「歩くZ旗」みね姉のひとりごと ~矜持 国を護るということ~

私たちを護ってくれている自衛隊を、私が護りたい!そんな気持ちで書いてきました。今は、自衛隊との日々の大切な記録です

誇りある帝国海軍の末裔たち

2013年11月21日 | 海上自衛隊
以前、


「なぜ海自が好きなのか?」


と私に問われれば、理由はいろいろあると書きましたが、


恐らく、この理由が一番なのだろうと思いました。


「誇りある帝国海軍の末裔だから」


それが、明確になったのは、


頂いた、2012年観艦式のDVDを観たからです。


あの「亡国のイージス」の作者福井晴敏と、


元護衛艦隊司令官倉本憲一氏の対談がメインで構成されていて、


この部分が非常におもしろかったですね。


単なる観艦式の解説ではないんです。


対談の中で倉本氏が、解説をしてくださるのですが、


この倉本氏、護衛艦隊司令官時代に、


東日本大震災が起こった時、


「可動全艦出港せよ」


という、


海上自衛隊創設以来初めての指令を出した方なのです。


もうそのフレーズを目にしただけで、


めまいがしそうなくらいシビれました(笑)


いや、惚れました…。


大好きです、そういう方。


もともとは哨戒機のパイロット出身なのだそうです。


しかも、結構はっきり本音を言ってくださっているので、


非常に貴重なDVDだと言えると思います。




ここで、観艦式の意義と目的について簡単に言います。


もともとは、14世紀に、イギリスのエドワード3世が、


英仏戦争の際に、艦隊を訪れたことが始まりで、


日本では、明治元年に天皇陛下が大阪天保山で行われてから、


以来、現代まで続いており、


自衛隊の最高司令官である内閣総理大臣が訪れることで、


士気を高めることとされています。


…ん?士気を高める???


ここでちょっと、引っかかりました。


前回の観艦式の時の総理大臣・野田。


…はたしてこれで、士気が高まるのだろうか?と。


いや、コイツはまだマシだろう、コイツに比べたら…。


管直人。


自分が自衛隊の最高司令官である事を知らなかったとか、


防衛大臣は自衛官だと思っていたとか、


大丈夫かコイツ???というようなヤツが来て、


果たして、士気は高まるのか?


と思わずにはいられない。


それはさておき、


他にも観艦式の目的があるらしいです。


上記のことを鑑みたら、こちらの方が主目的と思わざるを得ませんが。


それは、抑止力。


形も大きさも違う艦(いせやひゅうがもいるから…)が、


一定間隔を保ったまま単縦陣で航行するのは、


かなりの運用技術が必要らしく、


それを見せることで、ミリタリー・プレゼンスとなるんだそうです。


我々は、これだけの運用能力を持っているんですよ、と。


うん、これは理解できる。







そして、この観艦式で大きな意味を持つのが、


掃海艇です。


自衛隊は、創設60周年を迎えたわけですが、


周知の通り、戦後軍は解体されました。


だけど、実は、旧海軍は完全に解体されたわけでなく、


戦争中に夥しい数の機雷が日本近海にばら撒かれていたため、


これを除去する掃海艇は残されたのです。


さらに、そうこうしているうちに、


朝鮮戦争が勃発し、米国から掃海を依頼され、


戦場での掃海活動を行うことになりました。


軍備を放棄した直後に、


戦争中の只中にだまし討ちのように派遣されたのです。


それでも、掃海艇は、戦死者をだしながらも粛々と任務を果たします。


その働き振りと技術の素晴らしさに、


米国が、この技術は途絶えさせてはいけない、


護り続けるべきだ、ということで、


陸上自衛隊が、旧陸軍出身者は絶対に入れない形で、


陸軍との完全決別をさせられたのに対し、


海上自衛隊は、旧海軍出身者で構成され、


その伝統は引き継がれたのです。


この違いが、現代でも


陸上自衛隊と海上自衛隊の様々な違いを生んでいると思います。


スタートが真逆ですから。


倉本氏が遠洋航海に行かれた時は、


米国海軍には、まだ太平洋戦争の経験者が現役でいらしており、


彼らは、


「あの戦争であれほどまでに自分たちを苦しめた、

 誇りある帝国海軍の末裔


とそれはそれは敬意を払って接してくれたのだそうです。


仕事において、


有能な人を有能だと評価できるのは、有能な人だけです。


スポーツの世界では珍しくない、


優秀な敵を讃えるという行為は、


実はそれ以上に、命と命のやり取りをしている世界でこそ、


多く見られるように感じます。


軍事において、私が好きなのは、実はこの要素なのです。


優秀な敵への、惜しみない賞賛。


戦後、自らを否定してきた日本人より、


当時の彼らを誰よりもどこよりも賞賛し、評価しているのが、


実は、仇敵のアメリカなのです。


この対談の中で、倉本氏もはっきり言っていらしたのに


ちょっと驚いたのですが、


 戦後、日本は教育によっておかしくされてきましたが、

 海軍の技術においては、それを守らねばならないと思ったのです。

 そして、仲良くすることで危険な敵を友とすることで、危険性を

 排除したのです。


というような趣旨のことを明言されてました。


「友とは親しく。敵とはもっと親しく」


という言葉が、マフィアの格言であるんだそうですが、


まさに日米同盟がそうだと言えます。


もう、このブログでもなんども言っていますが、


アメリカは、政治的には、日本はとにかく弱体化を推進させた、


その一方で、日本の軍事に関しては、


逆の方針だったのです。







とはいえ、自分たちが押し付けた憲法で軍隊を放棄させたし、


日本もアホみたいに律儀に守ってるし…


さぞ、自衛隊創設まで様々な思案がなされたことでしょう。


しかし、官って、異常にネーミングうまいなぁ、といつも感心します。


日本人の「イメージ先行」の特徴を、


よくも悪くも非常に理解しています。


それは、その辺の大企業のマーケティング部なんぞ、足元にも及びません。


「軍 ⇒ 自衛隊」


「駆逐艦 ⇒ 護衛艦」


とか、まぁよく思いついたなとおもいますよ(笑)


なんですが、


日本がいくらごまかしたところで、
(ごまかす、って国内と近所に対してだけですが)


海外では、日本海軍と見られているのだと仰ってました。


それは事実です。


先日、セイルタワーに行った時、


アデン湾での海賊対処の最中の映像を見た時、


海上自衛隊に救助を求める、


海外の商船との無線のやり取りの様子で、


当然、海上自衛隊は、


「こちら、Japan Maritime Self-Defense Force(なげー)」


というのですが、


相手は、


「Japan Navy」


としか言いません(笑)


このやり取りがしばらく続きますが、


最初はがんばっていた海上自衛隊も、最後は、


「Japan Navy」


と言っていました(笑)


まぁ、外国人からすると当然、自衛隊なんて概念はないわけで、


海にいる護衛艦を見れば、そりゃ海軍だと思うでしょう。


それを、軍隊じゃない、と言いはるのは、


欺瞞だと思いますね。


倉本さん曰く


「いくらこちらが、戦争放棄をうたっても、周りが攻撃してこない保証はないので、

 その侵略から、自国を護る必要がある」


と。


とってもあたりまえのことですが、


その最たる容疑者のスパイや同胞が、国の中枢にいる以上、


それを阻止しようとする動きが絶対あるわけです。


しかも、それがあたかも民意であるように操作して。


倉本氏は、日本近海の哨戒を長年行ってこられた方です。


おそらく、言い知れぬ危険を肌で感じてこられたことでしょう。


空を飛んでいると、


最も敵を身近に感じるのではないかと推察します。


敵を見つけるのが任務なので、当然なのでしょうけど。










それにしても、


私自身、海上自衛官と接するたびに感じていたことなのですが、


彼らは確かに、


「自分たちは、誇りある海軍なんだ」


という自負を持っています。


彼らがはっきりと公言することはないのですが、


そのことは、はっきりと感じます。


今回、倉本氏のお話を聞いていて、やっぱりそうなのだと確信しました。


前回の記事で、「いせ」による洋上慰霊祭が企画されていたと書きましたが、


実は、海上自衛隊は、洋上にて海戦が行われたり、


戦艦が沈没している所を航行する際、


洋上慰霊を艦上で行っているのだそうです。


もちろん、全員正装して。


訓練や演習で航海に出ている時なので、


あまり知られていないことですが…。


先人達を慰霊し、敬意を忘れることなく、


その伝統を引き継いでるのだと言う誇りが、


世界に誇る、帝国海軍の末裔なのだ


という矜持を持つに至っているのではないかと感じます。


それは、日本で唯一、


戦前の文化や伝統、思想が受け継がれている教育機関、


江田島が存続してきたからだと推察します。


ここで、帝国海軍の誇りと魂が護られ引き継がれる限り、


世界からJapan Navyとして敬意を払われる存在であろうと思います。


そして、そういう存在であることを、


彼らが命をかけて護っている、日本国民にこそ、知って欲しいです。









18日、いせと共に輸送艦おおすみも出港しました。


おおすみは、伊豆諸島での災害派遣から、そのまま離島奪還訓練に向い、


その訓練途中でフィリピンに行くことになりました。


輸送艦の少なさから、


おおすみに過度の負担がかかっていることは、想像に難くありません。


乗組員の方は、どれほどの間ご家族や恋人と会えないことでしょう。


家族の方は、どれほど寂しい思いで


ご主人やお父さんの帰りを待っていることでしょう。


それでも、必要な輸送艦は必要な場所に配置せねばならないので、


行かねばならないのです。


圧倒的に、海上自衛隊は人員が不足しています。


日本は海洋国家である以上、


海の護りは不可欠です。


帝国海軍の末裔としての誇りを、


受け継ぐ若者が増えることを願う次第です。




ゆるやかな会のブログも合わせてよろしくお願いします♪
↓↓↓↓
自衛隊とのゆるやかな会in博多