日々思うこと

日常と、
日常につながるもの。

「では、どうすればいい?」

2007-02-03 | 堅めの話
ウチは、子どもに毎日「反省ノート」を書かせています。

そもそものキッカケは、息子が
「自分に都合の悪いことを隠している」
ということがたびたびあったので、
「このノートに書いて教えてくれたことは、一切怒らないから」
という条件付で、毎夕食後に報告させることにしたことです。
(「反省」というより「ざんげ」ですね^^;)

と言っても、今では単なる日記みたいになっていて、今日学校であったいいこと・悪いことを教えてもらっているのですが。
今では姉も喜んで書いていて、いい会話のきっかけになっていますし、帰宅の遅いダンナも「反省ノート」を読むのを楽しみにしているようです。(「反省ノート」って聞こえが悪いですね^^;でも他にいい名前がなくて…)


息子が「今日悪かったこと」を書いてきたときは、同時に
「今度からどうすればいいと思うか」
を書いてもらうことにしています。
それを見ていて、あることに気づきました。
「問題の解決法を考える」というのは、子どもにとっては意外に難しいものらしいのです。

たとえば…
「給食の時間に、ふざけていて先生に怒られた。」
このように書いてきたとします。
「で、今度からどうすればいいと思う?」
と聞いてみると
「う~ん…今度からふざけないようにする。」
という答えが返ってくることがよくあります。

…ウッカリ「えらいえらい」などと言いそうになりますが、待てよ…?
これってただの精神論で、よく考えると解決法にはなっていないんですよね。
「ふざけないようにするには」どうしたらいいと思うか?を考えてほしいのに…

それでも、いろいろと質問を重ねてみると、徐々に「どうすればよいか」が見えてくるようです。
私「どうしてふざけたの?」
子「だって、給食早く食べ終わったからヒマだったんだもん。」
私「そうなんだ。じゃあ、ヒマができないようにするには、どうしたらいいかな?」
子「う~んと…給食をあんまり早く食べ終わらないようにする。」
私「そうだね。でも、どうして給食をみんなより早く食べ終わっちゃうんだろうね。」
子「えーと、よくかんでないからかも…今度からよくかんでゆっくり食べる!」

こういう具合です。(上記の例はフィクションです^^;)


まったくしょーがないな、子どもってこれだから…
と思ったのですが、オトナの世界をふと見回してみると…

「差別意識は問題である」
→「差別意識をなくそう!」

「格差社会は問題だ」
→「格差のない社会にすべきだ!」

「戦争は悪だ!」
→「戦争は、してはいけない!」

…こういう具合に、精神論止まりの主張しかしていないお粗末な記事や政治サイトがいかに多いことか…
あなたがたが批判している人々は、「そのためにはどうすればいいか?」を試行錯誤しながら模索しているのに…

「では、そのためにはどうすればいいのか。」

問題に対しては、常にそう問いかけ続けなければならない。
その「手前」で止まって満足してしまっていてはいけないな…と、自戒をこめて強く思ったのでした。