この道の果てまで・・・

ただ純粋に ただ一途に歩む時
突如として それまでとは まったく違う
次元の異なる大地が あなたの目の前に姿を現す。

★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 7★

2006-06-06 21:42:44 | Weblog

 あなたの超えられない流れを超える!
そこに道は在る!!



先日 
すべての成長過程を 終了した
ある女性に 電話をした。

その女性は
結婚していて 
御主人以外の男性との交際に
悩んでいた・・・。

悩んでいたと言う事は
まともな事をしていないと
本人が 薄々 気づいている

問題は
異性との交際にある訳ではない。

彼女は
まともな事をしていない
自分自身に 悩んでいた。
それも ず~っと長い事。

成長過程の終了時に 
どうしたらよいか

そして
このまま続けば
どうなるかを伝えたが

彼女は 
それを実行できずに
以前と 同じ事を続けてしまっていた。

イヤ そうじゃない
正確に言うと 1度は実行した。

ところが 
それが失敗した。
彼と 別れなければいけない
これは 悪い事なのだと
自分に言い聞かせ 抑圧してしまった。

これを すれば お仕舞いだ
それは 抑圧すればするほど
以前と 同じ方向に歩きたくなる。

そして
それではいけないと
さらに抑圧する。

どう言う結果に なったと思う・・・?

簡単に
元通りに戻ってしまった。
いや 戻ったのではない。
自ら 戻してしまったんだ・・・。

私は
半年の間 
静観していた。

何故なら
私が それに 何かを言えば
余計に 火をつけてしまう事を
知っていたからだ。

そして 
彼女が呼んでいる様な
気がしたので電話をした。

30分位 彼女と話しただろうか
彼女は こんな事を私に言って来た

「 先生は 私に話しているけど
それは 本当に心から言っているんですか
私には そう感じません 」

これには まいった!

彼女は 
私に「心から言っていない」
と 怒っている・・・。

その通り
私は 心で 
ものなんか言っていない。
ズバリだ!

しかし
本人は自分が 
何を言っているのか
解かって話していない。

彼女が 私を
「心から言っている」
と受け入れてくれる答は
ただ ひとつしかなく 
それを奥底で決めた上で
話をしてしまっている。

そんな事ぐらい
私には 簡単にできる
彼女の望んでいる答が
私には見える。

それを言えば 彼女は

「 やっぱり 先生は私の事を
解かっているのね 」
と 喜ぶ

馬鹿馬鹿しい・・・。

彼女は 
自分と同じ考えを言えば その人は
「心から言っている」と思ってしまっている。

そうじゃない人は
「心で話してない」とくる
確かに あなたにとっては その通りかも知れない

だが
あなたは何様なの・・・?
あなたが さも正しさの基準の様に
なってしまっている。

此処で
生きれば
人は やがて離れて行く。

それは
必ず起こる
あなたが それを起こさせる。

そして
私は彼女に こう 尋ねた。

「 あなたは 心から言っているのか? 」
彼女は 自信を持って答えて来た。

「 私は 心から話しています
いつでも そうです。
先生みたいに人を試す様な
言い方をしません。
だから 嘘なんて言っていないし
それを言ったら 心が空っぽになるし
全部 吐き出しています 」

私は 
これを聞いて ガックリした
彼女に言った。

「 まだそんな所で生きているのかい?
心なんて無いんだ。
それは 過去の体験の 集積場所だよ。
過去の記憶だよ 過去の体験の記憶だよ。
実際には もう今は 無い!
そこで あなたが 話をしているとしたら
私は 誰と話しているんだい?
私は 昔と話をしている・・・。

話し相手が 居ない
私の話し相手が その場に居なくて
目の前には 昔がある。
もう 有る筈の無い昔と
どうやって話すことが出来る・・・。

そして
そこにいたら
未来は過去の繰り返えしでしかない。

もうひとつは
そこは 本能の次元だ
心とは 動物の次元だ
あなたは 動物の次元で
生きているんだ 」

そこに 居たら あなたは以前と
同じ繰り返ししかできない。

自然的生の次元が心だ。

「 私は 心から 」などと言っている
あなたは
「 私は 本能で生きています
過去と 共に生きています 」
と 言っている。

その女性は
「 じゃあ どこで生きたらいいのか
教えろ 」と言う。

口で言って伝わるならば
もう とっくに伝わっていて
良い筈だ。

私は 何度も 何度も
繰り返し言っている。

私が
口を開けば
そこに関する話しか出て来ない。




それは
社会的生の次元 (頭・理性・道徳・建前) とも
自然的生の次元 (心・本能・感情・本音) とも同化せず。

それに
真に さよならを したと同時に
あなたは そこに在る。

彼女の
話しの中にあった通り
心から言っている時

「 嘘なんて言っちゃいない
それを言ったら 心が空っぽになる 」

私は 
あなたが 嘘を言っているなんて
思ってなんかいないよ。

ただ
何にかの考えと ひとつになっていて
それが 心の中に有るとしたら

もう
あなたは
その考えになってしまっている事を
問題視 しろと言っている。

「 それを言ったら 空っぽになる 」

そう その言った後に残る
その 空っぽさこそ
あなただと 言っている。

その空っぽさから 逃げたら駄目だよ・・・。

ところが
あまりの一瞬の 短かい時間しか
その空っぽさが そこにない為

あなたは
それを認識できないでいる。

それを
認識しようとしてごらん。

それは
あなた以外に
やってくれる人はいない。

私は
あくまでもヒントしか言えない。
実行するのは あなただ・・・。

ヒントでしかない

私の話しを聞いて
それに 浸っていたり 酔っていたり
そこで 満ちたりた気分を
味わっていたりしたら

いつまでも いつまでも
あなたは 私を必要とする
私は あなたのお母さんじゃない。

第一 
そんな事を
し続けている以上

あなたは
前のまんまだ
少しも変らない。

それどころか
知識が増えた分 言い訳が巧みに成る

私は 
あなたを以前より
ずっと 生意気で 厄介な人物に
する為に 手を貸してしまった事になる。

あなたは
いつまで私を
先生 扱いする
下らない関係を続けるつもりで
いるのだろう?

あなた次第で 
いつでも出逢いは
可能なのに・・・。

私は
あなたと友達になりたい
それも 最高の友達になれる。

それは
私が良いからとか
あなたが 良いからといった
問題ではなく

私の言う 出逢いが
そう言う性質を 持っている
言葉で とねさんと呼べる様になったとか
成らないとか

そんな
くだらない 型上の事じゃない。

それは 私の空っぽさ と 
あなたの空っぽさ の出逢いだ。

空間と空間は
簡単に
一体となって
ひとつの空間に成る。
それは まったく新しい出会い方となる。

それを 
私は待ち続けている。

私の内なる声が
あなたに 届かないだろうか?





成長過程を 
思い出してごらん

私が その中で 
ヒントを言う 何か話す

それを聞いて 
ただ話しに酔っていたり 浸っているだけで
あなたは 何にかに気づくだろうか?

そうじゃない
あなたが それをヒントにして
あなた自身を 見つめる事を 
実行した時に 何かが理解出来た。

今は
もう 成長過程が終ったから

ただ話を聞いて
静かになったり
満たされるから それでいいのだろうか?

あなたは 
それ程
立派になって しまったのだろうか?

私が
知りえた事を 聞くだけで
本当に あなたの成長はあるのだろうか?

ひょっとしたら
私が あなたに話しているのは
ヒントではないだろうか?

ヒントとしての話しだけを
ただ 掻き集める事をしていたら
それは あなたの知識にしかならない。

私は 
知識を伝えたいんじゃない。

なぜ
そんな馬鹿げた事をする?

あなたは 私のヒントを
あなたの成長には 役立ててはくれず
ガラクタを拾い集めている。

成長は 
知識を掻き集める事とは違う
知識を掻き集めれば集めるほど
あなたの成長は
埋もれて行ってしまうのに・・・。

そんな
あなたを見ていると
私は 寂しくなってしまう。

ところが
私には 
あなたがその気に 成れるように

成長を 
試みてくれる様に
向ける ヒントしか出せない。

成長が
必要なのは あなたなんだ。
私じゃない。

それ以上は 
どうにも出来ない。








★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 6★

2006-06-05 10:38:54 | Weblog



ところが 
あなたの
今迄に体験した愛と来たら

必ず 
終ったり 色褪せたり
苦しみが 横たわっている。

そんなのは
愛とは呼ばない。

それは
支配ごっこと呼ぶんだ。

さらに
深くこの事を説明しよう。

例えば
型で全部 
捨てろと言っている通りに
私は 捨てた事はあるけど
何も 起こらなかったと
言う事だって有得る。

だって 
もうそろそろ
捨てたくなっていた時期
それに 嫌気がさしていた時期であったら
難無く それは捨てられる。

けれども
それは捨てたんじゃなくて
厭きたんだ・・・。

だから
直ぐに 次のを
掴もうとするじゃないか!。

本当に
何かしら変化するのは。

満足していて
まだそれを 捨てたい時期では 無いのに
捨てた時だ・・・。

そして
変わりのものも
何にも掴もうと しない事


皆の 
愛している時や
愛し始めの前後を 見てごらん。

必ずや
何かしら
悩んだりしている時で 在ったり

何かに対して
嫌や気がさしている時で 在ったり
何かしら 心が 空虚になっている時だ。

特に 
愛など 理解など
起こり得る筈の
ない時に 愛が起っている・・・。

だから
それは愛なんかじゃないんだ
なにか別のもの・・・。

それによって
苦しさが 誤かされ
なにか 満たされた感覚が起ってくる。

それは
満たされたんじゃない!
誤まかされたんだ!

自分に
自分が誤まかされた・・・。

右を向いていたのが
左を向いたら
右に見えていたものが
無くなった感じがした。

そう
右に見えていたものは
今 あなたの目の前には 無いよ・・・。

だって
あなたは 左を向いているんだもの。

左を向いたことを
忘れてしまっているだけだ。

だから
そおーっと 右を向いてごらん

まだ それは 
そこに ちゃ~んと在る。

それも 
以前より ひと回りも
大きくなった 感じがする。

そして
又 慌てて 左を向く
こっちの方がいい。

また 
右を向く
前よりも 今度は ふた回りも
大きくなっている。

左を向いて
前より その愛とやらに
もっと のめり込んで 酔ってしまわなければ
とてもじゃないけど
あの恐さは 忘れられない………と

調度 こんな感じ
これは 愛とは呼ばず
逃げと呼ぶんだよ・・・。

だから
この逃げ込む度合が
強ければ 強いほど
逃げ込んだ 対象物に対する
執着は 凄まじい。

だって 
それが 無くなったら
と 考えただけで 震えてくる。

だから
相手を殺してしまう事さえ
しかねないし

現に 
これは起っている・・・。

そして
この対象物は
何も 人間だけとは限らない。

お酒の場合だって
賭け事の場合だってある。

じゃあ
このとっても恐ろしいまでに
でっかく 成ってしまっている
右を向いてみよう・・・。

愛とやらに
逃げ込ませた張本人!

それを させてしまった
強迫観念の 基を見てみよう。

そう 
何かしら
悩んだり 嫌気がさしたり
心の中が 空虚に成っていたりした あの時

一体 
何が起っているのかを
見てみると・・・。

それは
ずっと以前から
あなたが まだ幼かった頃からの
根強い経験だ・・・。

これは 一体なんだろう?

あなたに 
こんな体験が 無いだろうか?
何かに 夢中に成っている時には
何も感じないが

その 
夢中になっている状態は
いつまでも続かない。

同じ事に対して
いつまでも夢中になっていられる訳もないから
当然 その夢中な状態は 去って行く。

と そこに何か
大きなポッカリとした
穴の様なものが開いている感覚がある。

そこから
空虚さや
むなしさが 吹き上げてくる。

そして 
何かしら
もの淋しい感覚さえある。

一体これは 何だろう?
絶対なる孤独感・・・。

ここで
「 やはり人間は 1人なんだ
生まれてくる時にも1人だし
死ぬ時も 1人なんだから 」
などと

そこら辺の宗教みたいな解釈を
してしまって 固まらない事

そこは 
通過点であって
まだ途中だ
終点じゃない・・・。

それは
今急に もたらされた感覚じゃない。
ずっと遠い昔から
そこに在った。

そして
いつも何かに夢中に成っていたり
動きを起こしている 時には

それは
そこに無いが
その夢中や
動きが止まった時には

いつも
そこに姿を 現してきた。

そして
それを 無くそうと
そのポッカリと開いた 
大きな穴を埋め様として

あらゆる 
あれや これやを
やって来た。

ところが
埋っていると言う感覚がある時は
いつも 何かしらやっている時だけで

それは
本当には
埋っちゃいなかった・・・。



これこそ 
大いなる穴
その穴こそ 空(くう)に連ながっている。

その穴こそ 真理
その穴こそ 全存在の源に 繋がっている。
そして その穴こそ あなただ。

真のあなたを 
埋め様なんて馬鹿げている。

その穴は
あなたが 入って来るのを

いつか 
あなたが気づいて
入って来てくれる事だけを
息を 潜めて じっと待っている。

なにも
怖がる事はない
私は 事実その中に入っていった。

そこに入ると 私に会える
始めて 出逢える
おいでよ!

そして 
宇宙にも これと似た様な
現象があると言う あのブラックホール
その穴は 直径なんと3億光年という。

あなたは 
小さな宇宙だ
精巧にできたミニチュアだから

あなたは 
あなたを
本当に全部 理解したら

あなたは 
宇宙を理解してしまった事になる。

そして
ロケット無しで
まだ 人々の未知なる世界までをも
理解してしまう事が出来る。

最後の最後の
此処に来てからでなくては
本当の愛は 起こらない。

全存在を愛す
全存在を 理解できる事は
不可能だ・・・。

くれぐれも
言っておきたい。
その 埋まっちゃいない穴
それを 埋め様とする事自体
無理なんだ!

だって
それは あなたと 宇宙が 
あなたと 真理が 連ながっている
架け橋なんだよ。

それは 
埋められるものじゃない
だって それこそ あなたなんだ!

それこそ 
あなた本来の姿なのに

それから
逃げ様としたり
埋め様としたりしていた あなたの方こそ
あなたじゃないよ・・・。

そんな事に
労力を 費いやす人生は 馬鹿げているよ。
一生を無駄にしてしまう・・・。

その
あなたの方こそ 偽者だよ。
解かったかな・・・?










みんなの理解は どこまで・・・?

2006-06-04 15:46:57 | Weblog


今日は 日曜日で 連載は休みにします。

皆さんは
ここまで 何とか理解が出来ていますか?
それとも頭が爆発寸前だとか
或いは まったく理解不能とか
少しは理解できて来たとか
とても面白いとか

皆さんが一体
どれくらいまで理解が出来ているのか
多少の不安は有るけれど
読んでくれると云う事は理解が出来ているから
読んでくれているのだと勝手な解釈をして
このまま ★あなたの愛が~★を
続けて行きたいと想います。

これから先も
ぜひ楽しみにしていて下さい。






★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 5★

2006-06-03 19:05:34 | Weblog

◇さあ今日からは さらに本格的に成っていきます。
      あなたは ついて来れるでしょうか・・・?◇



私が言っているのは
前日に伝えた こんな愛ではなく。


全面的な 理解
すると 必然的に やってくる信頼
またもや 必然的に やってくる時の この愛。

例えば
私が 1人の人を 愛する。

その時 
全存在を
かけた愛ならば

部分的な
愛ではなく
全面的な 愛ならば
私は まったくの別人と化す。

その
愛した人が 私
そして 私が その人に成ったなら
一挙に 此処(真理)に
到達してしまう。

けれど 
人は そうはしない。

その 
変わりに自分で
自分を騙す様な 小細工をしてしまう・・・。

外側では 
全面的な愛の様に演じて・・・
表面的な部分では そうしておいて
 
自分自身の 
その外側の
振りの 演技の部分を見て

自分は 
愛している
自分は 全面的に 
愛しているんだと思い込む。 


それは
まだふりでしかない

では
その事に
何故 気づきにくいかと言うと

この
外側と言うのは
普段の思考領域ほど
外側ではない。

調度 中間点
この奥に 一番の奥に
本人には まるでご存知ない

無の領域
空の領域がある・・・。

普段の 
日常の生活で
人と接している時の
がっちりと自我を守っている
一番の外側の部分に 比べたら
この中間点は 内側に属する。

ところが
本当の内側ではない

一番外側に比べたら
ずっと奥に入っている。

だから
それはまさに 本当の事
内なる 叫びの様にも聞こえる。

その声に 
忠実に従がうと
皆の言う所の 愛は起ってくる。

この中間点の
心と言う部分に 従がって行けば
それが起こる。

そして
これを愛と 思い込む
それは 部分的な 愛でしかない。
我欲愛 
利己的愛でしかない。

何故なら
これでも 巧妙にコントロールできる
範囲が 残っていて
人は それをちゃんとする……。

何もかも 
全部 その場で捨てられる事。

持っているものの一切
手の中に 握っている一切だけを
捨てるんじゃない

その手が
ついている
自分自体をも捨てるという感覚だ。

一挙に
そうした時に
それは 起こってくる。

その時
全面的な愛
コントロールも 何も効かない
生まれて始めて
体験する本当の ひとまとまり。

ひとつの考えが
こっちにあって
もうひとつの考えが あっちにあると
言う様に,バラバラじゃない。

その バラバラの考えの
出どこまでも 捨てた
まったくの無 何にもない。

今までは
あっちにあった考えが
こっちの考えを
こっちの考えが あっちの考えを
と言う様に

考え自体が
考え同士を
互いに縛り合って
押したり 引いたり
コントロールし合っていた。

そんなものの
出どこを拾ててしまうと
もう 全面的に違った人になってしまう。

これが愛!
あなたは 
どの考えでもなかった事に気づける。

そして
あの内なる叫びは
満たされた事のない
考え自体から出ていた。

そんなものに
中間点に合わせていたなら
狂って来てしまう

だから
人はそれが恐くなって
中間点である この心から
また 一番の外側である頭の領域に
戻ってしまう・・・。

本当の愛は
この中間点を達し 一番の奥の
「空」の領域に出た時起こる。

それはもう
誰を 愛すというものじゃない
その人の前に来た人なら
誰でも愛す。

選ばない
特別な人は 居ない
ひとたび 空の領域に出たら。

そこに 
溶け去ってしまったら
それは 愛の塊りになってしまう。

理解の塊
信頼の塊
受容の 塊りに成ってしまう。

「空(くう)」 空(から)だったら
その中に 吸い込まれえる。

それは
ひとつの引力だ。


何かしら在ったら
それ自体が 邪魔をして
入いる事は 不可能だ。

本当の 
愛が起こっていたら
「空」になる。

1人の女性を愛したら
私は その女性であり
その女性は 私となる。

もう 
ふたつではない 
ひとつだ 一体だ
これは 何も 人問だけにじゃない。

仕事を
している時は 仕事だ
これで 一体になれている。

「仕事をしている人」だとしたら
「仕事」と「仕事をしている人」
そのものと 自覚の ふたつになっている。

駄目だ
自覚が邪魔をしている。

御飯を 
食べている時は 御飯
御飯を 食べている人じゃない。

酒を
飲んでいる時には 酒
常に ひとつだ そこに自覚など 無い時

それを している時は
それと同体で 
ひとまとまりになれてしまう。

だって
「無」は「空」は 何にでも成れる
どこか一ヶ所に固まって
それを持ち運んだりしたら
バラバラになってしまう。

対象物は 
人だけじゃない
それと いつでも同じに成れて
そして違う。

すると
ただの「空」なんかじゃない
100% 常にそこに生きられる。

今 
起っている事の中に
何ひとつ 持ち歩かない。

いつも 
空(から)っぽで 流れていて
そして 満ち満ちている。

自由だ。


自由と言うのは
こちらは その対象となるものに対して
執着しない
執着したくても 出来ない
どっちでも いいと言う事。

無選択だ 
選ばない
あちらが 選んでも
こちらは 選ばない。

だって
「空」に 到達する以前に
真理となる以前に

そんなものは
全部 放棄してしまっているのだから。

ここで
選ぶ事をしたり 執着したら
あなたは まだ空に至っていないという証拠だ。

すると あなたは
そんな事をしていたら
愛は壊れてしまうと思うだろ?

違うよ!
愛は 理解なしでは 起こらないし
理解は 自由を与える。

もしも 
縛られていたら
発散が 必要になる。

白由じゃないから
自由が欲しいし
自由に したくなる。

もし 自由でいたら
自由に したくなどならない。

だって
自由なのに
自由にしたり したかったり
する必要も 訳もない。


それを
山にたとえると……
ひとつの山を 征服するのは 難しい。

とても
出来るものじゃない
人とは 調度 この山の様なものだ。

あなたが
ひとつの山を 征服したかったら

あなたは 
まず 
あなたと言う山を
征服しなければならない。

その山さえ
征服していなければ
他の どの山も征服する事など 不可能だ。

あなたは
あなたと言う山の一部分
ほんの 表面を征服しただけ
理解しただけだと言うことを
理解しなければいけない・・・。

そうだとしたら
他の山の理解も
多分 表面だけの事だろう。

山の表面を 
見ていてごらん
コロコロ変わる
まるで カメレオンの様だ。

季節が来ると
緑が青く
また 
季節がくると 茶色に

そして 
無くなる
あなたは 山なんか 理解しちゃいない
それは 葉っぱだよ 山じゃない。

人で言ったら
それは その人の考えだ
それも その人の あるひとつの考え。

その人なんかじゃない。

それは 木だ。
それは 土だ
それは 岩だ
それは マグマだ。
山なんかじゃない 山が消えてしまった
と 突然 山など どこにも
無かった事に気づく。

まったく
無かった
色々な物の集合体を 山と呼んでいた。

あなたも同じく
色々な考えの 集合体。

それが
それ自体で
あなたと言う感覚を あなたに与えていた。

あなたなんて どこにも居なかった
辞書で 空というところを
引いてごらん……(空こそ あらゆるものの
本来の姿であると言う 仏教の基本的な考え方)とある

これは
考え方なんかじゃない。

真実だ
ブッタは 遥か2500年も前に
現代科学がやっと
辿り着こうとしているこの領域に

内観と言う
自己の内側を見る方法を使い
やすやすと見破ってしまっていた。

あらゆる
万物の本未の姿は
「空」だ
これ以上の真実は どこにもない。

私は
この真実を通過して
あらゆる万物の 源に帰りつき

それと 
一体だという所まで
まずは あなたを連れて行きたい。

この地点で
始めてあなたは あなたを
そして それ以外のものを 理解出来る。

愛が起こる
無と無
実体と 実体の結びつき
虚飾なるものは 一切含まれていない。

だから 
壊れうるものは無い
何もない空と空が 触れ合い
そこで 無くなる物が
何か有るだろうか・・・?

何も 無くなりはしない
無くなるものなど何ひとつ無いのだから。

そして 
終りなき愛が起こる。
空間は 広がるばかりで 終らない。


終りなんて無いんだ。


永遠の愛
永遠の理解
深まる一方だ 止まらない。




★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 4★

2006-06-02 10:29:56 | Weblog

◇愛するがゆえの背伸びが あなたに齎すもの◇

まず
気づいて欲しい
大切な事は 愛と言う言葉に
あなたが あなたなりの
味付けをしてしまっているとしたら

私の言葉は聞こえず
その味付けを通して聞こうとしてしまい
その味付けに照し合せ
味付けに合うものだけを 取り入れ
合わないものは 入れない

私の話を聞いている間
あなたの中で 
何が起っているかと言ったら 
一生懸命 照し合せごっこを
してしまっている事になる。

こうなったら 
私の話は あなたの観念を
より強固にしてしまうだけになってしまい

私の話した話しが 
伝え様とする事など
いつも取り逃がす事にしかならないどころか 

あの話は 良かったとか
あの人の言っている事は
理解出来るだのと言って

日常の中に
その より強めてしまった観念を
持ち回り
それに 照し合わせ

いや ちょっと違うだの
やっぱり その通りだのと
気分の アップダウンが
相も変らず 続く事になる。

自分の観念
言葉からくる 言葉に対して
味付けしてしまっている観念を
ちょっと 捨ててごらん
そこに愛の入口が見えてくる。

愛などと言ったら
何にか知らないけど

胸が高鳴ったり
胸が躍ったり
はたまた キュンと 
胸が締め付けられたりする

そんなのを
一切捨ててごらん。

あなたは
まだ愛など知っちゃいない。

あなたは 
あなたの愛に関する考えを
自分の愛に対しての
物の見方を 知っているだけだ。

あくまでも 自分のだ
本当のじゃない。

この世にある 
唯一の道 自然達観は
極々 まれに起こるけれど

その道は
愛に添っている
愛イコール理解
愛とは 理解を言う。

それも すべての理解
全面的な理解
大いなる理解

解釈じゃ 駄目だ
解釈は あなたが入っている。

あなたの知識
あなたの体験
あなたの 過去が入ってしまっている。

それでは
真の理解は起こらない。

理解とは
そうした一切が入らない
いわゆる あなたが あなたと思って
しまっているものは 入らない。

それを 超えている。

もしも
愛が本当に
起っていたり

あなたが言う
愛と言うものが 本当のものだとしたら

もう
とっくに
あなたは この事に辿り着いて
しまっている。

何故なら
愛だけが 
この事に辿り着ける道なのだから。


あなたが言う
愛においても
部分的にではあるけれど
これは起っている。

部分的にでも 
理解せずには
愛は 起らないからだ・・・。

何故
部分的かと言うと

自分にとって
都合のいい部分には
全理解を傾けるが

白分にとって
都合の悪い部分には
まったく 理解を傾けない。

だから
全体なる理解をした事がないから
部分的にしか 愛は起こらない。

ところが
部分的にでも 甘美なものだから
これに酔ってしまう。

そして
この段階で
私は 彼を愛しているだの
彼女を 愛しているだのとなる。

本当は 
何が起っているかを
理解する為に
「私はあなたを 部分的に愛しています」と
言うべきなのに…。

そして
ここまでのことが
どんな愛でも
我欲の愛でしかない

どんな愛でも
必ず崩れる運命になっていると言う
理由である。





何故なら
あなたの理解している部分だけしか
相手に無いのならばいい。

だが
実体は違う
むしろ あなたが理解している部分の方が
ほんの一部に等しい。

ほんの一部に等しいのに
あなたは 全部解ったつもりでいる。

そして
相手もそれに気づいているから
それに 応えようとする。

ここで
愛を無理矢理
作り出してしまっている。

自分の
行為行動は
ふりでしかない 演技でしかないと 解りながらも

この甘美な気分を 
逃したくない
この気分は 相手によって
もたらされた物だから
その相手を 失しないたくないと言う感覚も手伝い
あなたの理解した ほんの一部に
自分を当てはめ 演じ様とする・・・。

これは 
何にも男女の問柄だけではなく

会杜の 上司に対して
上司のお気に入りの部分が
なんとなく理解出来ていて
その部分に
自分を当て嵌め様とする。

最初の内は良いけれど
だんだん あなたは苦しくなってくる。

すると どうだろう

あなたは
自分の判断によって
そうしたはずなのに
何にも そうしなくても良かった筈なのに

そうさせたのは あいつだと
その相手に対する憎しみを
あなた自身の中で 育てて行ってしまっている。

それが
いつ爆発しだすのか
それを見ている第三者の
私の方が 余程 恐い。

そして 
それが だんだん
大変になってくる。

我ならぬ我
絶対的に 手に出来ない
偽わりを求めて歩く。

最初から 
結果は明らかだ。

そして
誰一人 
そんな事をあなたに
強制する事など不可能なんだよ。



しかし
にもかかわらず だんだん愛など
後かたもなく消えて行っているのに
まだ 愛が有る振りをする・・・。

これを すればするほど
愛など 自分の手で
壊して行ってしまう。

だって 
振りだと言う事ぐらい
誰にでも解るし
この振りをさせている対象者を
あなたは もっと憎むし
凄まじい 憎しみを 
見せない為の振り。

これは
もう悪循環であり
すべてが 破壊以外の
何ものでもない。

そして 
壊れてしまっているのに
それを見ず
それから目を背けてしまっていると・・・。

それらを 忘れる為
そこで 傷ついた我が身を
癒す為の
別の愛が 欲しくなる。

しかし
最初と同じ道を 通っている事に
本人は気づかない。







★あなたの愛が 永遠の愛と成る為に 3★

2006-06-01 13:43:06 | Weblog

◇あなたの 愛にメスを入れる◇


あなたの愛は偽りだ
あなたの内面に広がる 大いなる穴(虚空)


愛……まずこの言葉に
あなたが つけてしまっている観念や
あなたの 体験によって
つけた感覚を 捨ててほしい。

何故なら
あなたは あなたの愛は 知っているけど
あなたの 体験した愛は知っているけど
それが イコール
本当の 愛かどうか・・・?

10人いたら
10人の愛が 微妙に違うし

たとえ 大まかに見て
10人の愛が 共通していたとしても

たとえ
世の中の人達全員の
愛とやらが 共通していたとしても

そんなものには
騙されない事・・・。

だって
そんなものには
何の根拠も無いのだから。

あなたは
何をしているかと言ったら

根拠の無いものに
根拠を求め様としてしまっている。

あなたの
たった ひとつの根拠
それは
「 だって 皆が そうしているし
それは 正しいって 皆が言っている 」

こんなものは
根拠でもなんでもない。

だから
絶対数の多い
数の上での正しさは

5年 
10年したら
ひっくり返える
それは 真実じゃない。

真理は 
10年 経とうが
100年 経とうが
変らない。

これは
何も愛だけに
限った事じゃない。

すべての
事に対して
あなたは あなた自身の
解釈を してしまっていて

そして
理解してしまっている気でいる
だから 本当は何ひとつ知りやしない・・・。

ギリシャの哲人 ソクラテスが
「私が知っている ただひとつの事は
私が 何ひとつ知らない事を 知っている」と言って
気づいていた事は

私は
今迄 あらゆる物に対しての
私自身の解釈を 知っていたのであって

本当に あらゆる物を
知っていた訳では 無い事に
気づいたと 彼は言っている。

これが
第一番目に理解されなければ
この後に 起こる 沢山の事を
理解するのは 不可能だ・・・。

私が
話す事の 一切を理解するには
最低限 此処までは必要だ。


もしも
私の話が
理解しずらいとしたら

まだ
あなたは
始めの第一歩が
理解できていないという事になる。

あなたは 
あなたの解釈を通して
物を見ようとするから

歪んでしまって
あなたは その物を 
見る事は出来ない。

そんな歪みきった物は
世の中の どこを探したとしても無いよ
それは 無い事だけに気づいたらいい。

それは 
あくまでも その事に対する
あなたの解釈なんだと言う事。

そして
あなたは そのただの解釈を
知っているだけなのだと言う事・・・。

その
解釈を
取ってしまったら

あなたは
何ひとつ
知りゃしない事に気づく。

そこで
始めて
あなたには
物が見えてくる・・・。


そして
解釈と言うのは
過去の知識や
体験を通した時に
起こるものだと言う事を
理解しておきなさい・・・。

だから
過去の知識や
体験を通さずに見る事。

たとえ
世の中の人達全員の意見が
考えが 見方が 共通していたとしても

その
世の中の人達全員が
間違っている事だって有り得る。

内側で
なにかしら
不安定だからと言って

外側に
確かな物を
あなたは 求めたがるけれど

それ自体 間違いの基なのだ

外側に 
基準や 定儀を
見いだそうとしたり
作り出そうとしたりしないこと。

それを
して行くと
最初のうちは それが自我(エゴ)の
つっかい棒になって
安定感が来るけれど

その
安定感は 偽者だから
やがて 倍の不安が襲ってくる。

そして
今度は もっと沢山の
その不安に負けない

基準や 定儀を
仕入れ 掻き集め
前にも増した 大偽者の安定感を 作り出す。

当然 
長続きなんてしないどころか
大偽者の 安定感を
打ち負かすほどの 不安が
またもや襲ってくる。

延々と 旅は続く
これも 終りなき旅だ
遥かなる 追っかけごっこ。

この旅の 
仕掛人は あなただ
張本人は あなたなのだ。

真理に目を背け様とするあなただ・・・。

だって 
真理こそ あなたなのに
忘れられる訳がない。

目を 背けたままで
いられる訳がない・・・。


この 
成長'課程を経て
1人歩きを し始めると

この事が
とても嫌になる時期がくる。

出来るだけ遠くに 
逃げ出したくなる・・・。

それは
遅かれ 早かれ
誰にでも 起こる。

そして 
今が 調度 その時期に
当たっている人が 何人かいる。

そういう人は
とっても この事が嫌だろうし
うんざりだろう。

あなたは
あなたが 今したい事
やりたい事を 迷ったりしないで

内側で
そうしている自分を
責めたりなんか しないで

力一杯
その思う方向に
進んだら良い……。

その内
帰って 来たくなる時が来る。

だって
それは あなたなんかじゃないんだから
きっと その事に気づける時が
自然にやってくる・・・。

その
逃げ様としたり
目を背けようとする事が

不可能だと言う事実に
辿り着く時

あなたは 
それ自体が
それ自体こそ
あなただったと気づく。

あなたは
真理以外の
何者でもないのに

その事実から 逃げ様として

それも 
本来の自分自身から
逃げ様として生きて来た
誕生してからの
一切の日々が
馬鹿馬鹿しく見えてくる・・・。



決して
出来えない事に
挑戦していた日々

そして
それに負けきった日

外側の
ポーズなんかじゃなく
内側から完全に
粉々に負けきった時・・・。

あなたは
最初から 真理だった事を
ずっと以前から それ以外の
何ものでもなかった事に 気づく。

そして
此処に 帰って始めて
恐れる必要など
何も無かったと 理解する。

空(くう)とは 真理であり
あなた本来の姿だ。
これは 絶対に言い切れる。
あなたは それ以外の何者でもない。