怒りの心を諫める ・ 今昔物語 ( 13 - 8 )
今は昔、
法性寺の尊勝院(京都にあった)の供僧(グソウ・供奉僧の略。供養や法会の寺務をする僧。)をしている道乗(ドウジョウ・出自等不詳)という僧がいた。比叡山の西塔の正算僧都(ショウザンソウツズ・のちに第十一代法性寺座主になる。)の弟子として、はじめは比叡山に住んでいたが、後には法性寺に移り長年経っていた。
若い時から法華経を読誦して、老齢になるまで怠ることがなかった。但し、たいそうひねくれていて、時々、弟子の童子を口汚く怒鳴りつけることがあった。
ある時、道乗は夢を見た。
「法性寺を出て比叡山に行く途中、西坂の柿の木の所までやって来て、遥かに山の上を見上げると、麓の坂本から頂上の大嶽に至るまで、多くの堂舎や楼閣が重なるように造られていた。屋根は瓦で葺き金銀で飾られている。その中には多くの経巻が安置し奉っている。黄色の紙に朱色の軸(経文は黄色の紙に墨で書写し、朱の軸を用いることが多い。)、あるいは紺色の紙に玉の軸である。いずれも金や銀で書かれている。道乗はこれを見て、『いつもと様子が違う。いったいどういうことか』と思って、そこにいた老齢の僧に向かって、『この経は極めて多く数え尽くすことが出来ません。これはどなたか置かれた物でしょうか』と尋ねた。老僧は、『これは、お前が長年読誦してきた法華大乗の経である。大嶽から水飲(ミズノミ・湧き水があった所)に至るまでに積まれている経は、お前が西塔に住んでいる時に読誦した経である。水飲から柿の木のもとまで積み置かれている経は、法性寺に住んで読誦した経である。この善根により、お前は浄土に生まれることが出来るだろう』と答えた。道乗はこれを聞いて、『不思議なことだ』と思っていると、にわかに火が出て、一部の経が焼けてしまった。道乗はこれを見て老僧に尋ねた。『どういうわけで、この経は焼けてしまったのですか』と。老僧は、『これは、お前が瞋恚(シンイ・激しく怒り恨むこと)を起こして童子をどなりつけた時に、読誦した経を瞋恚の火が焼いたのだ。されば、お前が瞋恚を断てば、善根はますます増えて、必ず極楽に参ることが出来よう』と答えた」
そこで、道乗は夢から覚めた。
その後、道乗は悔い悲しんで、仏に向かい奉り、長く瞋恚を断ち、心を励まして法華経を読誦して、余念を交えることはなかった。
されば、瞋恚はこの上ない罪である。善根を修める時には、絶対に瞋恚を起こしてはならない、
となむ語り伝へたるとや。
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今は昔、
法性寺の尊勝院(京都にあった)の供僧(グソウ・供奉僧の略。供養や法会の寺務をする僧。)をしている道乗(ドウジョウ・出自等不詳)という僧がいた。比叡山の西塔の正算僧都(ショウザンソウツズ・のちに第十一代法性寺座主になる。)の弟子として、はじめは比叡山に住んでいたが、後には法性寺に移り長年経っていた。
若い時から法華経を読誦して、老齢になるまで怠ることがなかった。但し、たいそうひねくれていて、時々、弟子の童子を口汚く怒鳴りつけることがあった。
ある時、道乗は夢を見た。
「法性寺を出て比叡山に行く途中、西坂の柿の木の所までやって来て、遥かに山の上を見上げると、麓の坂本から頂上の大嶽に至るまで、多くの堂舎や楼閣が重なるように造られていた。屋根は瓦で葺き金銀で飾られている。その中には多くの経巻が安置し奉っている。黄色の紙に朱色の軸(経文は黄色の紙に墨で書写し、朱の軸を用いることが多い。)、あるいは紺色の紙に玉の軸である。いずれも金や銀で書かれている。道乗はこれを見て、『いつもと様子が違う。いったいどういうことか』と思って、そこにいた老齢の僧に向かって、『この経は極めて多く数え尽くすことが出来ません。これはどなたか置かれた物でしょうか』と尋ねた。老僧は、『これは、お前が長年読誦してきた法華大乗の経である。大嶽から水飲(ミズノミ・湧き水があった所)に至るまでに積まれている経は、お前が西塔に住んでいる時に読誦した経である。水飲から柿の木のもとまで積み置かれている経は、法性寺に住んで読誦した経である。この善根により、お前は浄土に生まれることが出来るだろう』と答えた。道乗はこれを聞いて、『不思議なことだ』と思っていると、にわかに火が出て、一部の経が焼けてしまった。道乗はこれを見て老僧に尋ねた。『どういうわけで、この経は焼けてしまったのですか』と。老僧は、『これは、お前が瞋恚(シンイ・激しく怒り恨むこと)を起こして童子をどなりつけた時に、読誦した経を瞋恚の火が焼いたのだ。されば、お前が瞋恚を断てば、善根はますます増えて、必ず極楽に参ることが出来よう』と答えた」
そこで、道乗は夢から覚めた。
その後、道乗は悔い悲しんで、仏に向かい奉り、長く瞋恚を断ち、心を励まして法華経を読誦して、余念を交えることはなかった。
されば、瞋恚はこの上ない罪である。善根を修める時には、絶対に瞋恚を起こしてはならない、
となむ語り伝へたるとや。
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