水面に映る光景

日常感じたことなど。

放射能幻視

2011-07-21 08:08:14 | Miso一文字
セシュウムが“なぜ稲わらに”なぜだか誰でもが知っている暑い夏


チェルノブイリ遠くにあるも危険見え福島は身近にあるも見えぬ危険


南国の遠き遠くの小島にてビキニ環礁死の雨騒ぎ


平静を装いてしか生きる道残されていず文明の罪


放射性ヨウソセシュウム基準値に許容範囲はレースの遮蔽


安全の数値を聞きて湧く疑問気づかぬ振りで牛乳を飲む


見えずとも消えぬ汚点を残しつつそれでも生きる宇宙の隅に


次世代の負担を減らす覚悟とは医療費なしで生きること


文明の行き着く先は自滅だと遠き日に聞き今傍にある


どんな言葉で安全を言われてもそれにはたいした意味はないと思う。なぜなら、人類が未経験の事に論理的には安全の根拠はないと思うからだ。しかし、それを言い立ててもその事も意味を持たない。そんな状況の中に私たちは立っていると思う。今、大人であるわたしにできる事はできるだけ元気でいること。できるだけ医療費を使わない事。次の世代にはきっと多くの未知なる体調不良が出る可能性が秘められていると思うからだ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ウォーキング3(アメリカイリ... | トップ | ウォーキング4(ショッピング... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Miso一文字」カテゴリの最新記事