今日は早くPCを閉じて貯まっている録画した番組を観ようと思っていた。
予定通り8時40分にはPCを閉じたのだが観た番組に感じる所があり、
再びPCを起動。
11月8日の夜に放送された『日曜美術館:第61回正倉院展』。
番組中、光明(こうみょう)皇后の話題になった。
ゲストの安達祐美さんが奈良の法華寺(ほっけじ)を尋ねた。
かつての光明皇后の住まいがあったとされる当寺院には、
光明皇后をモデルにしたと言われる国宝:十一面観音立像が安置されている。
光明皇后は701年に生まれ760年に没するまで、
夫である聖武(しょうむ)天皇をささえ、
我国の歴史上最も大きな事業のひとつであった、
東大寺大仏を建立(こんりゅう)した天平(てんぴょう)時代の皇后である。
聖武天皇の時代。
疫病(天然痘)や飢饉に世は混沌としていた。
時代を憂えた光明皇后は仏教に国の未来を託し、
大仏建立を聖武天皇に懇願したとされる。
番組中紹介された法華寺の浴室(から風呂)。
薬草を焚き浴室に蒸気を送る事で疫病から病を癒した。
東大寺縁起絵巻でもそのシーンは描写されており、
光明皇后が率先して病人の身体を洗う(さする)場面が描かれている。
後の光明皇后の逸話(伝説)として有名な、
ハンセン病患者の身体の膿(うみ)を口で吸い出されたところ、
患者は仏となって姿を変え皇后の前に現れた。
1300年も前の時代に生きた光明皇后の熟慮と行動は、
日本に於ける社会福祉思想の原点とも言われる。
今日2009年11月12日は今上(きんじょう)天皇即位20年の記念すべき日だ。
正田美智子さんが民間人として初めて皇室の直系に嫁ぎ過ごした日々。
皇后美智子として歩んだ20年の月日。
美智子皇后の生誕年:昭和9年(1934年)は私の母と同じ年齢になり、
母の世代の心には美智子さまと同じ時代を歩んだと言う自負があるようだ。
皇族と言う窮屈な立場の中で社会福祉に捧げた美智子皇后の半生。
そして皇后の意志を最大限に尊重した今上天皇:明仁(あきひと)様。
お2人の歩みは日本国憲法に定められた象徴としての天皇家の立場を、
立派にお努めになられていることは世の万人が認める所だろう。
戦後の皇室の立場は、
自衛隊同様に日本国憲法上、
最も曖昧な存在とされている。
天皇(昭和)の戦争責任と軍部独裁が導いたとされる戦争への反省は、
皇室と自衛隊を曖昧な存在として位置付けることで今日を迎えた。
そのことに本文で言及するつもりはない。
ただし法律に基く存在位置の曖昧が齎す、
窮屈さや利用価値。
憲法で示されている、
・人間天皇の人間としての自我の否定。
・人間天皇(及び天皇家)の行動の自由や言論の自由への抑圧。
日本国憲法に基く大原則である基本的人権の皇室への適用の是非。
庶民には耐え難い苦悩を私達は天皇家に求めてはいないか?
皇室に係わる省庁は皇室を利用し自分達の利便を追求してはいないか?
即位20年の日。
かねてから思い描いている個人的な意見を文字にしてみる。
*天皇陛下のお言葉全文。
~47NEWS:2009年11月12日~
→ http://www.47news.jp/CN/200911/CN2009111201000528.html
<天皇陛下のお言葉全文:47NEWS記事転載>
即位20年に当たり政府ならびに国の内外の多くの人々から、
寄せられた祝意に対し深く感謝します。
今年は平成生まれの人が成人に達した年でスポーツその他の分野でも、
既に平成生まれの人々の活躍が見られるようになりました。
20年という時の流れを思い深い感慨を覚えます。
ここに即位以来の日々を顧み私どもを支え続けてくれた、
国民に心から謝意を表します。
この20年さまざまなことがありました。
とりわけ平成7年の阪神・淡路大震災をはじめとし、
地震やそれに伴う津波、噴火、豪雨など、
自然災害が幾度にもわたりわが国を襲い、
多くの人命が失われたことを忘れることはできません。
あらためて犠牲者を追悼し被災した人々の苦労を思い、
復興のために尽力してきた地域の人々、
それを全国各地より支援した人々の労をねぎらいたく思います。
即位以来国内各地を訪問することに努め、
15年ですべての都道府県を訪れることができました。
国と国民の姿を知り国民と気持ちを分かち合うことを、
大切なことであると考えてきました。
それぞれの地域で高齢化をはじめとしてさまざまな課題に、
対応を迫られていることが察せられましたが、
訪れた地域はいずれもそれぞれに美しく、
容易でない状況の中でも人々が助け合い、
自分たちの住む地域を少しでも向上させようと努力している姿を、
頼もしく見てきました。
これからも皇后と共に各地に住む人々の生活に、
心を寄せていくつもりです。
先の戦争が終わって64年がたち、
昨今は国民の4人に3人が戦後生まれの人となりました。
この戦争においては、
310万人の日本人の命が失われ、
また外国人の命も多く失われました。
その後の日本の復興は、
戦後を支えた人々の計り知れぬ苦労により成し遂げられたものです。
今日の日本がこのような大きな犠牲の上に築かれたことを忘れることなく、
これを戦後生まれの人々に正しく伝えていくことが、
これからの国の歩みにとり大切なことではないかと考えます。
この20年間に国外で起こったこととして忘れられないのは、
ベルリンの壁の崩壊です。
即位の年に起こったこの事件に連なる一連の動きにより、
ソビエト連邦からロシアを含む15カ国が独立し、
それまでは外部からうかがい知ることのできなかった、
これらの地域の実情や歴史的事実が明らかになりました。
より透明な世界が築かれていくことに、
深い喜びを持ったことが思い起こされます。
しかし、
その後の世界は人々の待ち望んだような平和なものとはならず、
今も各地域で紛争が絶えず多くの人命が失われているのは、
誠に残念なことです。
世界の人々が共に平和と繁栄を享受できるようになることを目指して、
すべての国が協力して努力を積み重ねることが大切であると思います。
今日わが国はさまざまな課題に直面しています。
このような中で人々が互いにきずなを大切にし、
叡智を結集し相携えて努力することにより、
忍耐強く困難を克服していけるよう切に願っています。
平成2年の即位礼の日は穏やかな天候に恵まれ、
式後、赤坂御所に戻るころ午後の日差しが、
国会議事堂を美しくあかね色に染めていた光景を思い出します。
あの日沿道で受けた国民の祝福は、
この長い年月、常に私どもの支えでした。
即位20年に当たりこれまで多くの人々から寄せられたさまざまな善意を顧み、
あらためて自分の在り方と務めに思いを致します。
ここに今日の式典をこのように催されたことに対し、
厚く感謝の意を表し国の繁栄と国民の幸せを祈ります。