*弥勒菩薩論【C】(シュタイナーと出口王仁三郎の一致-[Ⅲ])
(弥勒菩薩論【B】のつづき)
*このような人物は少年時代に、彼が三十歳頃に菩薩になるであろうという前兆を現しはしません。弥勒菩薩が仏陀になる時、三十歳か三十一歳の時に、他の存在が彼の肉体を所有します。
このような菩薩は若い頃には決して自分の本来の姿を明かすことはなく、他の存在が肉体を占領する三十歳ないし三十一歳の時に、全く異なった霊格を現すのです【12】。
■コメント:
■【12】菩薩が三十歳ないし三十一歳の時に、全く異なった霊格を現すことについて
◇ これについては、上記の【11】を参照くだされば、同じことを意味していることが解ります。
◇ 出口王仁三郎が正しく30歳になる頃、王仁三郎にはスサノオノ尊が神懸り、出口直にはアマテラスが神懸り、『火水の戦い』を繰り返すようになります。
◇ したがって、シュタイナーの弥勒菩薩の特長である「三十歳に全く異なった霊格を現す」という『型』は、ここでも明確に証明されています。
*受胎の時点では肉体に入らず、生長した人物を自分の外被として占領する存在には、モーゼ、アブラハム、エゼキエル等がいます。
三千年後に弥勒仏となる菩薩はこのような型の存在です。このような菩薩を既に少年時代に於いて見出し得るとするのは、全く衒学趣味のオカルティズムです。
このような存在は三十歳から三十一歳にかけて、自らが自分の本性を明かします。彼は自らの力で世界の前に現われるのであって、誰かが、三十歳以前の彼に菩薩の姿を示させようとするのは誤まりです【13】。
■【13】弥勒菩薩が、三十歳から三十一歳にかけて、自らが自分の本性を明かすことについて
◇ これについては、弥勒菩薩論【B】の【11】と、上記【12】をご覧いただければ、王仁三郎が30歳の時、スサノオノ尊としての神格を宿し、その働きとしての発露を見出そうとしていたことが解ります。そして、スサノオノこそが真の贖い主であり、救世主であることを明かします。
しかし、王仁三郎の神格を理解する者が誰もいなかったため、31歳の時には開祖派の信者に暗殺されそうになります。さらに、34歳の時には、王仁三郎の著作が焚書されてしまいます。そして、45歳にして「みろくの大神様」としての神格を認められることになります。
つまり、弥勒菩薩であることを審神(さにわ)できる人は、誰一人として存在せず、王仁三郎自らが自分の本性を明かしたのです。
◇ したがって、シュタイナーの明かす弥勒菩薩の特長は、ここの点においても王仁三郎の言動によく一致してます。
*このような誤まりは何度も起りました。例えば、十七世紀に、スミルナのサベタイ・ツゼヴィは自分は救世主キリストの生まれ変りであると宣言し、ヨーロッパ各国から大勢の人々が彼のところに巡礼に行きました。
今日、天才というものを承認するのを好まない風潮が一般的ですが、また一方では、精神の怠惰から権威的にある人物を神格化する風潮もあります。
人智学は権威的な信仰とは無縁です、私は自らの霊的な探求の結果明らかにできたことのみを話しています。
私の話しの内容を、どうか私が語ったからという理由で信用するのではなく、歴史や特に自分自身の経験に照らし合わせて確認して欲しいのです。
今日のような知の時代には、信仰に訴えることはふさわしくありません。皆様の知的考察能力を通して私の話しを吟味してほしいと思います。
もう一度、繰り返しますと、二十世紀に於いて菩薩は、彼が未来の弥勒仏であると誰かに告げさせることはなく、自分自身の言葉の力で世界の前に立つのです【14】。
■【14】二十世紀の弥勒菩薩が、自分自身の言葉の力で世界の前に立つことについて
◇ 言葉の力、には様々な解釈ができると思いますが、【B】の【8】の言霊学や、【11】~【13】の流れを強調することができると思います。
また、王仁三郎は「自分の言葉の力で世界の前に立つ」という意味では、世界共通語としてのエスペラント語の普及に尽くしたと言う意味でも、世界の前に立った人物です。
◇ シュタイナーは20世紀の弥勒菩薩について語っていますが、弥勒菩薩が毎世紀ごとに転生を果たす使命担っていることを考えれば、20世紀においても弥勒菩薩が転生していたことは、ある意味当然のことなのかもしれません。
しかし、その人物が誰なのか?という問いに対して、ここでも王仁三郎をおいて他に、これに相当する人物は存在しないように思えるのです。
(弥勒菩薩論【D】につづく)
(弥勒菩薩論【B】のつづき)
*このような人物は少年時代に、彼が三十歳頃に菩薩になるであろうという前兆を現しはしません。弥勒菩薩が仏陀になる時、三十歳か三十一歳の時に、他の存在が彼の肉体を所有します。
このような菩薩は若い頃には決して自分の本来の姿を明かすことはなく、他の存在が肉体を占領する三十歳ないし三十一歳の時に、全く異なった霊格を現すのです【12】。
■コメント:
■【12】菩薩が三十歳ないし三十一歳の時に、全く異なった霊格を現すことについて
◇ これについては、上記の【11】を参照くだされば、同じことを意味していることが解ります。
◇ 出口王仁三郎が正しく30歳になる頃、王仁三郎にはスサノオノ尊が神懸り、出口直にはアマテラスが神懸り、『火水の戦い』を繰り返すようになります。
◇ したがって、シュタイナーの弥勒菩薩の特長である「三十歳に全く異なった霊格を現す」という『型』は、ここでも明確に証明されています。
*受胎の時点では肉体に入らず、生長した人物を自分の外被として占領する存在には、モーゼ、アブラハム、エゼキエル等がいます。
三千年後に弥勒仏となる菩薩はこのような型の存在です。このような菩薩を既に少年時代に於いて見出し得るとするのは、全く衒学趣味のオカルティズムです。
このような存在は三十歳から三十一歳にかけて、自らが自分の本性を明かします。彼は自らの力で世界の前に現われるのであって、誰かが、三十歳以前の彼に菩薩の姿を示させようとするのは誤まりです【13】。
■【13】弥勒菩薩が、三十歳から三十一歳にかけて、自らが自分の本性を明かすことについて
◇ これについては、弥勒菩薩論【B】の【11】と、上記【12】をご覧いただければ、王仁三郎が30歳の時、スサノオノ尊としての神格を宿し、その働きとしての発露を見出そうとしていたことが解ります。そして、スサノオノこそが真の贖い主であり、救世主であることを明かします。
しかし、王仁三郎の神格を理解する者が誰もいなかったため、31歳の時には開祖派の信者に暗殺されそうになります。さらに、34歳の時には、王仁三郎の著作が焚書されてしまいます。そして、45歳にして「みろくの大神様」としての神格を認められることになります。
つまり、弥勒菩薩であることを審神(さにわ)できる人は、誰一人として存在せず、王仁三郎自らが自分の本性を明かしたのです。
◇ したがって、シュタイナーの明かす弥勒菩薩の特長は、ここの点においても王仁三郎の言動によく一致してます。
*このような誤まりは何度も起りました。例えば、十七世紀に、スミルナのサベタイ・ツゼヴィは自分は救世主キリストの生まれ変りであると宣言し、ヨーロッパ各国から大勢の人々が彼のところに巡礼に行きました。
今日、天才というものを承認するのを好まない風潮が一般的ですが、また一方では、精神の怠惰から権威的にある人物を神格化する風潮もあります。
人智学は権威的な信仰とは無縁です、私は自らの霊的な探求の結果明らかにできたことのみを話しています。
私の話しの内容を、どうか私が語ったからという理由で信用するのではなく、歴史や特に自分自身の経験に照らし合わせて確認して欲しいのです。
今日のような知の時代には、信仰に訴えることはふさわしくありません。皆様の知的考察能力を通して私の話しを吟味してほしいと思います。
もう一度、繰り返しますと、二十世紀に於いて菩薩は、彼が未来の弥勒仏であると誰かに告げさせることはなく、自分自身の言葉の力で世界の前に立つのです【14】。
■【14】二十世紀の弥勒菩薩が、自分自身の言葉の力で世界の前に立つことについて
◇ 言葉の力、には様々な解釈ができると思いますが、【B】の【8】の言霊学や、【11】~【13】の流れを強調することができると思います。
また、王仁三郎は「自分の言葉の力で世界の前に立つ」という意味では、世界共通語としてのエスペラント語の普及に尽くしたと言う意味でも、世界の前に立った人物です。
◇ シュタイナーは20世紀の弥勒菩薩について語っていますが、弥勒菩薩が毎世紀ごとに転生を果たす使命担っていることを考えれば、20世紀においても弥勒菩薩が転生していたことは、ある意味当然のことなのかもしれません。
しかし、その人物が誰なのか?という問いに対して、ここでも王仁三郎をおいて他に、これに相当する人物は存在しないように思えるのです。
(弥勒菩薩論【D】につづく)