「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

「軍艦伊勢、レイテに突入」

2013年11月20日 | 護衛艦いせ
こういうタイトルを掲げると、眉を顰める人がいそうですが、


気にしません(笑)


先日も記事に上げましたが、


護衛艦いせが、フィリピンのレイテ島に国際緊急救助活動に向いました。


この出来事、単に救助活動としてだけでなく、


多少なりとも歴史に造詣がある人であれば、


なにかしら感慨深いものを感じずにはいられないことでしょう。


なんせ、


軍艦伊勢の娘である護衛艦いせが、


フィリピンのレイテ島に向うのですから。


しかも、日米共同の救助活動として…。


歴史の可能性とは、かくも豊かなのかと感じずにはいられません。







フィリピンのレイテといえば、


言わずと知れた、海戦史に残る激戦の1つ、


レイテ沖海戦が繰り広げられたところです。


私は、そこまで詳細に記憶していはないのですが、


ここでの有名な出来事は、


栗田艦隊の謎の反転…


もし、これがなかったら、この戦争の勝者は違っていたかもしれない、


とさえ言われている事件(?)がありますね。


歴史に「もし」はつきものですが、


敗戦国側からすると、その思いはひとしおです…。


私も、ここの下りを本で読んだ時は、


「何やってんだコイツ????


と怒りが込上げ、


「っていうか、こんなヤツがなんで中将とかなわけ???


と腹が立って仕方なかったわけですが。


レイテ沖海戦について、詳細を知りたい方は、


コチラをご参考下さいませ。


この海戦に限らず、


太平洋戦争の話…特に陸軍の牟田口(←こいつだけは許しちゃいかん


の話なんかを読むと、


怒りしか込上げてきません。


これは私見ですが、


司令官レベルが粗悪すぎて(中には素晴らしい人もいましたが)


佐官、尉官や下士官、兵士(早い話が将より下)が優秀としか思えなくて、


これが原因で戦争に負けたんじゃないかとすら思ってしまいますね。


敗戦要因については、いろいろありますけども。


…あ、話が逸れてしまいました…


このあたりの話になると、つい、興奮してしまいます。


悔しくて…。





話を戻します。


伊勢は、もともと戦艦でしたが、


姉妹艦の日向(前世からふたりは姉妹だったのね)と共に、


急遽、航空母艦として改装されます。


まぁ、このあたりに、戦後日本初の空…失礼、


ヘリ搭載型大型護衛艦(めんどくさー)2DDH型に、


この「ひゅうが」「いせ」という名前が与えられた背景が伺えますね。


余談ですが、去る2012年の我が日本が誇る海上自衛隊の観艦式において、


そうそうたる艦列の中に身を置く、


2隻の護衛艦、「ひゅうが」と「いせ」を見た外国の来賓が、


「あれは空母ですよね?」


と通訳係りの海自士官にご下問したそうな。


海自士官、答えて曰く、


「いえ、あれはDestroyer(護衛艦)です」


聞いた外国来賓は驚いて


「え???あれ、駆逐艦???空母じゃ…」


海自士官


「Destroyerです」


来賓


「え???Destroyer???」


海自士官


「はい、そうです」


というやり取りをしたそうな(笑)


まぁ、仕方ないよねぇ…。


中国人も、


「これを護衛艦って言いはってるのか日本は?!どうみたって空母だろ?!」


といきり立ってましたっけね(笑)


うん、どうみたって、空母だよね…。


君らみたいに、ロシアから、ボロッボロの空母買って、


改装中に何人も亡くなって、


ようやく完成したら、今度は迷子が続出っていう、


愉快な空母とはだいぶ違いますけどね~(笑)


うちは、誰がなんと言おうと護衛艦ですから~。


閑話休題(2度目…)





そんなわけで、


航空母艦に改装された伊勢は、レイテ沖海戦では、


空母「瑞鶴」・「瑞鳳」の第一群を護衛するものの、


この2隻の空母は伊勢の護衛もむなしく撃沈されます。


残された日向と伊勢は、ほぼ無傷で帰還、無事でした。


その後も伊勢は様々な危険の中、奇跡的に生き延びていきます。


以下、ウィキペディア引用

この後の「伊勢」は燃料不足のため「呉鎮守府第1予備艦(浮き砲台)」に指定され、燃料不足と米軍の機雷封鎖で行動不能な状態のまま呉港外三ツ子島(倉橋島北東、34゜12'N/132゜31'E)海岸付近の海面に停泊した。7月24日、米軍機動部隊艦載機による呉軍港空襲により艦橋に直撃弾を受け、牟田口艦長も戦死、浸水は5000tに達する。師岡勇高射長が艦長代理となり呉工廠第四ドックに曳航しようと作業中の7月28日、再び米軍艦載機の空襲により直撃弾11発を受けて大破着底、戦死者は573名に及んだ。終戦後、「伊勢」は引き揚げられてスクラップとなった。

なお、伊勢は呉空襲の際、日本海軍の歴史の中で日本の戦艦としては最後に主砲を発射した。



そう、伊勢はレイテ沖海戦において、2隻の空母を護るために奮闘し、


戦いにおいて、ではなく、


燃料不足と機雷封鎖による航行不能状態時に、


最後は、洋上砲台として動けないまま、撃沈されました。


実は来月、護衛艦いせによる、


戦艦伊勢の洋上慰霊祭が行われる予定だったのです。


これは当然、今回のフィリピン救助で事実上の中止となりましたが、


なんだかいろいろと、歴史のつながりを感じざるを得ません。


レイテ沖で奮戦した戦艦伊勢の娘、


護衛艦いせが、レイテ沖でかつての仇敵と共に、


国際救助活動に向かう…


そのためのレイテへの突入。


新たな歴史の1ページを開く思いがします。






いせの、航海のご無事と、


任務の完遂、ご帰還を、心からお祈りしています。



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