水面に映る光景

日常感じたことなど。

沖縄県久米島

2006-01-31 05:01:12 | Weblog
 毎日新聞、1月28日、美味巡礼の旅で沖縄県久米島が取り上げられている。

 久米島にいかに美味しいものがいっぱいあるかということが書いてある。

 記事を読みながら二人の知人の顔が頭に浮かぶ。

 ひとりは久米島出身の彼女である。記事では「キチアゲ」(揚げかまぼこ)と書いているが「チキアゲのことだよね」と彼女に声をかけたい気持ち。基地問題が重要課題の沖縄でも「キチアゲ」はないと思うのですが。

 もう一人は、沖縄には美味しいものがないと言い続けていた彼である。美味しいものに出会えないのは、沖縄らしい心を持つ人に出会っていないからだよ。美味しいものがいっぱいあると書いてあるこの記事読んで、次沖縄に行くときは、美味しいものに会えるように祈っています。

 つけたし、700メートル泳いだよ。
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新聞記事から

2006-01-30 18:32:17 | Weblog
 毎日新聞1月27日仙台地裁小5長男勝訴の記事が目に留まる。

 小学5年生が原告になって検診機関を訴えている。お母さんの死がよほど悔しく許せなかったのかもしれない。彼を支えたであろう周りの方たちの思いやりと悔しさも心に響く。

 職場の検診結果の入力ミスによりガンの早期発見が遅れたことに対する損害賠償を仙台地裁が認めた。
 早期発見出来ていれば、平均余命まで生きた高度の蓋然性認められると判断している。

 医療事故で因果関係が認める傾向にある裁判が増えているように思える。

 とはいえ、いくら損害賠償してもらってもお母さんは帰らない。彼の気持ちを考えると胸がつぶれる思いがする。
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感動の写真

2006-01-29 19:48:36 | Weblog
 毎日新聞、1月27日 青木鈴花さんの写真は感動の一枚である。
 
 つぶらな瞳は彼女の聡明さと困難ではあるが明るい未来を予感させる。

 保育園に通う機会が失われると仮決定を出した裁判所の処置にも暖かさを感じる。
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息子とのこと

2006-01-28 06:19:28 | Weblog
 息子は私のパソコンのメーカーだ。
 息子がパソコンを私にお下がりする時に言った言葉は、母さんのメーカーは俺だからね、具合が悪くなったら俺に電話しろ。

 あれから6年が経った。Sleipnirというブラウザを使っているのでそれをバージョンアップするために、長時間電話した。パソコンの事をいろいろ教えてもらいながら、世間話や、息子の聞かれたくないことを聞いたりする。

 パソコンのおかげで、息子と客観的に話ができるのはありがたい。

 パン工場でアルバイトをしていた息子の話。ラインを流れるパンの様子やそこで働く人たちの様子を聞き、おかしいやら。大変やら。その時作った短歌。

 パンのため、パンとたわむる 立ちんぼで       
       パン パン パンと 流れ寄せ来て

 ハンズパン バラエティーパン パンと人
       ラインに仕え 1日終わる

 息子も、私の家出で大学生活の2年目から、自活の道を強いられていたと思う。
まさにパンのために働いていたと思う。

 今でも、パンのため苦労している、と親は勝手に思っている。

 息子に長男ミッション(親を引き取り、あの世に送り届けること)のことを話した。これで私の老後は安泰だ。息子は時代が違うと抵抗の態度を示したが、我が家はそれでいくと公言した。と公開しておこう。
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茂木健一郎の言葉に納得

2006-01-27 07:01:04 | Weblog
 脳科学者茂木健一郎が新番組への抱負を語っていた。

 理系の人間の特徴はクールに分析できることだ。相手のパーソナリテーの奥にあるものを引き出せるようにインタビューしていきたい、と。

 娘が、しつこく私の言葉を確認し、質問してくる。更に重ねて確認の作業もさらりとする。茂木健一郎の言葉を聞いて妙に納得する。娘は都内の大学の理系修士を出ている。私から見るとクールに見える。

 私のことは、途中まで論理的に物事を処理するが、最後の決断は感情でしている事が多いというものだ。

 4時間に及ぶ話し合いも娘にとっては何のことはないのかも知れない。17時間も実験していたんだよ、とも言っていた。
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スポーツクラブその後

2006-01-26 15:02:18 | Weblog
 25メートルも泳げずガッカリしていた2週間前。
 今日はプール7回目で、500メートル以上泳いでいる自分にビックリ。6年前より上手になった気がする。

 30分泳いでいても息が切れない、もっと泳ぎつづけられそう、無理は禁物と止めた。

 何か壁をひとつ乗り越えたような気がして幸せな気分いっぱいです。(この気分を誰かに知らせたくて書いています。)

 今日は親子水泳教室も大繁盛で、幸せ溢れる笑顔の親子がいっぱいでした。

 ちなみに、スポーツクラブに入会するきっかけを作った、脳力、体力切れの3時間半のテストも、一応合格推定点は超えていました。 報告まで。
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娘とのこと

2006-01-25 20:23:40 | Weblog

 週一回の娘との電話。ある日、4時間も話してしまった。どうして、何回受けても試験に合格出来ないのか、何が問題か、私のあらゆる面を検討する娘に、頭が痛いから、もう止めたいと言った。娘がだめだという。ここが大事、頭が痛くなるほど考えるから前に進めるのだという。

 娘は、私が小さかった頃、もうあきらめて、止めさせてくれないかと何度思ったことがあったか。母さんは絶対あきらめることなく最後までじっと待っていた。母さんに教えられたことだと言う。
 母さんの行動はまず前提にあなたに対する溢れる愛情があるからいいのだというと、今の私にも同じように母さんに対する溢れる愛情があると言う。

 自分を振り返ることは苦しい。私の結論は今回も、私の甘えの気持ちにあるということで落ち着く。やろうとしている事と、それに向き合う気持ちにずれがある。その甘えを娘に指摘される。

“おはよう”と いい争いし 翌朝の
         子の清き声 我が身縮まる  

 家を出て、一人で住んでいた頃、修士を卒業した娘が訪ねて来た時の歌だ。
 娘は私の行動を最大限応援していた。母さんが幸せでなければ私も幸せになれないと。
 しかし、私は、娘に対し申し訳ない気持ちを持っていたのだと思う。娘の学業の途中で
家を出て混乱を引き起こしている事に対して。

 言い争いの原因は今となっては忘れてしまったが、激しく言い争った翌朝、私は怒り覚めやらぬという気持ちでいた。すると娘は何事もなかったかのように、「おはよう」と挨拶をしてきた。

 頬を打たれたような気持ちになったことを思い出す。

 子供が幼かった頃、怒ったり、喧嘩したりした翌朝、まだふてくされた顔をしている子供に、『おはよう』と声をかけていたのは私だったはずだ。おかしいな、いつ、立場が入れ替わってしまったのだろうか。

 今ではこのような入れ替わり状態がいろいろな場面で常態化してしまった感がする。子供の成長はうれしいことに違いないが不甲斐ない自分をさあどうする。
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信義誠実の原則(信義則)と権利濫用

2006-01-23 05:47:33 | Weblog
 法律の勉強をしていると、固い、冷たいというイメージを持ったり、持たれたりすることがある。
 しかし最近、法の世界は案外暖かい世界なのではないかと思う。
 人と人とのぶつかり合いを人が裁く、考えると恐ろしいことのように思えるが、必要なことでもある。
 どこかで誰かに区切りをつけてもらわなければ、収まりがつかない心の状態はあるものだ。それでも収まらないが、収めさせるのが法であるのかな。

 法に照らせば、権利を認められそうなことでも、最後に権利の濫用や信義則違反ということで弱い方の立場に立つ裁判の例が多くある。

 強い立場にある人はその立場を守るためもあり日常的に、弱い人たちに無理難題を押し付ける傾向にある。

 権利の濫用や信義則違反は、普通に、人は人らしく繋がっていこうよ、ということだと思う。

 抽象的に書いてしまったが最近思うことである。
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雪の降る日の短歌

2006-01-22 07:11:57 | Miso一文字
 昨日は何時間降り続ける雪を眺めていたことだろう。
 電話の向こうで娘が反応悪いよ。何している、と聞いている。
 あ!ごめん、雪と会話している。こんな状態で楽しませてもらいました。

 短歌の勉強もしたいが時間がないと言い訳しておこう。
 時々、新聞の短歌欄を読む程度である。
 勉強のための資料の収集はしているつもりでいるが、今は31文字にそろえることを楽しんでいる。

1、降る雪を見つつ心をよぎるもの 雪なき彼の地まだ見ぬ彼の地

2、冬枯れの枝を飾りゆく雪は時を巻き戻すクリスマスツリー

3、ハラハラと白くなりゆくベランダの 向こうの景色飽きもせず射る

4、沈静し雪見る暮らしふるさとを遠くに運ぶ年月重ね

5、ふるさとは遠くに行きても鎮座する真白き中に南天の実よ

お粗末さま。


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東京に降る雪を眺めつつ

2006-01-21 08:10:57 | Weblog
 朝の体操を終えカーテンを引くと雪がハラハラと降っている。思わず“マー”と声が出る。
 本当に豪雪の被害に困っていらっしゃる方々に申し訳ないが、この風景を暖かな部屋で眺めることの出来る幸せを思う。

 東京に来た1年目にも雪が降った。雪が降っているよ、と故郷の誰彼に話しかけたい衝動に駆られたことを思い出す。

 今は静かに雪を楽しんでいる。この幸せな感覚をブログに乗せたいという気持ちで。ブログは直接に人と接する訳ではないが、人を感じることが出来る。(私がブログを書く理由のひとつで、読んで下さっている方々に感謝しています。)

 東京は好きか、とたびたび聞かれる。空気以外は好きと答える。南国故郷と違い、四季を楽しむことが出来るのが嬉しい。
 季節毎にひとり大騒ぎしている自分を楽しんでいる。

 こんなに自由に、ゆったりと、雪を眺める自分を創り出すまでには10年の月日が流れている。

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