私の患った「頚髄損傷」は、ほとんど治る見込みがない。
今こそ、現世を超越した宗教の世界に身を委ね、
救いを求める時が到来したのではないか。
日頃から信心深かった訳でもなく、全くの急な変心である。
こんな身体になったからなのか、仏教的な無常観に魅かれ、
入院中は「般若心経」を唱えることが日課になっていた。
般若心経だけではない。
心の平穏を求めて、
まずは、「平家物語」冒頭の有名な一節・・・
祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり、
沙羅双樹の花の色、
盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらはす。
驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
格調高い古典文学はなぜか心が安らぐ。
心が浄化され、高校生の頃に戻ったみたいだ。
最近になって・・・恥ずかしいことだが・・・
小学生の頃、訳も判らず口ずさんでいた「いろは歌」にも、
同様の壮大な思想、意味が込められていることを知った。
色は匂へど散りぬるを(いろはにほへと ちりぬるを)
我が世誰ぞ常ならむ(わかよたれそ つねならむ)
有為の奥山今日越えて(うゐのおくやま けふこえて)
浅き夢見し酔ひもせず(あさきゆめみし ゑひもせず)
「いろは歌」の大筋の意味は、次のようになる。
・・・
匂いたつような色の花も散ってしまう。
この世で誰が不変でいられよう。
いま現世を超越し、
はかない夢をみたり、酔いにふけったりすまい。
・・・
意味を知った時、この「いろは歌」をつくった人は天才だと思った。
47文字を1回ずつ使用しなければならないという制約の中、
これだけ深い意味のある歌をつくるとは・・・。
一説には、空海(弘法大師)が作者とも言われているらしい。
なるほどと思った。
全身の筋肉が一斉に反旗を翻して、ご主人様である私に襲いかかってくる。
その猛攻になす術もなく、痛みをじっと耐える。
当然、薬は飲んでいるし、痙攣が起こり、激痛に耐えられなくなれば、
看護士を呼んでマッサージをしてもらう。
その唯一の救援部隊も人手不足か、
または、手の施しようがないとして放置されているのか、途切れがちになった。
どうやら、その度にマッサージしても際限がなく本人に慣れて貰うしかないということらしい。
今だから言えるが、決して慣れることができるような痛みではなかった。
何かしていなければ・・・例えば「般若心経」でも唱えていなければ・・・
我慢できるものではなかった。
夜は全身の痛みで睡眠薬を服用しなければ眠れず、
朝は痛みで目が覚めた。
浅い睡眠が常習化し、体重はみるみるうちに減り、
受傷前63キロあった体重が40キロを切る寸前まで激減した。
浅き夢見し酔ひもせず・・・どころではなかった。
・・・
睡眠不足の状態は、受傷後1年6カ月経過した現在も続いており、
体重はいっこうに増えず、43キロ近辺を上下している。
筋力も著しく低下したままで、
ペットボトルすら持ち上げられない。
それどころか、自分の腕自体の重さで、肩が抜けそうだ。
・・・
そうこうするうちに、2週間が飛ぶように過ぎ、
主治医からベッドを15度くらい起こしもよいとの指示が出た。
この頃に、リハビリの効果か、手足の指先が動くようになった。
今思うと、奇跡のような瞬間だったのだ。
完全麻痺と不全麻痺とでは雲泥の差がある。
指先に続いて、腕や足が動作するようになり、
カテーテルや定期的な浣腸をも脱した。
最初の4週間をどう過ごすかで、
その後の症状が決すると言っても過言ではなく、
私は良い環境(病院、主治医、看護・リハビリスタッフ)に恵まれたと言えるだろう。
諸行無常の境地に至れば、
なんでもへっちゃらになれるのだろうけれど・・・。
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環境が変わるとやはり心のあり方も変わるのですね。
置かれている環境に変化がないと逆に分からない。
平穏無事に過ごしてきた人たちに
わからんちんが多いのはそんなところなんでしょうか。
相変わらず文章がしっかりしているので
心身のご苦労が分かりません。
けっこうしんどいのですよね?
by katsu