いつの頃だろうか、宮古島にも教会ができ日曜学校への誘いの言葉を聞くようになった頃、
ある日曜日の朝、父に教会に行きたい、行ってもいいかときいた。その時の父の答えが、神は自分の心の中にいる、行ってはいけない、であった。
その頃の父は私達家族にとって絶対的な存在であった。それ以来既成の宗教というものは私の辞書からは消えてしまっている。
その父の言葉がとしを重ねるにつれて頻繁に思い出される。
宮古島での日々も何が神の思いなのか、何が神の心に沿うものなのか、考えさせられる日々である。
自分なりには神は生きとし生けるものの心の集合であると理解している。
ある日曜日の朝、父に教会に行きたい、行ってもいいかときいた。その時の父の答えが、神は自分の心の中にいる、行ってはいけない、であった。
その頃の父は私達家族にとって絶対的な存在であった。それ以来既成の宗教というものは私の辞書からは消えてしまっている。
その父の言葉がとしを重ねるにつれて頻繁に思い出される。
宮古島での日々も何が神の思いなのか、何が神の心に沿うものなのか、考えさせられる日々である。
自分なりには神は生きとし生けるものの心の集合であると理解している。