先ほど台風13号が通過した。このあたりでは、予想されたような豪雨もなく、一安心といったところです。
今回の台風で被害に遭われた方にはお見舞いを申し上げます。また、これから台風が近づく地域の方は、十分注意をしてお過ごしください。
それにしても、8月末の豪雨は凄かったです。たたきつけるような雨音で目が覚め、そのあとも続いた豪雨と激しい雷鳴。私でさえ少なからぬ不安を感じました。
幸いにも私の住む安城市内では、人命に関わるような被害はありませんでしたが、隣の岡崎市では、洪水で2名の方が亡くなり、多くの家屋が浸水被害にあいました。
その平成20年8月末豪雨について、自民党の麻生幹事長は、14日にJR名古屋駅前で行われた街頭演説で「安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたらこのあたり、全部洪水よ」と発言がされたそうで、安城・岡崎両市の抗議をうけて、市民あてに謝罪文が送られてきたとの報道がありました。
安城市というのは平野の真ん中に位置していて、南北約15km、東西約10km、市内の最高標点が27.7m、最低標点が0.5m。途中に起伏はほとんどなく、とても緩やかに傾斜しています。また、急激に宅地化が進んではいますが、それでも多くの田畑が残っているところです。確かに河川の近くでは洪水の危険性は高いと思われますが、排水装置が壊れなければ、地形的に洪水の被害に遭いにくい場所といえます。
確かに、あのような豪雨が名古屋市内であったなら、洪水による被害は比較にならないほど大きなものになり、東海豪雨の再来になった可能性が高いでしょう。
しかし、いくら安城市が洪水の被害に遭いにくいところといっても、あのときこのあたりに住む人の多くが豪雨に対する不安感を持ちました。岡崎市では洪水で流され人命さえ失われるほどの被害にあっているのです。
それを、「安城や岡崎だったからいいけど…」といわれれば憤慨するのはあたりまえのことだと思います。
それではなぜ、このような不用意な発言をされてしまうのでしょうか。それは、その時その場所の状況を想像する力を持たれていないからでしょう。そして、他人の置かれた状況やそのときの痛みを、自分のものとしてとらえられないからだと思うのです。
もし、私たちのことを想っていただいて「8月末に激しい豪雨に襲われた安城や岡崎の方にはお見舞い申し上げる。亡くなった方にはこの場でお悔やみを…。しかし、名古屋で同じことが起きたらこのあたり、全部洪水よ」といわれたなら、麻生氏の真意はうまく伝わったとことでしょう。それだけに残念な発言です。
人との会話では、相手のことを配慮し、ほんの少し言い方を変えるだけで、相手のとらえ方はまったく違うものになります。それはセールストークでも同じこと。むしろ話し方ひとつで、相手を信頼し商品を買う気になったり、このセールスからは絶対に買いたくないと思ったりするものなのです。
例のBMWのセールス氏。相手の気持ちや状況を推し量れないところは、麻生幹事長とおなじなのかもしれないですね…。