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日々の暮らしのなかで

2本持って走る距離

2007年09月28日 | 日記・エッセイ・コラム
物事には理由がある。漠然とした言い方だが、そう思う。
 
ここ数日間、道路の路肩に生えている雑草の刈り取り作業が
行われていた。
7・8人ぐらいいただろうか。テキパキと刈り取り次々に
軽トラに積み込んで行く。
その作業を見ながらふと思う。
 
片方の路肩の草刈しかしないのだ。
そして作業区間を端まで刈り取って行き、折り返した形で、
もう片方の路肩の作業をする。
仕事場の窓から見ていて、効率が悪いんじゃないのかと思った。
 
 
運動会のシーズン。まさに今、そのシーズン真っ只中である。
僕にはこの季節になると思い出す事がある。
 
小学校の運動会。6年生の僕は体育委員の一員で、運動会運営の
裏方の仕事に張り切っていた。
綱引きの綱を運んだり、リレーにでる選手に鉢巻とバトンを渡したり、
とにかく、先生の手足となり動いているのが、
子供心にかっこよく思っていた。
 
リレー競技の時、低学年はトラックを使わない。
旗を30メートルほど離して立て、その間を走る。
その旗の準備は他の委員が担当し、僕は片付ける方の担当となった。
 
1年生のリレー競技が終わり、その旗を片付ける。
 
説明はあったのだろうけど、それを僕は聞いていなかった。
1年生が退場門からはける。と同時に委員が撤収に取り掛かる。
 
ここで問題発生。
他の委員は一目散に“遠く離れた”方の旗を取りに行った。
僕はその理由が分からず、とにかく目の前の旗の方へと走った。
旗を手に取り、もう一本を片付けに行こうと一歩踏み出した瞬間、
その理由を理解した。
 
 
物事には理由があるのだ。
昨日まで行われていた草刈が、なぜ片方ずつ行われたのか?
それは、
 
“車の往来の邪魔にならないようにする為”
 
だと思う。
他に理由があるかも知れないが、僕が出した結論はこれ。
 
これも、物事をより理解しようと考えるからである。
何故そういう結論になったのかと考え、それよりも
もっと効率的で効果的な方法はないものかと考える。
 
 
あの6年生の秋以来、僕はずっとそんな事を考えている。
 
 

 

 


コメント
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