麗しの枕草子物語
猿まね
「猿まね」なんて言葉、ございましたかしら。
宰相中将斉信殿は、何度かご紹介させていただきましたように、それは何かにつき心配りの行き届いたお方でございます。もちろん和歌にも漢籍にも秀でておりますが、詩を吟じますと、それはそれはすばらしいものでした。
そうそう、こんなお話もございました。
斉信殿が宰相に昇進されました頃のことですが、天皇の御前でこんなお話を申し上げる機会がございました。
「宰相中将殿は、それはそれは見事に詩を吟じられます。宰相(参議)になられますと、もうあのようにすばらしい吟唱をお聞きすることなどなくなってしまいます。今しばらく、宰相などにならずにいてほしいものです。もったいのうございます」
と申し上げますと、天皇はたいそうお笑いになられ、
「少納言が申したからといって、宰相にさせないようにしよう」
などと、仰せになられるものですから、とても可笑しゅうございました。
それから間もない頃のことですが、源中将宣方殿と斉信殿のお噂を話すことがありました。宣方殿は、斉信殿よりかなり年上なのですが、いつもその後についておられ、時には張りあってみたりしているのです。何かにつけて大分差があるのですがねぇ。
お話の流れで、斉信殿の詩を吟じるのが巧みだという話になり、
「特に『いまだ三十の期(ゴ)に及ばず』という詩は、他に並ぶ人を知りませんわ」
と言いますと、宣方殿は、
「どうして、どうして、私だって負けてはおりませんよ」
と、勢い込んで吟じましたが、
「全く似ても似つかないですわ」
と私が言うものですから、悔しがって、「どこがいけないのか」というものですから、
「『三十の期』というところがね、全然差があるのですよ」
と答えますと、それを笑い話にしていましたが、やがて、斉信殿が陣にお着きになっている所まで押しかけて、教えを乞うたそうですよ。
そして、ある日のこと、私が自室におります時、斉信殿と思しき吟詠が聞こえてきましたので出てみますと、何と、宣方殿だったのです。
「どうやら宰相中将殿と間違えましたね」
と、宣方殿がしたり顔で笑っていたのです。「猿まね」なんて言葉があるのかどうか知りませんが、憎らしいほど似ているんですよ。
この後も、宣方殿は私の部屋を訪れる時には必ず『三十の期』の部分を吟じるのですよ。私もついつい居留守を使うわけにもいかず困ってしまいました。
中宮さまにこのことを申し上げますと、とてもお笑いになられましてね。
内裏の御物忌の日のことでした。宣方殿が使者を通じてお手紙を寄こしになり、
「お伺いしようと思っています。今日、明日の御物忌で籠っていますのでね。『三十の期に及ばす』など、いかがでしょう」
と書いておりましたので、
「その三十の年頃というのは、もう過ぎたでしょうに。あなたは、もう、詩の作者である朱買臣が、妻を戒めた年齢にもおなりじゃありませんか」
と返事を届けさせますと、また悔しがりましてね、天皇の御前でまで話題にされたものですから、天皇が中宮さまのもとに参られました時に、
「少納言は、なぜそのような難しいことを知っているのか。朱買臣が妻を戒めたのは、三十九歳の時なので、宣方は、『ひどいことを言われたものだ』と言っているらしい」
と仰せになられますにつけても、漢籍に明るいことなど女の身には恥ずかしいことですから、宣方殿が憎らしくなってしまいました。
(第百五十四段・故殿の御服の頃、より)