『 風のまにまに 』
返 し
人を思ふ 心の木の葉に あらばこそ
風のまにまに 散りも乱れめ
作者 小野貞樹
( 巻第十五 恋歌五 NO.783 )
ひとをおもふ こころのこのはに あらばこそ
かぜのまにまに ちりもみだれめ
* 歌意は、「 あなたを思う 私の心が木の葉で あるならば 風に吹かれるままに 散り乱れてしまうでしょう 私の心は散りも乱れもしませんよ 」と、自分の愛情に変わりがないことを訴えているものでしょう。
* この歌の前書き(詞書)には「返し」とありますから、返歌だと言うことになります。
古今和歌集のこの和歌の前には、次の和歌が掲載されています。
『 今はとて わが身時雨に ふりぬれば 言の葉さへに 移ろひにけり 』
( もうこれまでだと 盛りも過ぎ 時雨に降られて古ぼけた私を 見限ったのでしょうから おなたの言葉さえ 木の葉のように 色が変わってしまいました )
といった、何とも微妙な男女関係を窺わせるものです。
そして、この和歌の作者が「小野小町」ですから、実に興味深く感じられます。
* 作者の小野貞樹(オノノサダキ)の生没年は未詳ですが、平安時代初期の人物です。
伝えられている官暦を列記してみますと、
849 年 春宮少進(従六位下相当官)に任ぜらたというのが、最初の情報です。
850 年 皇太子の道康親王の即位に伴って(文徳天皇)、従五位下に昇り、その後刑部少輔に就いています。
851 年 甲斐守
855 年 従五位上
857 年 太宰少弐
860 年 肥後守
といったように、地方官が多く、いわゆる受領クラスの貴族といえます。
* 作者の官暦はかなり詳しく伝えられていますが、それにしては、出身氏族などについては疑問があります。
小野貞樹の父は石見王とされていますが、疑問視もされています。
この石見王という人物は、古代史の重要人物の一人ともいえる長屋王の玄孫にあたる人ですから、もし、事実だとすれば、それだけでも興味が増します。
* 同じように、石見王が父とされる人物に、高階峯緒という人がいます。この人の末裔は現皇室にまで繋がっているそうですから、実在性に疑問はないと考えられます。
この人も、最終官位は従四位下ですが、やはり受領職が多く、作者とあまり変わらないクラスの貴族です。その高階峯緒は、844 年に、高階真人姓を賜って臣籍降下しています。そして、長屋王の血統はこの人を通して後世に伝えられているのです。
* 長屋王の子孫は、かの長屋王の政変によって一族の主な人は滅亡しています。石見王の場合も、長屋王の子である桑田王も父と共に非業の死を遂げていますが、その子の磯部王はまだ幼かったため生き延びたようです。この人が石見王の父にあたるわけですが、おそらく、単に幼かっただけではなく、周囲の人に助けられて身を隠したと思われ、長屋王の子孫で生き延びた人はそれほど多くはないはずです。
磯部王は、767 年に称徳天皇が無位の諸王に広く叙位を行いましたが、その時に従五位下を受けています。長屋王の政変から三十八年ほどが過ぎており、おそらく磯部王は四十歳に近かったのではないでしょうか。これにより、元皇族としては最低に近い身分とはいえ、復権を果たしたのです。
* こうして、磯部王ー石見王ー高階峯緒と子孫が繋がっていくわけですが、さて、本歌の作者である小野貞樹は、本当にこの一族だったのでしょうか。
先に述べましたように、長屋王の子孫は、少なくとも明らかになっていた男子で生き延びた人はそれほど多くはないと考えられます。政変後も藤原氏による執拗な追及があったことでしょうから、出自を完全に消し去らない限り、難しかったと考えられます。もちろん、磯部王のような例もありますが、一族で臣籍降下した人の姓は「高階」のようで、「小野」という例はないようです。
* それでは、定説ではないとしても、小野貞樹が石見王の子とされているのは何故なのでしょうか。
いくつかの推定が出来ますが、まず一つは、石見王の養子、あるいは庇護下にあったという場合です。この場合、高階姓を名乗っていないのは、身分的に高階姓は重すぎたのか、あるいは世間にはあまり知られていなかった、などが考えられます。
もう一つは、作者も長屋王の血を繋いできた一人であるが、その事を隠し通して生き延びてきたのを、何かの機会に、石見王が作者を小野姓のままで一族として認めた、ということも考えられないとは言えません。
もちろん、後世の人が、何らかの理由で混雑させたということも否定できないでしょう。その場合は、純然たる小野氏の一族ということになるのでしょう。
* いずれにしても、小野貞樹という人物は、こと出自に関しては謎多き人物のようです。
作者は、小野小町の夫であったという説も根強いようです。その根拠の殆どは掲題の和歌によると思われます。夫といっても、当時と現代とは大分様子が違いますが、少なくとも、ある期間、親しい関係であったことは確かのようです。もっとも、小野小町という人こそが謎多き麗人ですから、むしろ、作者の謎を深めることになりそうです。
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