雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

草の花は

2014-12-19 11:00:11 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第六十四段  草の花は

草の花は、
瞿麦(ナデシコ)。唐のはさらなり。日本のも、いとめでたし。
女郎花。
桔梗。
          (以下割愛)


草の花では、
なでしこがすばらしい。からなでしこ(石竹)はさらに良いですね。日本のものも、とてもすばらしい。
おみなえし。
ききょう。

朝顔。かるかや。菊。壺すみれ。
りんどうは、枝ぶりなどがわずらわしいが、他の花がみな霜枯れてしまっている頃に、大変鮮やかな色合いで、目につくように咲いているのが、とても良いです。
また、わざわざ取り立てて、一人前の花として扱うほどのものではないのですが、かまつかの花(不詳。葉鶏頭とも、つゆくさとも)は、可憐な姿をしています。ただ、名前はどうも良くありません。雁の来る花(雁来花なら不詳)と文字では書いてあるのです。

かにひの花(諸説あるも確定できず)は、色は濃くはないけれど、藤の花ととてもよく似ていて、春と秋とに咲くのが、おもしろいのです。
萩は、大変色が濃く、枝もしなやかに咲いているのが、朝露に濡れて、なよなよと広がって伏しているのが良く、牡鹿が、とりわけて好んで近付くらしいのも、格別に趣があります。
八重山吹。

夕顔は、花のかたちも朝顔に似ていて、朝顔・夕顔と二つ並べて言うととても趣がある花の姿なのに、あの不格好な実の姿が台無しにしてしまい、とても残念です。どうして、そんなふうに、生まれついてきたのでしょう。せめて、「ほうずき」などというもの程度の大きさであれば良いのに。とはいっても、やはり夕顔という名前は趣があります。
しもつけの花。
葦の花。

「この『草の花は』のなかに、薄を入れないのは、とても変だ」と人は言うようです。
秋の野を通じての情緒は、まさに薄に限ります。穂先が蘇芳色(暗紅色)で大変濃いのが、朝霧に濡れてうちなびいている姿は、これほどすばらしいものが他にあるでしょうか。
しかし、秋の終わりはねぇ、全く目も当てられないのです。いろいろな色に乱れ咲いていた花々があとかたもなく散り果てた後に、薄だけが、冬の末まで、頭が真っ白になりざんばら髪になっているのも知らないで、昔を思いだしているような顔つきで、風になびいてゆらゆら立っているのは、人間にとてもよく似ています。
このように思い当たる節があるので、そのことがどうにもやりきれないような気持ちにしてしまうのです。



前段の続きといえる章段です。
「草」と「草の花」を分けているのもおもしろい発想ですが、個人的には、この中の「夕顔」と「薄」の部分が大好きです。
少納言さまの感性がとても現れていると思われませんか。
コメント
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