mimi-fuku通信

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三遊亭圓生著:『浮世に言い忘れたこと』を読む。

2010-05-12 22:40:00 | 映画・芝居・落語


 2010年。
 4月には古今亭志ん生著:『なめくじ艦隊を感動のうちに読み終え、
 5月には三遊亭圓生著:『浮世に言い忘れたこと』を読んでいる。

 三遊亭圓生さんは昨年(2009年)亡くなった三遊亭圓楽さんの師匠
 古今亭志ん生さん、桂文楽さんと並ぶ“昭和の三名人”の一人として、
 後世まで語り継がれる噺家(はなしか)。

 『浮世に言い忘れたこと』は、
 現在絶版で中古市場か図書館でしか入手できない。
 私の手元に現在あるのは、
 1981年10月に講談社より発行された初版。 
 読み進むうちに芸に打ち込む姿勢や心意気に深く感銘する内容で、
 一芸に秀でた人の確かな考えを確認した。
 その中の一説を掲載させていただく。

 気転を働かせること。
 何かに困った時にどういう処置をとったらいいのか…。
 これは突然起こることですから最初から考えるおくことはできません。
 演芸中に突然何か起こった場合に(どのように)上手く処理できるかは、
 平素の心がけにもよりますが私(あたくし)は詰まるところ、
 “自分の立場に責任を持つ”ことだと思います。
 太平洋戦争中には演芸中によく空襲警報に出会いました。
 その場合で演者は決して慌ててはいけません。
 客は皆、演者に注目して(噺を)聞いています。
 その最中に、
 注目している(先の)人間が一人で慌てふためいて舞台から飛び降りでもしたら、
 それこそ群集心理で一同が大騒ぎ(パニック)になることは必定なんです。
 だから落ちつき払って、
 「ただいま空襲警報でございますから皆様どうかお静かにご退場願います。
 お静かにどうぞ…。」
 とことさらゆっくりとしゃべると客も慌てず順序よく帰ってくれたものです。
 客があらまし帰ったのを見届けて楽屋に入ると、
 今度は慌ててゲートル(巻き脚絆)を巻いたりしたものですよ。
 なにも私(あたし)に度胸があるわけでもなんでもない。
 ただ自分の責任というものを考えて自分が慌てたらどのようになるかと思うから、
 わざと落ち着き払ってみせてるだけで内心は本当に怖いですよ。
 
 
丁度この件を読んでいる時間は小松→東京行(5月10日朝)の飛行機の機内で、
 目の前にいるキャビンアテンダント(客室乗務員=スチュワーデス)に注目。
 彼女達は、
 万が一の時に冷静な対応を求められる責任ある職業の筆頭に位置するだろう。
 2007年8月20日の中華航空機の炎上爆発事故での機内の対応のニュースや、
 1985年:日航機墜落事故での生存者による機内の様子の証言等を思い出す。

 そうした中で、
 近々発覚した西武鉄道職員によるキセル事件や、
 日本大学の職員による情報流失事件の報道には落胆する。
 その他にも管理すべき立場にありながら
 解雇相当の“責任感の感じられない職員の行動”が報じられる。
 特に“個人情報の流失”については、
 個人や団体に違法認識がないのか頻繁に繰り返されており、
 被害者も被害の実情が確定できないから仕方ないと諦めるのではなく、
 共同による賠償請求が妥当だとも感じる。
 
 お銭(あし)をいただくからには。
 芸の道を目指す“今時の人”は直にお銭(あし)のことを気にします。
 ともかくパーッとあがって一年ばかりでも人気があって、
 ピシャッと落っこちてでも早く売れたほうが良いと言う。
 (一時の人気で)儲けた金でアパートでも建てておいて、
 家賃のあがりで生涯喰っていくって了見だそうです。
 でもね、
 アパートを建てるために芸人になるくらいなら、
 他に色々な方法があるはずです。
 芸人になろうという気持ちが本当にあるなら、
 “一生芸の道で喰っていく。”といった気位が必要です。
 人間はただ生活していくだけが能じゃない。
 やっぱり自分がやりたいことをやるのが人間じゃないかと思います。
 だから私は喰う事ができなくなったら、
 大道に立ってでも噺をする気概があります。
 私は必ずお銭をいただけるだけの噺をしますよ。
 どんなに(傍から見て)惨めでも芸人としてはその方が立派だと思います。
 私はどんなに路頭に迷おうが生涯これと目指した生業(なりわい)を続け、
 “初志を貫徹する生き方”に魅力を感じます。
 今時の(手軽に儲かる方法ばかりを考えている)芸人に言いたいことは、
 世の中銭勘定だけでは駄目だってことに早く気付いて欲しい。
 人の目の届かない所でコツコツと地固めして叩いて地馴らしして…。
 芸人というのは日々修行をしていかなくちゃ駄目なんですよ。
 
 この頁(ページ)を記するに当たって頭に浮かぶのは、
 2010年6月の参議院選挙の候補者名簿。
 覚悟も過去の地固めもない人物の名前だけを拝借して擁立する政党の無秩序。
 政治を“腰掛け”に考えているとしか思えてならない著名人への憂い。
 現役続行を表明しながら“二束のワラジ”を履こうとする国民的アイドル。
 以上は私の目には国民(有権者)に対し無礼な態度にうつる。
 個人的には圓生さんが述べている、
 初志貫徹よりも流動的な社会変化の中での臨機応変を好む。
 ただし、
 混迷を通り過ぎ悲鳴に近い国民生活の実態を鑑みることもなく、
 今尚(政治について何も知らない)素人議員を擁立する政党に私は無念を感じる。
 どこまで国民感情が低俗なレベルと位置付ければ気が済むのか?

 圓生さん風に言うならば
 一生この道(政治の道)で生きて行きたい。
 例え(惨めな思いをして)喰えなくてもいいじゃないか。
 私は国民のために日々研鑽をしたい。
 政治家とは“そうあるべき”と希望したい。


 
<補足>
 
 『浮世に言い忘れたこと』は下記の4部構成になっている。
  ・人情浮世床。
  ・寄席こしかた。
  ・風狂の芸人たち。
  ・本物の味。 
 中でも、
 “人情浮世床”は昭和の落語を伝える花伝書として貴重。
 入手が可能なら是非読んでいただきたい一冊です。


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