りなりあ

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指先の記憶 第四章-44-

2013-08-16 12:41:50 | 指先の記憶 第四章

当主は頭上から和菓子を取り、そして私が慌てて置いたお皿の上にそれを載せた。
幸いにも形を保っていた和菓子を食べてお茶を飲む。
「雄作さんから聞いています。明日、小野寺弘さんと一緒に来てください」
そう言うと、当主は部屋から出て行ってしまった。
それからは何が何だか分からず、嬉々とする響子さんに身を任せている状態で、翌日、再び本家を訪問した。
弘先輩も一緒に。
でも、私は綺麗な庭園に置かれた椅子に座るだけという、退屈で苦痛な時間を過ごし、弘先輩は、どこかへ連れて行かれてしまった。
数時間後に再会した時、弘先輩は普段と変わらず平然と私に告げた。
「健吾先生の絵、僕が修正することになったみたい。姫野さんの家でお世話になるから宜しくお願いします」
状況や環境の変化には慣れてきていた。
楽しいと感じる気持ちがあることを太一郎氏に言ったのも、嘘ではない。
でも私は、弘先輩が関わると平常心を失ってしまうみたいだった。
家に戻ると既に叔父が来ていて、私が落書きした母屋の絵をアトリエに運んでいた。
慌しい、それがピッタリな状況だった。
でも、アトリエの隣の部屋に置かれた冷蔵庫の中を見て、チョコレートは?と聞いた弘先輩は、やはり普段通りだった。
高校生の立場ではかなり過酷な状況だが、弘先輩の御家族は納得してくれた。
遠縁と以前弘先輩が話していたが、画廊を経営している方がいるらしい。
そのこともあり、弘先輩の御家族は絵に詳しい。
だから寺本健吾の絵の修正を…修正というのはちょっと大袈裟かもしれないけれど、その修正を依頼されたと聞き、とても感動してくれたようだった。
画用紙に簡単に描かれた絵には父のサインはなく、価値はない、と当主は判断した。
あの絵に価値を感じるのは、落書きをしてしまった私や、思い入れのある母だけ、とのことだった。
鉛筆を消しゴムで消せば、元の絵が少し戻ってくる。
でも…私と父の想い出も消えそうだった。
弘先輩の作業が進めば進むほど、弘先輩が私と父の思い出を消していくのだと思わずにいられなかった。
指輪を外さない母。
祖母に顔向けできないと嘆く太一郎氏。
私達は生きているのだからと、そう発言したのは私自身。
でも、消されていく父との思い出を、どうやって受け止めれば良いのか分からなかった。

◇◇◇

食堂で紙パック入りのジュースにストローを差すと、隣の人が慌てて立ち上がろうとする。
私の姿を見ると、いつも逃げてしまう彼女を捕まえるのは大変だった。
兄の幼馴染である2年の女子生徒。
彼女と私は何も関係がないけれど、私が兄に対して疑問を抱く際に重要人物となった人。
「写真、お返しします」
彼女から渡された、2歳の私の写真。
「同じ写真を母の実家で見つけましたから」
彼女が写真を受け取る。
立ち去る後姿を見ながら、何も知らなかった私は多くの他人に迷惑をかけていたのだろうと情けなくなる。
ありがとうもごめんなさいも、彼女に対して言えないのが情けない。
寒くなってきた時期に冷たいジュースを飲んだことで、私の体が少し震えた。

◇◇◇

「だいちゃん似合うね」
赤と白の衣装を着た大輔さんが、最近馴染みになりつつある洋菓子店の紙袋を差し出した。
「だろ?これが一番好評」
「ハロウィンの仮装も似合ってたよ。基本、それなりに着こなすよね」
大輔さんは駅前の洋菓子店でバイトをしている。
休憩時間に、ここに来ることが多い。
今は、もうすぐクリスマスだからサンタの衣装で接客しているらしい。
「康太は?」
「勉強してる。志望大学、考え直すんだって。学費は姫野のおじ様を口説くつもりみたい」
「思ったよりも上手くいって良かったな。偏屈爺さんなのに」
「そうだね。でも、意外と普通の人だったよ。身内だから、というのは大きい気もするけど」
「身内だから、だよ。小野寺君が適応し過ぎなんだ。まぁ…芸術の才能がない俺に対する態度と小野寺君に対する態度が違うのは簡単に想像できるけど。で、当主のお気に入りと、どうして今も付き合わないんだ?」
私はクッキーに手を伸ばして、途中で止まる。
「どうして…って…弘先輩、忙しいし」
「それ、ただの言い訳。好美さ…最後に哲也に会った日の事…理解してる?あー…哲也は何も言っていないから。俺の想像」
「だいちゃんが何を考えているかなんて、分からないもん」
あの日以来、哲也さんには会っていない。
代わりに大輔さんが家に来てくれるようになった。
苦手だと思っていた人だけれど、人の出入りが激しくなった我が家に大輔さんの人懐っこい性格は、場を和めてくれる。
「だったらさ、哲也の気持ちは分かる?って言っても、俺も驚いてるけど。せめて、2、3年は待てよって思ったからさ」
大輔さんがクッキーに手を伸ばすから、私も今度こそ食べようと思って手を伸ばす。
2人でサクサクとしたクッキーを食べて、紅茶を飲む。
「哲也のイギリス行き、決定」
「…え?」
「で、早川修司が戻ってくる」
大輔さんの真剣な瞳は、嘘でも冗談でもなさそうだ。
「哲也が望んだのか、晴己が行かすのか、俺は知らないけど。年末にはイギリスだな」
「年末って…すぐだよ?」
「正月、早川修司達を日本で過ごさせたいからだろ?」
「哲也さん、大学は?」
「休学。全然問題なし。未成年と揉めるほうが問題」
「…別に揉めてないもん。舞ちゃん、修司さんに会えるの?」
大輔さんが頷いて、私は思わず笑顔になる。
「だからさ、好美も自分の生活、楽しめば?姫野が、どういう家なのか今なら分かるだろ?」
適当な性格だと思っていた大輔さんは、意外と状況把握能力に長けている。
「当主が賛成しているんだから、麗子さんも晴己も康太も反対できない。小野寺弘と付き合えば良いんだよ。哲也は日本に戻ったら、今度は絶対に引き下がらないと思う。康太や晴己が何を言っても」
ちょっと怖くなって大輔さんを見た。
「条件的には…哲也が最適だと俺は思う」
「どうしてですか?」
「哲也は全部把握している。好美の周囲の状況も好美自身の状況も。好美の周囲の家族や親族と、上手くやっていくだろうし、全てから守ってくれる」