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コノ世は物(モノ)と事(コト)

2012-11-22 23:19:37 | コノ世の隠れた一面【1】
・本居宣長研究ノート「大和心とは」・・の記事http://yamato-gokoro.com/
  *本居宣長 Wikipedia (もとおり のりなが)1730年6月21日(享保15年5月7日) - 1801年11月5日(享和元年9月29日)は、江戸時代の国学者・文献学者・医師。名は栄貞。~
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*コノ世は物(モノ)と事(コト)
本論 : 第一回「物とは」の巻 

口語
「禊祓(みそぎはらい)というのは、身体の汚垢(けがれ)を清めることであって、心を祓い清めるというのは、外国(とつくに)の意(こころ)に外ならず、わが国の古代では、そのようなことは決してない。
(中略)とにかくも、何事でも心の観点のみによって、理非善悪を裁定することは、私事(わたくしごと)に属することである。」

注釈
ここで宣長(のりなが)は、神道の根幹の一つである「禊祓(みそぎはらい)」というのは、ひたすら身体を清浄にすることであり、禊祓の対象になるのは、あくまで「物」としての身体に外ならないといっています。
我が国古代において、禊祓は、「心」を清めるために、行われたものではないのです。

ところで、「物」は、身体のみではありません。宣長によれば、実に世界とは、様々な「物」によって構成されている場のことなのです。

それでは、宣長のいう「物」とは、一体何なのでしょうか。また、「禊祓(みそぎはらい)は、何よりも心を清めるためである」という見方は、何故「私し事」となってしまうのでしょうか。

この宣長の言葉は、短いですが、とても射程の深い言葉だと思います。
特に、心の浄化を何よりも重視する仏教的世界観を、根底から揺さぶるものといってもよいでしょう。

今回は、以上の疑問提起にとどめて、次回から、具体的な説明に入りたいと思います。
最終的に、宣長のいう「物にゆく道」(直毘霊)の端緒に、何とかたどり着ければと思います。

補足
参考までに、国語における、「物」と「事」という言葉の一般的な意味を、以下に概説しておきます。(岩波古語辞典より引用)
・物(モノ)

 形があって手に触れることのできる物体をはじめとして、広く出来事一般まで、人間が対象として感知・認識しうるものすべて。
コトが時間の経過とともに進行する行為をいうのが原義であるのに対して、モノは推移変動の観念を含まない。
むしろ、変動のない対象の意から転じて、既定の事実、避けがたいさだめ、不変の慣習・法則の意を表わす。

また、恐怖の対象や、口に直接のぼせることをはばかる事柄などを個々に直接指すことを避けて、漠然と一般的存在として把握し表現するのに広く用いられた。
人間をモノと表現するのは、対象となる人間をヒト(人)以下の一つの物体として蔑視した場合から始まっている。
 
・事(コト)
 古代社会では口に出したコト(言)は、そのままコト(事実・事柄)を意味したし、また、コト(出来事・行為)は、そのままコト(言)として表現されると信じられていた。
それで言と事とは未分化で、両方ともコトという一つの単語で把握された。
従って奈良・平安時代のコトの中にも、言の意か事の意か、よく区別できないものがある。

しかし、言と事とが観念の中で次第に分離される奈良時代以降に至ると、コト(言)はコトバ・コトノハといわれることが多くなり、コト(事)と別になった。
コト(事)は、人と人、人と物とのかかわり合いによって、時間的に展開・進行する出来事、事件などをいう。
時間的に不変の存在をモノという。後世コトとモノとは、形式的に使われるようになって混同する場合も生じてきた。


本論 : 第二回「事(こと)とは」の巻 

口語
「そもそも意(こころ)と事(こと)と言(ことば)とは、皆互いにぴったりと合う物で、上代(古代)は、意も事も言も上代、後の代は、意も事も言も後の代、漢国(からくに=中国)は、意も事も言も漢国である。(中略)

この古事記は、いささかもさかしら(漢意)を加へずに、古代より言い伝えられたままに記されているので、その意(こころ)と事(こと)と言(ことば)も、互いにぴったりと合う物で、皆上代の実(まこと)そのものである。」

注釈
人が自己の心情のみを問題にするのであれば、そこで必要とされる概念は、「心」と「言」だけで十分でしょう。
しかし、この「心」と「言」だけで、形づくられるモノローグ的な唯心世界は、自己の心象世界に外ならず、何ら具体的対象(他者)を伴った事象の世界としては、立ち顕れて来ません。

また、逆に、自己の心情とは無関係に、事物として客観的に存在する物質や抽象概念のみによって、形づくられる唯物世界や概念世界は、現に我々が生きている世界としての、生き生きとした情感と肌ざわりを、全く感じさせません。

本居宣長は、この個の心象のみに基づく唯心世界を、いかに具体的な事象の発現する世界と成すか、また、物質と概念の羅列に過ぎない無機的な唯物世界を、いかに我々に近しく、血の通った世界と成すか、これらの問題の解決に、一つの高次の地平を切り開きました。

そして、このために、宣長によって発見されたのが、「事」によって世界を構築するという道でした。
それでは、そもそも「事」とは何でしょうか。

まず、宣長のいう「事」を分析すると、次の二つの意味があることがわかります。


1.「事」とは、行い、行為、行動のこと。つまり、「心」が発動し、次に、それに基づき「言(ことば)」が発動し、次に行為すなわち「事」が発動するということです。
そして、上記の文で、心と言葉と行為が相かなう(一致する)状態を、「実(まこと)」と言っています。
「実(まこと)」とは、俗に言われているような、「善一筋」や「真理のみ」といった意味でないことに、注意が必要です。

2.「事」とは、生起した出来事、事実、また事の有様(事柄)のこと。(物も、そこに存在しているという事実において、すでに「事」である。)
「世界」とは、すなわち「事」の集積体のことであるといえます。


「事」の世界においては、たとえ自分一人の心理上の「事」だからといって、客観的に起こった出来事(事件)と比べて、事としての重みが少ないということはありません。

(→唯物論的見方の否定)。また、その逆も然りです。(→唯心論的見方の否定)

重み付けの基準は、唯一「事」と「心」の接触による感応の度合いの大小です。

そもそも宣長によれば、我々人間が実際に生きているのは、客観的な出来事が、弁証法的に連続していくだけの唯物的な世界ではなく、また、主観的な心象上の出来事が、感情を伴って連続していくだけの唯心的世界でもありません。


「事」と「心」が接する刹那に生じ、一瞬一瞬刻々と生まれに生まれ、成りに成りて、多種多様、あらゆる形に変化しながら、不断に展開し続ける「事」の世界に、我々は「事」顕現の過程すなわち通路として存在しつつ、同時に「事」そのものとして生きているのです。

そして、「事」に接した刹那、「心」の内に結晶した「或るもの」を、「情」と名付けました。

この「情」は、「事」をそのままに受容し「もののあはれ」を知る、あくまで受動的な機能を持ったものと位置づけられています。


さて、ここに、いよいよ有名な「もののあはれ」が出てきましたが、詳細は後段にゆずります。

今回は宣長の説く「事」について、そのほんの入り口の部分を、大まかに説明してきましたが、前回に取り上げた「物」の正体とは、実はこの「事」に外なりません。

つまり、宣長の歩もうとする道は、「物にゆく道」(直毘霊)とも、名付けることができるのです。
そしてここで、やや結論的に、「事」(=「物」)を説くならば、以下のようになるでしょうか。


こころ(心)は、ことば(言葉)となり、言葉は、「こと(事)のは(発=発端)」となる。事(こと)は、このように生まれ続ける。
ここにおいて、「言(こと)」と「事(こと)」とは一体となる。言葉の響き、すなわち言葉の振り(=言霊)の中に、対象すべては、紛れもなく「事(こと)」として存在している。


それでは、このような「事」を、そもそも成り立たせている根拠とは、一体何なのでしょうか。
宣長によれば、正にこのように思考すること自体が、「漢意(からごころ)」と名付けられた思考方法に外なりません。

そして、この漢意(からごころ)こそが、「事」を「事」として、そのままに受容することを、妨げているというのです。


本論 : 第三回「漢意(からごころ)とは」の巻
注釈
ここで宣長は、「事」の背後に、何らかの、我々に了解可能な論理に基づいた原理・原則を、無意識的に求めてしまう志向性を、漢意(からごころ)としているのです。また、次のようにも言っています。


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