ。しかしそれは、第14回の検討委員会の席で地質の専門家として現地入りした脱ダム委員の松島信幸氏の発言で大きくトーンダウンした。当時の記録を見れば分かるように、松島氏は「山さし」という言葉を用いてそれを説明している。つまり地附山の地層は北から南へ沈み込むような構造をしており、南側斜面では構造的な地滑りを起こしやすい反面、北側では構造的な地滑りは起こりにくいというものだ。その直後には、浅川ダム計画地点が地滑り防止区域に指定されていないことまで確認されている。折しも2002年の出直し知事選の直前であったが、そうした議論をぼかしたまま、不信任直後の写真週刊誌フラッシュ等当時の週刊誌記事を見ればわかるように、田中康夫氏や石坂千穂県議は浅川ダム予定地が地滑りの危険があると吹聴していた。政治家として非常に誠意の無い態度である。ともあれ、地滑りが起こりうるといっても構造的な地滑りが生じないのであれば、あとは工法だけの問題だ。

民主党が唱える「緑のダム構想」が持て囃されたことがあり、検討委員会においても緑のダム構想に基づく発想がいくつか出された。とりあえずダム代替案が出されなかった浅川等で流域対策なる言葉が出たのもこれを敷衍したものだとされている。しかし、流域全体の水の流れを構造的に捉えての緑のダム構想も浅川では頓挫してしまった。一時期は森林整備こそダム代替案だとの意見すら出ていたが、森林からの流出を検証したところダム計画の流出計算と合致し、むしろ浅川ダム計画の妥当性を立証してしまうという皮肉な事態になって、それ以降は森林整備は大きく語られなくなった。

浅川問題はそもそも、行政不信の発露の面があり、それはダム反対派の代表格である内山卓郎氏が地附山地滑りで行政不信になったと自ら述べていることにも現れている。この内山氏は週刊金曜日の投稿者である等謎めいた経歴の持ち主であるがそれは改めて触れるとして、行政側の説明不足が地附山地滑りをきっかけに行政不信を加速させたことに間違いはない。オリンピック開催準備と平行して浅川ダム関連工事が進められ、ダム建設に伴う真光寺のループ橋による県道付け替え工事においては“他”目的ダムだと揶揄されたこともある。
そうしたこともあって浅川ダム計画はとりわけ多くの批判を浴び、田中康夫氏が知事になってダム工事中止以降も様々な検証が行われてきた。田中県政6年弱を通じて結果として明らかになったことは、浅川で設定された基本高水は100年確率として出されている前提でおかしな操作等をしたものでなく森林データ等からみても客観性があること、その基本高水に対応する治水対策にはダム等が必要なことであった。それゆえにダム反対派の人たちは基本高水の引き下げに拘った。

村井知事は先般、浅川の基本高水を下げるのは困難だと述べた。じっさい一度出した基本高水を下げることは困難であり、国土交通省よりも流域の人たちや市が納得しない。長野市は市長が反田中で知られているが、市長だけでなく議会の大半も反田中だった。それもずっと洪水が起こっていないのならまだしも、最近に至るまで浅川は洪水氾濫を起こしていて、合理的説明をしようともとりわけ洪水氾濫に苦しむ地域は拒絶反応を示すであろう。それでも2年前の洪水が起きる前ならまだ可能だったかもしれない。
基本高水を下げることが困難とあれば、その基本高水を掲げる以上、どうしてもダムを含めた巨大構造物が想定に入ってくる。前任の田中康夫氏が最近Livedoorの取材に答えているが、その応答を見ていても田中康夫氏は早晩今の村井知事の立場になって決断を迫られることを予見しており、そうなってしまえば脱ダムの看板を降ろさざるを得なくなることを承知していたゆえに、結論を出すことを意図的にペンディングしていたのだろう。

先週の野崎氏逮捕から、その話題ばかりが優先してきて、中には野崎氏が浅川の治水対策をリードしていたとする解説もあるが、これは誤解がある。なぜならば、当時の経営戦略局にはそれを専門に担当するチームがあり、そのチームリーダーは以前にも触れた、かつて河川課で野崎氏と共に河川計画を担当していた鎌田氏であって、野崎氏は知事の意向を代弁したであろうがそこでの作業に関わっていないからだ。前に引用した毎日新聞の記事にもその点で明らかな事実誤認がある。同チームは元々、検討委員会の事務局がチームに昇格して知事直轄になったもので、そのチームと浅川改良事務所によって浅川の治水代替案が検討されていた。
ともかく、6年に亘った浅川の治水議論は間もなく、いやようやく結論が出る。ダム中断がされていなければ既にダムが完成していたであろうことを考えれば、非常に長い時間が経過していたのだ。
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野崎氏逮捕

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野崎氏は今晩、積算価格を漏らした見返りに賄賂200万円超を受け取ったとする疑惑で逮捕された。
報道によると野崎氏は疑惑をおおむね認めているとのことだが、正直なところ未だに信じがたいうえ、細かな事情もまだ明らかにされていない。そう思わざるを得ないのは、くどくなるが今回の疑惑の構成が太田多久治氏の冤罪の時と似ている所があるからだ。
ただ、それが事実であるならば、私腹を肥やしたものであれば勿論のこと、そうと疑われても已む無きものであったにしても、野崎氏には潔く法罰に服していただくと共に、県民へのせめての償いとして、百条委員会での野崎氏の証言がもたらしたモヤモヤな部分をすっきりとさせていただきたい。
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人間万事塞翁が馬

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中国の『淮南子』に由来するこの言葉は、広く知られるように、吉凶福禍陰陽はどう転ぶか分からないという意味で使われる。改めて説明するまでもないかもしれないが、「人間」は「じんかん」と読み、世間のことを意味している。

この言葉を想起させたのは、本日付の新聞記事2件であった。


12月4日朝の市民タイムス記事
http://www.shimintimes.co.jp/

 ■12月4日(月)
 松本の野崎さん一家 3世代で施設慰問4年目
 松本市出川町の県職員・野崎真さん(44)一家は三世代六人そろって
 福祉施設への慰問を続けて4年目になる。ピアノ、歌、詩吟などの得意
 分野を生かしてお年寄りたちと一緒に歌ったり、おしゃべりしたりする
 自然体の交流が好評だ。仕事柄、単身赴任が多い野崎さんは「家族で一
 つのことに取り組む貴重な時間をいただいている」と謙虚な気持ちで、
 今後も奉仕を続ける考えだ。


12月4日信濃毎日新聞夕刊トップ記事 
http://www.shinmai.co.jp/news/20061204/KT061203FTI090015000022.htm

 12月4日(月)
 県職員、収賄容疑で聴取 県発注工事で業者から現金
 ------------------------------------------------ 
 県の40代の課長級男性職員が、中信地方の土木部現地機関にいた2002
 年、県発注工事を受けた松本市内の業者から現金を受け取っていた疑い
 が強まり、県警捜査二課は4日朝、この職員に任意同行を求め、収賄容
 疑で事情聴取を始めた。
 調べによると、業者は、この職員が土木部現地機関にいた01年ごろ、
 現地機関が発注した河川改修工事を受注。職員は翌年に、この工事に関
 連して業者から多額の現金を受け取った疑惑が持たれている。業者は現
 在、営業していないという。贈賄の容疑は既に時効(3年)が成立して
 いる。
 県警は、授受されたとされる現金の趣旨に不正な点はなかったか、この
 前後に不自然な発注がなかったか、職員に職務権限があったかなどを調
 べているもようだ。
 職員は、この現地機関から県経営戦略局(10月末で廃止)に異動し、
 11月から別の現地機関に移っている。
 県会7会派の議員有志12人が3月、田中前県政時代に県会が設けた議
 会調査特別委員会(百条委員会)に関連し、前知事後援会元幹部の「働
 き掛け」記録文書をめぐって、田中前知事や県幹部職員2人を公用文書
 毀棄(きき)容疑で告発。県警はこれを受けた捜査の中で、別の県職員
 の収賄容疑に関する情報を得たとみられる。


朝に県職員が褒められる記事が掲載されれば、その夕には県職員の贈収賄疑惑で記事が掲載される。それも政治家ではなく一公務員がである。
信毎記事では職員の名前はどこにも出ていないが、個人を限定するキーワードが幾つも並べられているので、事実上名指しをしているも同然といえよう。後者の記事は調査の進展も明らかになっていないため、細かい詮索は避けるが、正直なところ記事内容にある疑惑については、にわかに信じがたいし、記事の内容を読んだ限りでは少し不可解なところもある。

『淮南子』の編集者は中国漢王朝を樹立した劉邦の孫の淮南王劉長で、地方王の地位にあって『淮南子』の編集を行ったが、彼もまた政争の渦に巻き込まれて不幸な最期を遂げている。
火の無いところには煙が立たないと言うが、煙が立っているのを見ただけで火事だと勘違いすることもありえる。太田多久治氏のように、火の殆ど無いところに煙を無理やり立てられて人生を狂わされた者もいる。警察が調査に入っているのが本当であるならば、真実を解明するためにも、冤罪を起こさないためにも、慎重に行ってもらいたいものだ。
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道路維持課主査の自殺問題

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昨年10月のこと、当時の長野県庁道路維持課管理ユニットの当時37歳の主査が自らの命を絶った。ここでは仮にN氏としておくが、その悲劇から約1年が過ぎたこの11月にN氏の遺族が労災申請をしたことで、この件が改めてクローズアップされるようになった。
当初、道路維持課ではN氏の自殺を県庁内部にも伏せていたらしく、かなり後でN氏の自殺を知った県職員が自殺したとされる日の数日後にN氏あてに電話をしたところ、同僚と思われる職員からN氏は出張中であるとの返答を受けたので、後になって驚いたという話がある。また土木部現地機関ではN氏自殺の数日後に緊急連絡先の変更通知が回り、組織改編や人事異動があった訳でもないのになんでこんな時期にと訝っていたら、後でN氏の自殺を知って合点したという話もあった。
N氏の自殺と相当に因果関係のありそうな話として、自殺の前日に道路の損賠決裁文書のことで当時の経営戦略局長に呼び出されて衆目の中で罵倒され、最後には決裁文書を投げ返されたとするものが県庁内に広まっている。他にも幾つかの噂話が出回っているが、それらは確証が得られるものでないためここでは割愛しておく。

N氏が道路維持課管理ユニットに配属されたのは昨年の4月で、管理係の係長ポストが無くなって(組織上は企画幹が係長兼務になった)係員への仕事の負荷が大きくなった直後であった。国道県道の管理全般のうちN氏が担当していたのは、道路上事故の損害賠償事務が主であった他、交通事故・倒木・通行止めクレームなど道路管理上で何か問題が発生した時の夜間休日の第一連絡先でもあり、24時間体制で私用携帯に電話がかかってきて、しかもその内容を上司や関係機関に連絡・報告する義務があった。
先に出ていた当時の経営戦略局長である松林氏との関わりもここにあり、N氏にとっての悲劇は、目下の相手には重箱の隅をつつくようにネチネチと攻撃をすることで知られている松林氏が10数年前に道路維持課管理係長を務めていて、恐らくはN氏以上にN氏の担当する業務内容に精通していたことにあった。局長当時の松林氏は県庁内で権力絶頂期にあり、部課長を呼びつけては平気で何時間も待たせることも珍しくなかった。他にたくさん仕事を抱える部長が午前中に呼び出されたものの数時間待たされても反応が無いので「呼ばれたら駆けつけるから」と部下を局長の前に残して部屋へ戻って、最初に呼ばれてから半日が過ぎようかという終電の頃になってようやく呼び出された部長があわてて駆けつけると局長が「何分も待たせるな」と頭ごなしに怒鳴りつけたとする逸話が残されている。かつてはタクシー代を一人で専ら使用していたことが問題になったが、松林氏は局長時代に深夜まで県庁に残り、丑三つ時になると書類の入った紙袋を両手に抱えてタクシーで帰宅するという姿が珍しくなかったようだ。風呂敷残業という言葉どおりに松林氏が自宅でそれらの書類にどこまで目を通していたのかは不明だが、少なくてもN氏一人で太刀打ちできる相手ではないことは間違いない。

N氏の自殺に関して、慢性的な超過勤務が新聞等で報じられているが、携帯電話のことは触れられることがない。超過勤務にしても、新聞報道では100時間以上を数ヶ月としか出ておらず、月150~200時間の超勤が珍しくもなく不夜城であることが多い県庁の常識では「何でたったそれだけの超勤で」という程度の数字しか表に出ていない。しかし実際には土日出勤を含め上司を憚って正規に申請をしていない超過勤務、いわゆるサービス残業がかなりあったらしく、それが家族への「帰るコール」の時間帯や県庁受付での帰宅時の時刻記入で立証されて、このたび遺族が労災認定申請にこぎつけた。
先に述べた緊急連絡先の変更というのはまさにこれであり、N氏自殺の後は、第一通報受信者は道路維持課内で持ち回りの当番制に代わった。N氏は、損害賠償にしろこの携帯通報受信にしろ、質的にしんどい仕事を一人で担わされていたのである。当時の課長と係長(企画幹)はそれを知ってか知らずか放置しており、結果的に責任を取らされる形で、今年の4月に事実上の左遷ともいえるような異動をした。なお10月にN氏が自殺をした後、定期異動を待たずに異動があったが、後任となったのは現在も同係の係長を務めている課長補佐級のベテラン職員であった。
当時、道路維持課長だったのは山浦氏で、数ある土木部の技術職員の中でも指折りの玄人技術者であるが、それまでは能力実績の割に人事面でやや冷遇されていた。癖のある性格と特定政党に所属していたことが原因だとされている。技術管理室の在籍が長く、4年半ほど前の技術管理室在籍時に業務委託の同額落札騒動が起こって、信毎に名指し同然で虚偽捏造の記事を書かれたことで却って土木部内の同情を集めたことがある。この騒動がきっかけで当時知事だった田中康夫氏の知己を得たのではとする説もあるのだから奇妙なものだ。

土木部関係の損害賠償の委員会は土木部長が委員長になり、土木部監理課長(現在は土木政策課長)と財政担当課長が委員として加わるので、本来であれば経営戦略局長が実質的にそれに関わってくることはなく、財政担当課長の上司として形式的に関わるかどうかという程度でしかない。しかし田中県政の後半は読売新聞による情報公開請求やはるさめ騒動などで表面化したように、県庁内の事務決裁が大いに乱れ、従来であれば課長・部長が決裁して執行していたものまで事実上の知事決裁になっていた案件がたくさんあった。
決裁権は従来どおりであっても、知事の了解が得られないと執行できず、知事の了解を得るには事前に経営戦略局長の了解を得る必要があるという中で、どうしても決裁が滞りやすくなり、事務の停滞が日常茶飯事となる。これには経営戦略局へ知事あてメールが届くようになったこととも無関係でなく、経営戦略局が懸案事項処理で知事の判断を仰ぎつつ決定していくために、事務処理の担当はそのままに所轄部局の決裁権だけを事実上奪い取ってしまったのだ。簡単に言えば文書の決裁が課長までで済んでいたものを局長、知事まで回すことになったも同然であるのに、責任者はあくまで課長のままという状態だ。決裁権がどこにあるかというのは県庁内だけの話であるが、それによって事務処理が滞るというのでは外部への影響も生じてくる。
ただでさえ上司の顔色を伺う傾向のある県職員が、田中県政の後期はその傾向がかなり顕著に表面化し、課長であっても知事や局長に反論すればただちに飛ばされてしまう中で誰も異論を言えなくなり、N氏の直属上司がN氏を庇えなかったのもそうしたことが伏線にある。また、県の事業費は減っているのに事業部門を引き続き重視する一方で旧道路維持課のような維持管理や総務の部門の人員規模を縮小するという田中県政時代の人事施策面での問題もここにはある。N氏の自殺は、単純に勤務形態や松林局長との関係だけでなく、こうした田中県政後期の体制・体質がもたらした悲劇であるともいえよう。
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他人を待たせることの罪

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約束しての立会い、打ち合わせ協議、待ち合わせ、交差点で通過待ちをする時などで、他人を待たせることに無頓着な人がいるが、実に罪なことだ。
自動車を運転している時であっても、前の車両が訳もなく法廷速度を下回る速度でずっと走行していると、あるいは珍走団のバイク数台がわざと千鳥運転をして通常走行を妨げていると、後方の車両の運転手はイライラ感が募りやすくなる。

時折出てくる、下りた遮断機をくぐって通過した列車等に轢かれてしまうという痛ましい踏切事故。あれは遮断機の警告を無視する側に一義的に非があるが、待たせる鉄道側が無罪放免というわけではない。開かずの踏切といっても常に列車が往来しているわけでなく、大概の場合は駅の近くにあって駅で列車が待機している間も遮断機が下り続けている。列車が往来していない時間のほうがはるかに多いのに何十分もただ待たされることを不条理だと思うから、ついくぐってしまう人が出てくるのだ。
東京では先日全線開通した環状8号線で、かつて西武新宿線と西武池袋線の踏切、および井の頭通り・五日市街道との交差点を全て立体交差にしたところ非常にスムーズに流れるようになり、30年以上前は練馬インターから高井戸までのわずか10キロ足らずを進むのに2時間以上かかっていたものが、今では20分程度で行くことができる。
田中康夫氏が知事だった頃、長野県庁にここがおかしいとメールを出せば、一週間以内にひとまずの返事をすることと決められた。そのルールは形式的にほぼ守られていたが、守られたのはひとまずの返事を出すことだけで、そこから先の本来の答えはなかなか出てこないことが珍しくなかった。しかしこれがあまり表面化して騒がれなかったのは、たとえ最初だけでも、たとえ形式的であろうとも、ひとまずの答えを一週間以内に出すことで、待たせているという意識を持っていることを相手に伝えたからではないだろうか。もちろんそれで終わりとしていい、というのではなく、本来の答えを待たせ続けていることには変わりがない。

時間に、そして心に余裕を持つことは一般に大事なことであるが、せわしい世の中、どんなに余裕を持っているつもりでも、時にはそうも言ってられない場面もある。つまりは、急ぐのか余裕を持って行くのかは、どちらかが是でどちらかが非ではなく、個々の状況に応じての選択である。しかし、個々の事情を周囲が理解しているかといえば、むしろそうでない事のほうが大半だ。
なぜ他人を待たせることに無頓着なことが罪なのか、それはしばしば、待たされた人から余裕を持って行くという選択肢を一方的に奪うためである。車の運転にしろ、人との交際にしろ、一見余裕があるように見えていても、他人を待たせているという意識が無い人は、実は他人を気遣う余裕が無いだけなのだ。
時間を焦っている人に対して余裕を持てと諭す前に、自分の言動が結果として他人から余裕を奪っていないだろうかと時には自問してもいいだろう。時は金なり。
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長野県の里親制度(アダプト)への疑問

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11月25日付けの信濃毎日新聞に「里親制度(アダプト)」に関する記事がある。昨今話題に出ることもあり、以前に触れたこともあったが、これに関して疑問もあったので再度これに触れてみたい。
以下信毎ウェブにあった記事の引用。

  県管理の道路「里親」2倍に 10年度までに

  県管理の国県道の「里親」として住民や企業、学校などと協定を結び、美化活動に取り組んでもらう
  「アダプトシステム」について、県は2010年度までに計200団体と締結し、05年度時点の2倍
  に増やす方針だ。「地域の連携で、きめ細かな道路環境の維持・向上を進めてもらいたい」
  (県道路課)と話している。
  県は協定先に、清掃や除雪のためのほうきやスコップを貸し出したり、沿線に植える花の苗を提供した
  りする。作業中の事故に備えた傷害保険への加入も支援する。05年度までに協定を結んだのは101
  団体。それぞれが、延長計143キロの道路の美化活動などに取り組んでいる。県が作った本年度から
  の5カ年計画によると、本年度は新たに25団体と協定を結ぶ方針で、10月末までに13団体と締結
  した。締結をさらに進め、10年度には、市街地や平地の県管理の道路約2450キロのうち計
  約220キロで、200団体に活動してもらいたいとしている。
  県道路課によると、県管理の国道や県道の清掃などは通常年2回程度。協定は年6回以上の活動を盛り
  込んでいる。
(引用おわり)

「里親」「アダプト」でネット検索すれば分かるように、これらは1998年頃にアメリカから導入され、身近な公共施設について地元の人が日常の管理を行い、管理者がそれをバックアップする制度として日本各地で定着した。言うまでもなく、ここでのアダプトは英語のadopt(adaptではない)に由来している。
長野県においては、道路、河川、砂防に関してそれぞれアダプトが設定されており、ここ1~2年でそれぞれの協定締結数は増加している。財政難にあえぐことと、現場組織に予算付けと人員配置ができないこととで、県が管理する道路、河川などの公共施設は十分な管理がなされていないものが多く、とりわけ草刈が目に付く。目に付く以上は苦情もあるし、日頃から管理者として占用料(土地使用料)を徴収しているくせにとの批判もある一方で、管理の手が現実に回っていないのが実態としてある中で、県がそれを推進したい気持ちはよく理解できる。この信毎記事は、県庁の道路課(旧・道路維持課)による広報の一部と見てもいいだろう。

確かにここ1~2年で、道路に限らず河川等のアダプト協定も増加している。しかしこうしたアダプトの協定が結ばれている実情は、従来から地元でそうした取り組みを行っている組織に県が正式に援助の契約を結んだというだけでしかなく、こうした取り組みを知って地元で活動をしようと新たに立ち上がったというのはレアケースだ。
県民の間で、身近な公共物を自分達で管理しようとする機運が高まっているとも思えない。むしろ、自分の家の前の道路や河川の草刈を県はしてくれないとする苦情が相次いでいて、現地で対応が回らないのに腹を立てて知事あてに文句を言う人がいたとの話も聞いてくる。
そうした実情を知ってか知らずか、道路課は現地機関に対して、この信毎記事と同様な内容を事実上のノルマにするともいえるような通達を出していた。道路課としては、こうした一見安上がりのシステムを導入することにより維持管理費を安く上げたいとの思惑があるのだろうし、実際にただでさえ少ないとされる管理の予算を更にカットする動きも出ている。一方で、県の施設なのだから県が草刈等の管理をすべきだと主張する県民は少なくなく、そうした人達に限って声が大きい。

住民サイドの公意識に甘えるように県庁がノルマを課すことの滑稽さ、住民サイドにおける公の意識が希薄になっていることの是非はここではさておき、県庁と県民とで、お互い虫のいい皮算用を相手に期待して、間に入っている現地機関が両者から責められるという図式だ。
県の提案したアダプトという予算補助システムに、既存の草の根の取り組みが組み込まれたということで増加してきた里親制度だが、数に限りがあるものを組み込んでいるだけであれば、協定数の増加は近いうちに頭打ち状態になるだろう。里親という取り組み自体は決して悪いものではないが、これは決して道路や河川の管理者による管理の代替措置ではなく、管理を補完する位置づけでしかない。
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