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❤いつも心に詞(うた)を置いて🎤あの歌手あのartistに【new!Virtual書き下ろ詞】

2438篇超の演歌・歌謡曲 J-POPの私の書き下ろ詞!ほぼほぼ毎日【new!Virtual書き下ろ詞】

心にのこる この歌1曲★松山恵子「アンコ悲しや」

2017-10-19 | 心にのこる この歌1曲
★このシリーズに記事をUPするたび、多くのアクセスをいただく
《心にのこる この歌1曲》11曲め、今回紹介するのは、お恵ちゃんの
愛称で親しまれ多くのファンがいた、松山恵子 「アンコ悲しや」
恵6 恵2 恵1
アンコ悲しや 1960年12月1日発売
      作詞:藤間哲郎  作曲:増田幸造
赤い椿の花びら噛めば
じんと眼に泌むちぎれ雲
アンコ悲しや 都は遠い
噂ばかりを残しつつ
今日はあなたはアアア…
どのあたり

恵3
「懐メロ」のジャンルで男女好きな歌手を1人づつ挙げろ、と
言われれば男性では「田端義夫」女性ではなんといっても「松山恵子」
「バタやん」「お恵ちゃん」については、じっくり書きたくて
今まで秘匿にしていたが、バタヤンの次は「お恵ちゃん」登場!
彼女については今もってファンが多くて、自分以上にモノ知りは
いるだろう。自分のなかでは、1969年の交通事故以降の
「お恵ちゃん」の歌への取り組み方が好きで、それは本人も
死生観めいたものが変わったのか、TVやステージでの会話にも
歌を取り巻く環境に対して真摯なものが感じられて、あらためて
非常に好感を持つのだ。マーキュリーレコードなどという今では
死語になってしまった時代の頃から逝去するまで現役で活躍。
当然ヒット曲も数え切れなく、好きな曲も山ほどある。
ひとまずお気に入りを挙げると、1.アンコ悲しや
2.石狩の町よさようなら 3.だから云ったじゃないの
4.泣き虫波止場 5.お恵ちゃんの「婦系図」 6.姫島情話
7.鳩よ など挙げたらキリがない。
恵4 恵7 恵8 恵5
「アンコ悲しや」はオリジナル盤の歌唱がいい。浪曲調の唄い出しが
なんとも異色で、おまけにあの独特の歌唱法。デビュー前の《都はるみ》
が母親からこの曲を教え込まれ練習がてらイヤというほど歌い込んだ
という逸話は有名。 「お恵ちゃん」の歌をよく聴くとしっかり
うなりを取り入れて歌っている箇所がある。TVやステージでも
あの笑顔でうなっていたっけ。TV番組を収録した所蔵するカセットには
とてもチカラのこもったこの「アンコ悲しや」があって、Liveものでは
これが一番いい。彼女の生存中、いつか一緒に作品を作りましょうと
話していたのに2006年5月7日、69歳で惜しまれつつ逝去。
訃報を聞いて私は泣いた・・・          (画像をお借りしました)

心にのこる この歌1曲              ★宮城まり子『ガード下の靴みがき』

2017-10-06 | 心にのこる この歌1曲
★このシリーズに記事をUPするたび、多くのアクセスをいただく
《心にのこる この歌1曲》9曲め、今回紹介するのは
宮城まり子『ガード下の靴みがき』
みや1 みや2
昭和30年(1955)の作品
さてこの歌を何人の人が知っているやら・・・
62年前のこの歌を、いつどこでどのようにして知ったかは
当然記憶にないですが、セリフ入りの歌を好きになった最初の歌です。

「ガード下の靴みがき」

作詞:宮川哲夫 作曲:利根一郎 唄:宮城まり子
みや6 みや5
  紅い夕日が ガードを染めて
  ビルの向こうに 沈んだら
  街にゃネオンの 花が咲く
  おいら貧しい 靴みがき
  ああ 夜になっても 帰れない

  (セリフ)
  「ネ、小父さん、みがかせておくれよ、
   ホラ、まだ、これっぽちさ、
   てんでしけてんだ。
   エ、お父さん? 死んじゃった…
   お母さん、病気なんだ…」


当然ながら今では歌手・女優としてよりも
肢体不自由児養護施設〔ねむの木学園〕
園長としての方が知られている 宮城まり子 さん。
昭和43年(1968)静岡県浜岡町(現・御前崎市)に
肢体不自由児の養護施設「ねむの木学園」を開設
(のちに掛川市に移転)以後、肢体不自由児教育に
一身を捧げ今も健在です。
みや4 みや3
この曲をカラオケ店で見つけたときは、ひとりほくそ笑みました。
モノラルの原曲や編曲は哀愁と寂寞感ただよう昭和歌謡の極みで
まことに良く出来た作品です。セリフの部分は、七色の声と言われた
宮城まり子さんが貧困の少年っぽさを見事に表しています。

「おちょやん」モデル ❤忘れ得ぬ人~女優・浪花千栄子さん        cf.「水のように」フランク永井

2017-09-30 | 心にのこる この歌1曲
おちょやん
「私の半生は人にかえり見もされません どぶ川の泥水でございました。泥水の中にも美しいはすの花が咲くことを信じておりました私は今にきっと美しいはすの花を咲かせてやるぞという 大きな
のぞみを心のどこぞにひそませておりました10才の私でございました」

浪花千栄子さんのセリフが入った「水のように」
歌唱:フランク永井
なに3 なに1
浪花千栄子さんの自伝的著書「水のように」は紫の千代紙ふう和紙に小花を散らした表紙の美しい本。
なに9
少年時代それを手にし、読んだあとの衝撃と感動は今も忘れない。
冷めやらぬ思いのなか、突き動かされるように感想を手紙にしたためた。予期せぬことか、浪花さんから和紙に毛筆で返事をいただいた。名古屋「御園座」の楽屋を訪ねたのはそれからまもなくのこと。舞台前のだいじな時間をぎりぎりまでそばに置いていただき
色紙や扇子や著書にサインをいただいた。次の公演にもまたいらっしゃいと言っていただき気持ちは張り裂けそうに震えた。「いないことが多いけど京都に来たら寄ってらっしゃい」そう言われて京都・嵐山の天龍寺に隣接したご自宅に伺ったのはある日の一人旅の途中のこと。娘さんお二人に迎えていただいた。一人旅の折々には、詩にその思いを残していた。のちに私の詩集「早い朝」に2篇を収めた。
浪花
  「夢」

  「夢」の一字を朱で書いて
   一番好きな言葉ですよ とあの方はおっしゃった 
   私はうなずいて 
   その一文字を深く泌み込ませるかのように 
   夢 夢 夢… とつぶやいた 
   その日から私は 
   鳥になり 
   花になり 
   星にもなって 
   そしていつかは 
   人になりたい 
   夢のある人になりたい  
   私はあの方に支えられている 
   私の小さな魂は 
   あの方に見守られている

 
なに10
  「古都の片隅で」
 
   京都保津川の川ぶちに 
   丈一尺の赤いのれんの下がる小さな茶店がある 
   白く染め抜かれた五つの文字をいとおしげに読む 
   つぼね茶屋 
   しとやかな京言葉に迎えられて 
   私は京都にひたひたと溺れていく 
   ここから私の旅が始まる 
   ゆるやかに心をひらいて 
   風に誘われ 光に導かれ 
   さまざまに鳴る音を確かめて 
   私ひとりの旅が始まる  
   京都保津川の川ぶちに 
   丈一尺の赤いのれんの下がる小さな茶店がある 
   ひとつの古都がここにある
 

まもなくして、著書「水のように」をもとに浪花さんの半生が
連続ドラマ化された。その主題歌をフランク永井さんが歌い
浪花さんのセリフが入ったレコードも発売された。そのセリフが
冒頭のもの。ジャケットにサインもいただいただいじなだいじな
宝物。歌はもちろん良いが、今ではすっかり暗誦したこの浪花さんのセリフを聴くたびに、胸から熱くこみ上げるものがある。溝口健二・小津安二郎・内田吐夢・森一生ら、名だたる映画監督の作品
にはほとんど出演、圧倒的な存在感ある演技は何度見ても震える。
なに2 なに7
なに6 なに5
12月がくると没後44年 その月がくるたび胸を熱くする・・・

★初出投稿:2017年9月30日 表題部分のみ加筆しました。

《心にのこる この歌1曲》★藤圭子「聞いて下さい私の人生」

2017-09-22 | 心にのこる この歌1曲
★このシリーズに記事をUPするたび、多くのアクセスをいただく
《心にのこる この歌1曲》8曲め、今回紹介するのは
藤圭子「聞いて下さい私の人生」
藤1
今から40数年前、テレビ・ラジオ・街角には彼女の歌ばかり流れていた。
1969年「新宿の女」でデビューするや、またたく間に若者から大人まで
圧倒的な支持を受け、1970年代の音楽シーンを駆け抜けた。
1stアルバム「新宿の女」、2ndアルバム「女のブルース」と合わせて
1970年3月30日付から翌年1月11日付オリコンアルバムチャート
42週連続1位(約10ヶ月)しかも1970年3月30日付から7月27日付の
18週間はシングル&アルバム両チャートで第1位獲得。
この前代未聞の記録はオリコン・チャート開始以来、現在に至るまで
誰にも破られていないはず。
藤5 藤4
さて「聞いて下さい私の人生」 は、1976年8月25日シングル発売
された。大変ドラマチックな浪曲調の作品で、藤圭子自身の生い立ちを
からめ、藤の歌唱力を見事に結集した好楽曲。

  聞いて下さい 私の人生
  生れさいはて 北の国
  幼なごころは 闇の中
  光もとめて 生きて来た
  そんな過去にも くじけずに
  苦労 七坂 歌の旅
  涙こらえて 今日もまた
  女心を ひとすじに
  声がかれても つぶれても
  根性 根性ひとすじ 演歌道

これは石坂まさをの作品ではなく、詞曲とも六本木哲となっているが
誰かの別筆名であろう。この作品と同じくらい好きだったのは
「圭子の三度笠」で「愛の巡礼」のB面として1971年に発売された。
藤3
いずれにしても、すさまじい勢いを持った歌手だった。
ただし「宇多田ヒカル」の母親として世間に知られて以降の
藤の言動や行動には、ひとかけらの興味もない。

心にのこる この歌1曲★三橋美智也「星屑の町」

2017-09-11 | 心にのこる この歌1曲
《心にのこる この歌1曲》シリーズも6曲め!
今回紹介するのは膨大な作品の中から18曲が
ミリオンセラーを記録している昭和の大歌手
三橋美智也さんの「星屑の町」
m1
当然ながらデビュー時や全盛期を知り得るべくもないが
第一人者でもあった民謡はともかく、歌謡曲でも挙げたら
枚挙にいとまがないほど聴き親しんだ多くのヒット曲には
お気に入りも多い。
m8
1.星屑の町
(両手をまわして帰ろ ゆれながら~ なんて、昭和37年の詞にしては
 なんと斬新で小粋かと感嘆! 三橋独特の高音も生かされて
 さすが第4回日本レコード大賞歌唱賞を受賞するだけの質の高さ 
 やっぱりこれが一番好きかな~)
m2
2.母恋吹雪
(昭和31年は発売が目白押しの時期。子供の視点から母を亡くした
 父と子の情愛を見事に表現)
m3
3.あの娘が泣いてる波止場
(昭和30年発売 話し言葉の詞をなんとも上手くメロディーに乗せられる
のは御大・船村徹先生しかいない!後年多くの歌手がカヴァーしているが
 松山恵子・こまどり姉妹・ちあきなおみ・天童よしみ など女性版が
 意外と良くて鳥羽一郎・氷川きよし はつまらない)
m4
4.哀愁列車
(昭和31年発売 この曲が三橋の高音を最大限に引き出し強調した
 大ヒット曲。さすがにカヴァーなどしきれる歌手はいない)
m5
5.リンゴ村から
(昭和31年、古き良き時代の田園風景を見事に歌ってヒット。
 1971年 都はるみ がキングレコードの作品ばかりをカヴァーしたLP
 「はるみのお富さん」で三橋サンの作品を6曲唄っているが
  5と6も唄っていてなかなか良い)
m6
6.東京見物
(昭和32年発売 なぜか好きな曲)
m7
おまけとして「快傑ハリマオの歌」
(昭和35年発売 今でこそ自分に凹んだ日なんてないが、そんなときに
 この曲を聴くとなぜか元気が出た。大歌手、三橋サンがTVドラマの
 主題歌を唄うなんて当時は画期的だった)