浄心庵・長尾弘先生「明来闇去」

 ~ 誰れもが幸せになれる御教え ~

明来闇去

2021-04-04 00:14:45 | 明来闇去
 
恩師のご著書「思いの中に生きる」より

        「先祖供養」について(その2)

先の続き・・・

本当の先祖供養といいますのは、そのような幸せな姿をお供えして、そして、
「もし暗い世界におられるご先祖さまがございましたら、私の申し上げるこの
言葉をよく聞いて下さい。暗い世界におられるご先祖さまは、
この世に在られます時に、私のように幸せでございましたか」と、聞くのです。

そうしますと、もう一遍に目覚めます。「アア、私は幸せではなかった。
この子らのような幸せは、私にはなかった」。
幸せでないから死んで迷うのです。

「こんなに仲良く、こんな幸せな人生でしたか」と聞かれますと、
自分のいとしい子孫から幸せな姿を供えられ、そして、
「このような幸せでございました」と聞かれた時に、
どれほど深い迷いの中におられる先祖さんも即気付きます。

自分の人生が間違いであったということに気付くのです。
「喜びが足りなかった。私は幸せでなかった。
このかわいい自分の子孫のような幸せな人生を
自分はよう送らなかった」と。

幸せではなかったことが迷いの原因です。
では、どこに原因があったのでしょう。
それは私たちの心のあり方の中にありました。
迷いの原因は今言いましたね。

「この世にあられます時、腹立って喧嘩なさいませんでしたか。
あるいはお互いにクサし合いませんでしたか。
そしり合いはなかったですか。
人の悪口は言いませんでしたか」と聞いてみなさい。

聞かしてもらったら、
「ああ、あった。あった。ああ、あった。ああ、
私は恥ずかしい」と言って目覚めます。
それが苦しみの原因、地獄の原因であれば、
「今、心の底からその間違いに気付かれましたら、
本当の神様・仏様に心から自分の人生の過ちをお詫びしてみて下さい。
心の底からお詫びしますと、必ず心は安らぎます。

心から懺悔・反省・悔い改めをしますと必ず心は安らぎます。
その安らぎの心こそ極楽へ通じます」と言って、
お伝えお教えさせてもらうのですね。
それが本当の先祖供養につながります。




明来闇去

2021-04-03 00:17:01 | 明来闇去
 
恩師のご著書「思いの中に生きる」より


          「先祖供養」について(その2)

先の続き・・・

このような間違った信仰をなさっている方もたくさんありますね。
これは不孝者です。
反対に、私たちの子供たちが、
「お父さん、お母さん、お陰さまで、
私たちはこんなに幸せに住まわせてもらっています。

これもお父さんお母さんのお陰です。ありがとうございます」といって、
その幸せな姿、幸せな顔を見せてくれたら、
親の立場として「ああ、ありがたいなあ。
こんなに幸せに過ごしてくれたらありがたい。

もうこの子らについては、私は安心や」という喜びをいただけます。
それと同じことで、先祖さんの前で、
「お陰さまでございます。私たちのこの幸せは皆ご先祖さまのお陰です。
この幸せな姿をご覧になって下さい。ありがとうございます」と言って、
その幸せな姿をご先祖さんに供えてみなさい。

先祖さんは必ず、「ああ、よかった。私は安心や。この子らがこんなに幸せに
過ごしてくれたら、私は何も心配ない。ありがたいことだ」といって
喜びに満たされるはずです。
その時、ご先祖さんの魂は救われていきます。


明来闇去

2021-04-02 00:15:17 | 明来闇去

 恩師のご著書「思いの中に生きる」より


      「先祖供養」について(その2)

先の続き・・・

そういうふうな祈りをしますと、これは先祖不孝です。
それが先祖供養だと思って、一生懸命頼んでいるのですが、
これほど大きな先祖不孝はありません。
親不孝・先祖不孝です。

何故かと言いますと、私たちの子供や孫に
「お父さん、辛いんや。何とか助けてほしい。お母さん、辛いんや。
私はこんなんで辛いから何とか助けて」と言って来られたら、
私たちは必ず悲しい、辛い。
替われるものだったら替わってやりたい。
しかし、替わることはできません。

子供が「辛い、辛い」言いながら泣きついてきてくれて、
喜ぶ親がどこにありますか。
そんな親は一人もいないはずですね。
それじゃあ、私たちがお仏壇の前で、先祖さんはどんな思いをなさるか。
私たちが子や孫に泣きついて来られたらかなわないように、
先祖さんも必ずかなわないと思われます。

死んだら守ってやることはできません。
そりゃ、何とかしてやりたいという親心はもってくれます。
しかし、すでにこの世に肉体はないのです。
どうしてやることもできない自分の子孫に、
不幸な姿を目の当りに見せられたら、
これほどの先祖不孝はありません。


明来闇去

2021-04-01 11:33:48 | 明来闇去

お詫び:二日前に突然の停電の為、当ブログのシステムにトラブルが発生し、
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皆様にご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。


恩師のご著書「思いの中に生きる」より
       「先祖供養」について(その2)


子供が素直で、親の言うことを聞いてくれて、
どうにか一人前に成長してくれて、
幸せな家庭をもってくれたら、
親にとってそれ以上の幸せはないのです。
親という立場にならせてもらえば、
親の幸せは子の幸せの上に乗せてもらえるのです。
子供が不幸だったら、絶対に親は幸せになれません。
子供の幸せの上に親の幸せを乗せてもらえるのですね。

そして、自分が苦しいから、自分が辛いからといって、
「先祖さんに一生懸命供養したら助かる」と
思って拝む方があります。
あれは本末転倒、反対です。
私たちは子供の幸せの上に親の幸せを乗せてもらうように、
私たちの幸せの上に先祖さんの幸せを乗せることができるのです。
「先祖供養」は、まず私たちが救われないと、
先祖さんを救うことはできません。
自分が幸せになってこそ、
その幸せの上に乗せることができるのですね。
幸せを乗せる、自分の幸せによって先祖さんに
幸せな思いを与えられるということは、
先祖さんが救われることになるのです。

あるお宅へ、これも困ったお宅へ寄せていただいたのですが、
大きなお宅です。
もう、奥から十畳十畳八畳六畳と四つぐらい並んでいるのです。
その奥から二番目の部屋ですか、仏間がありまして、
立派な仏壇が祀ってあるのです。
そこで足の不自由なおばあちゃんが拝んでいるのです。
そこの当主の方は脳血栓で半身不随、おばあちゃんは足が悪い。

私は一番奥の間へ通していただいて、
そこで話しを聞いておりましたら、
そのおばあちゃんが隣の部屋で一生懸命拝んでいるのです。
「ご先祖さん、私の息子の不自由な身体をどうぞ治してやって下さい。
それから、私の足もどうぞ治して下さい。

それから、孫の誰やらもこんなことで困っております。
どうぞ助けてやって下さい」と、何と頼むこと。
そればっかり唱えて、一生懸命一時間拝んでおられました。