水面に映る光景

日常感じたことなど。

短答答練課題

2006-02-23 17:44:47 | Weblog
 一月ぶりに息子と電話をした。どうね、と聞かれ、司法試験の答練の結果が思うように出せない、出ない。納得のいく点数を取れない、と話した。

 いろいろ話し合い、さしあたりの目標として、時間等を気にせずにケアレスミスのみをなくすように気をつける。先入観を捨て問題文を今より丁寧に読む。に絞って答練を受けることにした。

 話し合った翌日の答練。

 結果は相変わらずの抜け様だ。
 例えば、刑法の問題で、この問題はⅢの事例のことだと頭の中では考えているのに、答案にはⅡの事例と書いてある。自分ではあっているつもりなので問題の番号には正解の○のチェックがついている。
 同様に、この問題は“死”の結果を二重に評価していると考えながら、“強盗”の結果を二重に評価しているの肢を選んでいる。

 先入観をなくすという課題についても憲法の“租税法律主義”の問題で先入観を持ち、前提部分を読み飛ばし、正解が探しきれないまま答練を終えている。

 このような間違いをしなければ、不安を持つことなく本番に向かえると思う。

 これまで予備校での5回の答練の結果は合格推定点を1~3点超えているが、書いたようなミスをその都度犯している。本番までには、このようなミスをなくすようにしなければ結果は出ないのでは、という不安があり、どうしようと、頭から離れない。

 これまでに本番での受験経験で結果を出していないことも、不安に拍車をかける。

 60問のうち、3~5問は解けなくてもしょうがないと、納得するが、その他に10問ほどは解けていいと思う問題を間違えている。どうすればこの状態を克服出来るか。これから本番まで2ヶ月の課題だ。

 書き出すことで、自分の意識をより鮮明にすることが出来、次からの答練に生かすことができればと思う。
 

 今一番気にかけていること、というより生活のすべてを覆い尽くしている心配事です。
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欲張っていい事ないよね

2006-02-19 07:16:23 | Weblog

 すごく欲張っている自分がいる。

 勉強だって、そこそこ出来ている。飛躍的に伸びている実感はないが、前に進んでいることは実感することができる。もっとやらなければ、やれるはず。がんばろう。の繰り返し。

 ダイエットだって、東京に来た頃の50キロ台に戻し、うまくいっている。体調もいい。風邪の症状すら経験していない。

 ブログを読んでくださる方も、増えている。とても感謝している。
 プールで泳ぐことも、これまでのプール人生で一番上手に泳げている。

 なぜか、心がうきうきしない。自分自身に勢いを感じない。結果を出さなければいけないというプレッシャーだろうか。ただ楽しく過ごせればいいでは済まされないところに来ているということか。

 淡々と日々を過ごすことが大事と分かっているが、もっと、もっと、と欲張っている自分がいる。

 自分の平均にやれる量を分かってないから、そうなると娘の指摘。太って受かるのと、痩せて落ちるのと究極の選択どっちがいいというのが息子の何年か前のアドバイス。疲れるまで泳いでいることやブログを書くことが勉強から逃げているような気になることがある。
 
 風邪をひかずに頑張っているだけで誉めて上げていいじゃないの。これからもっと頑張らなければいけないときが来ると思う。その時頼りになるのは自分だけだからね。自分を酷使しないようにと、娘が寒いシカゴからエール。

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宮古島の言葉

2006-02-13 05:38:57 | ふるさとのこと
 生まれ故郷、宮古島のことが気になる。

 朝日新聞朝刊の連載小説「メタボラ」の中で使われている言葉は宮古島旧平良市の言葉であるようだ。島で生まれ育った私には、このような断片的な使い方であっても、懐かしいニュアンスは伝わる。が知らない人はどう読むだろうと気になるところでもある。作者桐野夏生さんがどのように宮古島の言葉を取材・作品化したのかにも興味がわく。

 歌手下地勇の歌詞も宮古島の久松集落のなまりがある。聞きなれていた旧平良市の方言と微妙に違うが時々聞いていた懐かしさはある。

 宮古島西原出身の方の「南方方言から読む日本民族の源流」には西原方言のことが書いてあるという。その研究レポートも読んでみたい。

 溢れる情報の中から、拾い集めている情報は、気がつけばふるさとに繋がるものが多い。というより繋がるものばかりだ。

 生まれた島に戻る自分を考えることは出来ないが、島にとらわれる自分を島から解放することも出来ないらしい。

 生まれ育った場所はあらゆる意味で深く自分の中に根付き、まさに生きる根源を創り出していると感じるこの頃である。

 今日は宮古島では16日祭(あの世のお正月)が行なわれる。宮古島市のホームぺージにいくと今日の午後は閉庁になると案内が出ている。島にとっては大きな行事だ。

 願書も提出した。気持ちの方向を一点に定めなければならないが、ここのところ、気持ちが空回り気味である。あの世の父や、養父である叔父に気持ちを繋ぎ、持ち直しを図らなければと思っている。

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「もったいない」考

2006-02-09 08:08:36 | Weblog
 一番もったいないのは社会のシステムが「人」を使い切れてないことではないでしょうか。

 アフリカのノーベル平和賞受賞者、ワンガリ・マータイさんの発言をきっかけに“もったいない” が日本中にひろがりを見せています。

 日常生活のいろいろな場面で気配りをし、物を大切にすることは、いうまでもなく大切なことだと思います。

“もったいない”という思いを持つのは「人」です。その人自身が大切にされているという感覚を持つことができれば、周りのものすべてに優しくなれるのではないでしょうか。

 わが国で一番もったいないことは人の持つ才能を活かしていないことではないでしょうか?
 世界で一番(?)識字率が高く、教育水準の高い国民が十分に生かされ、生きていく社会を創りきれてないのではないでしょうか。

 そのことが一番“もったいない”ことに思えるにですが。
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泳いでいるの

2006-02-02 14:01:55 | Weblog
 泳いだ後、クールダウンの水中ウォ-キングをしていると話しかけられた。「あなたのように泳げるようになりたい。あなたを目標にする」と。「ええ、目標にしてください。私を目標にした人は皆私より上手になってスイスイと泳いでいますよ。」これは今日の会話。

 以下は2週間前の息子との会話。

 平泳ぎは楽だよね。楽じゃない。
 クロール25m、背泳25mを繰り返して泳いでいる。
 背泳はきついでしょう。いいや、きつくない。背泳は楽をするために泳いでいる。
 おかしい背泳はとてもきついし、平泳ぎは力を抜いていてもスイースイ-と前に進む。
 母さんは泳いでいないのじゃないの。

 その通りかも知れない。泳いでいるカッコウつけているだけかも。

 それでも、ゆっくり優雅(?)に泳ぐ姿に、私のように泳げるようになりたいといっていた人も何人かいたのですよ。その人達はもう私の手の届かないくらい上手に泳いでいますがね。

 というわけで、私は泳げない人の憧れらしい。あのくらいなら自分も泳げるようになれると。今は娘のアドバイスで50メートルクロール、50メートル背泳、50メートル平泳ぎの真似事と泳いでいる。
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