『 いよいよ 初冬に 』
当地は ここ数日 降りそうであまり降らず
寒くなりそうであまり寒くない天気の繰り返し
いよいよ明日からは 初冬らしい寒さになるらしい
全国的にも 寒くなる所が多く
インフルエンザも 流行し始めている
季節らしい寒さを楽しむためにも くれぐれもご自愛を
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ひとり寝や いとど寂しき さ牡鹿の
朝臥す小野の 葛の裏風
作者 藤原顕綱朝臣
( No.450 巻第五 秋歌下 )
ひとりねや いとどさびしき さをしかの
あさふすおのの くずのうらかぜ
* 作者 藤原顕綱朝臣(フジワラノアキツナノアソン)は、平安時代中期から後半にかけての貴族・歌人である。(1029 - 1103 )享年75歳。
* 歌意は、「 独り寝が何と寂しいことか。 朝を迎えた牡鹿に 寝床にしていた野に 葛の葉を裏返して風が吹いている。」といったものか。
なお、さ牡鹿の「さ」、小野の「小」は、ともに美称の接頭語である。和歌全体も技巧的なものが目立つように思える。
* 作者の顕綱は、藤原北家道綱流の貴族である。官位は正四位下、丹波守、讃岐守、但馬守を歴任、中流貴族といえる。
顕綱の父は参議藤原兼経、母は加賀守順時の娘明子、弁乳母(ベンノメノト)と呼ばれる女性である。
* 顕綱は、官位では父に及ばなかったが、母の恩恵を受けて後三条天皇に近く、恵まれた環境にあったと推定される。
母の明子は、三条天皇の皇女禎子内親王(陽明門院)の乳母である。禎子内親王は後朱雀天皇の皇后となり、後三条天皇の生母となっている。こうした関係もあって、顕綱は後三条天皇の恩恵を受けたと推定される。
* また、掲題の和歌の前書き(詞書)には、「 郁芳門院の前栽合(ゼンザイアワセ・庭に植えた草木を競い合う遊び)によみ侍りける 」とあることから、郁芳門院とも近しい関係であったことが窺える。
この郁芳門院(イクホウモンイン)とは、白河天皇の第一皇女で、天皇は容姿美麗なこの皇女を溺愛したとされる。堀河天皇の准母となるなど、歴史上に名を残しているも、病弱であったらしくわずか二十一歳で薨去されている。この悲劇の皇女の足跡は極めて興味深い。
* こうした断片的な情報からだけでも、顕綱は、その生涯を天皇や皇族と極めて近しい関係を保ちながら送ったものと推定されるのである。
歴史上、表舞台というほどの活躍はなく、公卿に列することもなかったが、その子孫は、連綿と上流社会にあって、その一流は今上天皇にまで続いているとされる。
* なお、母明子も長命で、生涯、陽明門院の近くにあったと推定される。新古今和歌集には弁乳母の名前で二首載せられている。その一首は、後朱雀天皇を悼むものである。最後に記しておきたい。
「 後朱雀院かくれ給ひて、源三位がもとに遣はしける 」
『 あはれ君 いかなる野べの 煙にて むなしき空の 雲となりけん 』
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