「僕はパパを殺すことに決めた」(草薙厚子 講談社)を図書館から借りて読んだ。
話題の図書を読む気になったのは憲法21条が保障する著者の表現の自由、報道の自由や国民の知る権利と憲法13条の幸福追求権で保障されるプライバシー権、名誉権の対立というこれまで幾度となく取り上げられきた問題がまたマスコミで喧しいからだ。
少年事件の供述調書がそのまま本になり、その調書を漏洩した医師が逮捕される等、新聞でいろいろ取り上げられている(例えば毎日07・10・17)が本を読んで見なければ自分なりの感想をもてないと思った。
以前に書いた「心にナイフをしのばせて」(奥野修司 文藝春秋社)は被害者少年の家族側からのノンフィクションで、今回の本は加害者少年の側からのノンフィクションだ。
実際に同じ事件を繰り返さないためにというのなら今回の本の方が意味があるように思える。
真実を知らなければ、少年の更生や同種事件の防止に役立てることができないと思う。今回取り上げられている事件は本を普通に読むレベルの家庭、または教育熱心な家庭内で起きているので、本にすることにそれなりの意味はあるだろうと思う。
本を読むと少年が事件に至るまでの心のうちが私は理解できた。著者は広汎性発達障害ではないかと書いているが、もしそうだとしても、それは誕生以来の生育に関係するように思える。この本から学ぶことは人それぞれあると思う。
私としては読んでよかったと思う。
興味本位で読んだ部分がないとはいえないが私は中学校の学級担任として少年事件に関わった経験があるので問題意識は常に持ち続けているつもりだ。
1990年代前半、中学3年生の担任をしていた。勤務する中学校の生徒8名が他校の中学生を裏門付近で集団暴行し死なせてしまったのだ。8名のうち2人が私のクラスの生徒だった。
学級担任として、家庭裁判所、少年鑑別所、少年院を訪問した。事件の全体像も知らされず、十分に話す時間も取れず、事務的に対応するしかなかった。その時の無力感は今も鮮明に覚えている。
その経験のなかで家族のあり方を考えさせられることが多かった。人は家族の中で育っていくと思う。その意味でこの本はある示唆を与えると思う。特に社会の上層部で暮らす人々に。
話題の図書を読む気になったのは憲法21条が保障する著者の表現の自由、報道の自由や国民の知る権利と憲法13条の幸福追求権で保障されるプライバシー権、名誉権の対立というこれまで幾度となく取り上げられきた問題がまたマスコミで喧しいからだ。
少年事件の供述調書がそのまま本になり、その調書を漏洩した医師が逮捕される等、新聞でいろいろ取り上げられている(例えば毎日07・10・17)が本を読んで見なければ自分なりの感想をもてないと思った。
以前に書いた「心にナイフをしのばせて」(奥野修司 文藝春秋社)は被害者少年の家族側からのノンフィクションで、今回の本は加害者少年の側からのノンフィクションだ。
実際に同じ事件を繰り返さないためにというのなら今回の本の方が意味があるように思える。
真実を知らなければ、少年の更生や同種事件の防止に役立てることができないと思う。今回取り上げられている事件は本を普通に読むレベルの家庭、または教育熱心な家庭内で起きているので、本にすることにそれなりの意味はあるだろうと思う。
本を読むと少年が事件に至るまでの心のうちが私は理解できた。著者は広汎性発達障害ではないかと書いているが、もしそうだとしても、それは誕生以来の生育に関係するように思える。この本から学ぶことは人それぞれあると思う。
私としては読んでよかったと思う。
興味本位で読んだ部分がないとはいえないが私は中学校の学級担任として少年事件に関わった経験があるので問題意識は常に持ち続けているつもりだ。
1990年代前半、中学3年生の担任をしていた。勤務する中学校の生徒8名が他校の中学生を裏門付近で集団暴行し死なせてしまったのだ。8名のうち2人が私のクラスの生徒だった。
学級担任として、家庭裁判所、少年鑑別所、少年院を訪問した。事件の全体像も知らされず、十分に話す時間も取れず、事務的に対応するしかなかった。その時の無力感は今も鮮明に覚えている。
その経験のなかで家族のあり方を考えさせられることが多かった。人は家族の中で育っていくと思う。その意味でこの本はある示唆を与えると思う。特に社会の上層部で暮らす人々に。