たんば色の覚書 私たちの日常 辺見庸 毎日新聞社
体験的エッセーでありながら、小説のように感じられた。
読みたいと思いながらなかなか手にとることができずにいた。愛と痛みに触発されて読んでみた。大病した後、著者がどう変わったかとても興味があった。
『ミルバーグ公園の赤いベンチ』が心に響いた。放射線治療を一緒に受けている仲間の様子を書く事で、その治療の過酷さがよく伝わってきた。辛い、キツイ、苦しい等大変な様子は何一つ書かれていない。なのに大変さが伝わってくる。
「それでもただ一つははっきりしていることがある。私はあの二人と毎日午後二時ごろ会うのをいつしか何よりの楽しみにするようになっていたのだ。」この部分を読んで涙がこぼれる。放射線治療の過酷さを、一緒に治療を受ける人たちの様子で感じさせ、その辛さを、その人たちに会うことの楽しみで受け止める。自分の楽しみのように書いているが、相手の有るがままを受け止める心の優しさが強烈に伝わってきた。
私自身、自分の病気を理解してもらうのは大変だった。そのことが前提にあり他者に対する思いの優しさが強く感じられたのかもしれない。
「飛びたいな」。「多分、飛べるな‥‥‥」。赤い灯がひとつ点滅しながら記憶の海に向けて斜めに飛翔していった。この最後の文は何を意味するのだろうか。もしこれが“死”だとしても、その死はきっと納得のいく、消化された死だったに違いない。
体験的エッセーでありながら、小説のように感じられた。
読みたいと思いながらなかなか手にとることができずにいた。愛と痛みに触発されて読んでみた。大病した後、著者がどう変わったかとても興味があった。
『ミルバーグ公園の赤いベンチ』が心に響いた。放射線治療を一緒に受けている仲間の様子を書く事で、その治療の過酷さがよく伝わってきた。辛い、キツイ、苦しい等大変な様子は何一つ書かれていない。なのに大変さが伝わってくる。
「それでもただ一つははっきりしていることがある。私はあの二人と毎日午後二時ごろ会うのをいつしか何よりの楽しみにするようになっていたのだ。」この部分を読んで涙がこぼれる。放射線治療の過酷さを、一緒に治療を受ける人たちの様子で感じさせ、その辛さを、その人たちに会うことの楽しみで受け止める。自分の楽しみのように書いているが、相手の有るがままを受け止める心の優しさが強烈に伝わってきた。
私自身、自分の病気を理解してもらうのは大変だった。そのことが前提にあり他者に対する思いの優しさが強く感じられたのかもしれない。
「飛びたいな」。「多分、飛べるな‥‥‥」。赤い灯がひとつ点滅しながら記憶の海に向けて斜めに飛翔していった。この最後の文は何を意味するのだろうか。もしこれが“死”だとしても、その死はきっと納得のいく、消化された死だったに違いない。