雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

表紙

2010-08-04 08:12:53 | うつせみ

 


     う つ せ み


                          全12回

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うつせみ   第一回

2010-08-04 08:03:14 | うつせみ
          『 うつせみ 』


人は生きてゆく中で、予期せぬ出来事を経験してしまう。
夢であって欲しいとか、早く忘れてしまいたいといった思い出の一つや二つは誰にでもあるだろう。それらは、悲しいことや、悔しいことや、恥ずかしいことなどに繋がっていて、嬉しいことや楽しいことに結び付くものなど、おそらく無い。それらの苦い思い出は、今更どうすることも出来ず、まるで、人生の汚点であるかのように重く染みついている。
しかし、それらの思い出は、うつせみに似ている。
蝉の抜け殻であるうつせみは、無味乾燥で無様な姿をさらしているに過ぎないように見えるが、あの時、限りある命を懸命になって大空に羽ばたかせた記念の印でもある。

          ( 一 )

飯島がその街に足を踏み入れたのは、その夜が初めてだった。
大阪北部の歓楽街として有名だが、関西になじみの薄い飯島は、名前は知っていたが実際に訪れたことはなかった。

「常務、さあ、もう一軒いいでしょう?」
確認する形ではあるが、例によって強引な青山に引率されるようにして「あわじ」と看板の出ている店に入った。そこは、歓楽街の中心からは少し離れていて、新興の住宅地がすぐ近くまで迫ってきているような場所にあった。

「いらっしゃい」
大きな声とともに、三人ばかりのホステスが青山を取り囲んだ。いかにも常連という感じである。
店の中は、間口に比べて奥行きが深く、明るい雰囲気である。

「おいおい、今日はいつもと違うんだぞ。大切なお客様をお連れしているんだから、少しは上品にしてくれないと困るなあ」
「まあ、憎らしいわ。あたしたちは、ね、アオちゃんに合わせるために無理に下品にしているんですゥ」

取り囲んだ中で一番年長と思われるホステスは、青山をぶつような仕草をしながらも、「いらっしゃいませ」と、飯島に対しては丁寧な挨拶をした。鮮やかな接客ぶりである。
「さあ、常務、奥へ行きましょう。こんなお姉さんばっかりじゃないですよ。奥にはもっと淑やかなお嬢さんがいますからね」

青山は相変わらず憎まれ口を叩きながら、わがもの顔に一同を奥に案内した。
もっとも、奥といっても背の低い仕切りがされているだけのコーナーなのだが、それでも落ち着いた感じがする。
全員が席に着きホステスたちも同席したが、ホステス全員が最初に出迎えてくれたメンバーのままである。
別のテーブルにも何組かの客があったが、この店のママである智子がすぐさま挨拶に来たことからしても、青山の勢いのほどがうかがわれた。後にバブルと呼ばれることになるこの頃は、中規模の商社が最も輝いていた時代であり、社員の仕事ぶりも凄まじいものだった。

「ママ、こちらが今度うちの大阪支社長になられた飯島常務だ。これからは時々お連れすることになるので、よろしく頼むよ」
青山が例によって大げさに飯島を紹介した。

「ようこそ、よくおいで下さいました。智子と申します。青山部長さんには大変ひいきにしていただいております。今後ともよろしくお願いいたします。
常務さんのことは、青山さんから、それはそれは自慢の常務さんだと何回も何回もお聞きしておりました。お会いできるのを楽しみにしておりました」
「これは、恐れ入ります。とんでもない悪口を、たっぷりと吹き込まれているんじゃないですか」

「とんでもありません・・・」
智子の応対ぶりは、さすがにこれだけの店を構えているだけあって、如才なく、それでいて嫌みがなかった。

青山に引き連れられてテーブルに着いた五人は、全員が、かつて中部支社時代に飯島の下で仕事をしたメンバーだった。
十年も前のことになるが、当時の中部支社は五つある支社の中で最も成績が悪く、それに加えて、吸収合併した社員との関係もぎくしゃくしたものがあり、かねてから社内で問題視されていた。
飯島はその中部支社で、営業部の次長と部長として丸五年に渡り勤め、収益トップの支社に育て上げた中心人物として高い評価を得たのである。

飯島は、外戚ではあるが創業者の一族だと社内では目されていた。彼にはそのような意識はあまりなかったが、常に先頭で昇進してきたのには、その辺りのことが影響していることは否定できなかった。
実際に、飯島が中部支社の営業部次長として赴任した時には、一族の一人がお飾りのような存在として配属されたように、あからさまに噂されたものである。

当時の中部支社の社員は八十人程だったが、その半分以上が二年前に吸収合併した名古屋を地盤としていた企業から引き継いだ社員だった。合併するとか吸収するとか簡単に言うが、会社の体裁を対応させることは出来るとしても、社員間にある感情やしこりを取り除いていくことは容易なことではない。
大企業同士の合併などでは、人事上の問題を解決させるには十年単位の時間が必要だといわれているが、決して大げさな言い方ではないと思われる。
飯島が着任した中部支社は、勝った側の社員と負けた側の社員とが足を引っ張り合う見本のような職場になっていた。

南東商事は、戦後間もない頃に、財閥系の大手商社であるM社から分離独立した会社である。
現在でも、M社は南東商事の主要株主として名を連ねているが、その持ち株比率は2%台に過ぎず、むしろオーナー一族の影響が強い企業として知られていた。
本来、設立の経緯からすれば直系の子会社であって当然なのだが、分離独立といっても、それほどきれいな話ではなかったようである。

第二次世界大戦の敗戦により大手財閥は解体されていったが、M社も組織の分割再編が避けられなくなっていた。その過程で、それまで軍部との交渉窓口として複雑で微妙な問題の処理を担当していた部署の処置に困った当時の経営トップが、その部門の管理職だった大沢恵一郎に残務の整理と三十人ばかりの社員を託したのが、南東商事設立の発端だった。
初代社長はM社の旧経営陣の一人だったが、一年足らずで大沢敬一郎に引き継がれ、同時に大幅な増資を実施してM社との関係を薄めていったのである。

その後、目覚ましい発展を遂げてきたが、その陰には表に出せない資産をかなり移管されていたことも大きな原動力になったようである。その中でも、現在でも南東商事の最大の資産である副都心に位置する本社ビルの用地は、まさしく訳ありの物件で、移籍する社員の退職金代わりとして移されたものだった。

このように非常に恵まれた条件と思われるものもあるにはあったが、それらが役立つのはかなり後年のことで、新会社立ち上げ当初は、譲られたわずかな商権で三十人の社員を養うという厳しいものだった。
その後、大沢恵一郎の積極方針と、石炭という基幹産業がすべて財閥系に押さえられていたため、その代わりのように入り込んだセメント業界の急成長が大きな力となって、経営は安定していった。
大沢社長の強いリーダーシップと、M社が直系企業に加えたくない事情もあって、南東商事はオーナー企業へと変貌し、その後は中小商社の吸収なども進め、M社など大手商社には遠く及ばないものの、今や一部上場の中堅商社に成長しているのである。

飯島が活躍することとなった中部支社は、二年前に吸収した会社の商権と社員を一本化させることに苦しんでいる最中だった。
支社長は南東商事生え抜きの取締役だったが、営業部の部長は吸収した会社から引き継いだ社員で、その下に飯島が次長として補佐する体制だった。中部支社全体がこのようなたすき掛けのような人員配置がされていて、営業部にいる四人の課長のうちの三人が引き継いだ会社出身者であり、一人だけいる南東商事生え抜きの課長が青山だった。

飯島は着任後間もなく、青山の率いる営業三課を自動車業界に特化していった。それまで三課が担当していた産業機械分野のほとんどを他の課に移し、同時に自動車に関連する分野のものはすべて三課に集中させていった。そして、青山の課を当時の中堅商社としては珍しい自動車業界専門の部署にしたのである。
この思い切った配置は、自動車産業の将来に期待が持てたことと、東海地区がわが国の自動車産業の中心になることを予測したことが大きな理由であるが、もう一つは、伝統的な産業の分野では大手商社やその系列企業の力が強く、南東商事の力では大きな成長は期待しにくかったが、進取の気質にあふれた自動車業界なら勝機があると判断したからである。

飯島たちが最も力を注いだ部品メーカーが驚異的な成長を遂げたことや、自動車業界全体が急速に発展し、特に東海地区の自動車業界の発展は目を見張るものがあり、営業三課は南東商事全社の中で最強と言われるまでに育っていったのである。
そして、この中部支社での驚異的な業績成果が、今日の飯島の地位を築いたのであるが、営業三課で苦労を共にしたメンバーはそれぞれ順調な昇進を続けていた。
特に青山は、上司と衝突したため中部支社に飛ばされた状態だったので、飯島との出会いを喜んでおり、互いに所属が変わってからも親密な交際が続いていたのである。

その後も飯島は順調な昇進を続け、このほど常務取締役に就任し、同時に大阪支社長を拝命することになったのである。
そこで、飯島の引継業務が一段落するのを待って、青山が音頭を取ってかつての中部支社で共に苦労したメンバーのうち大阪支社に属している者で歓迎会を開いてくれたのである。
幹事役の青山は、現在は大阪支社の営業部長であり、その辣腕ぶりは全社に知られていたし、他の三人もそれぞれの部署で順調に昇進して来ていた。

大阪支社は、南東商事の中で一番規模の大きな支社であり、飯島の支社長就任を機にかつての中部支社の再現を期待する声は大きかったが、今日集まっているメンバーは特に張り切っている社員たちでもあった。そして、その勢いが三軒目の「あわじ」になったわけである。

青山は飯島より二歳若く、他のメンバーは少し離れていて四十歳前後だった。商社マンとして最も脂の乗っている世代であり、かなり飲んでいるのだがいささかの疲れも見せず、常務、常務を連発させながら中部支社時代の思い出を繰り返し語り合っていた。
飯島は、この二週間ばかりの引継事務の疲れもあって、かなりの酔いを感じながらも十年昔に帰ったような、まるで夢の中にいるような気持になっていた。

その時、飯島は、あの人の姿を見た。夢を見ているような気持の中だったが、間違いなくあの人だと思った。
しかし、現実として、そのようなことがあるわけがなかった。

「酔っているかな・・・」
と、自分自身に言い聞かせるように首を振った。
この一、二年、何故だかしきりに思いだされるあの人の姿を、今、この目で見ている・・・。
だが、そのようなことがあるはずがなかった。あの人が、あの頃の姿のままでここにいることなど、あるはずがなかった。




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うつせみ   第二回

2010-08-04 08:02:31 | うつせみ
          ( 二 )

飯島が「あわじ」を再訪する機会は意外に早くきた。

歓迎会の日から十日ばかり経った頃、取引先の接待の後の流れで「あわじ」で飲み直すことになった。青山と営業部次長の大井と飯島の三人だった。
最初の時と同じように、青山とホステスたちとのにぎやかな挨拶の後、前と同じ席に着いた。そして、その席に加わったホステスたちの中に、先日見たあの人もいた。彼女は「美沙子」と名乗った。

美沙子は、この店ではまだ新しいらしく、周囲の雰囲気に溶け込めていない様子がうかがわれた。性格からくるものなのかもしれないが、むしろホステスの経験そのものが殆どないのではないかと、飯島には感じられた。
今も、先輩ホステスの応援のような形でこの席についているようだが、いかにも存在感に乏しかった。何だか、まるでそれだけが仕事のように、ひっそりとした感じで水割りを作っていた。
相変わらず座の中心は青山で、ホステスたちとにぎやかにやりあっていたが、美沙子もその話題に入ろうとしているらしく時々笑顔を見せるのだが、その笑顔は、場に馴染まない寂しげなものだった。

(あの人と同じ笑顔だ・・・)と、飯島は思った。

「あわじ」に三回目に来た時、飯島は思い切って、美沙子も指名に加えることが出来ないか青山に相談した。
「大丈夫ですよ。ママに話してみましょう。さすがは常務、抜かりがありませんねぇ、フフフ…。しかし、ミサコって、どんな娘でしたっけ?」

青山は首をかしげながらママの方に行き、何かしきりに説明している様子だった。そのあと、ママの智子は飯島の席に来て、美沙子を指名してくれたことに大げさなほどに礼を言った。

「常務さん、ありがとうございます。美沙子は、取ってもいい娘なんですよ。ただね、あまりにもおとなし過ぎるんですよ。いえ、あたしなんかと話す時は、明るいし、しっかりしているんですよ。ですから、本当にいい娘なんですけれど、この商売には向いていないのかなと心配していたんですよ。看板ホステスになってもいいくらいの娘ですので、常務さん、今後も、お宅様の指名の中に加えてやって下さいな」

智子は、まるでわが子を心配する母親のような口ぶりで話し、美沙子を呼んだ。
美沙子が来ると、智子はママの顔に戻り、飯島が指名してくれたことを伝え、これからもずっと指名してもらえるように頑張るよう励ました。

「ありがとうございます」
と、美沙子は深々と頭を下げて、小さな声で礼を言った。
精一杯の挨拶なのだろうし、その動作に嫌みはなく好感が持てるものではあったが、この店の華やかな雰囲気には、いかにも似合わない静かなものだった。

飯島は、美沙子のことを知りたいと思った。その生い立ちをぜひ知りたいと思った。
顔立ちはもちろん、体つきといい、仕草といい、さらに、美沙子という名前までが似ているのは、とても偶然とは思えなかった。もっとも、ホステスは本名を使っていることはあまりないと考えられるが、美沙子という名前が、あの人とのつながりを暗示しているうに思えてならなかった。

飯島は青山に勧められたことに乗るかたちで、美沙子をダンスに誘った。
若い頃に少しばかりダンスを習ったことがあるが、タンゴをマスターする前に降参してしまった程度の腕前なので、最近では飯島が自分からダンスに誘うようなことはなかった。しかし、美沙子をもっと知るためには二人だけの時間が必要だと思ったのだ。

美沙子は、言葉数も少ないが、香りもまた少ない女性だった。フロアーで体を寄せ合っても、他のホステスのような香水の香りはもちろんのこと、女性の持っている香りというか雰囲気のようなものを感じさせないように思われた。

「ホステスには、最近なったの?」
飯島は美沙子の耳元に囁いた。

「そうでもないんです。このお店は最近ですが、ホステスのお仕事は大分前からです。でも、わたしには合わないみたい。いつまでたっても一人前になれないんです」
「そう・・・。で、美沙子さんというのは、本名かな?」

「えっ? ええ、まあ・・・」
と、あいまいな返事だった。

飯島は、よく似た名前を持った女性と踊った、あの日のことを想い浮かべていた。
将来のことも、目の前の打算もなく、あの人といることが楽しく、ただひたすらに踊った。
ダンスを習いに行ったのも、ダンスが仲間のなかでちょっとした流行になっていたこともあるが、あの人と踊りたいことが一番の理由だった。
しかし、それも遠い昔のことであるが、今踊っている美沙子は、あの時のあの人そのままであるのが、飯島の理性に混乱を与えていた。

飯島は美沙子の素性を知りたいと思った。その生い立ちがどのようなものなのかを、何としても知りたかった。
仕事柄、飯島は調査会社などとの付き合いもあったが、身元調査をすることはさすがに憚られた。青山にはかなり詳しい事情を話し、ママから情報を仕入れてもらうように依頼もした。

美沙子が東京方面から移ってきたことは間違いなかった。男女関係のもつれから、それも相当にすさまじいことがあって大阪に逃げてきたようである。
これらのママからの情報を伝えながらも、「美沙子が持っている雰囲気からは信じられないような話ですねえ」と青山は首をひねった。さらに、金銭面でもかなり苦しい状態にあることも間違いなく、かなりの借金をここのママに肩代わりしてもらって窮地を逃れた経緯があり、この店に勤めることになったらしい、と青山は話を続けた。

単身赴任というより、家族がいない飯島は「あわじ」へ行く回数が増えた。
美沙子と店の外で会うことも多くなっていったが、それはママの智子の公認のような形になっていた。「あわじ」にとって南東商事が大切な客であったこともあるが、飯島の美沙子に対する接し方がただならぬものであることを、すでに智子は感じ取っていたのだろう。

 
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うつせみ   第三回

2010-08-04 08:01:51 | うつせみ
          ( 三 )

飯島が大阪での生活を始めて半年が過ぎた。

その夜も、店が終わるのを待って美沙子をタクシーで自宅まで送っていった。
二か月ほど前から、週に一度はタクシーで送るのが習慣のようになっていたが、アパートの近くで美沙子だけ降ろすのが常だった。美沙子の部屋に入ることはもちろんのこと、アパートの前に行くこともなかった。
しかし、この夜飯島は美沙子と一緒にタクシーを降りた。何も言葉をかけていなかったが、美沙子は特に不審がる様子も見せず、自分のアパートの方向を指さして微笑んだ。

飯島が一人で「あわじ」に来たときは、美沙子がその担当につくようになっていたし、それが当然のようにママだけでなくホステスたちにも認知されていた。
営業関係で来る時は取引先関係者と一緒のことが多かったが、その時はたいてい青山が仕切っていた。その場合も美沙子は席に加わったが、飯島と特別親密な関係を示すこともなく、先輩ホステスの後ろに従っているような状態に見えた。
飯島が一人で来る時は、ごくたまに美沙子を夕食にさそった後同伴の形で店に送ってくることもあるが、大体は接待の後で立ち寄ることが多く、一時間足らず飲み直す感じで、遅い時間の場合は美沙子を自宅まで送った。

飯島は美沙子の顔を見るだけで落ち着くらしく、自分の席につくよう強制することはなかった。他の客がある場合はそちらを優先させたし、顔馴染みとなった他のホステスを席に呼ぶこともあった。
上場会社の役員とはいえ、中年の客とホステスにしては、不思議な関係だった。飯島が美沙子に特別な関係を望んでいる様子はなく、手を握るようなこともなかった。最初の時に踊ったダンスもその後は誘うことはなく、ママなどに勧められても困ったように首を横に振った。
美沙子も飯島に甘えているような仕草は全く見せなかったが、席に着いている時は、他の客にない安心感を感じているらしく、実に穏やかな姿だった。

飯島は南東商事の接待とプライベートとの区別を厳密にしていて、支払いは現金で支払うようにしていたが、あまりに水臭いとママに言われてからは付けにしていたが、ママや青山が気を利かせようとするのをかたくなに拒んでいた。飯島が会社の経費管理に特別細かなわけではなく、交際費の使いぶりはむしろ豪快なところがあると青山などは喜んでいるが、美沙子の件は別だと青山には話していた。

二人の関係について、ホステスの中には無責任な噂をする者もいたが、ママの智子は、二人の関係は親子みたいなものだと感じ取っていた。現に青山からは、飯島が昔大変世話になった人の娘の可能性があると聞かされていた。
智子も最初はホステスを口説く常套手段のように思わなかったわけではないが、飯島の人柄が分かってくると、複雑な問題があるらしく、飯島が美沙子の保護者になろうとしていることは本心だと思うようになっていた。

それ以外にも、智子は飯島から直接相談も受けていた。美沙子の借金のことや、どういう支援をすればいいかなどを真剣に相談されていて、「これで指名料をいただいていいのかしら」と青山に相談したほどである。
若い頃から飯島の酒席の姿を知っている青山は、堂々と請求してくれる方が飯島は喜ぶといって智子を安心させたが、同時に、よほど大事な人の娘らしいのでそれとなく見守って欲しい、と懇願されてもいた。

美沙子のアパートは、表通りから少し奥に入った場所にある質素なものだった。
六畳の日本間と三畳位のダイニングキッチンらしいものがあるだけで、あとは入口の小さなたたきと風呂とトイレのようである。部屋はきれいに片づけられているが、同時にそれは調度品が極端に少ないことにも原因していた。

美沙子は飯島の予想外の訪問に少しばかり戸惑いながらも、別に嫌がる様子も見せず部屋に上げると、
「インスタントしかないんです」
と言いながら、コーヒーを入れた。

二人は、日本間に置かれている食卓兼用でもあるらしい座卓に、コーヒーカップを挟んで向かい合って座った。
飯島はコーヒーを一口飲むと「おいしいよ」と微笑み、鞄から銀行の紙袋を取りだして美沙子の前に置いた。

「これを、使って欲しいんだ」
「お金ですか?」
「そう、五百万円ある。これで、お店の借りを返しなさい」

美沙子は銀行の名前の入った紙袋を、じっと見つめていた。そして、重苦しい沈黙の後、ひとり言のようにつぶやいた。

「お聞きになったのですね・・・」
「詳しくは知らないが、ママに立て替えてもらっている分が四百万円ほどあると教えてもらったんだ。もし、他にも借金があるのなら、それも教えて欲しいんだ」

「ママにお聞きになったのなら、仕方がありませんわ・・・。ママに肩代わりしていただいた分が四百万円あります。他に借金はありませんが、ママの分は、月々お支払しているものでは利息分にも足らないはずです。ですから、もう少し増えているのだと思います」
「足らない分はすぐ用意するから、ママに相談して返済させてもらいなさい」

「ありがとうございます・・・。でも、わたしは、飯島さんに指名していただく以外に殆ど指名がありませんし、生活していくのがやっとで、利息も滞っています。飯島さんにお金を出していただいても、お返しするあてがありません。ですから、本当にありがたいのですが、このお金をお借りすることは出来ません」
「そうじゃないんだ。返してくれる必要はないよ。あなたに使ってもらいたいんだ」

「飯島さんから、こんな大金を頂くわけにはいきません」
「確かに、私にとっても大金だよ。でも今の私には、それほど無理することなく都合できるお金なんだ。だから、ぜひ使って欲しい。あなたの役に立てれば嬉しいんだ」

美沙子は言葉に詰まり、じっと飯島の顔を見つめた。その目が、見る見るうちに赤くなっていった。

「どうして、そんなに優しくしてくれるのですか・・・」
ようやく言葉を出した美沙子の目から、涙があふれた。それを拭おうともしないで、じっと飯島の顔を見つめていた。
この人を守りたい、と飯島は心の中で叫んでいた。それは、青春の日の、消し去ることの出来ない後悔の思いへの叫びだった。

「私はあなたを守りたいんだ。決して他意はない。守りたいだけだよ。だから、このお金は私の方からお願いしているんだよ。あなたの役に立ててくれるよう、お願いしているんだよ」

美沙子は席を立った。嗚咽を噛みしめるようにして姿を隠し、やがて、シャワーのような音が聞こえてきた。きっと、泣き声を隠すためのシャワーなのだと、飯島は思った。
「あわじ」のママである智子の話では、高利の借金に苦しんでいるのを人を通じて知り、「あわじ」に移ることを条件に借金を肩代わりしたということだった。月々の収入から少しずつ返済しているが、前より低い金利になったとはいえ利息の返済さえ遅れがちになっていた。
訳ありの借金らしいですよ、と智子は言っていたが、先程の美沙子の様子からも苦しい過去があったらしいことが窺われた。

シャワーの音が止み、ややあって、美沙子が戻ってきた。白いガウン姿だった。そして、飯島の前まで来て、そのガウンを脱いだ。全裸だった。
これまでの人生はあまり幸せなものではなく厳しいものだったと思われるが、その体は、淡紅色に輝いていた。

「どうしたんだ・・・」
驚きの声を上げる飯島の前に、美沙子は、全裸のまま正座した。

「飯島さん、ありがとうございます。お金をお借りいたします。このお金で、わたしは地獄の思いから抜けられます。ただ、今のわたしには、お借りしてもお返しするあてがありません。何年かかっても、必ずお返しいたしますが、正直なところ、自信もありません・・・。
飯島さん、わたしを抱いてください。今のわたしには、他には何もありません・・・」
「馬鹿なことを言ってはいけない。そんなつもりではないんだ。そんなことをしなくてもいいんだよ・・・。さあ、早く服を着なさい」

「いいえ…、お願いします。汚れてしまっている体ですが、わたしに今出来ることは・・・、飯島さん、わたしを抱いてください・・・」
美沙子は全裸の体を投げ出すようにして、飯島にすがりついた。

思わず抱きしめたその体は、あの時の、あの人の、あの体そのもののように感じられた。強く抱きしめた体の弾力が、二十数年の時空を超えて飯島に迫った。

どのくらいの時間が流れたのか、あるいは一瞬のことだったのか、飯島は現実に戻った。
飯島は、自分の上着を美沙子に羽織らせた。スーツの間から見える乳房と、剥き出しの下半身が、哀れだった。
飯島は、もう一度強く抱きしめて、その耳元に囁いた。

「もう、これで十分なんだよ」
「それでは、わたしもお金をお借りすることが出来ません。お願いします。わたしを今の生活から抜け出させて下さい・・・。そのために、抱いてください・・・」

「今の生活から抜け出したいのなら、力になるよ。それは、わたしがそうしてやりたいからなんだよ。あなたの力になりたいからなんだよ。あなたの体は、やがて現れる大切な人のために、大事にしなくてはいけないよ・・・」
飯島は、美沙子に語りかけながら、同時に、自分自身に言い聞かせているような気持になっていた。

その夜、飯島は美沙子の強い申し出に負けてその部屋に泊まった。
二人は、一つの布団で抱き合うようにして寝たが、結ばれることはなかった。
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うつせみ   第四回

2010-08-04 08:01:17 | うつせみ
          ( 四 )

飯島が岡島真沙子と出会ったのは、彼が二十六歳の時だった。
南東商事に勤務して三年余りが経ち、商社という仕事にも大分慣れて、ぼつぼつ一人前の仕事が与えられるようになった頃である。

南東商事は、その設立の経緯からして、古くからの商権をベースとした商社だった。繊維や金属部門を得意とする営業基盤は、安定した収益をもたらしてはいたが、大手商社のおこぼれを頂戴しているようなところがあり、将来的な発展を望みにくい体質を持っていた。

その頃、南東商事の経営陣は、その打開策の柱として食品事業に注目をしていた。当然のことながら、食品分野も大手商社の営業力が網の目のようにように張りめぐらされてはいたが、戦後の名残である食管法の影響はまだ色濃く残っており、コメを中心として大手商社といえども自由な商社活動が出来ない分野だった。
その関係もあって、流通経路は複雑に絡み合っていて、小さな問屋が林立している業界だった。

南東商事のような規模の商社でも、大手商社と対等に戦える部分が残されている業界だと経営陣は判断していた。そして、その経営戦略を推進させるために、若手社員を中心とした戦力を投入していた。
飯島も最も若いスタッフの一人として選抜され、東京都内を中心として営業活動を展開していた。

岡島真沙子は、都内東部にある食品問屋の社長秘書のような仕事をしていた。
その食品問屋は、南東商事が最近傘下に置いた食品関係の専門商社である江戸川物産の最も重要な取引先だった。江戸川物産の販売力強化を職務として与えられていた飯島は、同社の取引先の問屋への営業活動を展開していた。そして、そうした営業活動の一環としての訪問先の一つが真沙子が勤めている会社だったのである。

その食品問屋は、都内の東部におけるもっとも有力な一次問屋だった。傘下にある二次問屋の数は多く、都内東部ばかりでなく、千葉県から茨城県にかけても強い地盤を築いていた。
江戸川物産と同社との取引は少なく、同社との取引拡大が飯島にとって重要な課題だった。

当時の食品関係の流通業界は、永い歴史の上に築かれた人的な信頼関係がベースになってピラミッドが構築されていた。一次問屋、二次問屋のほかに、ブローカーのような存在や三次問屋といえるような業者も存在していた。商品の流れも、全てが上から下へと流れていくとは限らず、三次問屋のような業者が、特定の商品に限ってだが一次問屋へ納入している例も見られた。
江戸川物産も、位置付けからすれば一次問屋にあたるわけではあるが、いわゆる問屋としての機能は弱く、幾つかの有力メーカーの商品比率が極めて高く、代理店的な性格が強かった。

乱立している流通業者は、大資本の影響下に置かれる企業も少しずつ増えてきてはいたが、老舗と呼ばれ伝統を守り続けている業者や、殿様商売的な業者も依然力を保っていた。
今日のスーパーマーケットの前身にあたるような業態の小売業者も散見されるようになってきてはいたが、まだまだ少数派で、複雑な流通経路を経て膨大な数の小売業者に商品は流れていたが、それはそれで微妙なバランスが保たれていた。

真沙子が勤めているその食品問屋は、完全なオーナー会社であり、古い歴史と膨大な資産を有していた。江戸川物産が納入シェアーをアップさせるための方策といっても、決め手となるものはなかった。特別魅力的な商品でも提供できればともかく、ただひたすら社長と親密になり信頼を得ることしかなかった。
飯島と真沙子の出会いは、このような背景のもとに、社長の信頼を得るための手段として、飯島の方から積極的に、社長の信頼の厚い秘書である真沙子に近づいていったものだった。

真沙子の本当の業務は経理の担当者だった。売上や仕入の経理は営業課に属する形で配置されていて、彼女を含めた男性二名女性二名で、経費処理や全体の資金管理などを含めた経理と総務の業務を担当していた。
本当は、秘書という職務は同社にはなかったのだが、外部からの来訪者はもちろんのこと、社員たちからも社長秘書のような存在として見られていた。年齢は、飯島より二歳年上なので、その頃二十八歳だった。

食品業界に限らないが、問屋という慌ただしい空気に満ちた職場にあって、真沙子の存在は際立っていた。美貌もさることながら、華奢にみえる体つきにかかわらず、浮き上がって見えるほどの存在感と相手を圧倒するような気品があった。
真沙子の態度や人柄は、実に静かなものであり、圧倒するという表現は正しくないが、初対面の時に飯島は、間違いなく圧倒されるようなものを感じたのである。社長への伝言やスケジュールの確認などからだけでも彼女が秘書として大変優れた才能の持ち主と感じられたが、それでいて、女性秘書特有の冷たさのようなものは微塵もなかった。

飯島は、真沙子との出会いに強い衝撃を受けた。
これまでにも、すばらしいと思う女性と出会ったし、人並みに恋もしたし失恋も経験していた。しかし、真沙子という存在は全く次元が違うものだと、飯島は思った。
これまで飯島が経験してきた、愛とか恋とかというものとは全く異質であり、愛というより、尊敬という感覚に近い魅力だった。

(これは、恋などではない。しかし、この人を得たい)
と、飯島の想いは募り、恋が生まれた。

   **

飯島の真沙子に対する攻勢が始まった。
最初は、終業時間を見計らって通勤駅で粘り強く待ち伏せた。偶然出会ったことにして次第に親しくなっていくといった話があるが、飯島の場合は違っていた。率直に待ち伏せしていたことを訴えて、強引に食事に誘った。
二人が初めて顔を合わせてから、ひと月ほど経った頃のことである。

真沙子は、さすがに戸惑いを隠さなかったが、
「何だか、お断りできないみたい」と言いながら、承諾の意思を示した。

二人の初めてのデートは池袋のラーメン屋だった。
意識して奇をてらったわけではないが、当時の飯島には、真沙子を連れていくのに適したレストランを知らなかった。もちろん、ラーメン屋よりましな所を知らなかったわけではないが、中途半端なレベルのレストランに真沙子を誘う気にはならなかった。真沙子には、そのようなレストランは似合わないと思ったのだ。

池袋のラーメン屋は、いわば飯島のホームグランドだった。学生時代もそうだったが、就職してからも外食が多い飯島は、比較的安価で美味しい店を幾つか知っていた。会社の寮に入ってからは食事も用意されていたが、帰るのが遅くなることが多く、夕食の三分の一は外食だった。
通勤経路の関係から、最近は五反田辺りが主だが、ラーメンとかトンカツなどは、少々不便でも好みの店まで行くことが多かった。
まだ、チェーン組織や大規模資本で全国に展開する飲食店などは出現していなかった。

真沙子は、アパートで一人暮らしをしていて自炊していたが、週に一、二度は二人で食事をするのが約束事のようになっていった。最初のうちは戸惑っていた真沙子も、一緒に食事をする日の間隔があいてしまったような時には、寂しさを感じるようになっていった。

二人は互いの会社に知られることなく親交を深めていった。食事をする場所も、真沙子の会社から離れている池袋、新宿、渋谷といった辺りだったが、真沙子のアパートに近い池袋が中心だった。
食事の後、映画を観ることもあったが、大概は喫茶店でしばらく語りあい、真沙子のアパートの近くまで送っていった。

真沙子は、ちょっと気取った喫茶店でも、学生や若者が多いラーメン屋でも何の違和感も感じさせない女性だった。どんな場所にあっても、際立った清楚さが体全体から匂い立つように漂い、あたりを圧するようにさえ感じられた。少なくとも、飯島にはそのように見えた。
決して高級な衣服を着用しているわけではないが、白と水色を組み合わせたツーピースなどは、行き交う人を振り返させるほどだった。

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うつせみ   第五回

2010-08-04 08:00:40 | うつせみ
          ( 五 )

飯島は強引なまでにして真沙子に近づきはしたが、交際が始まった後は一転して慎重な行動ぶりだった。会うのは夕食を共にする時にほぼ限られていて、休日に食事に誘うこともあったが、真沙子に他の予定がありそうな気配を感じると即座に誘いを取り消した。

二人が特別な意識をもって交際するようになってから三か月の間、ごくたまに真沙子の手を取るようなことはあったが、それ以上体に触れるようなことはなかった。飯島にとって、真沙子は特別な存在であって、強引には誘ったがそれ以上のことは彼女の意思に反して行動するつもりはなかった。
もちろん、全く冷静に対応したわけではなく、自らの欲望に誘惑されそうになることも再三あったが、飯島は厳しく自制を続けていた。

しかし、飯島はその三か月を無為には過ごしていなかった。
あまり自分のことを語らない真沙子だが、以前には踊りによく行ったという話をしたことがあった。飯島はダンスが出来なかったので、恥ずかしさに耐えてダンス教室に通っていた。
三か月を過ぎた頃から、二人のデートにダンスが加わった。

それでも、依然食事をすることが主体で、あとで喫茶店に寄るのがせいぜいで、真沙子の時間の許す限り話し合ったが、相変わらず話題を提供するのは殆ど飯島だった。
しかし、ダンスの時だけは違った。真沙子は生き生きとフロアーを動き回った。踊っているというより、泳いでいるようにと表現できるほどすばらしかった。飯島は、真沙子と組んで踊れるという目的が果たし、夢のような時間を過ごせるようになったが、ダンスの腕は真沙子の方が遥かに上だった。

その頃でも正式にダンスを踊れる人はそう多くはなかったが、タンゴとなるとなおさら少なかった。
二人がよく通ったホールは規模の大きい所で、その大勢の中でタンゴをそれなりに踊るには、かなりの年期を必要とした。飯島の即席の腕前では荷が重かった。真沙子の踊りをサポートすることなどとても無理で、ついて踊ることも難しかった。

踊る時の真沙子の姿はまるで別人のように見えた。二人で会っている時の真沙子ではなく、仕事をしている時のようにオーラのようなものを発しているように見えた。いつも普段と変わらぬ服装であり、周囲の女性よりどちらかといえば地味な身なりだったと思うのだが、飯島の欲目があったとしても、踊っている時には一人スポットライトを浴びているかのように輝いていた。
飯島は、真沙子をもっと自由に踊らせてやりたいと思い、別のパートナーを勧めたことがあったが、

「あなたとだから、踊れるのよ。他の人と踊る気持ちなどないわ」
と答え、「辛抱して踊って下さいね」と、飯島が自分のためにダンスを習ってくれたことに礼を言った。
真沙子とは、そのような女性だった。

真沙子は、自分のことを主張したり望んだりすることがなかった。飯島の話には熱心に聞き入るが、自分のことについてはあまり話すことがなかった。特に、生まれ故郷のこととか子供の頃のことについては話したがらない様子で、むしろ避けているように飯島には感じられた。
それでも、話の流れの中で、真沙子の生い立ちに話題が移った時があった。
真沙子は、自分が生まれ育ったのが信州の八ヶ岳が間近に見える村であること、そして両親とは早くに死別したことを淡々と語った。特別に悲しげでもなく、感情的でもなく、物語を話すかのように、まさに淡々と語った。

兄と二人で生きてきたという話をしていたが、それであればおそらくかなり厳しい環境での生活だったと思われたが、いま目の前にいる真沙子が持っている雰囲気とは、飯島には結び付けることが出来なかった。
しかし、作り話をしているはずはなく、触れてはならない領域に入ってしまったのではないかと飯島は懸念した。

沈黙が二人を包み、会話が途絶えた。
この人を絶対に失ってはならないと、この時飯島は確信した。自分がこの人を護り、幸せにしなくてはならないと強く思い、真沙子の存在が、敬慕から愛情に変わった。

二人はいつもより早く帰路に着いた。いつの間にか包まれてしまった重い雰囲気を、どちらもが振り払うことが出来なくなっていた。
いつものように真沙子のアパートの近くまで送ってきた飯島は、不自然なまでに明るい声を出して挨拶し踵を返そうとした。
真沙子は、寂しげな笑顔を見せて頷いた。そして、飯島の腕を取った。不意のことに戸惑い気味な飯島の言葉を聞くこともなく、何事でもないように歩きだした。

その夜、飯島は初めて真沙子の部屋に入った。そして、二人は結ばれた。

     **

二人の交際は、一段進んだものとなった。
週に二度ばかり夕食を共にするというペースは同じだったが、その内の何度かに一度は真沙子の部屋で過ごすようになった。週末には、飯島に仕事が入っていない時には泊まることもあった。
体の関係を重ねることに比例して飯島の思いは深まり、真沙子なしの生活など考えられないような状態になっていった。

飯島は結婚を意識して、将来について語ることが多くなった。真沙子は嬉しそうな表情で、二人の将来について語る飯島の顔を見つめていた。
飯島が自分の語る二人の将来像に酔ったように熱弁を奮う時には、目を輝かせていつまでも飽きることなく聞き入っていた。しかし、真沙子が自分自身夢を語ることは殆どなかった。

ある時、飯島が真沙子にも二人の将来のことを話すように強く求めた時、「本当に、わたしで良いの?」と、ひとり言のように呟いたことがあった。
「何を言ってるの、当たり前じゃないか。あなたでなければ駄目だよ」
飯島は、真沙子の言葉にうろたえて、その手を取って叫ぶように訴えた。

真沙子は飯島の言葉に大きく頷いたが、その顔は無理に作ったような寂しげな笑顔だった。そして、静かな口調で応えた。
「ありがとう・・・。でも、無理はしないで・・・。わたしは、今のままでも幸せなんだから・・・」

飯島は、真沙子の言葉にどう答えればよいのか分からず、肩を抱き寄せ力を込めた。その肩は、泣いているように震えていた。

このことがあった後も、真沙子の飯島に対する接し方にはなんの変化も無かった。常に飯島の気持ちを大切に考えてくれて、自分の要求を強く表に出すことは一度もなかった。
飯島は出来るだけ早く正式に結婚したいと考えていたが、その考えが真沙子に強要しているように伝わらないか躊躇し、二人の仲は足踏み状態となった。

しかし、二人が初めて結ばれた時からの三か月余りは、飯島にとって最も幸せな時だったのかもしれなかった。
早く結婚したいという気持ちが、真沙子の気持ちとうまく噛み合わないもどかしさはあったが、飯島が身を焦がすほどに人を愛することが出来たのは、生涯において、この頃の数か月だけだったのかもしれない。



 
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うつせみ   第六回

2010-08-04 08:00:06 | うつせみ
          ( 6 )

二人の別れの発端は、飯島が偶然耳にした風評からだった。

それは、真沙子が食品問屋の社長とただならぬ仲であるという噂だった。
江戸川物産の営業社員から聞かされた話だったが、飯島とて最初は苦笑するだけで聞き流していた。しかし、それが単なる無責任な噂だとしても一度聞いてしまった以上、苦笑いだけで消し去ることが出来るものでもなかった。
飯島は、自分では意識しないように努めていたつもりだが、噂の真偽を確かめようと注意するようになっていった。そのような心境の者には、風評というものは誇大に伝わるものである。

真沙子と社長の噂については、その問屋の社員たちの間では相当以前からあるものらしく、ある若い社員などは、公然の秘密ですよ、と飯島に語った。
そう言われてみると、真沙子の社内での立場は、社長秘書のような職務を担っているとしても、強い権限を与えられ過ぎているように見えた。一緒に働いているわけではないから、飯島が知っている真沙子の仕事ぶりは断片的なものだが、上席の社員さえ真沙子に気を使っているように感じられた。
さらに、その社長はまだ四十歳代の好男子で、若い飯島では太刀打ちできないような風格があり、真沙子と並ぶように立った時などは、はっとさせるほど釣り合っていて飯島の心を苦しめた。

飯島は苦しい胸のうちを押さえきれず、真沙子に噂のことを話し、追及した。
本当は、追及するつもりなどなかったし、真沙子の口から明快に否定の言葉さえ聞くことが出来ればもやもやした気持ちを振り払えるとの思いだった。しかし、冷静な態度はすぐに崩れ、厳しい口調で追及することになってしまい、取り返しのつかない重大事にしてしまったのである。
真沙子にすれば、飯島がそのような噂を真に受けるなどということは想像することさえ出来ないことだった。

「とんでもないことです・・・」
真沙子が弁解した言葉は、この一言だけだった。激しく怒ることもなく、泣くこともなく、静かに否定して少しも取り乱すところがなかった。

飯島は、自分が悶々として苦しんできたことに比べ、あまりにも冷静な真沙子の態度に戸惑いを感じ、その戸惑いが怒りとなって言葉が過ぎた。
正確な事実関係を確認し合うこともなく、二人の間には深い溝が生じた。その溝は確実に広がってゆき、溝の広がりを防ぐには飯島はまだ若かった。
互いが、二人の仲が壊れようとしていることを認識していた。互いに、相手を大切に思い失ってはならない伴侶だと認識していた。しかし二人は、掛け替えのない大切なものを守り通す術を知らなかった。
そして、突然に真沙子が姿を消し、二人の仲は終わった。

後から知ったことであるが、その時真沙子は妊娠していた。
その子の父親は社長だとの噂が表面化し、社長夫人との間でひと悶着あったようだ。もっとも、これも当事者に確認した者はおらず噂の域を出ない話だったが、真沙子は退職していったということである。

その時には、飯島と真沙子の間はすでに修復困難な状態になっていた。飯島には、やはりという気持ちがどこかにあり、この後どうしていくのだろうと案ずる気持もあったが、特別に行動することもなく、青春の日の、苦い苦い思い出となっていった。

     **

飯島は、その一年余り後に、彼が属している部署の担当取締役である水沢の一人娘と結婚した。

南東商事における飯島の仕事ぶりは際立っていた。真沙子と別れた後の飯島は、その思い出を振り払うように仕事に没頭した。水沢取締役は、そんな飯島に惚れ込んで、一人娘を嫁に出してまで結婚させたのである。
結婚後の飯島の活躍ぶりはさらにその勢いを増し、若手のホープと噂されるほどになっていった。岳父となった飯島取締役は、オーナー的存在である大沢社長の外戚にあたり、社内では社長一族の一人と目されていた。その岳父の力によるところもあったが、飯島は抜擢されるたびに期待に応えるだけの実績を上げていった。

飯島は短い海外勤務の他は、国内の営業の一線を担当していったが、率先遂行型のファイト剥き出しにした力戦型の社員が多い中で、むしろ静かなタイプといえる社員だったが、気がついてみると常にトップクラスの実績を上げていた。そして、その存在感は上席になるほど輝きを増していった。
中でも、伝説的とまでいわれる中部支社躍進の中心社員としての経歴は輝いており、取締役へは同期のトップを切って昇進し、このほど常務へと進んだのである。

しかし、水沢取締役の一人娘を妻に迎えた家庭は、必ずしも充足されたものではなかった。
妻に何の不満もなく、飯島が会社で存分に働けるようにサポートをしてくれたし、温かい家庭を作り上げてくれた。岳父は本当は飯島を婿に迎えたかったのだが、飯島や娘の希望を受け入れて一人娘を嫁に出したが、結婚後の生活は、新郎が新婦の家に入る形となっていた。
妻を亡くし、娘と二人暮らしの中に飯島が入り込む形となったが、それはそれで落ち着いた生活を築くのに何の支障もなかった。ただ一つ、二人は子宝に恵まれなかった。

そして、飯島が名古屋に単身赴任している時に、岳父が急死した。日頃あまり病気をすることもなかったが、急な病死だった。さらに、妻も、飯島が取締役に就任して間もない時に亡くなった。
若い頃から体が弱かったが、父を亡くしてから体調を崩すことが多くなっていた。お手伝いとして住み込んでいる未亡人とその娘が主に世話をしていたが、その甲斐もなく若すぎる旅立ちだった。

飯島は、社内での華やかな活躍の裏で、一人っきりの生活をこの数年送ってきていた。
次々と本来の主であるべき人物を亡くしていった家には、管理とお手伝いを兼ねて未亡人とその娘に引き続き残ってもらい、まるで飯島が間借り人のような生活を送っていた。身の回りのことなど不便さはあったが、雑念を振り払うように仕事に打ち込み続けていた。

物静かな男ではあったが、自分は仕事に生きるタイプの男だと飯島は思っていた。
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うつせみ   第七回

2010-08-04 07:59:34 | うつせみ
          ( 七 )

美沙子と初めて会った時点で、彼女は真沙子の娘に違いないと飯島は確信していた。
世間にはよく似た人はいるものである。飯島が真沙子と交際していたのは、二十五年も昔のことで、それも、一年に満たない期間だった。その後は一度も会ったことがない。
当時の写真はすべて処分してしまっていたし、記憶というものがそれほど正確なものでないことも承知していた。それでも、美沙子を初めて見た時のあの衝撃は、顔かたちや仕草が似ているなどといったことを越えて、飯島に迫る何かがあった。

そしてその次に、というより殆ど同時に、自分の子供かもしれないとも思った。
あの時の、あの突然の別れは、青春の日の苦い思い出というには、あまりにも重いものだった。その重さは、慌ただしく走り続けていた時には殆ど感じることもなかったが、いつか五十歳の声を聞く頃から飯島の心に意識させるようになってきていた。
会社における職務の重要さが増すほどに心身を没頭させてはいたが、その一方で、走ってきた人生をふと立ち止まって振り返ることも増えてきていた。その度に、それは重さを増して飯島に迫った。

時を経て、冷静に考えてみれば、あの真沙子が、自分とあれほど充実した生活をもっていながら社長と男女の仲になるなどあるはずがない。そういう噂があるとしても、むしろそういう噂がある時こそ自分が力になるべきではなかったのかと、飯島は今になって思うことがあるが、詮無いことだった。
真沙子は、心ない噂を疑われたことに絶望したのではなく、疑いを持つような男の心根に失望したのだと、飯島は今になって痛切に思うのだった。

なぜあの時には、これほど明白なことを見通すことが出来なかったのかと胸が痛んだ。真沙子との将来に夢を描いていたさなかの噂話など、ある筈もない中傷だと受け止めることがなぜ出来なかったのかと、歳を数えるごとに後悔の念が増大していっていた。
何ものにも代えがたい愛であるとか、それを超えるような尊敬の念であるとかいった思いを真沙子に抱いていたのが、あの噂により裏切られたと思ったのだが、年を経て思い返してみれば、たったあれだけのことで揺らぐ思いなどは愛でも尊敬でもなく、自分自身が幸せになりたいという思いに過ぎなかったのだと心に突き刺さってくるのだ。

あの頃、飯島の頭の中にあったものは、自分自身の幸せのための設計図だけであり、その設計図の中に自分にとって都合のよい役割を真沙子に期待していたに過ぎなかったのだ。真沙子の幸せや将来についての配慮など全くなく、愛するということの意味さえも分かっていなかったのかもしれない。
その何よりの証拠は、あの時真沙子が妊娠していることなど全く気付かなかったのである。そしてまた、その事実を知った時に、なぜ自分の子供だと思わなかったのか・・・。若い日の苦い思い出は、年齢を重ねるとともに飯島の心を苛み始めていた。

飯島が真沙子を愛していたことに偽りはなかった。その愛が、一方的に奪う愛であって、相手に露ほどのものさえ与えることのないものだったとしても、真沙子を恋う心情に打算も思惑もなかったことは確かだと今でもいえる。
しかし、結局は真沙子と別れることになってしまった。それも、突き放すかのようにしてだった。
なぜあの時、真沙子の跡を追おうとしなかったのか・・・。悔んでみても、そこにはニ十五年という歳月が過ぎ去っていた。

     **

飯島が美沙子と出会ったのは、そのような自責の念に押し潰されそうな時だった。
その出会いは、決して偶然のものではなく、真沙子からの何らかのメッセージだと飯島は思った。そして、今度は自分が美沙子を護らなくてはならないと思った。奪う愛ではなく、一方的に与える愛で美沙子を護らなくてはならないと思ったのである。

美沙子が真沙子の子供であるかどうかについては、まだ確認できているわけではなかった。しかし、飯島は確信していた。美沙子の年齢は二十五歳位に見え、そのことが飯島により大きな動揺を与えていたが、実際は二十二歳だった。
青山がママの智子から聞き出したもので、健康保険証で確認しているということなので正確な情報だと考えられる。ということになれば、少なくとも美沙子が飯島の子供だということはあり得なかった。

美沙子は、自分の過去について殆ど語ろうとしなかった。両親とは死別していて、近い親戚もいないということや、出生は東京近郊だということぐらいしか分かっていなかった。
飯島も、美沙子のことをもっと知りたいと思いながらも、青山や智子から得た情報から推定しても語りたくない過去をもっていることは十分想像できた。専門業者による調査や本人に今強く質問することも考えてはみたが、若い日の過ちを繰り返しているような気がして控えていた。

あの夜、全裸で体を投げ出してきた美沙子を抱きしめた時、飯島はわが子を抱きしめている思いだった。誕生の時突きっ放していた父親としての詫びる気持ちで抱きしめていたのである。
その後、美沙子がわが子でないことはほぼ確認出来たが、真沙子の子供であるかどうかはまだ確認できていない。ただ、それがどういう結果であっても、美沙子を自分の子供のように護っていきたいとの思いは日ごとに強まっていた。

しかし、飯島の思いは少しずつ変化していた。
最初は真沙子の子供としての美沙子を護りたいという気持ちだったが、血の繋がりに関係なく、自分の子供同様の美沙子として護りたいと変化していた。そしてそれが、いつか美沙子という一人の女性として幸せを掴ませたいと思うようになっていった。
美沙子が真沙子の子供だと確信している裏には、若い日の取り返しのつかない思い出の幾ばくかを償いたいという気持ちがあったことは否定できないが、最近では、もっと純粋に、魅力ある若い女性の幸せを願っていた。もちろんそれは、男女の仲としての魅力ではなかった。
飯島にとって、美沙子が真沙子の子供であるとか否とかにかかわらず、自分が保護者としての責任を果たすべき娘であり、それだけが二人を結んでいる細い糸だと考えていた。

かつて、真沙子が何の見返りも考えずに自分に尽くしてくれたことを、今度は、自分が美沙子に行いたいと飯島は考えていた。美沙子の生い立ちが何であれ、またその過去がどのようなものであれ、美沙子がこれからの幸せをつかむために自分のすべてをつぎ込んでもよいと考えていた。

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うつせみ   第八回

2010-08-04 07:58:53 | うつせみ
          ( 八 )

まず、美沙子の仕事を変えさせることにした。
「あわじ」のママの智子とは円満に話をつけることが出来た。ホステスの仕事から足を洗うというのが条件だったが、飯島と美沙子との関係がただならぬ様子なのを承知しており、難しい問題にはならなかった。

美沙子は、飯島への返済が出来なくなると言ってホステスを辞めることを渋ったが、強引に承知させた。
次は住居を移させることにした。今少し広い住まいを美沙子も望んでいたので、転居することに不満はなかった。折り良く、取引先がらみで商談崩れの中古の物件があり入手することにした。
飯島がそれほど大きな資産をもっているわけではないし、妻から相続した資産に手をつけるつもりはなかった。それでも、子供がいないこともあり中古のマンションを買う程度のものは持っていた。

次々と話を決めていく飯島に対して、美沙子はただ戸惑うばかりだった。男と女のことならば、どんな大金を使おうが世間にはよくある話である。しかし、二人には男と女の関係はなかった。美沙子がそれを望んでみても、飯島は頑ななまでに美沙子を女としてみようとしなかった。もしかすると、こういう男と女の関係というものもあるかもしれない、と思ったこともあるが納得できるものではなかった。

飯島が一方的といえるほど強引に美沙子の生活環境を変えていくのに戸惑いながらも、もしかすると、この人が自分の苦境を救ってくれるかもしれないという気持ちも芽生え始めていた。現に、久しく苦しみ続けてきた借金は少しも減っていないが、全てを飯島が肩代わりしてくれたことで精神的にはずいぶん楽になっていた。
これから先の生活をこの人と共に過ごせたらという気持ちが育ちかけていたが、飯島は美沙子に対して、白馬に乗った王子様役を務めるつもりはないらしく、どうやら、あしながおじさん役に徹しようとしているようである。
美沙子には、そのことが理解できず、少し寂しかった。

   **

美沙子の新しい生活が始まった。
飯島が購入したマンションはそれほど広いものではなかったが、大手業者による大規模なものだったので、戸数が多く入居者どうしの付き合いにそれほど気を使わなくて済みそうなのがありがたかった。環境もこれまでの所よりよほど良いし、歩くと大分距離があるのだが、ベランダからは大阪城の杜が間近に見えた。
両隣りの人には、しばらくは一人暮らしになるが父が時々訪れると挨拶したが、まんざら嘘ではなく、飯島は日ごとに父親役が板についてきていた。

間取りも、それほど広くないといっても家族用のマンションなので、美沙子一人には広すぎるものだった。
会社の休日でもなかなかプライベートの時間を取れない飯島だが、かなりの時間を捻出して美沙子と連れだって家具などの調度品を買い揃えていった。部屋割は、美沙子の個室と飯島の書斎を兼ねた個室を決めたが、あとリビングと和室があり美沙子が使いこなすようになるには時間がかかりそうな気がした。それぞれの部屋を考えながら調度品を次々に揃えようとする飯島に、どう対応すればよいのか分からず、
「夢を見ているみたい・・・」と、頬を染めた。

飯島にとっても楽しい時間だった。
調度品などは、特別高級なものは一つもなく、若い女性が使って嫌みのないものを選ぶようアドバイスはしたが、美沙子の好みもごく常識的なもののようで飯島は嬉しかった。
買い物なので一緒に外出することが続いたが、常に飯島は父親としてのスタンスに変わりなく、店員たちもそのように応対することが殆どだった。

「お嬢さんなんて言われたの、何年ぶりかしら…」
買い物の後、レストランで向かい合って座った時、美沙子は目を輝かせて微笑んだ。そして、その笑顔の頬を涙がすっと走った。
「本当に・・・、本当に甘えていていいんですね・・・」

その言葉に、飯島もまた胸に込み上げてくるものがあり、何度も何度も頷いた。
まだまだこれからが大切なのだ、と飯島は自分自身に言い聞かせていた。限りなく与える愛を美沙子に捧げたいと思って決断したことだが、美沙子がどのように受け取るのか不安もあった。しかし、目の前の美沙子の様子からは、自分の必死の思いを素直に受け取ってくれているように見え、飯島は安堵感のような気持を味わっていた。
美沙子と過ごすこの半月余りの充実感は、飯島にとっても久しぶりのことだった。一方的に与える愛情のつもりだったが、これほど大きな充足感を与えられるとは思っていなかった。一方的に与える愛などというものは、そうそう簡単なものではないのかもしれない。

美沙子を幸せにしてやりたい。美沙子の幸せを阻むあらゆるものから護ってやりたい。そのために自分の出来る限りのことをしてやりたい。この飯島の決意に偽りはない。それは、決意というより、願いであり、祈りでもあった。
しかし、飯島が美沙子に尽くしていると思っていたものは、借金を肩代わり、住居を準備し、仕事を変えさせることだった。これからの生活費もみていくつもりだが、それらは全て物質的なものでしかなく、こういう形でしか愛情を伝える方法を知らない自分に少しずつ気付き始めていた。
与える愛などといっても、結局は物質的なものでしか力になることが出来ず、本当の愛情を得ているのは自分の方ではないのかと、飯島は考え始めていた。しかし、この充実した日々を失いたくなかった。

自分また、美沙子から愛情を奪い取っているのではないのかと飯島は悩んだ。真沙子の時と形が違うだけで、再び同じ過ちを犯そうとしているのではないのだろうか。
美沙子と別れた後などに、これまでの一人暮らしの時には感じなかった寂しさの中で、飯島はそのような思いに襲われることが増えていった。

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うつせみ   第九回

2010-08-04 07:58:24 | うつせみ
          ( 九 )

飯島の心の中では密かな葛藤が続いていたが、美沙子にとっては夢のような日が続いていた。
美沙子にも、このような住居での生活を夢見たことはあった。母親との生活、愛されていると思った人との生活・・・、しかし、それらの夢は、あるものは儚く、あるものは悪夢となって、まっしぐらに転落し続ける半生だった。
それが今、次々といとも簡単に実現しようとしていることに戸惑いがあり、行き着く先に恐怖感のようなものがあった。こんなことがいつまでも続くはずがなく、今体験しているものが単なる幻想なのか、あるいは、夢見た分だけしっぺ返しのようなものがあるのではないかという気持ちが常にあった。

美沙子はそうした不安を何度も何度も自分自身に問いかけたが、飯島の申し出を拒絶することも逃げだすことも出来ないままに、事が進んでいっていた。
そして、幻想であるなら、それならそれでいいと考えることに思い至った。このすばらしい幻想を与えてくれている飯島に感謝しようと思った。素直に甘えて、夢を見させてもらおうと思った。たとえしっぺ返しのようなものが用意されていても、今さら自分には傷ついたり失ったりするものなどないのだから、「さあ、夢の生活はここまでだよ」と幕を引かれるその日までは素直に夢を見させてもらおうと思った。

週のうち四日間、子供服の専門店で働くことになった。午後の五時間だけのパート勤務だが、生活のリズムの中心になった。その他に飯島の強い勧めに従ってお茶とお花を習いに行くことになったが、あとは自由な時間だった。
飯島に喜んでもらいたくて料理も習い始めたが、お嫁に行く時に役立つよと喜んでくれたのが、少し寂しかった。

生活費は飯島が十分過ぎるほどのものを渡してくれた。こんなにはいらないと断ったが、給料を半分ずつしているのだと笑い、残れば将来のために貯金をしなさいと、父親の顔になって言った。
さらに、いつの間に作ったのか、美沙子名義の通帳と印鑑を渡して、自分から離れたくなった時は、どんなことがあってもこれだけは持って行くようにと言い、美沙子に約束させた。その通帳には、マンションが買えるほどの金額が記入されていた。

美沙子は、飯島を男性として強く意識することがあまりなかった。年齢はまさに親子ほど違うが、年齢差に抵抗感があるわけではなかった。飯島は本気になって父親役を務めてくれているが、美沙子には飯島を父親として感じるものもあまりなかった。むしろ、飯島と男女の仲になることが出来れば、もっと素直に甘えることが出来るかもしれないという思いもあった。
初対面の時から、美沙子は飯島に対して特別な印象を抱いていた。飯島が特別好意的だったことも関係しているのかもしれないが、横にいるとなぜか安心できるようなものが伝わってくるのだ。

あの夜、飯島に抱かれようとしたのは恋愛感情からでないことは確かだった。飯島が差し向けてくれた救いの手に対して何かをするとすれば、抱かれることしか美沙子には考えが及ばなかったからだが、心のどこかには、それまでの飯島の優しさに魅かれている部分があったことも否定できなかった。少なくともお金を受け取るために体を投げ出したといったものではなかった。

このマンションに移ってきてからは、仕事の関係で無理な時以外は、週の半ばに一度と週末には来るようになっていた。週末は大概泊まっていくが、美沙子の体に触れようとはしなかった。
美沙子の毎日の生活ぶりを楽しそうに聞き、まだ勉強中で見栄えも味も今一つのはずの手料理を、実に嬉しそうに食べた。
泊まっていく時は、ソファーに並んで座り遅くまでテレビを見ることが多かったが、美沙子の方から体を預けることも時々あった。飯島はそれを避けることもなく、美沙子の意思に応えるようにそっと抱きしめたが、それ以上に行動しようとはしなかった。時には、そのまま美沙子が眠ってしまうこともあるが、いつ目覚めても飯島の姿勢は変わらず、優しく包んでくれていた。

一度、偶然に、それも衣服の上からだが、飯島の手が明らかに美沙子の乳房に触れたことがあった。そして、一瞬驚きの表情を見せた後、体全体をしっかりと抱きしめ長い時間じっとしていたことがあったが、やがて少し首を振るような表情でその体を押し放した。その時、飯島の眼は涙に濡れていた。
美沙子には飯島の涙の意味は分からなかったが、自分の胸にも込み上げてくるものがあり、再び体を預けていったが、その時もそれ以上のことにならなかった。

年齢差があった。美沙子には飯島に話していない過去もあった。
しかし、飯島も妻と死別してから何年も経っている。正式に結婚してもらえなくてもいい、このままの状態でいいから飯島と家庭を持ちたいと思う気持ちが、美沙子の中で少しずつ膨らんでいた。
飯島が言ってくれるように、将来別の男性が現れるということもあるかもしれないが、今の生活を越えるような幸せを掴めるなど、とても想像できなかった。飯島を愛しているのかといわれると答えに困るけれど、信頼していることは確かだった。それに何よりも、飯島と一緒にいる時の安心感は、美沙子にとってこれまでの人生で経験することが出来ないものだった。

金銭面で苦しんできた美沙子にとって、経済面で手厚い援助をしてくれることは大きい要因であり、実際にそのことが二人を結びつけたといえるのだが、共に過ごす時間を重ねるにつれて美沙子の心には他の要因が育ってきていた。
それが愛情という言葉で表現できるものなのかどうか分からなかったが、飯島から与えられる優しさの何分の一かでも返したいと真剣に考えるようになっていった。といっても、経済的なことで返すことなど出来る筈もなく、出来るとすれば、飯島の疲れた心を少しでもいやすことではないかと考えていた。

飯島の社会的な立場などがあるかもしれない。そのことに問題があるのならば、自分は表に出ないように心掛けて、何とか今のような生活を続けていくことは可能なのではないだろうか。
美沙子は、飯島の言葉にかかわらず、自分が将来を共にしたいのはこの人以外には考えられないと思うようになっていた。

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それは、飯島にとっても新しい生活だった。
美沙子と初めて会った時の驚きは、二十五年の歳月を一気に遡らせるものだった。青春の日の苦い思い出は、激しい後悔と失ったものの大きさをよみがえらせたが、今は落ち着いた気持ちで美沙子に接することが出来るようになっていた。幾つかの疑問や葛藤はあるとしても、今はただ、どうすることが美沙子の幸せにつながるかだけを真剣に考えようとの結論に達していた。

そして、実際に実行に移しつつあり、美沙子の幸せだけを願うことに揺らぎはないつもりだが、やはり、どうしても、真沙子と美沙子の関係を確認したい気持ちを抑えきることが出来なかった。飯島は何度かの逡巡の後、美沙子の過去を調査することにした。それは、二人の新しい生活を更に進めるためでもあると飯島は考えていた。

しかし、飯島が次のステップを踏みだすのを待っていたかのように、美沙子が飯島のもとを去っていったのである。
全く突然のことで、このマンションに移ってくる時に持ってきた古いスーツケースと、わずかな衣服や身の回りの物だけを持って出ていってしまったのである。ここに移ってから揃えた服などは全てそのまま残されていたし、飯島が、自分から去る時には必ず持って行くようにと約束させていた預金通帳も手付かずのまま残されていた。

そして、残された手紙には短くこう書かれていた。
「今度は、わたしの方から去っていきます。ごめんなさい・・・」
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