水面に映る光景

日常感じたことなど。

拙歌2(お野菜たちの短歌)

2006-09-30 11:49:21 | Miso一文字
ピーマンを トントントンと刻む シャキシャキと 手に伝わるは 秋の幸せ

トントントーンと セロリの匂い 漂いて 秋の気配に 人の温もり

キャベツをね 手でちぎるとね キャベツがね キャベツだというよ 秋のキッチン

ホクホクと カボチャの秋色 蒸し上がる 幸せ共に 食卓にのる

青々と 嬉しい値段 店頭に 小松菜はわたしのCa源


 お野菜が美味しい季節となりました。
 ひとつひとつが、みずみずしく自己を主張し、私はそれが嬉しくて、セッセと食べています。
 相性のいいお鍋との出会いもお料理を楽しませくれます。

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初秋の旧安田庭園

2006-09-29 13:38:18 | Weblog
 旧安田庭園が例年になく深い緑に抱かれ、すがすがしい息づかいで夏の訪れを伝え、水面に映るそれぞれの影が都会の喧騒を遠ざける。
 と新聞で読んですぐ行ってみようと思っていたが、秋になってしまった。

 緑の深さはなくなっていたが、こんもりとした緑の空間は、緑の匂いと共に私を十分楽しませてくれた。


 今回、印象深かったのは写真が好きだという一人の女性と、お互いにお互いを風景の一こまに加え写し合ったことだ。


 水面と周辺の光景を撮りつづけていると、一人の女性と出会った。そぶりから声をかけるのがいいのかなと思い、写しましょうか、送ることは出来ないかもしれませんが、と声をかけた。

 彼女は、私も写真が好きなので、私のカメラで写して欲しいとバッグからカメラを取り出した。この方向からの景色が好きなのでこのアングルでと。従来のカメラをしばらく使っていなかったので勝手が違った。

 彼女のほうはデジカメが初めて、といいながらもしっかり写してくれた。

 カメラの好きな方に出会えてよかったいう言葉を聞きながら、上手く取れていることを願ってお別れした。

 
 
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集中力と焦り

2006-09-28 12:24:15 | Weblog
 家族中心の暮らしが長いと集中力を高めるのは難しい(私だけかも)。
 衣食住を整えるというルーティンに加え、雑用の数々が日々飛び込んできた日常。それらを手際よく処理する必要があるから勢いひとつの事をしながら頭は次のことを考えていた。やっている事と考えている事が違う事が多かった。
 
 そのような立場から離れて10年近く経とうとするのに、その習い性はなかなか抜けない。
 
 例えば、一つの判例を読んでいるときに頭は次に読む判例を探している。または判例の勉強が終わったら、次は基本書だなどと考えている。次のこと次のことが頭に浮かび集中できない事がある。焦りがあるのかも知れない。
 
 一緒に学ぶ女性達とお互いに元気をもらっているという私に、息子が恐ろしいことを言う。
 今一緒に勉強している人たちはほとんど次回も危ない人たちだ(もちろん私も含めて)ということをしっかり認識するようにと!
 しかし、誰もが自分は来年大丈夫だと思って勉強している。ダメだと思えば今すぐにでもやめていい挑戦だから。(暗示:私は大丈夫、あなたも大丈夫)

 講師はいう。高い山に登ろうとしているのではない。頂上が見えるほど低い山だが、その登り方がなかなか難しいと。
 そんな感じがするので、なかなか諦め切れないんですよね。(暗示:私もあなたも諦めなくて大丈夫)


 欲張らず、焦らず、集中して一つ一つの問題を自分のものにしなければ。集中力不足と焦りのスパイラルを避けるために。

 中島みゆきの「ファイト!」を星5つにしました。「ファイト!」
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さすが首都東京

2006-09-27 06:07:04 | Weblog
 電車の中で女子学生らしき二人が話をしている。わりと大きな声で。
 大学を卒業したら、文科省に入って今の制度を変えたい等々。普通のことのように。
 
 中央省庁に入って制度を変えたいなどという大きな話は、東京から遠く離れた故郷では日常の会話として聞こえてくるはずがないな、と思いながら聞いていた。
 
 さすが首都東京だ、と妙に感心したりしながら。
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言葉から連想

2006-09-26 21:23:32 | Weblog
 天野ゆうきちさんが下品なゲームということばをつかっていた。
 今、言われている格差社会においてはお金がある人が勝ち組みだという。
 そこでおこなわれている、お金を儲けるか、儲けないかは下品なゲームだという。

 下品とお金という言葉から父の言葉を思い出す。

 18歳で大学に進学するために島を出る私に今は亡き父は二つの事を話した。
 一つは「男は顔でない」ということ(父は今で言うイケメンと世間はいっていた)。
 もう一つが「お金のことを言うのは下品だ」ということ。
 この二つが何を意味するか、父の真意は今もわからない。しかし、私はそれを忠実に守り?イケメンでなく、お金のない人と一緒になった。(こんないいかたしてごめんなさい子供達)。   
 父の言葉は何十年も心に残こり、私の価値判断において大きな意味を持ち続けている(親の言葉が子供にいかに大きな影響を与えるのか実感する)。

 イケメンにもいい人いると思うよ、父ちゃん!(これはまだ実感してないが)。私は上品の振りして苦労しているよ。下品でいいからお金ほしいね、父ちゃん!(これは冗談?本気?こんなこと書いて下品と注意されそう)。


 
 今日は朝からシトシトと雨が降っている。久しぶりにノンビリ雨を眺めて、他愛もないことをぼんやり考え、心遊ばせている。

 
 週に3回も夜11時過ぎまで講義を受け続けて4ヶ月、それなりに楽しんでいるつもりだが、生活リズムが崩れている。疲れがたまっているようだ。インプット中心の講義は残りあと2回。
 1週間のお休みを置いて、予備校変えて、来年5月までアウトプットを中心にした講義が始まる。ちょっと楽しみ、いっぱい心配。 
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著作権について

2006-09-25 09:22:54 | Weblog
 著作権保護期間を死後50年から70年へ延長を、と文芸家協会などが訴えています(06・9・23毎日、11版7面等)。

 日本文芸家協会副理事長の三田誠広さんのおっしゃる「先進諸国の中で~」「世界の標準で~」という理由は創作活動のプロ集団が理由とするのに説得力に欠ける感がします。  死後に認められるという夢や、長生きする妻や子のためという理由も同じように説得力にかけると思います。
 今の時代、妻や子に自立を説くのが創作家であり、夢を売る人たちの仕事ではないでしょうか。

 一方、IT・音楽ジャーナリストの津田大介さんの著作者本人が直接利益を得られない状況は創作のインセンティブにならない、後世の研究者により発掘される機会が減る等、かなり説得力があると感じました。

 私的には死後50年で十分、それ以上の既得権保護は必要ないように思えます。全身全霊を込めて創作した作品だからこそ、freeにして、その魂を多くの後世の人々に伝えたらどうでしょうか。

 他人が経済的に潤うということにも不満のようですが、それが社会の経済発展に貢献し、多くの人に富をもたらすなら、それはそれですばらしいことではないでしょうか。

 辛口で言えば、協会の方は欲張りさんみたいです。既得権だ、報酬請求権だとわめいているようで。それが現実に侵害される権利ならともかく、死後50年以上後のこととなると説得力のある理由づけは難しいでしょうね。

 さらに、保護期間の延長で輸出コンテンツの権利者は有利になるが、輸入コンテンツの権利者は不利になるということです。単純に考えますと、世界各国に輸出するより、世界各国から輸入することが多く、国家規模では経済的にも今のままでいいように思えますが。

 すばらしい作品に自由に触れる機会が増えることが、日々が楽しくなって世情も落ち着くのでは。
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楽しみながら生きる

2006-09-24 18:08:26 | Weblog
 昨日、楽しみながら暮らしたい、と抽象的に書いたが、その意味するところを宮本亜門さんが今日(06・9・24)の毎日新聞日曜版の「五十音落書き帳」に書いてくれている。
 「楽しい」とは、「自分を自分で愛することができる時のこと、自分の人生を愛して欲しい。」と

 私は、具体的に考えることなく、楽しいという言葉を使ったが、それが「自分を自分で愛することができる時のこと」、と言われると、うーんと唸るほど納得。
 やはり一流の方はすばらしい言葉の理解のしかた、現し方を自分の中に持っているのですね。

 確かに、落ち込みそうになる時、前を向けない時は、自分を好きになれないし、愛することなど出来ない時だ。自分を好きになることが、楽しく暮らす第一歩だとすると、それは私の得意なことの一つだから、結構楽しく暮らせるかも知れない。

 「五十音落書き帳」は沖縄のことをいろいろ書いていたので楽しみに読んでいた。今日が最終回、寂しくなっちゃうね。
   
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心休まる言葉

2006-09-23 02:56:12 | Weblog
05・12・27掲載)を読んだお友だちからさらに美しい言葉を教えてもらいました。

 ブログに綴っていた詩(すべてのわざには時がある~)は聖書の伝道の書にある聖句ですよね。この聖句に続いて「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた」という聖句があります。この部分も味わい深くて、私の好きな言葉の一つです。

 
 「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」私も大好きになりそうな美しい言葉です。このような言葉を読むと、自分の生き方に「これでいいのだ」と妙な納得感を持ちます。ありがとうございます。

 これからも日々を大切に、楽しみながら、暮らしたいと思います。 
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憲法13条を支えに

2006-09-22 13:10:08 | Weblog
 大げさな題名で申し訳ないが、個人的にはこんな気持ちです。

 私的でないことで心にわだかまりを抱えながらしばらく暮らしている。勉強を脇において、何人かの人たちと話をした。メインテーマは一つ。話しながらも心の置き所に苦労している自分がいた。



 ぼんやり見ていたTVの画面で、歌手の八代亜紀さんが、歌は命で、絵はそれを支える精神だと話しているのが心に響いてきた。

 私にとって大切なことはなんだろうか。命といえるものはなんだろうか。
 私は私の存在を超えるものとして子供達の存在を位置付けている。私が彼らに伝えたかったものはなんだろうか。
 目の前の結果を追い続けることだろうか。自分が非難されないように(例えば、女の嫉妬だなどと)振舞うことだろうか。

 ここまで考えた時、自分らしい行動の形が見えてきた。
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感謝を込めて

2006-09-19 19:33:47 | Weblog
 ブログを書き始めて1年になりました。
 読んでくださった方々に深く感謝いたします。ありがとうございます。
 これからもよろしく。

 ブログを開く端緒を作ってくださった方にも深く感謝いたします。
 実際にブログを開く作業を一緒にしてくれた息子、文章校正を含め、多角的にアドバイスしてくれた娘にもありがとう。

 第1回目の送信ボタンを押すのに勇気が必要だったことを思うと、今の私は平気でクリックしています。成長というか、マンネリというか、本当は1年前の文章怖くて読み返せないのです。

 忙しい現代に生きる友への元気コールとして、遠く離れて住む子供達への元気コールとして、一方通行的に言いたいことを書かせていただきました。

 友人がお手紙貰ったようで嬉しいと言ったのが印象的でした。ブログの体裁もっと良くしようと思うが、と話すと、そこまで求めていない、その時間を勉強へと励ましてくれました。

 新しい読者となった学友がとても喜んでくれたと聞いて、また続けようと元気付けられました。
 嬉しいい気持ちで、3人の若いお友達にブログを教えました。ブログの良し悪しは別として、それぞれが何かを感じてもらえたようで、また嬉しくなりました。


 一方で、たれ流しにならないようにと、娘に注意を受けました。文章の構成に気を配り、流れるように読める文章を、とアップした後に具体的にアドバイスを受けることもありました。

 読んでくださるあなたへの感謝と書いた文章に対する責任を心してこれからも書かせていただきます。
     
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