水面に映る光景

日常感じたことなど。

僕はパパを殺すことに決めた

2007-11-21 18:50:58 | Books等
 「僕はパパを殺すことに決めた」(草薙厚子 講談社)を図書館から借りて読んだ。


 話題の図書を読む気になったのは憲法21条が保障する著者の表現の自由、報道の自由や国民の知る権利と憲法13条の幸福追求権で保障されるプライバシー権、名誉権の対立というこれまで幾度となく取り上げられきた問題がまたマスコミで喧しいからだ。

 少年事件の供述調書がそのまま本になり、その調書を漏洩した医師が逮捕される等、新聞でいろいろ取り上げられている(例えば毎日07・10・17)が本を読んで見なければ自分なりの感想をもてないと思った。


 以前に書いた「心にナイフをしのばせて」(奥野修司 文藝春秋社)は被害者少年の家族側からのノンフィクションで、今回の本は加害者少年の側からのノンフィクションだ。
 実際に同じ事件を繰り返さないためにというのなら今回の本の方が意味があるように思える。


 真実を知らなければ、少年の更生や同種事件の防止に役立てることができないと思う。今回取り上げられている事件は本を普通に読むレベルの家庭、または教育熱心な家庭内で起きているので、本にすることにそれなりの意味はあるだろうと思う。


 本を読むと少年が事件に至るまでの心のうちが私は理解できた。著者は広汎性発達障害ではないかと書いているが、もしそうだとしても、それは誕生以来の生育に関係するように思える。この本から学ぶことは人それぞれあると思う。

 私としては読んでよかったと思う。


 興味本位で読んだ部分がないとはいえないが私は中学校の学級担任として少年事件に関わった経験があるので問題意識は常に持ち続けているつもりだ。

 1990年代前半、中学3年生の担任をしていた。勤務する中学校の生徒8名が他校の中学生を裏門付近で集団暴行し死なせてしまったのだ。8名のうち2人が私のクラスの生徒だった。

 学級担任として、家庭裁判所、少年鑑別所、少年院を訪問した。事件の全体像も知らされず、十分に話す時間も取れず、事務的に対応するしかなかった。その時の無力感は今も鮮明に覚えている。

 その経験のなかで家族のあり方を考えさせられることが多かった。人は家族の中で育っていくと思う。その意味でこの本はある示唆を与えると思う。特に社会の上層部で暮らす人々に。
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定番半日観光コース

2007-11-20 12:19:45 | Weblog
 わたしの定番半日観光コースを京子さんと歩く。

 忙しい仕事をもつ京子さんが息子さんとの約束まで時間があるというので身近な半日コースを二人で楽しんだ。

 王子駅前から飛鳥山公園の桜を見ながらまたは紫陽花の咲く飛鳥の小径(こみち)楽しみながらといいたいところだがどちらも季節のもの。言葉で説明しながら公園内の渋沢邸を見学。

 平塚亭のお団子を横目に見ながら、旧古河庭園へ。旧古河庭園は、今薔薇の最盛期で洋風の館とよくマッチしていい感じだ。
 カサブランカの匂う部屋の住人である京子さんはお花が好きで、薔薇も大好きということでゆっくり鑑賞する。とても喜んでもらえてわたしも嬉しい。

 管理栄養士の養成教育にも熱心な京子さんの興味がありそうな所、霜降市場を覗き、女子栄養大学を外から確認しつつ、六義園へと向かう。

 六義園は人がいっぱい。入場料は旧古河庭園の2倍。広さも2倍。わたし達にとっては楽しみは半分だった。

 そこからおしゃべりしながらおばあちゃんの原宿巣鴨のとげぬき地蔵へ。巣鴨の境内は雰囲気だけ楽しみ、巣鴨地蔵通り商店街を抜け都電で王子へ戻る。


 場所の案内だけで内容の紹介ができない不甲斐なさ。歴史に詳しければもっと楽しんでもれえるのにと思いつつ。

 
 京子さんは「命賭けて頑張る」の言葉を残し手を振りながら、息子さんとの約束の場所新宿へと向かった。


 政治家(京子さんはわたしは違うと否定するが)とはなんとタフだろう、と思いつつ手を振り家路につく。

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夜の六本木と恵比寿

2007-11-19 12:16:01 | Weblog
 大学時代からのお友だち京子さんと恵比寿ガーデンプレイスの6億5千万円のバカラの光と六本木の東京ミッドタウンクリスマスイルミネーションを楽しみました。

 人が少ない感じでクリスマスはまだ遠いようです。おかげでゆったり楽しむことができました。


 それに先立って全国の県会議員さんたちの懇親会(日本都市センター会館)に勝手に参加させていただき解禁されたばかりのボジョレを味わわせていただきました。

 今年のボジョレはちょっと薄味では?なんてわかったふりの会話をしながら。


 嬉しかったのは参加した我が沖縄の県議さんたちが今日の講演は勉強になったなとか、中身が濃かったなどと会話していたことです(ごめんなさいね政治家に偏見があるようです)。


 京子さんありがとうございます。あなたが一緒でなければ恵比寿や六本木行くことなかった思いますよ。おかげ様で私も楽しいひと時でした。
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旧司法試験の最終合格発表

2007-11-10 07:57:25 | Weblog
 11月8日、発表がありました。

 予備校で一緒に勉強した方たちの名前が見当たらないのがショックでした。
 大丈夫だろうと思った何人かの名前がないのです。
 ということはわたしが持っている合格者というものへのイメージを大きく変えなければ、
 合格はおぼつかないということなります。

 厳しいことは承知していましたが、どんなに人数が少なくなっても、
 合格する人がいる限り可能性は残されているというのがわたしの考えでした。
 もちろん今もその考えは変わりませんが現実にはもっと厳しいものだと、
 認識をし直さなければいけないと決心しています。

 このショックと決心を忘れないため公開しておきます。

2007、7、1 姉から東京にいる私にメールに添付して送ってきた写真

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めん屋さんの廃業

2007-11-08 11:33:10 | Weblog
 近くのスーパーや仕事先のキッチンにうどん、そば、ラーメンなどの麺類を製造販売していためん屋さんが先月末で廃業した。
 二代続いた製造業であるらしいがキッパリ廃業したようだ。
 社長さんが長い間儲けさせて貰いました、というので、わたしが笑うと本当のことだから、とおっしゃる。
 納得いく廃業だったのでは、と思った。


 起業すること、それを成長させること、はある意味容易いのかもしれない。そのための努力が起業した人の手の中にあるといえるからだ。それが企業として成長し社会に実在する存在となったとき、多くの人の人生に関わり起業した人の手を離れてしまうのかもしれない。
 そして起業した人が自分を越える信頼できる後継者を見つけることはまた自分の手に余る難しいことなのかもしれない(子や孫であれば多少なりとも妥協の余地もあると思うが)。

 
 私も8年間の学習塾経営の経験があるがそれをきっぱりやめられたのは、赤字だったからでも、利益が薄いからでもなく、目的を達成し、その仕事の醍醐味を味わったと自分で判断したからだ(知人に譲ることできっぱり区切りをつけたがその仕事で知り合った方は今も大切な友人だ)。

 私にとって悠悠自適の暮らしは想像できない。生涯仕事がしたい。そのために今、勉強を続けている。年齢から来る体の不調や不安は今のところ何もない。まだまだエネルギーが残っているようだ。


 件のめん製造業の社長さんも悠悠自適で暮らしているというが廃業までには大変だったのではと思う。奥さんが大変ということも聞こえてくるが詳しいことは聞いてない。

 人はそれぞれであるので、悠悠自適の暮らしに入った社長さんが奥さんと幸せな暮らしを、と願いつつ。。。
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「プッツンした」

2007-11-08 10:48:09 | Weblog
 今回の民主党の騒動で一番ビックリした言葉だ。
「プッツンした」って切れることだよね。

 一国の首班指名を受ける人が、こんなに簡単にプッツンしていいのでしょうか。
 最近の若者はプッツンする人が多いなんて言っていられないね。

 選挙で勝利するために自分の限界まで頑張りくたびれていた、と言うのはいただけない。

 選挙に勝利することと同じ程度に、選挙に勝利した後、どういう政治活動をして国民に応えていくかが大事だと思う。そのためのエネルギーまで使い果たして選挙するのは邪道では。

「プッツンした」という言い訳を一番聞きたくなかった、と思うわたしである。
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