りなりあ

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約束を抱いて-29

2006-10-24 11:36:10 | 約束を抱いて 第一章

激しい物音が玄関から聞こえた。
奈々江がキッチンを出る前に、晴己がむつみの前に立つ。車の鍵を荒っぽく机に放り投げた姿は、普段の新堂晴己からは想像出来ない。
椅子に座っているむつみは顔を上げて晴己を見た。慌てていたり、取り乱していたり、そんな晴己を見るのは珍しくて、彼女は思わず問いかけた。
「どうしたの?はる兄?」
首を傾げると髪がさらっと揺れ、頬に触れる。
「むつみちゃん…」
晴己は崩れ落ちるように床に膝をつく。むつみの頬に手を伸ばし、痛々しいその赤い跡に優しく掌で触れる。
少しだけ泣いていたと分かる微かに赤い目。
晴己はもう一方の手でむつみの髪を撫でた。
「痛かったよね…。」
「どうして…知っているの?」
ほんの数時間前の事を、どうして晴己は知っているのだろう?
「ここに向かう途中で、連絡が入ってね。」
悲しそうな笑顔をつくる晴己。
あの場面を見た誰かが晴己に報告する事は、十分に有り得る。
むつみ自身が知らない人達でも、その人達はむつみの事を知っている。新堂晴己が愛する少女は、晴己の周囲では有名だった。
「他は…大丈夫?」
先ほどまで感じていた頬の痛みは、晴己の掌の温かさで薄らいでいくように感じる。
心配そうに瞳を揺らす晴己を見て、むつみは閉ざしていた感情が動き出すのが分かった。
混乱した様子の彼を見て、自分の為に来てくれたのだと感じる。
心配して駆け付けてくれた晴己を目の前にして、むつみの中の強がりや理性は完全に飛んでいた。
叩かれた事、電車での事、怖くて苦しくて逃げたくて。どうしていいのか分からなかった恐怖。
抑え付けていたその恐怖心が溢れ出て、むつみは飛び込むようにして晴己に抱きついた。
「はる兄っ!」
しっかりと受け止められて、髪を撫でてくれる。晴己の規則正しい鼓動は幼い頃から聞いていて、むつみを落ち着かせてくれる。
「ごめんなさい。」
むつみは自分でも分からないほどに混乱していた。優輝が自分のせいで怪我をしてから、晴己とは距離ができてしまった。もしかすると、もっとずっと前からかもしれない。
晴己との距離を感じていて、どうしていいのか分からなくなっていた。
優輝に怪我をさせたことを、晴己は怒っている。
確かに怒っているかもしれないが、晴己が自分にとって大切な人だということに変わりはない。
こんなにも愛してくれて、大切にされている。ずっとずっとこの愛情に包まれて生きてきた自分がいる。
むつみは今までの事を吐露していた。
優輝に怪我をさせたことを謝り、晴己に何も言わなかった事を謝り、叩かれた事、電車での事。
「もう、大丈夫だよ。」
むつみが泣いている間、晴己は同じリズムで彼女の髪を撫でていた。
むつみが落ち着くまで。
キッチンにいる涼と奈々江は、そんな2人を見て少し驚きながらも、優輝はむつみを助ける為に電車を降りたのだと分かり、胸を撫で下ろした。
そして優輝は、和室から見る光景に、前園医院での出来事を思い出す。
あの時も、捻挫などしなければ、何も問題は起きなかったのに。
そして、今回も。
むつみを守っていれば、彼女を助けていれば、こんな気持ちを感じる事は、なかったのに。
晴己の腕に抱かれるむつみを見る事など、なかったのに。

◇◇◇

少し落ち着いたむつみを、奈々江は寝室へ連れて行った。その姿を見送ってから晴己は閉じられている和室のドアを開けた。
「優輝。」
呼ばれて優輝は視線を晴己に移す。自分に向けられているその冷たい視線にゾクリとした。
「また、助けてもらったみたいだな。ありがとう。」
その口調は冷たい。
「優輝が止めてくれなかったら、二度叩かれていたよ。」
そんな詳細まで知っていることに驚く。
「だけど…助けられなかったのか?」
「またかよ。説教ばっかり。」
捻挫をした時もそうだった。ありがとうと言いながらも責められた。
今回も、むつみを守れなかった事は、優輝自身が分かっていて悔やんでいるのに。
晴己に自分の未熟さを指摘され、優輝は苛々としていた。



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