『 13兆円!! 』
東京地裁は 福島第一原発の事故に対して
東京電力の当時の経営陣四人に対して
13兆円余の賠償金の 支払いを命じる判決を言い渡した
裁判の素人として 好き勝手に言わせていただくと
賠償金に 上限はないのですかな
この程度の金額は 払えると考えているのか
また この判決が正しいとすれば
よほどの報酬を出さない限り 真面目な人は
取締役になど ならないと思う
それに 詐欺などで犠牲者を出した場合の賠償金と
整合性はあるのかな??
『外野席の 勝手な意見でした』
☆☆☆
『 高くなりぬれば 』
なげきこる 山とし高く なりぬれば
頬杖のみぞ まづつかれける
作者 大 輔
( 巻第十九 雑躰歌 NO.1056 )
なげきこる やまとしたかく なりぬれば
つらづゑのみぞ まづつかれける
* 歌意は、「 わたしの嘆きが凝り固まって 山のように高く なったので 山に登る杖ではなく 頬杖(ホオヅエ)だけを まずつくようになってしまった 」といったもので、日常生活を詠んだものでしょうか。
なお、「なげきこる」の部分には、「木を伐る」という意味も掛けられていて、「山」や「頬杖」を導き出しています。
また、この歌は、「雑躰歌(ザツテイノウタ)」として収録されています。この巻には、長歌(原本には「短歌」となっているが、意味が分からない。誤記されたものらしい。)・旋頭歌・誹諧歌に区分されていて、この歌は誹諧歌に入っています。形体は短歌と全く同じですが、滑稽なもの、卑俗なものなどを区分したようです。
* 作者名の大輔(タイフ)は女房名です。
父は、嵯峨源氏の源弼(ミナモトノタスク)ですが、本名や生没年は伝えられていません。
古今和歌集にもこの一首が採録されているだけで、伝えられている情報は極めて少ないようです。
* そこで、父の源弼の情報を追うことにしました。
弼の生没年も不詳ですが、864 年に従五位下を受けています。869 年に越中権介に就いた後、874 年に大蔵小輔として京に戻っています。
そして、残念ながら時期や期間がはっきりしないのですが、宮内大輔(次官職)に就いています。陽成天皇の御代(在位 876 - 884 )のことらしいので、この期間に就任したようです。この職務には、但馬権守・但馬守・大和権守などを兼務しながら継続していて、887 年以降に、従四位下・宮内卿(長官)にまで昇っています。
* 以上を参考にしますと、作者が「大輔」と呼ばれる女房に就いたのは、876 年から 887 年の間であることは、確かだと考えられます。もちろん、それ以前に別の名前で女官などであった可能性もありますが。
また、この歌が詠まれた時期は不明ですが、「大輔」と呼ばれていた女房時代であることは間違いないでしょうから、876 年以降のことで、「頬杖をついてため息をする」状況は、新米女房とは思えませんので、少なくとも数年の女房経験があったのではないでしょうか。
* 残念ながら、何もかもが推定になりますが、陽成天皇の御代から光孝天皇・宇多天皇の御代を経て、醍醐天皇の御代(在位 879 - 930 )にまで、作者・大輔は宮廷生活を送ったのではないでしょうか。
大輔の家柄は中級貴族といったところですが、嵯峨源氏という血統であり、ため息をつくようなことも多かったのでしょうが、相応の輝きを見せる日々を過ごしたものと推定したいと思います。
そして、大輔が今日に残している歌の数は少ないですが、やがて花開く平安王朝女流文学の黄金期の、基礎を築いていった一人だったと考えられるのです。
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