水面に映る光景

日常感じたことなど。

たんば色の覚書(本)

2009-11-19 22:36:06 | Books等
たんば色の覚書 私たちの日常  辺見庸  毎日新聞社

体験的エッセーでありながら、小説のように感じられた。

読みたいと思いながらなかなか手にとることができずにいた。愛と痛みに触発されて読んでみた。大病した後、著者がどう変わったかとても興味があった。


『ミルバーグ公園の赤いベンチ』が心に響いた。放射線治療を一緒に受けている仲間の様子を書く事で、その治療の過酷さがよく伝わってきた。辛い、キツイ、苦しい等大変な様子は何一つ書かれていない。なのに大変さが伝わってくる。


「それでもただ一つははっきりしていることがある。私はあの二人と毎日午後二時ごろ会うのをいつしか何よりの楽しみにするようになっていたのだ。」この部分を読んで涙がこぼれる。放射線治療の過酷さを、一緒に治療を受ける人たちの様子で感じさせ、その辛さを、その人たちに会うことの楽しみで受け止める。自分の楽しみのように書いているが、相手の有るがままを受け止める心の優しさが強烈に伝わってきた。


私自身、自分の病気を理解してもらうのは大変だった。そのことが前提にあり他者に対する思いの優しさが強く感じられたのかもしれない。


「飛びたいな」。「多分、飛べるな‥‥‥」。赤い灯がひとつ点滅しながら記憶の海に向けて斜めに飛翔していった。この最後の文は何を意味するのだろうか。もしこれが“死”だとしても、その死はきっと納得のいく、消化された死だったに違いない。
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愛と痛み(本)

2009-11-19 22:02:32 | Books等
愛と痛み 死刑をめぐって  辺見庸  毎日新聞社


死刑は無いほうがいいと思いながらも、被害者の立場を考えると無くすのがいいとは一概に言えないと気持ちは揺れつづけていた。ズーと何年も、死刑廃止の根拠を探し続けていたような気がする。今回この本を読んでその根拠らしきものが、つかめた気がした。


死刑が執行される様子を国民に公開し、それが残酷だというのであれば、死刑を廃止すればいいと辺見庸は言う。国民の目から隠さなければいけないことは、やらなければいいと。執行の現場を国民に見えるようにすると死刑が何を意味するのか分るのかもしれない。

奴隷達を生きたまま十字架にして磔にし、遺骸となった後でも地上に下ろしてはならず、何年にもわたって見せしめの為に晒す。このような情景を想像してみると、見せしめによる予防は、決してとってはいけないことのように思えてきた。


あなたが愛していることはあなたにとって都合のよいことではないかと言うマザーテレサの言葉を提示している。殺人者という犯罪者は排除するだけでいいのか。犯罪者の痛みを理解、共有することは可能なのか。


辺見庸の本は私にとって難しい。自分の理解を言葉にすることも難しいが、心に響く何かを残してくれる。
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ウォーキング1(石神井川沿い)

2009-11-01 09:08:44 | ウォーキング
今頃の季節は、一年中で一番私が元気な季節である。この時期になると動きたくなる。体を鍛えて東京マラソンに挑戦しようかなと思ったりする(思うのは自由だし、タダダシ)。東京マラソン走りたいと言うと、娘はいつも考えることが極端すぎるまずハーフでは、とあきれていた。息子は目標なく延々と歩いてごらん、退屈だと思うよと一応忠告した。

沖縄に住んでいる頃は、夏と冬しかなかった。今思うと沖縄の冬は、ここ東京の秋深いころと同じだと感じる。沖縄にいるころは冬が好きなどと言っていたが、それは今の季節と重なるからだったと思う。

昨日、土曜日、石神井川沿いに4時間(午後1時30分から)の予定で散歩に出た。帰りが心配で行きはのんびりと2時間歩いたが、帰りはまだ余力がありスピードアップして1時間40分くらいで無事に帰りついた。計算するとハーフマラソンの距離歩いたことになり、距離感がつかめた。それに全然退屈しなかった。4時間歩くという目標は有ったが。

 石神井川沿いのウォーキングコースは延々と続いている。そのうち往復8時間歩いてみよう。きっと桜の季節は川沿いは凄いと思う。
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小沢流 小沢ルール

2009-11-01 09:03:18 | Weblog
小沢流、小沢ルールといわれるものは、新聞報道を私なりに理解する限り、なぜか本能的に、気が滅入る。この違和感はなんだろうか。

実は今回、チョコッと一声だけ秘書をする気は有るかと、声をかけていただいた。政権交代が裏から見られると思い、二つ返事で“Yes”と応えたがそれっきりになってしまた。案の定というか、当然というかガッカリする一方でホッとしている。それっきりになった理由はいろいろあると思うが、最近、若くなければ人でないとも思える (単に僻みかも?) 経験をすることがあったので、年齢のことも一因ではないかと思う。ホッとしているのは、今私自身がしていることから横道にそれると後で後悔しかねないからだ。それと同時に現実に現場の右往左往が想像できるので、ストレスが相当かかったのではないかと思うからだ。声をかけてくださった方にはもちろん感謝している。

全体的には期待をもってみている政権交代だが、小沢流、小沢ルールといわれるものには、違和感を持つ。“事業仕分人”にしても新人議員全部が、不適格というわけではないと思う。むしろ現場で鍛えることが力をつけることになり、仕事を通して次回の選挙での判断材料を提供できると思う。多数派民主主義である以上選挙に勝たなければ意味がないことはわかるが、数合わせのための議員であって欲しくないし、議員達もきっとそう思っているに違いない。チルドレンという言葉も、全国民を代表する国会議員に対して失礼な言葉だと私は思う。


沖縄の基地問題が重要な課題となっているが、願わくば力量のある国会議員が地元沖縄から育って欲しいと思う、この頃である。
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