緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

介護はチームワーク、介護は生前供養(6)

2016年11月06日 | 思い出
前回は母に不名誉なことを書いてしまったので今回は名誉なことを書きます。

私の母の場合、とても前向きで負けず嫌い、それが少々度を過ぎるという面がありました。
自分の病気や老いをなかなか認めようとしなかった事など、時には死の危機さへ招きました。

たとえば、まだ母が50代の頃、胆石の発作を起こしたことがありました。
私は当時、実家に住んでいなかったのですが、激痛でうなっている時でさへ、病院に行こうとせず、家事をやろうとしていたそうです。
父が見かねて、引きずるようにして近くの病院に連れて行ったところ、直ぐに大きな病院に行くように言われ、大きな病院に行くと即日手術されました。

後に母は私に、医者がとても生意気で、自分に向かって「あなたは死にたかったのですか」と言ったと言って怒っていました。
実際には、手遅れ寸前だったのですが、それを認めず、「医者が生意気」というところが母らしいです。

ただ、母の介護をするに当たって、家族にとってはその性格が、とても楽に働いたのでした。

自宅での介護が始まって、私が見ていてとてもショックなことがありました。
それは食事風景で、目の見えない母は当然のように手掴みでご飯やおかずを口に入れていたのです。

私はお箸で食べられなくても、せめてスプーンを使ってでも、手掴みでなく食べてほしくて、ケアマネさんに、リハビリの一環として目が見えなくてもちゃんと食べられる方法を母が学べないか聞きました。
するとケアマネさんは私をキッと見据えて言いました。

「〇子様(私の母)は、眼が見えなくなっても、自分の力で食べようとしていらっしゃいます。私は〇子様を立派だと思います」

そう言われて、私も初めて知ったのですが、80歳を過ぎて失明した場合、食事は介助されて食べるのが当然らしくて、通常の中途失明者のように食べ方を学んだりしないということ。
でも母は、病院にいた時から自力で、つまり手掴みで食べていたのです。
たぶんそれは、ほかの同じような状態に陥った高齢者はしないことのようだったのでした。

もう一つ気づいたこと。家族の目から見て否定的に見えることでも、他人の目から見ると評価されることもあること。
私もケアマネさんに言われて『手掴みで食べることが評価のできることなのか』と驚いたのですが、介護に他人を入れることの大切さは、同じことが異なる視点で見られることにもあるのではないでしょうか。

いずれにしても、負けん気が強くて何でも自分でやろうとする母の性格は、介護者にとっては後々までありがたいことでした。

大腿骨骨折の手術後のリハビリも、同室の同じような手術を受けた人達が痛みに苦しんでうまくいってなかったにもかかわらず、母の場合、とてもうまくいって、珍しいことだそうですが正座までできるようになりました。それは、自立心と行動力が人並み外れていて、その上、痛みを恐れない母の性格の故だったかもしれません。

そういうわけで、当初こそ訪問看護士に来てもらっていましたが、直ぐに必要なくなり、お風呂にも自力で入れるようになったのです。(家に誰もいない時でも一人で入ろうとするのには困りましたが。)

よく「私の母はわがままだから・・・」と介護について心配される方がいますが、私の母もわがまま、というより、究極の自己中人間でした。ただ、介護については、そのわがままさがプラスに働きました。わがままというのは、案外、家族に対してだけだったりするからです。

友人知人の話を聞いていると、介護度が高いわけでもなく介護で困っている人は、別世帯なのに子供である自分が何でもしてあげて当然だと思って、毎日親の家に通って世話をしてあげていたりします。
親の方も、それが当然になって、一日でも子供が家に来ないとヤンヤと電話をかけてきます。
子供相手なら、わがままがきくということもあると思います。

ただ、それで自分がやりたいことが何もできないなどと子供が愚痴るのは間違いなような気がします。プロと相談してある程度は任せるということもせず、親の本来的な力を引き出すこともせず、親子でそういう介護の方法を選んでいるだけなのではと思える部分もあるのです。

もちろん、母の場合も何の問題もなかったわけではなく、完全失明した結果、昼夜の区別がつかなくなり、昼夜が逆転したことなど、困ったこともありました。(ラジオの深夜放送が面白いと母は言っていました。)
でも、高圧的な態度をとる看護師さんは嫌っていましたがヘルパーさん達とは仲良くなって、まずまずのスタートだったのです。



母が中年の頃の刺繡の作品、掛け軸に仕立てたものです。
題は「花車」です。