水面に映る光景

日常感じたことなど。

雨のち晴れ

2011-06-22 09:03:03 | Miso一文字

ゴロゴロッゴロゴロドカンゴロゴロー更け行く闇に雷響く

雷で目が覚めたとの言葉あり一人暮らしと違いしここが

平穏に過ぎ行く日々が怖くなる我が来し方に浜風の吹く


14年ぶりに息子と暮らしている。一人暮らしは10年に渡った。性格的には似ている二人だと思う。緊張感の少ない日々が続く。しかし、こんな平和な日々はそう長くは続かないとわかっている。何よりわたしの自立が問われているのだから。人が一生の間にすることはほぼ済ませていると思うので死んでもいい思うのだがそういうわけにもいかない。生を全うすることも前世代を生きる人の使命である。死ぬ勇気が湧いてきそうな日には死んだつもりで再出発と自分に言い聞かせる日々でもある。
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ゴーヤとアサガオ(緑のカーテン)

2011-06-20 08:25:59 | Weblog
(関西は今梅雨の真っ盛り)

ゴーヤ:梅雨が終わると今年の夏も暑くなりそうだね。節電が叫ばれ、緑のカーテンで涼しく夏を過ごそうと僕たちがこれまでにも増して脚光を浴びているさー。

アサガオ:そうだね。わたしたちもアサガオの観察以外で、役に立っているようで嬉しいさー。

ゴーヤ:この間、大学の先生だったと思うんだけど、今から僕たちの苗を植えると9月頃、台風が近づく頃に実が大きくなって強風に煽られると危険があるから気をつけるようにと言っていたのを新聞で読んださー。ガラスを割ったり、人に怪我をさせる恐れがあるってさー。これまで僕たち仲間がそんなことしたとは聞いたことないけどねー。

アサガオ:それは今までゴーヤくんたちが家の直ぐ側で植えられることがあまりなかったからだと思うよ。

ゴーや:そうかなー。僕たちにそんな破壊力はないと思うけどね。強風に打ちつけられると僕はつぶれてしまうと思うけどね。同じ効果が得られるなら君より僕を植えた方がいいと思うさー。健康にもいい夏にピッタリの食べ物だよ僕たちは。

アサガオ:そうかねー。人はパンのみでは生きられないというから、わたしたちを植えた方が心が和んでいいと思うけどねー。毎朝、爽やかな色の花の数を数えるのも楽しいと思うけどねー。

ゴーヤ:パンのみでは生きられないかもしれないけれど、それこそパン無しでは生きられないんだから僕たちを植えた方がいいよー。でも、もう、僕たちの苗は品薄で値段も高くなっているんだってさー。

アサガオ:ふーん。そーなんだねー。

ゴーヤ:今年の夏はいろいろ心配だね。あの日から放射のという目に見えない心配事が増えたし、予測のつかないことが起こるかも知れないさ-ね。そのためにも、僕たちをいっぱい食べて元気でいてほしいさー。
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ムービー スター ベイビー

2011-06-16 18:23:51 | Weblog
孫の誕生に合わせて娘の住む米国に行った。

米国で生まれた孫(あーちゃん)は出産時に立ち会っていた看護婦さんにムービー スター ベイビーのようだと言われた。と娘に聞いた。その意味は目鼻立ちが整っているということではなく,きれいな状態で生まれてきたということだそうだ。
映画の中で生まれてくる赤ちゃんはきれいだが、実際には10ヶ月近く羊水の中にいるので出て来る時はその中のものが付いていたり,どこかに傷があったりするらしい。だが、あーちゃんはどこかでシャワーを浴びてきたようにきれいで、こんな赤ちゃんは珍しいと言われたそうだ。
うれしいがどうしてなんだろう。不思議に思えた。娘の妊婦としての食生活は日本人(私)から見るととても誉められたものではなかった。キッチン改造中で外食というか惣菜というかファーストフードというか、そんな類の食事が続いているのだ。娘はそれなりに食事に気を配っていたと言うが。特に私が来てからはかなり良くなったと言ったりしていたが、キッチンがないことに変わりはなく、料理らしい料理は出来なかった。食生活に気をつけるとやかましく言う日本の指導は何なんだろうと思ってしまった。

一方で,娘は出産時まで身軽そうに動いていた。丈夫な遺伝子をもっていて良かった,と,言うのが娘の言い分だ。育てた私も偉い、と言いたいところだが,娘はまた自分を誉めて,と,嫌がること必定だ。

私から見れば誉められるほどきれいに生まれてきたあーちゃんに感謝です。健やかに育って欲しいと願うばかりである。

出生20時間後,孫(あーちゃん)に会ったが生まれたての赤ちゃんはこんな顔しているのかなと不思議に思うほど人らしい感じがした。
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あの日から

2011-06-15 09:16:30 | Miso一文字
11.3.11 東京でのあの日の揺れは今も残れり我(わが)からだに

あの日から我(われ)の心の放浪が激しくなれり真夏の陽炎

我(が)は一人たたずみており静寂に心預けてあの日の画像

あの日から心のつながらぬままに生きてきたらし梅雨空の下

米国のTVで流れるあの日には日本人を強く意識せり



地震の日、東京に居ました。
放射能の影響を心配する米国在住の娘家族の心配を考慮してふるさと沖縄に帰りました。その後東京に戻り住まいを清算,同時に娘の所に行きました。そこで外国メディアの記録した東日本大震災のTVを見ました。嗚咽が自然に出てしまい、娘に見ないように注意されました。しかし,見なければと必死で見ました。
その後、日本に戻り、関西に住んでいます。関西、沖縄そして米国に,あの日居た人々と、私の間には気持ちの上で大きな隔たりがあるように感じます。それは,きっと,きっと、あの日を直接経験した人々が感じていることだと思います。温度差とはどんな時でもあるものだと思います。それにしても、政治家たちは何を考えているのでしょうか。政治生命をかけて,政治信条を曲げてでも、全力で復興対策をと思います。
大震災の写真集の前で、谷垣総裁が最初に呼びかけられた時,党派を超えて協力していれば,今とは違っていたのではと思えてなりませんでした。
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