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おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

正直者

2010年10月14日 | 日記・エッセイ・コラム
金の斧を断ることが出来ますか?
 
池に斧を落とし途方にくれていると
わしゃ神様だよぉ!って志村・・・いや、
神様が現れて、お前の落とした斧は、
この金の斧か?それとも、この銀の斧か?
それとも、私の頭に刺さった鉄の斧か?
 
酒も飲んでないのに、ボケが浮かんでくるという
少々、読みづらい文面になってしまっているが、
この話のシーンに遭遇したとして、
正直に、鉄の斧だと言うだろうか?と、
仕事を一生懸命しながら、ふと考えた
 
いまの社会、どうも正直者がバカを見るような
仕組みになっているように思えてならない
 
この話だって、今風に言えば、
正直に鉄の斧だと言ったとしても、
それを聞きつけた飲み仲間が
 
「アホやなぁ~、そんなん金やぁ!言うてもバレんでぇ!」
 
とか、
 
「間とって、銀の斧もろといたら、よかったのにぃ!」
 
なんて、現場にも居なかったくせに、
たいそうなアドバイスをいただけるような気がする
 
逆に、正直に言ったとして、
金と銀の斧も貰えるとは限らない
 
とんでもねぇ!オラ神様だぁ!って
現れるような神様は、僕達を試しているだけなのかも
知れない!と、
何事も疑ってかかるような狡猾さが、
現代を生きるのには、必要だと思えてならない毎日なら、
神様だって、正直に信じていいものかどうか
 
ましてや、池の中から出てくる志村・・・いや、
神様を俄かに信じていいものか?と
一生懸命仕事をしているはずなのに、
哲学しはじめると、脳みそは
それだけを考えるように悩みだす
 
お前の落とした斧は、これか?それともこれか?
 
両手に持った金と銀の斧
 
ふとこんな話を思い出したのは、
実は、土台となる話題が今日あったからだが、
それは今回は書かないことにする
 
僕ならこのシーンに遭遇したなら、
それでも正直に鉄の斧だと言うと思うが、
見返りに、ご褒美も期待しての
返事かも知れない
 
そういう意味では、僕は正直者ではない
 
 
 



700メートル

2010年10月13日 | ニュース
チリでの救出作戦が始まった
 
鉱山落盤事故で、地下700メートルに
33人が取り残された今回の事故
二ヶ月間、地下で過ごすというのは想像を絶する
 
暗所・閉所恐怖症の僕としても
想像をするだけでも、サブイボが出てしまうほどだが、
強烈なリーダーシップを発揮する中心人物が居て、
また
同じ境遇を乗り切るだけの団結力があったんだろう
 
それにしても700メートルとは、いかほどのものか?
 
今話題の東京新名所として建設中の
スカイツリーよりも遥かに高い(長い)距離を
移動しなければならない
実生活の中で、横に700メートル移動することはあっても
真上や真下に移動すると言うのは
体感しにくい
 
体感しにくいと言えば、ヒーローモノの身長
 
怪獣退治に使命をかけるウルトラマンだが
彼の全長は52メートル
 
これが大きいのか小さいのか、どうだろう?
街中でビルじゃなくて、例えばこんな感じの
 
101013_142932
 
ある日突然目の前に高いモノが出現すると、
 
『これが怪獣だったら・・・』
 
と、妄想をしてみる男の子は
割りといるじゃないだろうか
 
このクレーンが何メートル級なのかは知らないが
いくら正義の宇宙人だと知っていても
こんな大きなウルトラマンが目の前にいたら、
それはそれで恐怖だ
 
ウルトラマンが52メートルなんだから、怪獣も
そのぐらいか
ちなみに、ゴジラは50メートルらしい
 
昨年の夏に話題になった等身大ガンダムが
18メートルだから、どれだけウルトラマンが
大きな宇宙人かわかる
 
それを遥かに越える700メートルの地下から
ぞくぞくと生還する作業員の人たち
家族もこの日をどれだけ待っていたことだろうか
 
遠く離れた日本にいても
全員の無事を祈らずにいられない
 
 
 



イッチョカミ

2010年10月12日 | 日記・エッセイ・コラム
馬鹿会の旅行計画が頓挫した
 
予測できたことではあるが、実際に頓挫すると
それみたことかぁ!と言わざるを得ない
先日、飲み会を開いて、
詳細までは決めなかったものの、旅行計画の話はした
 
その時点で、どうやら参加者は少ないと思ったし、
なによりも、僕自身、参加できないと思っていたので、
取りまとめるにも、乗り気にならなかった
 
結局、日帰りのぶらり旅になりそうだが、
参加者は総数2名
はて、これは旅行と定義できるだろうか?
 
計画と言えば、馬鹿会のほかにも
密かに飲み会の企みが進行中だ
すべてにネーミングがあるわけではないが、
いくつかの会を紹介してみると
 
“稲荷会” 
 
がある
これは、以前に一度だけ紹介したことがあるかも
知れないが、
“郷”と呼ばれる単位が我が地区にはあって、
先日までの秋祭りもこの“稲荷郷”で行われた
その稲荷郷に住む同級生で組織されたのが
稲荷会だ
 
発足当初は、三ヶ月に一度の頻度で飲み会を
開催し、計4回ほど行ったあと、滞っている
 
その他には、名前こそまだないが
内容としては、消防団の分団長の役職をやったことがある
人の集まり“分団長の会”をやろうか?との
声が上がっている
 
これは、どこまでの範囲で声をかけるかに
掛かっている企画だ
同級生と違って、ひとつの年代に一人の
分団長だから、かなり幅広い年齢層になる
 
まとめるのが若輩もので、いいのかな?と
少々不安にもなる
 
その他にも、定期的ではないにしろ、
三銃士の会を拡大させた会が存在する
これはこれでオモシロイ会で、
飲み会を開催するたびに、ひとりずつメンバーを
増やしていく!と言う、特殊な形態を
採用している
 
幹事も変わっていくのだが、
メンバーが集まらない時には、三銃士だけの会と
リセットされる会でもある
 
このすべてを取り仕切っているわけではないが
イッチョカミしているのは事実
 
楽しいイッチョカミなのだ
 
 
 



さあしましょう!

2010年10月11日 | 日記・エッセイ・コラム
101010_215233
 
伝統文化って事を考える時、いつも思うことがある
 
「最近の若いヤツは・・・」
 
古代文明の壁画にも似たような言葉があったとか
 
それほど、歳を重ねると自分達の過去と比べて、
今の若者を何かと正そうと、
傲慢にも似た感情で言いくるめようと
してはいないか?と 
 
祭りに関しては言えば、
シキタリなり形式なり、そこには
先祖から脈々と受け継がれてきた美があり、
それを今後も伝えて行かなくてはいけない
 
その反面、その時代にあったモノを
取り入れる事も、また祭りにとっては
大事なものではないのか?と葛藤することもある
 
伝統を守り続けるのは容易なことではない
何も変わらず受け継いでいくことは、
想像を絶する覚悟と根気が必要なんだろう
 
そう思えば、今の祭りも
そして少し前、自分達が“青年”と呼ばれて居たときの
祭りの形式は、伝統に沿ったものだっただろうか?
 
確かに、祇園囃子にしても
少しずつ調子が変わっているように思える
それはノリだったり、歌唱力だったりするのかも
知れないが、それを否定することは簡単だが
それもまた、新たな“変化”のひとつなんじゃないか?と
肯定的に捉えたいと言う自分がいるもの事実
 
いろんな感情が入り混じる中で、
ひとつ言えるのは、今の“若者”も
捨てたもんじゃないという事
こんな言い方をすれば、何様だぁ!と言い返されそうだが、
事実そう感じる事も多い
 
確かに昔と比べれば、色々な面において
自己的な行動も多い気がするが、
祭りを盛り上げようと言う気持ちは、
形式美だけに気を使っていた僕達とは違い、
本当に楽しそうに映る
 
なにはともあれ、今年の祭りは終わった
太鼓蔵に収まった布団太鼓を見て、
そして、ボクトツな青年団長の挨拶と
彼を胴上げして祭り唄を唄う青年団を見ていて
不覚にも涙ぐんでしまった自分に、
酒も残っていたかも知れないが、酔ってしまった
 
昨日は久々に楽しい祭りだった
一日中、笑って過ごせた
 
 
 
ありがとう!
 
 
 
誰にでもなく、そう言いたい気分だ 
 
 
 



めでたいなぁ

2010年10月09日 | 日記・エッセイ・コラム
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今日から今年の祭りが始まった
 
今日が宵宮で明日が本宮
二日間の祭りだが、クライマックスは明日の本宮
 
青年時代は、乗り子の練習があって
徐々にテンションを上げて行き、
終われば涙ぐむぐらいの勢いで
祭りに携わっていたが、
最近じゃ、本宮の昼から参加するだけの
少し寂しい祭りが続いていた
 
今年は、村の役員をやっている関係で
朝から色々と借り出された
 
それぞれの家庭から、昔懐かしい祭りに関係する
写真を出してもらい、それを展示する
ほかにも、趣味の展示も
二回目の開催となったが、
一芸に秀でたというか、目を見張るものが
多数あって、朝から手伝った甲斐があった
 
夜には、布団太鼓と呼ばれる地元の山車が帰還し、
それを取り囲んで、村人総出の宴会が
 
おでん、かしわ炒め、フランクフルト、そして生ビール
 
普段語り合うことの少ない村人同士での
会話に華がさく
また、懐かしい写真展は前評判よりも盛況で
45枚たらずの写真を、懐かしそうに見て
誰もが平均1時間かけて写真を見て回った
 
宴の最後に、青年団の掛け声で
布団太鼓を差し上げ、大盛況のうちに
前夜祭を終えた
 
普段からも思うことだが、
この地に生まれてよかったと思えるのが
この祭りの二日間だ
 
喧嘩することなく、怪我することなく
飲みすぎることは少々多めに見てもらって
今年も心騒ぐ一日を明日は
すごそうと思う
 
だから今日は、もう寝る
 
明日のために