4回目のアメリカ。帰りの空港でのチエックインを始めて自分でする。十分に時間を取ってオヘア空港に向かったのでチエックイン後は空港内を十分に歩き回り、ゆっくりとウインドウショッピングを楽しんだ。オヘア空港のようすがかなりわかるようになったと思う。ショッピングにもグルメにもあまり興味のないわたしは観光旅行にもあまり興味がなかった。しかし、娘のところでのアメリカ庶民の暮らし、その後のシカゴのダウンタウンでの空気、雰囲気に感じた新鮮さ、知らない事、確認したいことを聞くことが出来たことなどは世界を旅したいという気持ちをわたしに起こさせた。
確かに、娘を育てたのはわたしである。一方、娘はわたしの知らない世界にわたしを引っ張ることで母親であるわたしを育てることに熱心である。わたしの出来ることを広げてくれることはありがたいが、娘に、お母さん、と、改まった声で呼ばれると何を言われるだろうと身構えてしまう。娘もきっとわたしに呼ばれた時、そんな気持ちになる事があると思う。
二人の間であれば何が起きてもこれまでのいろいろな経験からお互いが軌道修正することは容易であった。しかし、娘に家族が出来るとそれは難しくなる。娘のパートナー、その家族と挨拶だけでは済まない濃い人間関係ができ、小さなことでも複雑化してしまう。言語の違いで意思疎通が難しい。細かい気持ちを伝えることが出来ない。それに最初に根を上げたのがわたしだ。
後の一切を娘に任せて帰ってきた。西部女性の逞しささえ感じさせる娘はきっとこの状況をものともせず、あーちゃんをしっかり育てることだろう。わたしは踏み台でいいのだと思う。娘が自分の健康を過信することなく丁寧に暮らしていって欲しいと願うのみである。
娘家族と、気持ちの行き違いが生まれたときからの毎日はわたしの行動範囲を広げた。わたしの出来ることを広げた。そのことはあーちゃんの誕生と同じくらいわたしにとって意味のあることだった。
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