雅工房 作品集

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歴史散策  空白の時代 ( 1 )

2016-06-03 10:04:37 | 歴史散策
          空白の時代 ( 1 )

時の記録

歴史を時の流れと考えるならば、それは刻々と一瞬一瞬を刻みながら、途絶えることのないものと考えられる。
しかし、私たちがある時代の歴史を知ろうとした場合、それは記録されているものに限られてくる。記録には、文字や絵によるものや、記憶や伝承によるものも含まれるが、時間の流れと共に紛乱や焼失、あるいは忘却などによって失われて行くものも多い。そう考えると、歴史とは、記録され、かつ伝承されているものに限られるということになる。

しかし、その一方で、例えば万葉といわれるような時代はもちろん、もっと新しい時代であっても、今日私たちが目にすることが出来る文献などが、正しい歴史、あるいは真実かということになれば、それはそれで判断が難しい。
それらの伝承の中には、誤って伝えられているものもあるだろうし、それも単なる誤記や記憶相違ばかりでなく、意識的な改ざんも決して少なくないだろう。第一、正史として伝えられている文献は、時の勝者によるものがほぼ全てであるから、勝者イコール正義という観点から書き残されていると考えるべきであろう。

     ☆   ☆   ☆

空白の時代

本稿で記そうとしている神功皇后(ジングウコウゴウ)と呼ばれる女性が活躍した時代は、まさにそのような時代の一つと言えよう。
この時代について、多くの先人や研究者が真実を求めて努力されその結果が発表されているが、その道の素人である者にとっては、当時を伝える文献としては、『古事記』と『日本書紀』にほぼ限られ、万葉集などの文献、あるいは中国などの海外の史書を参考にすることは、なかなか困難である。
従って、本稿は、『日本書紀』に記されていることをそのまま伝えることを主眼としていて、その時代の真実を探求することを目的としているものではないことをご承知いただきたい。『古事記』ではなく『日本書紀』を中心としたのは、真否を考慮したものではなく、『日本書紀』の方が伝承の量が圧倒的に多いが故である。

『古事記』は、神代の時代から推古天皇までの記録を収めている。『日本書紀』も、神代の時代から持統天皇までの記録を収めたもので、ほぼ同時代の文献と言える。
古来、この二つの文献は、『記紀』と呼ばれて、公式歴史書的な地位を占めてきたが、同時に双方の食い違う点について様々な研究がなされてきたようである。そして近年では、双方の記事の多くについて、真実性を否定し、その存在さえも軽んじる意見もあるようだが、わが国の古代史を考える時、どれほど高邁な意見の持ち主であれ、『記紀』の存在は無視できないはずである。

さて、本題となる神功皇后であるが、両書ともに相当の記事を掲載しており、特に『日本書紀』においては、天皇並に「巻第九」全部を使って一代記を記載しているが、天皇とはしていない。第十四代仲哀天皇の次は第十五代応神天皇としていて、『古事記』も同様である。
また、神武天皇を初代として、第百二十五代である今上天皇に至るまでのそれぞれの継承に要する期間は、即時あるいは、せいぜい数年間の期間しか空いていないが、ただ一つ例外なのが、第十四代から第十五代への継承に要する期間なのである。
記されている年度の正否はともかく、一応通説となっているものに従えば、第十四代仲哀天皇が崩御なされたのは西暦200年であり、第十五代応神天皇の即位は西暦270年とされている。この間、実に70年という天皇不在の期間があったのである。

この天皇不在の期間、つまり「空白の時代」と呼びたいような期間は、わが国の古代史上大きな謎と意味合いが秘められていると思われるが、その期間を担った王家の重要人物の一人が神功皇后であったことは間違いないと考えられる。その存在さえ否定する説を考慮したとしてもである。
本稿は、この期間の疑義を追うことが目的ではなく、『日本書紀』の記事を中心に淡々と「空白の時代」を見ようとするものである。

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