さても このごろは、昔のことが しきりに思いだされる・・・
一番上の姉に連れられて故郷を離れたわたしは、五日ほど姉の家で世話になったあと、勤めることになっていた紡績会社の寄宿舎に入った。
わたしは ここで四年ほど世話になった。
仕事は まあ 機械の番みたいなもんだったなあ。紡績会社だというので、ギッコンパっタンと機を織るのかと思っていたが、自動で織っていく機械がたくさんあって、それに糸を補充していくのが主な仕事だった。
仕事時間? そうねぇ、大体は朝の八時から夕方六時までだったのと違うかな。仕事の都合では夜の八時か九時になることもあったが、その時は 握り飯か団子が出るのよ。それが楽しみだった。
休み時間などなかったな。お昼ご飯はあるけれど、その間も機械は動いているから、交替で食事をしたり、トイレへ行ったりだった。
慣れてくるに従って、トイレの時間がだんだん長くなっていって、一人で何台もの機械を受け持っているので、注意はしているのだけれど時々糸が切れて滅茶苦茶になることがあった。すぐに機械を止めなければいけないのに、それ、長いトイレの途中で遅れてしまい、班長さんによく叱られたよ。
たまには お腹が痛かったからで通じていたが、班長さんも そうそうは 騙されませんわなあ。
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