雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

歴史散策  神武登場 ( 6 )

2015-09-01 08:38:09 | 歴史散策
          神武登場 ( 6 )

高千穂の峰

天照大御神と高木神は、御子が天降るための準備を整えて、日子番能邇々芸命(ヒコホノニニギノミコト)に詔を発した。
邇々芸命は、高天原(タカアマノハラ)の天の石位(アメノイワクラ・天上にある堅牢な神座)を離れて、天空に八重にたなびく雲を押し分けて、威風堂々と道を選び、途中、天の浮橋に背を伸ばして立ち、そこから筑紫の日向(ヒムカ)の高千穂の霊峰に天降ったのである。

そこで、天忍日命(アメノオシヒノミコト)と天津久米命(アマツクメノミコト)との二人が、頑丈な靫(ユキ・矢を入れる武具)を背負い、頭椎(カブツチ・柄の頭が握り拳のようになっている)の大刀を腰に下げて、はぜの木で作った天の弓を手に持ち、天の輝く矢を手挟んで、天上からの御子の御前に立って先導申し上げた。この、天忍日命は大伴連らの祖先であり、天津久米命は久米直(クメノアタイ)らの祖先である。

そこで、邇々芸命は、「ここは、韓国(カラクニ・古代朝鮮)に向かい、笠沙(カササ)の岬を真直ぐ通ってきて、朝日が直接射す国であり、夕日が照らす国である。それゆえ、たいへん良い土地である」と仰せられ、底津岩根(ソコツイワネ・盤石の土台。宮殿を建てる時の定型的な表現)に宮柱を太く立て、高天原に千木を高くそびえさせて座所とした。

     ☆   ☆   ☆

猿女君

邇々芸命は、天宇受売命(アメノウズメノミコト)に、「この、先導して仕えてくれた猿田毘古大神(サルタビコノオオカミ)は、素性を顕かにしたお前がお送りせよ。また、その神の御名は、お前がもらい受けて御奉仕せよ」と仰せになった。
それで、その猿田毘古神の名前をいただいて、子孫の女たちは猿女君(サルメノキミ)と名乗って、宮廷に仕えているのである。

ところで、その猿田毘古神が阿耶訶(アザカ・伊勢国内の地名)にいらっしゃったときに、漁をして、ひらぶ貝(どのような貝かは不明)に手を食い挟まれて、海中に沈み溺れた。それで、海底に沈んでいた時の名は底度久御魂(ソコドクミタマ)といい、海水が泡立った時の名は都夫多都御魂(ツブタツミタマ)といい、その泡がはじけた時の名は阿和佐久御魂(アワサクミタマ)という。
そして、天宇受売命が猿田毘古神を送って、再び日向に帰り着くと、ただちに全ての鰭の広物・鰭の狭物(ハタノヒロモノ・ハタノサモノ・・大きな魚・小さな魚。鰭はひれのことで、その広い狭いで魚の大小を計ったらしい)を追い集めて、「お前たちは、天つ神の御子にお仕えするか」と問いただした。
すべての魚は「お仕えします」と答えたが、海鼠(コ・なまこ)だけは何も答えなかった。そこで、
天宇受売命は海鼠に、「この口は、返事をしない口だ」と言って、紐付の小刀でその口を裂いた。そのため、今も海鼠の口は裂けているのである。
また、このことによって、代々志摩から新鮮な海産物が献上されてきた時には、猿女君らにお下げ渡しになるのである。

     ☆   ☆   ☆

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