『 春を待つ 』
チューリップの 球根を植える
秋の実感を感じないうちに 秋を迎えてしまったが
今日は 球根を並べながら
芽吹く姿を思い浮かべる
早くも 「春を待つ」モードに入っている 私・・・
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冬の来て 山もあらはに 木の葉降り
残る松さへ 峰に寂しき
作者 祝部成茂
( No.565 巻第六 冬歌 )
ふゆのきて やまもあらはに このはふり
のこるまつさへ みねにさびしき
* 作者は、鎌倉時代初期の神職・歌人である。( 1180 - 1254 )享年七十五歳。
* 歌意は、「 冬が来て 山も地肌があらわに見えるまで 木の葉が散ってしまい 散ることなく残されている松さえも
峯に寂しく見える 」と、ごく素直に感じ取れる。木の葉というのは、おそらく紅葉と思われ、散る前は紅と緑の対照が美しかったものが、すっかり寂しくなってしまったと詠んでいると推定できる。それにしても、ごくごく分かりやすい作品のように思われる。
* 作者の祝部成茂(ハフリベノナリモチ)は、日吉社の神職であるが、従四位上丹後守・大蔵少輔の官位も有している。
成茂の祝部氏は、代々日吉社の神職を勤めているが、同時に歌人としても知られる人物を多く輩出していたようだ。成茂も禰宜惣官(ネギソウカン)に就いているが、祭事を執り行う役職であり、いわゆる神主にあたるのであろう。
* この時代の神職については、なかなか分かりにくいので少し述べておきたい。
古くは、神職としては、禰宜(ネギ)と祝(ハフリ)の二つだったようで、宮司は平安時代になってから登場したようである。
大神社においては、神主・禰宜・祝の三職が置かれ、それも相当数が属していたが、小神社では、その数は少なく、いずれかの神職一人ということもあり、祝が神主となることもあったらしい。
* 成茂も、禰宜惣官として有力大社の祭事を主管しながらも、歌人としてあるいは貴族として宮廷との関わりは密なものであったようだ。それは、成茂の父も祖父も同様であり、成茂の妹に後鳥羽院下野という女房名で出仕していることからも、宮廷と有力神社は有力寺院と同様に密接な関係にあったらしい。
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