雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

阿闍梨を誘う女 ・ 今昔物語 ( 20 - 6 )

2024-09-08 13:09:51 | 今昔物語拾い読み ・ その5

      『 阿闍梨を誘う女 ・ 今昔物語 ( 20 - 6 ) 』


今は昔、
京の東山に仏眼寺(ブツゲンジ・不詳。京都市左京区にあったともされる。)という所がある。
そこに仁照阿闍梨(ニンショウ アジャリ・伝不詳。同名の人はいるが別人らしい。阿闍梨は高僧の敬称。階位として用いられることもある。)という人が住んでいた。極めて貴い僧である。
長年その寺で修行し、寺から出ることもなく過ごしていたが、ある時、思いがけず、七条辺りにある金箔を打つ職人の妻で、年が三十余りから四十ばかりの女が、この阿闍梨の僧房にやって来た。餌袋(エブクロ・食糧を入れる袋)に干飯(ホシイイ)を入れて、堅い塩(精製していない塩が堅くなった物らしい。)、和布(ニギメ・わかめの古称。)などを持ってきて、阿闍梨に差し出して、「お噂によりますと、『たいそう貴いお方』と聞きまして、お仕えしたいと思いまして参りました。御帷(カタビラ・一重の衣服。)などご用意することはお安いことでございます」と、言葉巧みに言って返っていった。

その後、阿闍梨は、「何処の奴が、あのようなことを言ってきたのか」と怪しく思っていると、二十日ばかり経って、また、この前の女がやって来た。また、餌袋に白米を入れて、折櫃(オリビツ・薄い板で作ったお盆状の入れ物。)に餅や然るべき果物などを入れて、下女の頭に乗せて持ってきた。
このようにして、様々な物を持ってくるのが数度に及んだので、阿闍梨は、「本当に私を尊ぶ気持ちがあるので、このように何度もやって来るに違いない」と、ありがたく思っていると、七月頃、この女は瓜や桃などを持たせてやって来た。

ちょうどその時、この僧房の法師たちは京に出掛けていて誰もいなかった。
阿闍梨がただ一人いるのを見て、この女は、「この御房には、何方もいらっしゃらないのですか。人の気配がありませんね」と言う。阿闍梨は、「いつもは一人二人いる法師たちは、用事があって、京に行っているのだよ。そのうち帰ってくるだろう」と答えた。
女は、「ちょうど良い折に参りましたわ。実は、申し上げたいことがございまして、これまで何度もお伺いいたしましたが、いつも何方かがいらっしゃいましたので、申し上げることが出来ませんでした。折り入って申し上げることがございます」と言って、人気のない所に呼び出した。

阿闍梨は、「何事なのか」と思って、近寄って聞くと、この女は阿闍梨の手を捕らえて、「長年の間、心からお慕いしておりました。どうぞ、わたしをお助け下さい」と言って、どんどん体を押しつけてくるので、阿闍梨は驚いて、「何をするのだ、何をするのだ」と言って、押しのけようとしたが、女は、「お助け下さい」と言って、ひたすら抱きついてくるので、阿闍梨は困ってしまい、「止めて下され。よく分かりました。言われることをお聞きしよう。容易いことです。ただ、仏に申し上げない前には駄目だ。仏に申し上げた後に」と言って、立ち上がって行こうとすると、女は、「逃げようとしているのだ」と思って、阿闍梨の手を捕らえたまま、持仏堂の方へ連れて行った。

阿闍梨は仏の御前に行き、「思いがけず、私は魔縁(マエン・魔物)に取り付かれました。不動尊、どうか私を助け給え」と言って、念珠を砕けるほどに押しもみ、額を板敷に当て、板敷を打ち破るばかりに額を打ち付けて礼拝した。
すると、女は二間ばかり投げ飛ばされ、打ち倒された。二つの腕をさし上げて、仏の呪縛にかかって、まるで独楽が回るようにくるくる回った。しばらくすると、天にまで届くような大きな声で叫んだ。
その間、阿闍梨は念珠を押しもみ、なお仏の御前にうつ伏していた。
女は、四、五度ばかり叫んで、頭を柱に当てて、頭も砕けんばかりに四、五十度も打ち付けた。そして、「お助け下さい。お助け下さい」と叫んだ。

そこで、阿闍梨は頭を持ち上げて起き上がり、女に向かって、「これはどうしたことだ。何が何だか分からない」と言った。
女は、「もはや、隠しておくことでもありません。わたしは、東山の大白河に行き来している天狗でございます。ところが、この御房の上を飛んで行き来していますうちに、あなたのご修行がたゆむことなく、鈴の音がたいそう貴く聞こえておりましたので、『この方を、何としても堕落させよう』と思いまして、この一年ばかり、この女に乗り移って、たくらんでいたのです。ところが、聖人の霊験が貴くて、このように搦め取られてしまいました。長年妬ましく思っておりましたが、今はすっかり懲りております。速やかにお許し下さい。すっかり翼を打ち折られ、堪え難いほど苦しく、どうすることも出来ません。どうぞお助け下さい」と、泣く泣く言ったので、阿闍梨は仏に向かい奉り、泣く泣く礼拝して、女を解き放してやった。
すると、女は心が醒めて、正気を取り戻し、髪をなでつけなどして、何も言うことなく、腰を引きずるようにして出て行ってしまった。

それ以後、女はまったく現れなかった。
阿闍梨も、これから後は、いっそう慎んで、ますますたゆむことなく修行を続けた、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


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