水面に映る光景

日常感じたことなど。

行く年

2019-12-31 08:27:08 | Weblog
振り返ると今年の波乱万丈は1月3日に始まったと言えるかもしれません。

そして、1月29日には母が享年95歳で逝きました。

また、12月19日には義母(亡夫の母)が享年98歳で逝きました。

長生きした二人の母はそれぞれが自分らしく生きたといえるかも知れません。

逝く人を送ることは、残された人のこれまでの生きざまと人生観が現れると思います。
他者に配慮できる心のゆとりを持つ人生を送ることは難しいことだと思います。
そんなことを感じさせる二つの出来事でした。

平和な日々も、楽しいこともいろいろありました。
私にとって真に大切な家族は、それぞれが大切なことを見失うことなく、
常に前を向いて考え行動していたと思います。

嬉しいことは、
年末に限って言えば、息子のパートナーが、望んでいた働き方の一歩を踏み出したことです。
そして、孫のあーちゃんが自力で大型のルービックキューブの一面を達成し、
それを私に知らせてきたことです。



義母の死で息子と2週間も過ごせました。その間、何度も話合い、議論して今後の大まかな方針を立てました。
遠くにいる娘も適確に判断してくれました。

大変な1年でしたが、それ以上に良い方向に向かっていることを感じることができる1年でした。

運転免許証を26日の午前中に近くのコンビニでコピーし、
そのまま取り忘れたことも気づかずいたのですが、
午後8時頃にわざわざ自宅まで届けてくれた方がいました。
ビックリするやら、疑問が湧くやら、複雑でしたが、
素直に親切に感謝することにしました。
本当にありがとうございました。

大変なこと以上に大切なことは何であるかを再確認し、小さなことに喜び幸せを感じた1年でした。



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#12 第10回弁論準備手続

2019-12-31 06:59:00 | 本人訴訟(建物明渡請求事件)
令和元年12月19日午後4時から行われました。

被告準備書面7(12月13日提出)、第六準備書面(原告)の確認。

被告側から出された相続人関係図が簡単に過ぎ(相続税申告書の写)、
原告である私の主張が理解しづらいと考えたので、手書きで書いた相続人関係図を持参しました。

手書きであるが、第7準備書面として提出するよう言われました。

甲24号証の追加書面を提出し、被告側に乙18、23、24号証の追加書面を求めました。

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メリークリスマス

2019-12-26 07:28:02 | あーちゃんと海
先週からいろいろあって大変でしたがあーちゃんが無事にクリスマスを楽しめて良かった。

娘曰く。あーちゃんにサンタがたくさんプレゼントを持ってきたので忙しかったですって。

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#11 第9回弁論準備手続

2019-12-20 06:09:03 | 本人訴訟(建物明渡請求事件)
令和元年11月20日午前11時より行われました。

被告準備書面6(11月13日提出)の確認。乙25号証から乙28号証まで証拠調べ。
その際、2通の陳述書(姉と妹)が提出されていましたので、陳述書は証人尋問が前提であることを確認すると、
裁判長は、まず陳述書に対する原告側(私)の意見を次回の準備書面で提出することを指示しました。

陳述書2通が似過ぎていて、代理人弁護人の関与(作り話し)が推定されました。

依頼人の利益のために、最善を尽くす、が代理人弁護士の最も重要な命題ではあるが、
一方で社会正義の実現、真実発見、信義誠実公正義務も負うと考える。
実際の訴訟の場面では後者ははかなり薄くなっている感がします。

簡単に言えば弁護人は勝つためには何でもする、という感じです。

依頼人(被告弟)に訴訟の仕組、進展具合を理解出来るように説明するのもまた、
弁護人にとっては大変なことのように思える本件訴訟です。

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死すること

2019-12-13 04:56:50 | 宮古島の母
名のある人の死が報道されるたびに、母の死が思い出される。

医師中村哲さん、昨日の俳優梅宮辰夫さんの死は大きく取り上げられて
多くの人がその死を、悼み、悲しみや寂しさ無念さを語っている。

無名の人の死であっても、その死は同じように悲しみ寂しさ無念さが
語られていいはずだ。

母は懸命に生きたのに、なぜ、母はそうならなかったのか。
母は私の知らないところで、何かしたのだろうか。

母は苦労依存症にかかっていたと思う。
苦労して頑張っていなければ、
生きている実感がつかめなかったのだと思う。
母は死ぬまで苦労することを、母自ら選んだ。
私は、そう自らを納得させている。

誰かの死に接する度に、私は、私の死が来るまで、
母の死を思い続けるだろう。

母が眠る実家のお墓
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生きること

2019-12-13 04:54:32 | Weblog
命は何物にも代え難い、この世で一番大切なものだ、ということは簡単である。
しかし、なぜ大切かはなかなか実感がない。

私は一時期、東京でマンションの5階に住んでいた。
その時、ふっと思ったことがある。
ここから飛び降りたら簡単に死ねそうだと。
そして、飛び降りる勇気は持っているとわかっていた。
別に死ななければならない苦しみがあるわけではないが。

なぜ、そんなことが頭をよぎるのか。
それは、普通の人生は生き切ったという実感が私の中にあるからだ。
普通の人生。
家を建て、子供を2人育て、親孝行も済ませ、
近しい親族や兄弟達への思いも伝えてきた。
終わってもいい人生なのだ。

では、なぜ飛び降りないのか。
子供達への未練からか、子供達に迷惑をかけたくないからなのか。

そんなことではない。
人が一人で死ねない以上子供達に最終的に面倒かけるのは避けられない。
いつ、面倒をかけるかの時期の違いである。

飛び降りない最も大きな理由は他人に迷惑をかけたくない。
特に、仕事として事後処理をする方々に負担、迷惑をかけたくない。
仕事だからいいとは思わない。

こんな自己分析をしている時点でそもそも死を語る資格はないのかもしれない。
しかし、この利他的な思考が私の生まれたときからの思考方法であったように思う。

人が一人で死ねない、自分の死を仕舞うことができない。が死は避けられない。
このことを考えると、生き切ることが最大の命題になる。
生き切った後は自分以外の人に自分を委ねる。
翻って、自分以外の人にも生き切ってもらう。
そこを忘れなければ、他者の命も、自らの命も侵してはならない大切なものだとわかる。
どんな状況にある人達の命も大切で、生き切るためには何でもする覚悟が必要だ。

そんな気持ちで、長生きした時に備えるつもりで、生きるこの頃である。

ウォーキングの途中で見つけた花


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第六準備書面提出

2019-12-12 17:18:26 | 本人訴訟(建物明渡請求事件)
書き上げるとホッとします。
弁論準備手続の期日は来週です。
今回は15ページでした。
前回よりスムーズに仕上がりました。

近所のお弁当屋さんのクリスマス


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豊崎海浜公園

2019-12-05 10:18:16 | Weblog
昨日、運転免許センターで免許の再発行(印字の剥がれ)をしてもらった。
私的には、免許証の不良品だと理解しているが、再発行の負担はこっち持ち。
理不尽だと思いつつも、システムには逆らえない。

お天気がいいので、近くの豊崎海浜公園まで足を伸ばした。
駐車場は有料化され、人はまばら。

思い出のある場所である。手首の骨折した場所。あーちゃんと遊んだ場所。
朝日を楽しんだ場所。ウォーキングをした場所。
気分転換によく来た場所である。

航空機がひっきりなしに頭上を飛んで着陸して行く。
それを見るのも楽しみの1つである。















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那覇マラソン

2019-12-01 11:24:33 | Weblog

応援が熱い。20年前は質素だった記憶。











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