荒小田の 去年の古跡の 古蓬
今は春べと ひこばえにけり
作者 曾禰好忠
( No.77 巻第一 春歌上 )
あらをだの こぞのふるあとの ふるよもぎ
いまははるべと ひこばえにけり
* 作者は、平安中期の人物である。生没年ともに不詳であるが、生年は923年という説があり、少なくとも1003年には生存していたという記録がある。おそらく、八十歳くらいまで生きていたらしい。
* 歌意は、「 荒れた田の 去年の古い切り株の 古蓬が 今は春だよと 新しい芽を出している 」といった感じで、極めて分かりやすく、春の到来を喜んでいる歌と受け取れる。
* 曾禰好忠は、中古三十六歌仙にも選ばれていることから、当時から歌人としてかなりの評価を得ていたらしい。また、勅撰和歌集にも数多く入撰しており、特に、崇徳院下命による第六番目の勅撰和歌集である「詞花和歌集」には十七首採録されていて第一位なのである。因みに第二位は、和泉式部の十六首である。
つまり、「詞花和歌集」が成立したのは1151年頃のことなので、平安時代末期の頃には、曾禰好忠はトップクラスの歌人として評価を得ていたらしいと推定できるのである。
* 曾禰好忠の官位は六位で、職位は丹後掾(ジョウ・三等官)と伝えられている。農民や一般庶民と違って宮廷などとの接触機会の可能性はあったと思われるが、殿上人(通常五位以上)は程遠く、下級官吏に過ぎず、絢爛たる平安王朝文化とは程遠い存在だと考えるのが自然である。
しかし、好忠は、源順・源重之・大中臣能宣など当時の一流歌人と交際があったらしいが、彼らはいずれも殿上人クラスである。ことことから、身分制度の厳しい時代でありながら、こと歌人としての交流は、身分制度を越えて能力が重視されていたように思われる。女流歌人が大活躍しているのも同様で、後の封建時代とは一味違う文化を生み出していたと感じられる。
* 好忠の歌風は、自由斬新と評価されていたらしい。生存中よりも、むしろ後世になって評価されたともいわれているが、「詞花和歌集」が編纂されたのが、好忠の死後150年ほど後のことなので、納得できる評価である。
「新古今和歌集」には十六首採録されているが、それらをみる限り、比較的分かりやすく、優しさを感じさせてくれるものが多いように感じられる。
もっと評価されてよい歌人のように思われるのである。
☆ ☆ ☆